三善真紀
薄汚れた無機質な校舎が見えてきた。これが最後になるんだな――と少しだけの感慨を得たオレは、胸を張って学校の門をくぐった。けっして楽しいわけではない中学校生活に、いつもなら、若干背を丸めて校舎に入っていくオレなのだが、最後くらいは堂々と前を向いていたい――なんとなく、そんな風に思ったのだ。
「うっす!」
教室の戸をあけると、少しハスキーで威圧感のある声が投げかけられた。その声の主こそ、唯一の友にして、クラスメイトの『三善真紀(みよしまき)』である。これが14歳の乙女の朝の挨拶だというのだから、いっそ笑えてしまう。
「うっす!」
オレがそう返して、朝の挨拶は終了だ。他に<<おはよう>>などと言ってくれる奴など、ここには居やしない。
教室の一番後ろ、廊下から一番遠い――つまりは窓際の隅の席。これがオレの定位置であり、その前の席に真紀が陣取っている。
3階からの見晴らしが良いこの席は、必然、生徒達の人気となるはずなのだが、1年間オレがここから動いたことはなかった。最もコミュニケーション頻度が低い席、そう判じられて追いやられた――それが実際のところだ。真紀もまた、1年間定位置を守ったことを知れば、彼女がオレの友達であるがゆえに、クラスでどんな扱いを受けていたか、分かってもらえるだろう。
「憂鬱……って顔に書いてあるね。もっと分かりやすくなるように、マジックで『憂鬱です!』って書いてあげようか?」
マジックペンを片手にニヤリと笑う真紀の顔には、ひとつの翳りもない。幼稚園からの同級生で、もちろんオレの<<ラベル>>も知ってるはずなのに、彼女がオレに向ける顔は、時に笑顔だったり、怒りだったり、心配だったり――つまりは友が友に向けるであろう表情そのものであった。
そういえば、高校の合格発表があった日、オレはなんとなく過去の自分を整理しようと、アルバムをめくってみたことがある。まぁ、友達の少ないオレでも、事故に遭うまでは普通に友達はいたわけだし、その後だって、両親や真紀が、ちょくちょくオレの写る写真を提供してくれたから、少ないなりに、それらはアルバムに収められているのだ。
オレの思い出の写真は、そのまま真紀の思い出の写真といってもいい。両親はオレに友達が少ないことを危惧していたので、唯一の友である真紀のことを、とても大事にしていた。もちろん真紀の人好きのする優しい性格もあってのことだろうが、家族ぐるみでの付き合いが続いていて、家族旅行などを共にすることもあったのだ。
アルバムの中で、真紀が時とともに変貌していくのが面白かった。幼稚園から小学校の低学年の頃の彼女は、艷やかに長い黒髪の中で、白い肌がとても映えているて、どこか線の細い印象の美幼女であった。柳眉の下の両眼は丸よりも切れ長の印象で大きく、将来の美貌が期待されていたのだ――とオレの母親がよく言っていたのを記憶している。
深窓の令嬢よろしく(実際に真紀の生家は旧家名家の類なのだが)女の子らしい遊びを好んでいた大人しい幼女真紀は、腕白な元気印の少女へと変貌をとげる。きっかけはもちろん、オレの件の事件である。
事故直後、つまりは小学校低学年の時分、無垢な幼年期の集団であるからこそ『ゾンビ』のラベルが付けられオレに対する、クラスメイトからの迫害は、なかなかに厳しいものであった。そんな中で唯一オレを庇ってくれたのが真紀である。彼女がなぜオレを庇ってくれたのかは、どうしても教えてくれないのだが、とにかく身を挺してオレを護ってくれたのだ。
クラスの爪弾き者のオレを庇うのだから、真紀もまた、迫害の対象となっていった。今思えば、彼女がそんな目に遭わないように、オレが彼女から離れていけば良かったのだろうが、当時のオレにはそんな余裕はなくて、彼女にただ甘えてしまった。いつかそれについて、謝ることができれば…と思っているが、真紀はその謝罪を受け入れないだろうし、むしろ怒るんだろうなぁ、と予想している。
そんな風に、言葉の暴力のみならず、あらゆる迫害の盾となろうとした真紀は、少しずつ攻撃的な性格へと変じていった。一緒に遊ぶ友達もオレだけになってしまい、自然と『冒険ごっこ』などに興ずるようになったのだから、服装もそれに合わせて少年めいていく。言葉も荒っぽくなるし、手も早くなる――真紀の両親には謝罪のしようもない……。
中学校に入学した頃には、すでに幼少期の可愛らしい面影は、真紀から一切なくなってしまっていた。身長は165cmまで伸び、女子にしてはかなり長身の部類に入るであろう。オレが172cmなのだから、並んで歩いていても、あまり目線の位置は変わらない。なんというか、1980年代の『スケバン』を思い浮かべて貰うのが良いのではないだろうか。オレもリアルタイムで知っているわけではないが、メディア等で紹介されている写真を見る限り、現在の真紀はアレに近い。
スラッとした長身に、丈の長いスカート。上着は動きやすいようにと短く加工されていて、その仕草は男性的で威圧的――まさに『スケバン』だよね。とはいえ、オレの母親の期待を全く裏切ったといえばそうではなく、威圧の壁を超えて見てみれば、かなりの美人だ――とオレは思っている。まぁ、本人には絶対言わないけれど。
艷やかに長い黒髪は、今では動きやすいようにと、ポニーテールでまとめられていて、生来の白い肌は相変わらずで、髪の黒とお互いを惹き立てている。柳眉の下の大きな切れ長の目は、伸びた長い睫毛を伴って、今では、いっそ妖艶な印象すら与えている。唇は厚みも色味も薄いけれど、口が横に大きくて、真紀の表情をいつも明瞭に彩ってくれている。本人もクラスメイトも意識できていないのだろうけれど、そこらのアイドルよりもよほど美しいと、オレは思っている。女性として意識するには、オレと真紀の関係は濃すぎるので、恋仲に発展するなど、ありえない話だし、オレもそうなりたいとは思っていないのだけれど――多分ね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます