10話 約束

 到着したゲートは、Aクラスと変わりがなかった。だが、ゲートをくぐってステーションの敷地内へ入るとその違いをすぐに察した。通路が狭苦しく、雑然としている。人々は初めて立ち入るBクラスの雰囲気に戸惑いながらも先を急いだ。ルコも、未知の場所に踏み入れる心細さと、最悪の告知を受け入れる覚悟を心に抱きながら歩みを進める。

「ステーションはリニアのターミナルステーションと直結しているから」

 さすがにBクラスの地理に精通しているらしいアクシャムの言葉に従って進むと、やがて通路の先が大きく開ける。

「ああ……!」

 前を行く人々が呻くような声を上げて立ちすくむ。目の前に広がるのは、くすんだ藍色の疑似天蓋スクリーンに向かってそびえ立つ高層ビル群。飛び交うスカイビークルの群れ。いつかラタオに見せられた動画と同じ光景がそこにはあった。違うのは、警察や移民法監察局の車両の多さだ。そして、異臭とまではいかないまでも、独特な空気にルコは気づいた。思わず鼻を覆い、疑似天蓋を見上げる。その様子にアクシャムが声をかける。

「Bクラスは工業地帯が多いから、Aクラスに比べて大気環境は悪いんだ」

 なるほど。それがBクラスの健康寿命を引き下げる原因のひとつか。ルコは緊張をゆるめないまま辺りを見渡した。

「テロ事件での医療機関搬送先はこちらでお調べしています」

 リニアステーションの前で、アイリスの局員が声を上げている。人々が局員たちに殺到し、すぐに行列ができる。ルコは固い表情のまま、アクシャムと共に長い列に並んだ。

 ラタオが暮らしているBクラスに今、降り立っている。だが、今はそんなことはどうでもよかった。ラタオは今、どうしているのか。それだけが気がかりだった。

「お待たせしました。検索対象のお名前をどうぞ」

 局員の前に立ち、ルコは緊張に顔を引きつらせながらラタオの名を告げる。

「ラタオ・ウェッソンさんですね。――はい。ブルーム総合医療センターに搬送されていますね。ティーピー地区ですので……、あ、少々お待ちください」

 ぎくり、と体がふるえる。何かあったのだろうか。まさか、まさか、遅かった……?

 思わずぐらりとよろめくルコの腰をアクシャムが支える。

「落ち着いて、ルコさん」

 そして、局員に向かって身を乗り出す。

「監察官のアクシャムだ。確認が取れないのか?」

「いえ――」

 局員は目をすがめながら端末を操作する。

「この方は……、すでに退院されていますね」

「……えっ?」

 ルコの乾いた口からしゃがれた声が漏れる。アクシャムも険しい表情でなおも詰め寄る。

「どういうことだ? 軽度の負傷だったということか」

「わかりません。ただ、すでに退院しているとの通知が届いております」

 ふたりは顔を見合わせた。本当に怪我の具合が軽く、退院したのだろうか。それならそれに越したことはない。だが、今回の特別措置では、医療機関に搬送された場合は該当する搬送先まで訪問できる。搬送されていない場合は、ゲートステーションで情報を待つしかない。

「医療センターに問い合わせてみよう。それしか方法がない」

「はい……」

 不安でいっぱいの表情でルコは頷いた。こうなったらアクシャムに任せるしかない。アクシャムが端末を手にした時。注意を呼びかけるホイッスルの音が鳴り響く。

「工事車両が入ります! 道を開けて!」

 リニアステーション前のロータリーに広がっていたAクラスの人々は慌てて道を開けた。巨大なトレーラーが何台もやってくるとステーション前で停車する。そして、まるで戦争におもむくような重装備の人々が続々と降りてくる。

「A班とB班は第1ルートから! C班、D班は第2ルートからアタックする! ぐずぐずするな!」

 整備士たちが威勢よく応え、ゲートステーションへ向かう姿を人々が固唾を呑んで見守る。軌道エレベータの事故現場へ向かうのだろうか。となると、彼らはラタオと同じエレベータの保守点検整備士たちだ。怪我をしていなければ、きっとラタオも。整備士ひとりひとりの姿を目で追っていると――。

 真新しい包帯が目に飛び込む。顔と肩口を包帯で包まれた男。重装備で体の線がわからなくてもわかる。大勢の整備士たちに囲まれながらも、スポットライトが当てられたように、ルコの瞳は「彼」を捉えた。

「ラタオさん!」

 声を限りに叫ぶ。

「ラタオさん! ラタオさん! ラタオさん……!」

 喉が壊れるまで叫び続けながら人波を掻き分けて駆け寄る。背後から自分の名を呼ぶアクシャムの声が遠くに聞こえたが止まれなかった。

「ラタオさん!」

 何回目かの叫びで、彼はようやく動きを止めて振り返った。

「――ルコちゃん!」

 片目を包帯で覆ったラタオは呆気にとられた顔で叫び返した。そして思わず両手を広げて歩み寄るとふたりはしっかりと抱き合った。

「良かった……! 良かった……! ラタオさん、良かった……!」

 涙でかすれた声で何度も囁く。ラタオはしばらく無言でルコを抱きしめていたが、やがて腕をゆるめて顔を上げた。

「どうして――、どうしてここへ。どうやって来たの」

「それ、は――」

 舌がもつれてうまく話せない。ルコは首を巡らすと、すぐ背後に佇むアクシャムに眼差しを投げた。彼の胸許にアイリスの紋章があるのを見て、ラタオはすぐに察したらしい。

「……監察官?」

「……ええ」

 アクシャムはちょっとだけ口許をゆるめると頷いた。

「ねぇ、ねぇ、ラタオさん、こんなところで何してるの。怪我してるのに……!」

 まくし立てるルコにラタオは困ったように眉をひそめる。

「怪我はたいしたことない。それよりも、攻撃を受けた軌道エレベータの状況が大変なんだ」

 攻撃、とラタオははっきりと言い切った。悪意を持って軌道エレベータが破壊された。その現場へ、ラタオは向かおうとしている。

「危ないよ……! お願い、行かないで……!」

「ルコちゃん」

 ラタオは大きな両手でルコの頬を包み込むと、ゆっくりと言い聞かせた。

「俺は、攻撃された軌道エレベータで点検作業をしていたんだ。炎上には巻き込まれなかったけど、爆風で負傷した。でも、こんなのはかすり傷だ」

 そこで一度口を閉ざすと、顔を歪める。

「俺の同僚がひとりやられた。死んでしまったんだ。同期で、仲が良かったのに」

 ルコは、蒼ざめた顔で目を見開いた。

「軌道エレベータは、俺にとってはただの職場じゃない。命をかけて守る大事な場所だ。それに、この軌道エレベータが機能しなくなれば、どんな混乱を引き起こすか見当もつかない」

 ラタオの落ち着いた口調は、ルコを冷静にしたが、同時に不安を掻き立てた。

「で、でも……」

 悲痛な声を漏らすルコに、ラタオは哀しそうな微笑を浮かべた。

「それに、俺やルコちゃんにとっても大事な軌道エレベータだ。こいつのおかげで俺たちは出会えたんだ。そして、こいつがないと、俺たちの世界はつながらない」

 ルコの脳裏に蘇ったのは、不安で押しつぶされそうになった自分に差し伸べられた大きな手のひらだった。あの手が今、温かく頬を包んでいる。

「軌道エレベータはGET2の生命線だ。今失えば、俺たちのように会えなくなる人たちがたくさんいるんだ。そうは、させない」

 力強い言葉に、ルコはぎゅっと目を閉じた。彼は、自分たちのために、自分たちのように引き裂かれた人々のために、「戦場」へおもむこうとしている。見送らなければ。そして、帰りを待たなくては。

「……絶対、帰ってきてよ……!」

 ルコの言葉に、ほっとした表情でラタオはもう一度抱きしめた。

「今度の約束はちゃんと守るよ。絶対にだ」

 言葉にならない嗚咽を漏らし、ルコは力の限りラタオを抱きしめた。そんなルコに、ラタオはそっと耳許に唇を寄せる。

「……ルコちゃんに、聞いておかなきゃいけないことがあるんだ」

「……え」

 ふるえ声で囁く。

「……指のサイズ、教えてくれないかな」

 今、何て? ルコは混乱した頭で顔を歪めた。ラタオは腕をゆるめると、真剣な表情でまっすぐに見つめた。

「左手の、薬指。サイズを、教えてほしいんだ」

 それが、指輪のことだとわかるまでルコは時間を要した。そして、目に熱い涙がこみ上げてきた。

「ラタオ、さん」

 彼は少し照れくさそうに笑うとルコの髪を撫でた。

「大学を卒業したら、結婚しよう。……結婚、してくれるかな」

 その言葉にルコはどう返せばいいかわからず、ラタオの胸に顔を押しつけた。

「待っててくれるかい」

「……はい!」

 大きく、力強い返事にラタオは満ち足りた笑顔を見せた。そして、ずっと自分たちを見守っていたアクシャムに視線を向ける。

「彼女を、頼みます」

 アクシャムは黙って頷いた。

「さ、お父さんやお母さんが心配するから」

 ラタオの言葉に、ルコはようやく体を離す。が、その手はまだラタオの作業着をつかんでいる。

「心配しないで」

 幼な子を安心させるように頭を撫でられ、ルコはようやく手を離した。

「次の開放日には、渡せるようにがんばるよ」

 そう囁くと、ルコはまだ不安でいっぱいの表情ながら頷いた。それを見届けると、ラタオはルコの小さな唇に軽く口付けを落とした。

「じゃあ、行くよ」

 そう囁くと、彼も名残惜しそうに表情を歪め、背を向けた。

「ラタオさん……!」

 涙が混じった声。

「私、待ってるから!」

 その言葉に振り返ると、ラタオはにっと笑って親指を突き立てた。そして再び踵を返し、整備士たちの群れに消えていった。

「……もう、いいかな」

 背後から呼びかけられ、ゆっくりと振り返る。

「かっこいいな、彼」

 整備士たちの群れを見守りながらアクシャムが呟く。

「彼が帰ってくるのを、しっかり迎えないとね」

 アクシャムの言葉に、ルコは黙って頷いた。



「ねぇ、アクシャムさん。本当に……、私をBクラスに連れていったりして大丈夫なんですか」

「行かなきゃよかった?」

「そんなことないです。でも……、アクシャムさんに迷惑がかかったら……」

「大丈夫だよ。心配しないで。――ああ、さすがに疲れたなぁ。一眠りするかな。ゲートステーションに着いたら起こしてね。……寝言を言うかもしれない」

「アクシャムさん?」

「……本当はね、もう小さなことまでわからなくなってるんだよ。……政府も、相当ガタがきてるよ」



 軌道エレベータ爆破テロ事件により、その後5日間はクラス間の通信が遮断された。その間、ルコは生きた心地のしない日々を送ったが、通信が再開されるとラタオとはすぐに連絡がついた。いつもは使わない光学通話ヴィジフォンでノイズ交じりに言葉を交わすと、無事が確認できた喜びでルコは端末越しに号泣した。自分には彼が必要だ。改めてその想いを強くした1日となった。

 だが、大きなダメージを受けた軌道エレベータは復旧に時間がかかると判断され、しばらく開放エリアは閉鎖されることになった。再開はいつかわからない。今度会えるのは一体いつになるのだろう。テロで怪我を負ったラタオに会えないルコは心配でならなかった。



「怪我は大丈夫なの?」

「うん。肩と腰の打撲がしんどいな」

「視力は?」

「視力は問題ないってさ」


 ルコの脳裏に未だに焼き付いている目を覆っていた包帯は、爆風で飛んできた破片が目の上を切ったものだという。その他、様々なものが飛んできて体にぶつかったらしい。通信が復帰してから、毎晩チャットで容体を尋ねる毎日。早く会いたい。会って、怪我の具合をこの目で確かめたい。そして何より、「生きている」実感がほしい。


Aクラスそっちはどう? 落ち着いてきた?」

「全然。テロ容疑者の裁判を公開するべきだって市民グループが要請を出したり、実は移民法改正運動グループに濡れ衣を着せようとした当局の仕業じゃないかってメディアが報道してたり、もう大変」

「ずいぶんキナ臭い話になってるなぁ」

「人がいっぱい亡くなったし……」

「そうだな。納得できない人はたくさんいるだろうな」


 その、納得できない人々のひとりがラタオだろう。結局、ラタオは同僚のひとりを亡くし、数人の部下が重傷を負い、何人かは職場復帰は絶望的だという。


「休職はいつまでになりそう?」

「来月いっぱいまでは休ませてくれそうだ。早けりゃ早くていいぞって言われたけど、さすがにこの状態では勘弁してもらいたいよ」


 仕事に関しては馬鹿がつくほど勤勉な彼が弱音を吐くのだ。ここはしっかり体をいたわってほしい。すると、すぐにリプライ音が響く。


「それよりも、早くルコちゃんに会いたいよ。元気な連中が早く軌道エレベータを直してくれたらな!」


 予想もしていない本音に思わず頬を赤らめながらも微笑む。


「私も早く会いたいな」

「誕生日を一緒に祝えなかったしね。――、お父さんやお母さんにも迷惑をかけるし。ごめんね」


 ラタオからのプロポーズは、本人の希望もあって両親には伝えている。そして、改めて開放エリアで集まり、ふたりそろって報告しようと決まったのだが、それもいつ実現するのかわからない。ルコも、その日が待ち遠しくてしかたがない。椅子に座り直し、キーボードに身を乗り出す。


「ねぇ、ラタオさん。みんなで会う時、どのレストランにしようか」


 しばし待つがリプライがこない。気長に待っていたが、少し長い。


「ラタオさん?」


 まだだ。ルコは眉をひそめた。


「ラタオさん、見えてる?」

「爆発音がした」


 唐突に返ってきた言葉にルコは「えっ」と声を上げる。そして、背にさっと寒気が走る。


「割りと近くから、大きな爆発音がした。まただ」

「そこから見えるの? 避難した方がいいんじゃないの?」


 胸の鼓動が少しずつ早まる。落ち着け。落ち着いて今の状況を受け入れるのだ。


「タワーから煙が上がってる。セントラルメディアタワーだ。それと、もう少し遠くからも煙が上がってる。――一か所だけじゃない。いくつも煙が」

「ラタオさん! 早く逃げた方が!」


 と、ルコの背後から圧迫されるような轟音が響く。

「ひっ!」

 椅子から飛び上がり、振り返る。そして、転がりそうになりながら窓辺へ駆け寄り、カーテンを開け放つ。

 目に飛び込んできたのは、赤々とした炎の揺らめき。ルコの住むマンションからほど近い市庁ホールだ。

「そんな……、ここでも……?」

 呆然と呟くルコの耳に、再び遠くから爆破音が響いてくる。部屋の外からぱたぱたと足音が聞こえてきたと思うと、ドアをせわしなく叩かれる。

「ルコ!」

「母さん!」

 入ってきた母は蒼ざめた顔でルコを抱きしめた。父も窓の外に目をやって顔を歪める。

「ニュースを」

 言われるまま、壁面にニュースチャンネルを呼び出す。すると、メディアセンターの女性アナウンサーが顔を強張らせてニュースを読み上げている。

「現在、AクラスBクラス両船各所において爆発が起きているとのことです。今わかっているだけで、Aクラスは物資運搬施設のAカーゴ、リニアラインターミナル……」

 スタジオに展開されているAクラス船内マップに赤い輝点が次々と灯ってゆく。

「今、中央市庁ホールも爆発炎上しているとの情報が入りました」

 三人は思わず身を寄せ合ってニュースの映像に釘づけになった。

「……父さん、Bクラスにも爆発が……、ラタオさんが」

 娘の言葉に父は苦い表情で見下ろす。ニュースの音声だけが響く室内。息をひそめていたルコの耳は、敏感にチャットのリプライ音を捉えた。


「ルコちゃん」

「ラタオさん! こっちも、こっちもたくさん爆発が起きてる!」

「落ち着いて。こっちもどんどんひどくなってる。俺はお袋と兄貴に連絡を取ってから近くのシェルターに避難する。ルコちゃんは」


 ルコは両親を振り返った。

「ラタオさん、シェルターに避難するって」

「それがいいな。我々も準備しよう」

 父の言葉に母が無言で頷くと部屋を出てゆく。


「うちも避難するって」

「うん。絶対に、お父さんやお母さんとはぐれないようにね。それと、ちょっと待ってて」


 リプライを待っていたルコだったが、突然手許の携帯端末が着信音を響かせる。ラタオからの光学通話。

「ラタオさん!」

 思わず端末に向かって叫ぶ。端末からは相変わらず耳障りなノイズが切れ切れに聞こえてくる。

「――聞こえる? ルコちゃん」

「聞こえてる!」

「いいかい、絶対に無理はしないで。危ない行動はしないで」

「わかった……!」

 一瞬、大きなノイズに通信が途切れるが、すぐにまた着信する。

「シェルターに避難したらなかなか通信は使えないと思うから、テキストメッセージを残しておいて」

「はい……!」

「それから」

 耳を突き刺すノイズに顔を歪める。まるで、自分たちを引き裂こうとする悪意の嘶き。ルコは張り裂けそうな胸を手で押さえつけ、端末を耳に押し付けた。

「ルコちゃん」

「はい!」

「一緒に暮らそう」

一瞬時間が止まったような感覚。

「――一緒に暮らそう。俺、諦めないから」

 視界が揺れる。ルコは両目をぎゅっと閉じると床に崩れ落ちた。

「うん……! 暮らそう……! 私、負けない……! 誰にも、絶対に負けない! 一緒に生きる!」

「ああ」

 ノイズがひどくなり、ラタオの声が遠のく。

「じゃあ、行くよ。また、連絡して――」

「ラタオさん!」

 通話が切れる。端末の光が徐々に弱まり、やがて消えてゆくのを呆然と見守る。

「ルコ」

 父親が肩を撫で、その手にすがりつく。

「ひ、避難しなきゃ」

「そうだな」

 思ったよりもしっかりした娘の声に安心したのか、父はルコの手を取って立ち上がらせる。その時。

「政府からの声明です」

 アナウンサーの言葉にふたりが振り返る。

「たった今、移民政府から正式な声明が発信されました。Aクラス時間午後10時30分をもって、GET2全船において非常事態宣言を行うとのことです」

 非常事態宣言。ルコはごくりと唾を飲みこんだ。

「市民のみなさんは、警察および移民法監察局の指示に従ってすみやかに近隣のシェルターへ避難するよう。繰り返します」

 と、唐突にニュース映像が消え失せる。ルコは小さな悲鳴を上げて父の腕にしがみつく。そして、薄暗い部屋に連続したブリップ音が響いたと思うと。

「皆さん、『天球儀ラジオ』のユェンです」

「ユェン……!」

 どうして、こんな時に? 混乱するルコに父が「しっ」と囁く。

「皆さん、どうぞ落ち着いて聞いてください。政府は非常事態宣言を行いました。ですが、今こそ立ち上がる時です」

 ぞくり、と背が粟立つ。ユェンの柔らかな、しかしはっきりと冷静に綴られる言葉はそれ以上ルコの頭には入ってこなかった。彼女はおぼつかない足取りで窓辺に歩み寄った。真っ黒な煙が疑似天蓋を覆い尽くしている。そして、鉤爪のような炎が煙をかきむしるように踊る。

 ついに始まったのだ。閉じられた扉が無理やりこじ開けられようとしている。だがそれは、皆が願っていた未来へと続くはずなのだ。ルコは、手を固く握りしめた。

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