09話 ゲートステーション

「昨年のAクラス平均寿命は約83.1歳に対し、Bクラスの平均寿命は70.2歳です。同じGET2船内で生存しているのにもかかわらず、これだけの差が広がっているのは何故だとお思いですか。それは、30代から50代にかけてのBクラス住民の就業中での死亡率が異常に高いことがひとつ。もうひとつは、BクラスはAクラスに比べて船内環境が過酷であり、疾病罹患率が高いからです。さらに、見逃せない事実があります。Aクラスの出生率は1.2人。Bクラスは2.1人。この数字はここ数十年大きな変動はありません。にもかかわらず、少子高齢社会であるAクラス以上に出産補助が手厚いのはどういうことでしょう。BクラスはGET2の航行に欠かせない労働力であることは今さら否定できません。Bクラスの出生率は労働力の確保に直結します。周回速度を上げることで生存時間を早め、人口の増加を企てていることは明白です。これは明らかにAクラスによるBクラスの労働力搾取であり、極めて重大な人権侵害です」

 Aクラスの繁華街、スクランブル交差点に面した巨大なオーロラビジョンに映し出されているのは、GET2両船議会の様子。道行く人々は皆立ち止まり、議員たちの舌戦を見守っている。

「違う。Bクラスの周回速度が速いのは構造上の問題だ」

「では何故、地球での乗り込み時の乗船権にあれだけの差があったのです。Bクラスの乗船権は10万SG。Aクラスは50万SGです!」

「いつの話をしているんだ! 百年前の話を蒸し返すな!」

 Aクラス議員とBクラス議員双方が激しく言い合う様子を、Aクラスの住民たちは不安そうに見守っている。その背後からは、移民法改正を求めるデモ行進のシュプレヒコールが聞こえてくる。Bクラスほどではないにしろ、Aクラスの住民たちも移民法の改正を求めている。その多くが、惑星移住を早く実現してほしいというのが理由だ。惑星での平等な暮らし。理想主義的な夢ではあるが、移民政府がくりかえし主張する「惑星に移住すれば格差は解消される」ことを早く実現させたいのだ。

「いつになったら居住可能惑星を見つけられるんだ!」

「早く惑星へ! 平等な社会を!」

 シュプレヒコールを遠くに聞きながら、ルコは議会の中継を見つめていた。

 移民法改正運動は激しさを増している。デモは毎日のように行われ、議会だけでなく、民間のメディアでも様々な立場の人々がディベートをくり広げている。中でも、ハイブリッドたちの運動は際立っている。クラスの開放は彼らの切実な願いだから。ルコは、ハイブリッドたちのデモ行進でシャオの姿を何度も見かけている。自分もデモに参加したかったが、移民法監察局アイリスの目が怖くて行動を起こせないでいる。自分だけならともかく、周りに迷惑をかけたくない。両親は特に何も言ってはこないが、ルコの身の上を案じている様子がうかがえる。だが、そうやって静かに息をひそめるように暮らしているつもりのルコにも、移民法改正運動の余波がおよんでいた。


 月に一度の開放日。ルコとラタオは厳戒態勢の開放エリアで落ち合った。それぞれの軌道エレベータのゲートステーションには移民法改正運動の活動家たちがこまめに集会を開いており、当局との衝突も多く、軌道エレベータは厳重に警備されている。そのため、ふたりが出会った頃にくらべて開放エリアはずいぶんと静かになってしまった。

