第3話 プライドだ
都会育ちで、10代の頃から恋愛をゲームのように楽しんできたことを時折自慢げに話す圭一であったから、はじめのうち春子は、それに合わせて都会で遊び慣れた女のように振る舞ったほうが良いのかと思ったが、それは間違っていた。
圭一は、自分の女については、それを許さない。
付き合い始めた頃、春子が学生時代の男友達と会うと話したときも、ふうんと一通り聞いた後、「会うなら別れる」と不愉快そうに言い放ったものだった。
「これは君へのヤキモチなんかじゃない。他の男より俺のほうがずっと良い男なんだから、当然のプライドだ」と臆面もなくいう。
しかし、春子にはそれがすべて圭一の本音だとは思えずにいた。
自分がそうだったからかもしれない。容姿や頭の良さを褒められることがあっても、どの分野においても自分は全く、一番というわけではない。春子は子どもの頃からそう考えるよう母親から躾けられていたので、褒め言葉を真に受けることもなく、図に乗ることもなく、どちらかといえば自分を過小評価するクセがついていた。
圭一は自分に似ているところがあるから、同じように小さなコンプレックスを持っているのではないかと思っていた。そして彼は、自分を好きになった年下の女にならば、どのような虚勢を張るも自由であると、そう思っているのだろうと感じた。
それでも春子は商社の社員として、それなりの社交性を発揮しなくてはいけない場を否応無しに社会から与えられるのである。
携帯から異性の連絡先を削除した夜から、3ヶ月ほど経った頃、春子は仲の良い取引先の男性担当者から合コンをセッティングしてほしいと頼まれた。春子としても、これは社会人として友人として、ぜひセッティングしてあげたいと思う話であった。
あの携帯の「失敗」(春子の頭の中ではすでに自分の失敗として整理されてしまっていた)を繰り返さぬよう、異性絡みの話題であっても、圭一にちゃんと分かってもらえるように説明すればいいのだと春子は思った。
3ヶ月、「失敗」してこなかったのだから。
圭一と会う約束をしていた金曜の夜。居酒屋で開放感から機嫌の良さそうな圭一の表情を確認して、春子はその話を切り出した。
圭一の表情が変わった。
春子はしまったと思った。
別にいいけど、なんでそんなのに行く必要があるのかわからない、と圭一は言った。
行きたくて行ってるとしか思えないし、そうでなければ随分人付き合いのいいことだ、本当に八方美人だね、君は…
否定的な言葉が続いた。
春子は「そうではない」という程度の、短い反論を差し挟むので精一杯だったが、圭一の言い分に対して受け答えしている格好にはならなかった。
圭一は聞いてなどいなかった。
「よりによって、いや別に」圭一は、少しだけ言いよどんだ。
が、やはり感情のままに言葉を続けた。
「その日はね、うちの奥さんの…検査の日なんだよ、病院の。検査は大したことではないけど、病気をしてそれで…なんでよりによって君、そんな日に男と飲むの」
春子は一瞬、圭一の言っていることの意味が分からなかった。だが「病院」という言葉をここで初めて聞いて、そこに意識が向かってしまった。
「まあ君には関係ないことだけどさあ」
当然、倫理的な問題はともかく、病気のことさえ知らされていなかった春子には関係がない。それでも圭一は、君は妻に隠れてその夫とこうして会っている身分であるのに、妻のいち大事に君は…と言いたいのだろうか。
それとも、俺の大切な人が大変なときだから自粛しろ、という意味だろうか。
いずれにしても、ここまでのやり取りで、春子はすっかり怒ったり反抗したりする気分は削がれてしまっていた。
ただ、ごめんなさい、を繰り返すのみだった。
圭一の機嫌は治らなかった。酒を飲めば飲むほど、エスカレートするようだった。
圭一の目が酔いで据わってきた頃、ふたりは居酒屋を出た。圭一はなんの合図もしないまま、建物のひしめきあう路地に入り、薄暗い照明のラブホテルに入っていった。春子はそれについていくしかなかった。
春子は、そのホテルの小さな部屋で、まず最初にビール瓶を口に突っ込まれて強引に一気にビールを胃に注がれた。すでに酔っていたのもあったが無理やりの一気でひどく酔いが回った。
あふれたビールが服を濡らした。圭一はそれを脱がし、全裸にした春子をバスルームにつれていく。乱暴にシャワーを浴びせる。春子の酩酊状態はいよいよひどくなってきた。
いつの間にか、バスタブに湯がたまりはじめていた。
圭一は春子の首を掴んで、頭をバスタブの湯の中に沈めた。少し沈めてはまた引き上げ、を繰り返した。酔いのためか、沈んでいる時間が短時間なためか、春子は苦しいということは感じなかった。圭一が何をしゃべっているのか、あるいは無言なのかさえ分からなかったが、なにやら楽しそうにしている気がした。
笑っているような、そこだけはうっすらと認識した。
「今夜は、帰らなくていいのだろうか、奥さんの病気は」
気にしなくてはいけないことを、まるで義務のように、春子は頭の中で唱えた。
後日、合コンの話は、春子が日程を口実にのらりくらりとかわしているうちに、立ち消えとなった。
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