第2話 噂にはなりません

当時、春子は都内の商社に勤めていた。圭一は取引のあるメーカーの担当者だった。ふたりとも、それなりに優秀な会社員であり、適度に知的な好奇心を持っていて、社交的な面を持ち、かつ自分のルールも持っている、ソツのないタイプの人間であった。しかし、学生時代からずば抜けて優秀な成績ということもなかった。いずれも学業には得意や不得意があったし、最終学歴の大学も決して悪くはないが、一流大学には手が届かなかった。

外見でいうと平均よりも整った容姿であると周囲が認めていて、それゆえに仕事がしやすかったことはあったのかもしれない。特に春子は、若い女として容姿の恩恵に預からなかったはずがなかった。内面にせよ外見にせよ、このふたりの釣り合いは、はじめから取れているような気がしていた。

春子と圭一で大きく違っていたのは、7つの年齢の差と、春子は父親の仕事の都合で地方都市で育った女であり、圭一は生まれも育ちも都内で、圭一のほうが若い頃から遊びに慣れているということだった。

春子は都会の男があまり好きではなかった。

だからこそ、圭一の誘いに乗ってしまったのかもしれない。春子にも見栄やプライドがあった。都会での仕事に慣れ、それなりに容姿で得もしてきた。あともう少しで、自信がつきそうな気がした。そして今が一番、春子自身にとって良い時のような気がしていた。

そこに年上の圭一の誘いがあった。

都会に、認められたような気がした。


春子の小さな手に似合わない大きさの、珍しい携帯電話に関心を持ったものが他にもいた。春子の会社の、春子の部署の課長であった。つまり春子の上司にあたるが、春子の会社では役職で上司を呼ぶことはなく、どれほど出世しても平社員とも互いに名字で呼び合う社風があった。したがって、この課長のことを、春子も「滑川さん」と呼んでいた。

ある日、滑川は目ざとく春子のデスクに置いてあったその携帯電話を見つけ、自分はPDAマニアだと言って断りもせず触り始めた。当時、一部のファンには話題だったその携帯であるから、マニアであれば食いつくのも無理はなかった。

春子が「あっ」と思ったのも遅く、メールの画面を見られた気がした。

滑川が動きを止めて「ふうん」といって、春子に携帯電話を返した。

取引先である滝圭一の名前のメールが、春子の個人の携帯にいくつも入っているのを滑川が見たとすれば、だいたいの察しがつくことであろう。

しかし滑川は、何も言ってこなかった。

春子は会社を退職する日まで、滑川が自分たちのことを気づいたのかどうか、心配し続けなければならなかった。


「俺たちが噂にならないのが不思議だよな?」

圭一は、自分と春子のことをこんなふうに言った。

それくらい自分たちは、似合っていて、そんな空気を醸し出しているのだという意味だった。

圭一は容姿に自信を持っていた。

春子は容姿を褒められることに慣れてはいたが、結局は地方育ちの臆病さが根深く、美人として振る舞うことができない性格になっていた。

そもそも妻帯者である圭一が、独身の春子と自分を並べてそのように述べる図々しさが、春子には理解し難かった。圭一は家庭を思い出す素振りさえしなかった。


年齢の差よりも、こうした性格の差が、圭一と春子の上下関係を揺るぎないものにしていった。


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