「AクラスとBクラスの活動家が開放エリアでミーティングをしていたらしいから、アイリスがうろつくようになったんだ。俺たちにしてみればいい迷惑だよ」

 水路沿いのカフェで食事をしながら、ラタオは溜息まじりにぼやいた。

Bクラスこっちでもテロの予告なんかがあるたびに警察とアイリスが動くから仕事にならないし」

「テロの予告?」

 不穏な言葉にルコは眉をひそめて身を乗り出す。

「ほとんどが悪戯なんだけど、本当に悪質だよ。たまに、実際に爆発騒ぎもあるし」

 Bクラスにそこまで混乱が広がっているなど、知らなかった。Aクラスのメディアはなかなか報じることができないのだろう。浮かない表情のラタオを心配そうに見つめる。

「気をつけてね」

「ああ」

 そこで、不安げな顔つきのルコに気づいたラタオは慌てて笑顔で呼びかける。

「そうだ、今度のルコちゃんの誕生日楽しみだね」

 誕生日。ルコも表情を和らげて頷く。

「ちょうど開放月でよかった」

「そうだな。えっと、20歳になるんだっけ。早いなぁ」

 グラスの水で喉を潤わせてから溜息をつく。

「出会ってからもう10年も経つのかぁ。年を取るわけだよな」

 と、そこまで呟いてから不意に顔をしかめ、申し訳なさそうに笑う。

「……ルコちゃんは、まだ5年だね」

 ルコも少し寂しそうに笑うと頷く。

 出会った時、ルコは15歳。ラタオは20歳。ルコは5歳しか歳を取っていないが、ラタオはすでに10年が経過している。精悍だった彼の顔はずいぶんと柔和になった。そして、つつみ込むような優しさも変わらない。

「じゃあ、次はお祝いしようね。また、クリスタルパレスで」

 クリスタルパレスは、ラタオの最初の誕生日を祝ったレストランだ。あれからふたりは記念日をそこで祝うことにしている。

「楽しみだな」

「ああ」

 ふたりは食事を終えると水路沿いのレストランを出た。

「あ、そういえば――」

 振り返ると、ラタオは考え込む顔つきで頭を掻き、やがて軽く首を振る。

「いや……、やっぱりいいや」

「どうしたの?」

「ううん、大丈夫。じゃ、サーカス観に行こうか」

 約束していたサーカスの公演時間が迫っている。ふたりは手を取り合うと足早にサーカスのテントへ向かった。


 開放エリアでラタオと充実した時を過ごしたルコは、再びAクラスでいつもの日常を送っていた。とはいえ、昔のような虚無にも似た静かな日常は失われてしまった。街のそこかしこで移民法改正運動の集会が開かれ、メディアも毎日のように識者たちのディベートを中継している。

 きっと、こんなにも爆発的な広がりを見せている理由は「彼女たち」の働きがあるからだろう。ルコは去年出会ったBクラスの少女を思い出した。危険を冒してBクラスを離脱し、Aクラスに侵入した彼女たちは根底から移民法改正の機運を高めようと様々な工作を行っているのだろう。それも、これまで溜まりに溜まっていた人々の不満や苦しみがあってこそだ。

 これだけの盛り上がりを見せる移民法改正運動。ひょっとして、本当に改正されるのだろうか。それとも、惑星が見つかって移住できれば。ルコの胸に期待の光が灯っていた。だが、その小さな灯は、移民政府の前ではあまりにも小さすぎた。


「そろそろ誕生日ね」

「うん」

 ある日の日曜日。ユッカと買い物に出たルコは街のカフェで一息ついていた。

「ラタオさん、何を用意してくれるのかな」

 ユッカはそう言ってルコの胸許を指差した。そこには、初めて贈られた星のネックレスが揺れている。

「これは、誕生日のプレゼントじゃなかったけどね」

「そうだったっけ。今度の開放日に会えるんでしょ?」

 はにかんで頷くとユッカがにやにや笑いながら小突いてくる。

「プレゼントよりも、長く一緒にいられたらいいな」 

「そうねぇ。移民法改正運動があまりにも激しいから、開放エリアの運用時間を24時間から72時間に拡充するって案が出てるらしいけど」

 その話はルコも知っていた。1日と3日では大きな違いがあるのはわかっていた。でも、それは根本的な解決にはつながらない。

「これから、どうなるんだろ」

「そうだね」

 ルコはしんみりとカフェオレボウルを両手で包み込むと溜息をついた、その時。

 店内に流れていた軽やかな曲が突然途切れ、壁面に報道局の映像が映し出される。客たちがざわめく中、女性アナウンサーが口早に読み上げる。

「臨時ニュースです。Bクラス時間今日未明、第1軌道エレベータゲートで大規模な爆発が起き、多数の死傷者が出ている模様です」

 がちゃん、と食器がぶつかる音。ルコは両手で口許を覆った。火炎が舞い踊る事故現場の映像に切り替わる。警察や消防の人々が立ち回っているが、火の勢いがひどく、どうすることもできないのがわかる。軌道エレベータは、ラタオの仕事場だ。

「炎上は今も続いており、消火および救助活動は難航しているとのことです。一方、移民法監察局アイリスの発表によりますと、爆発物を仕掛けたとされるグループはすでに警察によって拘束されているとのことです」

 ルコの瞳に、悪魔の舌のように真っ赤な炎が舐めるように映る。そして、いつのまにか立ち上がっていたのか、よろめいた自分をユッカが支える。

「しっかりして、ルコ!」

「あ……、あ、ど、どう、しよう……、どうしよう……!」

 うわごとのように囁くルコの背を支え、ユッカが必死に呼びかける。

「ひとまず、お家に帰ろう。落ち着かなきゃ」

 呆然としたままタクシーに乗せられ、ルコはユッカのおかげで何とか家に帰りつくことができた。

「おば様」

「ユッカちゃん!」

 出迎えた母は悲鳴のような声をあげてふたりを家に上げた。

「ありがとう、私もニュースを見てびっくりして……。ユッカちゃん、あなたがいてくれて本当によかったわ……!」

 母とユッカは真っ青な顔で一言も発しないルコをソファに座らせた。

「あれ、テロだったんですよね」

「ええ、そうみたい」

 ユッカの問いかけに答えながら、母は報道局にチャンネルを合わせる。

「Bクラスで起きた大規模テロ事件の続報です。軌道エレベータゲートで爆発に巻き込まれた人々は順次医療施設に収容されています。エレベータゲートはまもなく鎮火する見通しとのことですが、ゲート部分が倒壊の恐れがあるとして、厳戒態勢が取られています」

 ゲートの倒壊。ユッカと母は顔を見合わせた。GET2には様々な種類の軌道エレベータが存在している。それは人荷の移動だけでなく、燃料の輸送であったり、データの転送であったり、AクラスBクラス双方にとっての生命線でもある。そのひとつが倒壊、崩落となれば。

「ら、ラタオさん、ラタオさんが」

 不意にふるえる声が上がり、母がルコの手を取る。

「しっかりしなさい、ルコ。ラタオさんの無事を確認するためにも、気をしっかり持たないと」

「そうよ、ルコ」

 顔面蒼白でふるえるルコの肩をなでる。その時、チャイムの音が聞こえたかと思うとリビングのドアが開く。

「あなた」

 母の声にルコが振り返る。そして、目に涙をためたまま父に飛びつく。

「父さん……!」

 父は黙って娘を抱き止めた。

「研究所は」

 母の言葉に父が頷く。

「仕事にならないから帰ってきた。Aクラスからも災害支援部隊と医療チームが向かったそうだ」

 Aクラスから大規模な支援が行われることは珍しい。事態は思っていたより深刻だ。皆は、息をひそめてニュースの映像を見つめることしかできなかった。


 夕方になる前に心配しながらもユッカが家に帰り、ルコは母に寄り沿われながらずっとニュースを眺めて過ごした。時間の経過と共に死傷者の数が明らかになり、それはさらに増えていく。数字が膨らんでいくことに、ルコは頭がどうかなりそうだった。

「少しは食べたら?」

 何も口にしようとしないルコのために、母が温かいスープを差し出す。暗い顔で受け取り、少しずつすする。

 あれから何度もラタオの携帯端末シェルに呼びかけたが出る気配はなかった。チャットルームで呼びかけても応答はない。彼の仕事は軌道エレベータの保守点検。GET2全域に張り巡らされた軌道エレベータのどれかで、働いていたはずなのだ。

「ルコ」

 父の呼びかけに顔を上げる。

「明日も学校だろう。このままニュースばかり見ていたら体がもたない。少し休んだらどうだ」

 自分も体がまいっていることはわかっていた。だが、とても休める気分にはなれない。顔をしかめてうつむく。

「移民政府からの速報です」

 不意にリビングに流れた音声に一同が振り返る。

「今回のBクラスにおける大規模爆発テロに関し、移民政府は超法規的措置を取ると発表しました」

 どういうこと。ルコは顔を強張らせながら身を乗り出す。

「今回の爆発で負傷した住民と血縁関係、および婚姻関係がある場合に限り、Aクラスの住民がBクラス側軌道エレベータゲート、もしくは搬送先の医療機関の訪問を許可するとのことです」

 呆然としたまま画面を見つめるルコ。そして、我に返ったように慌てて父を振り返る。

「Bクラス、Bクラスに行ける――」

「待て、ルコ」

 固い声色で父が制する。

「よく聞きなさい。負傷した住民と血縁関係、もしくは婚姻関係のある者だけだ。要するに、家族しか会いに行けない」

「でも――! でも、このままここで待っていたくない!」

 ルコはソファから立ち上がるとリビングを飛び出した。

「待ちなさい、ルコ!」


 それから後、ルコと父の姿は軌道エレベータゲートステーションにあった。いつもならラタオの許へと運んでくれる大事な場所。それが今や、暗い顔をした人々が集まっていた。

「ルコ」

 父が指差す方向へ目を向けると、長い列ができている。その先にはカウンター。ステーション内を警護している移民法監察局アイリスの警備員に尋ねると、ここで今回の事件での負傷者がどこへ搬送されているのか、ある程度の安否がわかるという。ルコは父に手を取られながら行列に並んだ。

「……父さん」

 幼い子のように弱々しい声を上げると父が見下ろしてくる。

「もしも、もしも、ラタオさん……」

 涙がこみ上げてきて言葉にならなくなる。父は息をつくと頬を伝う涙を指先で拭った。

「しっかりしろ。今おまえができることを最後までやるんだ」

 肩をふるわせながら頷く。やがて、複数あるカウンターのひとつが開く。

「あ、あの……」

「安否確認ですね。どうぞ落ち着いて」

 アイリスのバッジを付けた局員が柔らかな口調で呼びかける。

「安否確認対象の方のお名前をどうぞ」

「ラタオ・ウェッソンさんです」

 局員が端末に名前を打ち込む様子をじっと見守る。モニターを見つめる局員の目が細められる。

「……該当者1名。ティーピー地区内の医療機関、ブルーム総合医療センターに搬送されていますね」

 病院に搬送されていた! ということは、少なくとも怪我を負っているということだ。

「父さん……!」

「落ち着きなさい、ルコ」

 取り乱すルコに父が冷静に制する。

「容体はわかりますか」

「そこまでは……。現在、通信が制限されていますので」

 病院にいる。そこまでは確認できた。だが、自分にできるのはここまでだ。ルコは肩を落とした。局員が身を乗り出す。

「どうされますか。Bクラスへ渡航を希望されますか」

 渡航という言葉に体がふるえる。行けるものなら行きたい。そんな思いで黙り込むルコに、局員はさらに畳みかけた。

「該当者との関係は」

 うなだれたルコは、生気を失った面立ちで目を上げた。

「……恋人です」

 その言葉に、局員の表情が気の毒そうに歪む。

「――婚姻届は」

 力なく首を振るルコに、局員は溜息をつく。

「……残念ですが……」

 顔を伏せてしまったルコに、父が腕を取るとカウンターを離れる。安否確認希望者の列はまだ続いている。ルコは、重たい溜息を吐き出してから顔を上げた。カウンターの先では、軌道エレベータのゲートへ向かう人々の姿が見える。皆心配そうな顔つきで足早に走り去る。大事な人、愛しい人の許へ。自分は、そこへ加わることができない。

「ルコ」

 父がそっと手を握りしめてくる。ここまでついてきてくれた父には感謝している。だが、自分の無力さを思い知らされただけだった。情けない思いで手を握り返した、その時。

「先輩」

 聞き覚えのある声。

「……アクシャム」

 振り返ると、そこにはいつものダークスーツに身を包んだ監査官、アクシャムの姿があった。青白い顔をしたルコに眉をひそめると歩み寄る。

「やはり、こちらまでいらっしゃっていたんですね」

「ああ」

 父は溜息をついて娘を見やる。

「病院に搬送されたことまでわかったんだが、当然ながら渡航は認められなかった」

「血縁関係者と婚姻関係者だけですからね」

 その言葉に、ルコは再び悔し涙がこみ上げてきた。両手で肩を抱き、必死で嗚咽をこらえる。

「ルコさん……」

 アクシャムの困惑した呟きが耳に入る。いつもは何を考えているのかわからない、謎に満ちた表情のアクシャムも、さすがに心を痛めているらしい。

「ラタオさん……!」

 しぼり出すようにささやく。この先にある軌道エレベータに乗れば、ラタオに会いにいけるのに! 悔しげに唇を噛みしめるルコに、再びアクシャムが呼びかけた。

「……ルコさん、Bクラスに行きたい?」

「当然です!」

 思わずかっとなって叫ぶ。と、そこには真顔で自分を見つめるアクシャムが佇んでいる。

「じゃあ、何が待っていても受け入れる勇気はある?」

 アクシャムが続けた言葉に目を見開く。父も顔をしかめてアクシャムを凝視する。彼は真剣な眼差しで一言一言噛みしめるように言い聞かせた。

「搬送先の病院で、どんな言葉を聞いてもそれを受け入れられるかな。最悪の言葉を聞かされる可能性だってある」

 そうだ。容体はわからない。軽いのか、重いのか。そして、最悪の状態だって考えられる。それでも。ルコはごくりとつばを飲み込んだ。

「……受け入れます」

 静かに、きっぱりと言い切る。

「何があっても、受け入れます。……怖いけど。でも、このままここにいるよりは」

「わかった」

 アクシャムは頷くと懐から端末を取り出した。

「アクシャム、無理はするな」

 父の言葉ににっこりと笑ってみせる。

「大丈夫です。ただ、先輩はここまでです。お嬢様をお預かりします」

 父は黙って頷いた。

「父さん」

「……迷惑をかけないようにな」

 ルコは力強く頷いた。

「じゃあ、こっちへ」

 端末を懐にしまいながら歩み出すアクシャムの後に続く。

 カウンターの脇を通り抜け、軌道エレベータゲートへ向かう通路をゆく。

「アクシャムさん、大丈夫なんですか」

「ああ。ただ、絶対に僕のそばから離れないようにね。勝手な行動をすれば命の保証はできない。――言われなくてもわかってると思うけど」

「はい」

 正式な手続きを踏んでいない以上、勝手な行動をすれば「離脱」と見なされ、拘束されても文句は言えない。ルコも、ここで自由を奪われるわけにはいかない。

 軌道エレベータへ入ると、間もなくしてゲートが閉ざされた。発進プロセスのアナウンス。計器類の安全確認コール。すべてがいつも通り行われた。だが、いつもは明るくにぎやかなエレベータ内は不気味に静まり返っていた。ただ、押し殺したようなささやきがさざなみのように広がる。この重苦しい空気は、ルコに初めて乗った軌道エレベータを思い出させた。初めての軌道エレベータは不具合を起こしてルコを閉じ込め、恐怖の時間を強いたのだ。そこから救い出してくれたのが、ラタオだった。

 やがて、軌道エレベータは「乗り換え」のために開放エリアゲートで停止した。人々は開放日ではない開放エリアに息を呑むことになった。


 誰もいない開放エリア。商店はシャッターをおろし、いつもは聞こえてくるはずの手回しオルガンの音色もしない。移動遊園地には動きを止めた回転木馬が訪れる者を待って並んでいた。

 Aクラス、Bクラス両船ほどではないにしろ、広大な敷地を誇る開放エリア。エリア内のモノレールに乗り込み、これまで訪れたことのないBクラス船行きのゲートステーションへ向かう。

 Bクラスへ向かう軌道エレベータは、外見はAクラスと変わりはなかった。だが、このエレベータが連れていってくれるのは、夢にまでみたBクラス。皆、不安と期待が入り混じった複雑な表情で乗りこむ。Bクラスに行けたら。皆そう思っていただろう。だが、こんな形で実現するなんて。

「疲れた?」

 隣から声をかけられる。ルコは黙って首を横に振る。Aクラス側の軌道エレベータ同様、静かな空間。アクシャムの溜息が耳に入る。

「……なぁ、ルコさん」

 黙って振り返る。アクシャムは前を見据えたまま言葉を続ける。

「聞いてみたいことがあるんだ。彼の、どこに惹かれたのかな」

 こんな時に何を言いだす? 不審げな表情でアクシャムを見上げていたルコだったが、目を伏せてしばし考え込む。

「……世界を、広げてくれたから」

 眉を吊り上げて振り返るアクシャム。その顔には「どういうこと?」と書かれている。

「……私、昔はずっとひとりでいることが多かったから」

 低い声でぽつりぽつりと言葉をこぼしていくと、これまでのことが瞼の裏に蘇ってくる。

「友達も少ないし。外へ出ることもほとんどなくて。ずっと家にいたんです。友達が、開放エリアに誘ってくれるまでは」

 アクシャムは小さく頷きながら聞き入っている。こんなつまらないことを、真剣に聞いてくれている。不思議な気持ちにひたりながらも、ルコは語り続けた。

「開放エリアで出会ったラタオさんは、自分の家に閉じこもっていた私を外に連れ出してくれたんです。いろんなことを教えてくれて。外へ出て、外へ目を向けるようにしてくれたんです」

「それは」

 初めて言葉を遮られて振り返る。

「良いことだけど、それなら彼じゃなくてもよかったんじゃないのかな。世界を広げてくれる人は、Aクラスにもいたんじゃないの?」

「……そうですね」

 否定はしない。だが、

「でも、出会ってしまったからしかたないんです」

 その言葉に納得がいかないのか、アクシャムは曖昧な微笑を浮かべながら腕を組み、天井を見上げた。

「わからないなぁ。もっと近くにいたんじゃないのかなぁ。自分を理解して、自分を高めてくれる人は」

 理解はされないとわかっていたから、ルコは表情を変えないまま言い返す。

「アクシャムさんにはわからないと思いますよ。私の気持ちなんて」

 だが、アクシャムは首を巡らすといつもの薄っぺらい笑顔を見せた。

「わかるさ」

 かすかに眉をひそめると、アクシャムは軽く息を吐くと背を丸めてうつむいた。

「僕の幼なじみはハイブリッドだったんだ」

 思わず目を見開く。

「隣の家の子でね。ハイブリッドだから当然片親で。僕らは兄妹同然に育てられたんだ。僕も一人っ子だったから、妹ができたみたいで嬉しかったよ」

 幼い頃、クラスに隔てられた親を持つ子と共に過ごしたというのか。ルコは話の先を目で促した。

「ただ漠然と、いつまでも一緒にいられると思っていたのに、あいつが14歳になった時、来年からはBクラスで生きると言い出してね」

 Aクラスで育ったハイブリッドがBクラスを選択するのは珍しい。どういういきさつがあったのだろう。

「その時は、ずっとお母さんと一緒にいたから、これからはお父さんと一緒にいてあげるんだ、って言っていた。後で、他にも色々理由があったとは聞かされたんだけど、その時の僕はどれも頭に入ってこなかったんだ」

 そこで、アクシャムは初めてわずかに表情を歪めた。

「僕は、あいつがAクラスに残る理由にはなれなかったんだよ」

 その言葉は、ルコの胸に深く染みわたった。おそるおそる「それで?」と尋ねる。

「あいつがBクラスへ渡ってからも、時々開放エリアで会ってね。付き合っていた時期もある。だけど、結局それぞれのクラスで家庭を持ったんだ」

「残念……、でしたか?」

 おずおずと問いかけると、アクシャムは苦笑いを漏らしながら首を振った。

「別に後悔はしていないよ。こう見えて僕は愛妻家だしね」

「その人は、今は?」

「今でも交流はあるよ。出航記念日には、お互いの家族写真を載せたカードを交換しているんだ」

 GET2が地球を旅発った4月22日は、記念日として家族と過ごす大事な日となっており、近況を知らせるカードを贈り合うのが習わしだ。

「だけど、その写真を見るたびにむなしくなるんだ」

 むなしいという言葉に眉をひそめる。アクシャムはしばし口を閉ざし、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「毎年、彼女だけどんどん歳を取っていく。僕の方が年上だったのに、今では彼女の方が年上なんだよ。僕は今45だけど、彼女はもう70だ」

 思わず息を呑むルコに、アクシャムは穏やかな表情ながらも鋭い眼差しを向けた。

「もしも結婚していたら、耐えられたかな」

 その言葉は、ルコの胸を激しくえぐった。重苦しく脈打つ胸を抑え、覚えず声を低めて言いつのる。

「でも、その人は、アクシャムさんにとって大事な人でしょう? 家族同然の……!」

「もちろん。今でも愛情を持って彼女と接しているよ。でも、大事な人がどんどん死へ向かっていく姿をそばで見続けることは、僕にはできない」

 過ぎ行く時間は成長ではなく、死へ向かうことなのだ。その真実を突きつけられ、ルコは言葉を失った。

「……だから、大事な人とは同じ時間を生きるべきなんだ」

 静かに言い切るアクシャムに、ルコは返す言葉がなかった。

張り詰めた空気が流れる中、チャイムが鳴り響く。

「間もなくBクラスゲートステーションに到着いたします」

 ルコは、ふるえながら顔を上げた。

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