第48話 北へ、北へ

 告げられた事実に、心を揺り動かされる三人をリュウモは見る。

 全員が困惑と動揺を隠せないでいるが、帝の言葉におのれがすべきことを見出したようだった。


(そっか、この人達が、〈竜守ノ君〉だったんだ。だから八人、〈八竜槍〉……)


 リュウモを守るはずだった若者達の数も八人。〈竜槍〉を扱う者も八人。両者は本来同一の存在で、時間と国の事情が名を変えさせていたのだ。

 ――なら、おれは初めから守られていたんだ。〈竜守ノ君〉に。

 ガジンと出会ったことに、運命以上の、必然を感じずにはいられなかった。


「御下命、承りました。この者を、我らの身命を賭して守り抜きます。では、これより北へ」


 ロウハが代表して言った。


「リュウモ、その前に必要な物があろう。――ゼツ」


 す……っと、音もなく黒色の中からゼツがあらわれた。いつから待機していたのか、手には荷物が握られている。


「これが必要であろう。持って行くがいい」

「おれの、旅袋……ずっと探してくれてたんですか? ありがとう」


 リュウモはゼツに頭を下げた。敵対し、一度は本気で戦った男は、感情の無い顔で軽く会釈をする。


「ゼツ……? そうか、お前は帝の命で動いていたか。やはり、あのとき隊の料理に毒を盛ったのはお前だったのだな」

「いつ、お気づきに?」


 ゼツが微かに驚きを顔に出してガジンに問う。


「疑っていたのは、最初からだ。お前が入隊してきたとき、北の村出身だと言ったが、あの村の者は『气』を色で見分ける異能があった」

「調査ではそのような事実はなかったのですが」

「当たり前のことすぎて、いちいち口にするまでもなかったということだ。私が自分の頑強さを吹聴したか?」


 そういえば、ジョウハが言っていたことをリュウモは思い出す。

 自分達の力は異能でもなんでもない、皇都にはもっとすごいのがいる。そう言って特に自らの能力を誇示などしていなかった。

 彼らにとっては感覚のひとつであり、あって当たり前で口にするほどではなかったのだ。


「なるほど、今後の参考にさせていただきます」


 ゼツは帝の背後に控えた。自分に背を任せている時点で、帝がゼツに寄せている信頼の大きさが見て取れる。


「地脈移動を使用し、汝らを北の〈竜域〉の入り口まで運ぶ。〈鎮守ノ司〉、〈星視ノ司〉、準備をせよ」


 二人はうなずいて移動する。全員が彼女達の後ろへ付いて行く。

 照らされていない部分は自分の手がぎりぎり見えるかどうかの闇の濃さである。

 はぐれたら白骨になるまでさ迷い歩く羽目になるだろう。

 胃が外側から圧迫されるような感じがして、リュウモはちょっとだけ怖かった。

 すると、いきなり〈龍王槍〉が光り輝き、十間程度の距離を照らした。


「あ、ありがとう」


 魂が残っているとはいえ、ここまで使い手の意向を反映する武具を、リュウモは知らない。

 世の中は、わからない、知らないことだらけである。


「まるで忠犬ね」「瘴气を出し続けていた暴れん坊とは思えない」


 腹を深く突き刺すように、老婆達は毒を吐いた。

 敬うべき相手にこの言い様である。封印の維持には相当な労力を割いていたであろうことは、二人の言動から容易に想像がついた。

 それが自分達より下、どころか孫ぐらいの小僧がやって来た瞬間、掌を返したのだ。

 皮肉のひとつでも言ってやりたくなるのが人情というものだろう。


「で、まーたこれかよ。お二方、こいつはもっと安全かつ気の利いた移動ができんのですか。着地にあんだけ難があると恐ろしいんで、なんとかして欲しいんですがね」


 照らされた地脈移動のための溝を、ロウハが呻くように言って睨みつけた。

 リュウモも彼の意見に大いに賛成だった。

 お世辞を五重にしようとも、地脈移動は気持ち悪い。平衡感覚がおかしくなるし、凄まじい衝撃が襲ってくるのだ。命に別状はないにしても、できれば遠慮したい代物である。


「あら、怖いだなんて心にもないことを」「この程度、〈八竜槍〉なら耐えて当然ではなくて?」

「はは、蹴り落として同じ目に遭わせてやろうか、この婆共」


 暗に軟弱物と言われた中年が、高齢者に文句をつける。


「北の地脈は不安定。ここのように施設もない」「でも、大丈夫よね。若いんだから」


 婆となじられて二人は温厚そうな笑みで、若者と、強調する。リュウモは知っている。あれは、言い返せない事実を突かれて内心に怒りを抱えている者の笑顔だ。

 ――絶対そうだ。村長の奥さんと同じ感じがするぞこの二人……!


「汝ら、じゃれ合いはそこまでにせよ。〈星視ノ司〉、荷を皆に渡せ」

「枯れ木とじゃれあいなぞしておりませんよ。頼まれたって願い下げ……ぶ!?」


 完璧な不意打ちだった。暗闇の中から旅袋が飛来し、ロウハの後頭部に直撃したのである。

 他の二人は、丁寧に胸元にふよふよと宙を浮いてゆっくりとやって来た。

 丈夫な作りの袋だった。術が掛けられているのか、明らかに普通の物ではない。


「これは、袋の位置が大まかにわかるもの」「貴方達が他の誰かに邪魔されていないか、確認もできるのよ」


 仕掛けられている『气』の流れから、リュウモは構成を読み取る。隠蔽の術がなければ、術自体を解析するのは可能だ。


「へえ……一回地上に還る『气』に術で目印をつけて、空に直で送るんだ。それで、空に昇った『气』を視て大体の位置を測るのか。術が壊れないなら、ずっと『竜』を追えるかも」


 高度な〈星視〉としての技術が必要だが、対象を捕捉するなら非常に有効な術だ。


「怖い、怖い坊や」「一度だってこの術を解析されたことはなかったのに」


 冷ややかな視線がリュウモの熱を奪った。

 増々、故郷の老婆を思い起こさせる。表面は明るく温かいのに、底ではすうっと、冷厳な理性と経験が冬の川のように流れているのだ。


「ん、あれ?」


 二人の『气』と同じものを右手に感知できた。極わずかな、本人達が目の前にいないとわからない微量。だが確かに感じる。



「汝の手には二人が技術の粋をつぎ込んだ術が掛けられている」

「そうか……牢屋で結界がおれだけに反応していたのは、そのせいだったんだ。じゃあ、逃げてるとき、居場所はずっとばれていた?」

「そこまで万能ではない。『气』が天に昇るにはそれなりに時間が必要だ。相手の現在位置を時間のずれなしに確認できるわけではなく、あくまで数刻前にいた場所しかわからぬ。もっとも、それだけで十分に破格な性能ではあるが」

「それともうひとつ。これは最近判明したのですが」「〈竜域〉にいると術が上手く作用せず、位置がはっきりとわかりませんわ」


 〈竜气〉のせいだろうな、とリュウモは不具合の原因に見当をつけた。〈竜域〉で使用するには多少の改良が必要のようだ。


「汝ら全員が〈竜域〉より帰還次第、勅命は完了とする。誰ひとりとして命を落とすことを許さぬ。必ず生還せよ」


 旅立つ全員がうなずいた。リュウモは溝の縁に立つ。幾筋の光線が流れている。


「それじゃあ、行ってきます」


 飛び降りる。光流の川はすぐにリュウモの体を皇都から押し流して行った。




「結局こうなるのかぁぁぁァァ!」


 物凄い勢いで空へ打ち上げられた。羽毛の如く飛ばされたリュウモは叫ぶことでしか、荒っぽい移動手段に対する不満を散らす方法がなかった。

 当然、重力によって落下が始まる。着地体勢を取ろうとして、ふわっと体に掛かる力が消えた。


「動かず、大人しくしていなさい」


 空気を裂く騒音の中、鈴の音のように透き通った声が聞こえた。

 着地場所には木々が覆い茂っている。このままでは太い枝に激突する。


「っし!」


 そんなリュウモの心配を吹き飛ばすように、イスズは宙で槍を一閃した。

 縦に放たれた空気の刃が枝を両断する。高度な『气』と体操作から繰り出された芸術と言えるほどの一撃だった。


「あ、ありがとうございます」


 落ちる最中、礼を言った。イスズはなにも言わず、落下点を見ている。

 ずん、という重々しい音とは裏腹に、リュウモへの衝撃はほとんどなかった。

 ぱち、ぱち、と拍手の音がする。


「お見事。さすがガジンの直弟子なだけはある。だがな、下にいる奴のことを考えろよ。ちょっと危なかったじゃねーか」

「あれぐらいで怪我するなら、私達は〈八竜槍〉になどならんだろうさ」


 大分、高いところまで飛ばされたはずだが、二人はぴんぴんしていた。リュウモは改めて〈八竜槍〉の凄まじい人外ぶりと、頼もしさを感じた。


「リュウモ、ここはシキが言っていた双子山、〈竜域〉の入り口だろうか」

「はい、そうだと思います。上で西側に同じような山が見えたから」


 リュウモがいる場所は、東側の山の頂上だった。シキが言っていた通りならば、一度下山して山間の道を北上しなければならない。


「こっちが東だって根拠はあんのか坊主」

「太陽がありました。なら、反対方向は西のはずです」


 へえ、とロウハが感心してリュウモを観察するように視線を飛ばす。


「ロウハ、いちいち試す真似はするな。すまんなリュウモ、こんな男なのだ。気に障っても無視しておけ」


 ガジンの言い方がいつもより一層遠慮がない。リュウモはどう返したものか判断がつかず、助けを求めるためにイスズの方を向いたが、彼女も同じだったらしく口を開けないでいる。


「っは、ろくでもない言われ方だなおい。で、どうするよ、お騒がせ者二名の意見を聞きたいね」

「お前、まだ負けたの根に持ってるな?」

「別に、全然、まったく、これっぽっちも」


 今にも槍を突き付け合いそうな二人に、おろおろとしながらリュウモはイスズに目で助けを請う。どうにかしてくれと視線で意志を届ける。


「ロウハ様は、槍の競い合いに関しては非常に気にされる御方なのです。大丈夫、すこし経てば口喧嘩も収まりますよ」

「聞こえてるぞイスズ。槍士が勝敗を気にしないでどうすんだ。まして同格の相手に」

「気にするな。正式な試合でもあるまいに。行くぞ、まずは山を下りよう。リュウモ、それでいいな」


 リュウモはうなずき、同意する。


「私が先頭にロウハは後ろに続け。イスズ、最後尾は任せた。――行くぞ」


 流れるように隊列が組まれ、ロウハとイスズに挟まれる形でリュウモは山を下る。

 入り口というだけあって、周囲にある植物の大きさや種類は外にある物のままだ。

 それでも、懐かしい空気が山の谷間から吹いてくる。

 ガジンと共に足を踏み入れた小さい〈竜域〉の気配ではない。人を寄せ付けない、本来なら侵入すら無理な、広大で無慈悲な自然の世界が迫って来ている。

 気が引き締まるのと同じくらい、心地良さがあった。故郷に近い匂いがするからだろうか。


「……一度、〈竜域〉には入ったが、ここは桁違いだ。まだ入り口でこれか。肌が、誰かに押されているような」

「あんまり気分がいいところじゃないな。やれやれ、野宿の寝心地は悪そうだ」

「そうですか? わたくしはなにも。むしろすこし体が軽いような」


 リュウモはイスズに振り向くと、彼女の変化に気づいた。


「イスズさん、瞳が……〈竜化〉してます」


 そんなはずはない、と言わんばかりに、イスズは手の甲で目を軽く擦る。


「こりゃ、どういうこった」

「ここに流れて来る〈竜气〉のせいか?」

「馬鹿言え、じゃあなんで俺らは平気なんだ」

「イスズは私達より〈竜槍〉との適合率が高い、そのせいかもしれん。濃い〈竜气〉に槍が影響を受けて活性化している、とも考えられる」

「御心配には及びません。体に異常はありませんから。急ぎましょう、遅れが出た分だけ、民の苦しみが増します」


 一行は獣道と戦いながら下山を始める。リュウモは悪路もなんのそのと、軽快な足取りで歩いて行く。

 ガジンも同様で、北の田舎出身の彼は、人の手が届いていない道に慣れている。

 ロウハは面倒臭そうに低木の枝を掻き分け、後ろにいるイスズは「ひゃ」とか「ふぃ」とか、偶に変な声をあげていた。こういった道には不慣れらしい。


「頼りになる〈竜守ノ君〉だなおい。名家のお嬢様には辛いか」

「そ、そのようなことはありません。訓練を、こういう状況を想定した訓練をしていませんから、すこし、戸惑って、ひゃ?!」


 首元に木葉が当たって、イスズは情けない声をあげた。悪戦苦闘する彼女を、置いていかれないように歩調を緩めながらリュウモは進む。護衛対象が遅くなれば自然と進行速度も遅くなる。


「北へ、北へ、か。こんなん、目印が無くてもわかるぞ。〈竜气〉が吹きつけてくる方向に行きゃいいんだろ」


 山を下り切り、視界が大きく開けた平地で、ロウハは北を睨む。

 平地は左右に双子山があり、挟まれる形の立地だった。山から流れて来る小川と、周囲には美しい色とりどりの花々が咲いている。

 春先に羽化した蝶が蜜を吸いに飛び交っていた。

 人間が思い描く穏やかな春という幻想を切り取って現実に貼り付けたかのような光景である。リュウモは懐かしさを味わうように思い切り息を吸い込む。

 夢のような場所。この空気をリュウモは知っている。


「なんだ、懐かしそうな顔しやがって。故郷に帰ったガジンじゃあるまいし」

「変な言いがかりはよせ。どうした、リュウモ」

「とても久しぶりな気がして……こういうところは、知り尽くしてるはずなのに」


 〈竜域〉に限りなく近く、生まれ育った地に似ていた。リュウモはもう帰れなくなった茅葺屋根の家を思い出さずにはいられなかった。


「知り尽くしてる、ね。まあ問題が無いならなんでもいい。そろそろ日が落ちるな」

「今日はここで休もう。一度、しっかり体を休ませてから〈竜域〉へ侵入するぞ」


 結論が出ると、二人は早速野宿の準備に取り掛かった。みるみる内に天幕ができ、小さな宿が作成される。


「て、手伝わなくていいんでしょうか」

「子供が気を使わなくていいんですよ。じっとして体力の回復に努めなさい。これからが、正念場になるのですから」

「はい……。イスズさんは、あの、手伝わないんですか?」

「――――わたくしがやっても、邪魔になるだけです」


 野宿全般に必要は知識と経験をイスズは持ち合わせていないようだ。

 皇都で育ち、名家の生まれである生粋のお嬢様である彼女に、むしろ野宿のじゅんびをさせようとすること自体が誤りである。

 ――苦手なこととか、誰にだってあるよな。

 リュウモはそれ以上なにも言わず、ぼうっと濃い影を作り出し始めている世界を見つめていた。


 パチ、パチと焚火が燃える小気味いい音が、満点の夜空の下に響いては消える。

 川で獲った魚が焼けたのを確認すると、リュウモは串を地面から引き抜いて塩を振り、皆に配った。

 結局、なにかしていないと落ち着かなかったリュウモは、近くの川で魚を確保。食料を調達したのだった。


「ほう、こいつは良い焼き加減だ」

「リュウモの料理は美味いぞ。私が保障する」


 男二人は遠慮なくかぶりつき。舌鼓を打っている。一方、イスズだけが串と睨み合いを続けていた。口に運ぼうとしては止める、を繰り返している。


「もしかして、魚は嫌いでした?」


 だとしたら悪いことをしてしまった。好みを聞かずに食材を集めてしまったリュウモの落ち度だ。


「気にすんな。初めてこんな食い方をすっから尻込みしてるだけだ。お嬢様はもっとお上品なもんを食うからな」

「イスズ、折角リュウモが内蔵の処理からなにまでしてくれたのだ。食べないのは無しだぞ」

「わ、わかっています……わかっていますとも……!」


 数瞬、迷ったあとに頭を丸かじりする勢いで魚の身に食らいついた。

 数回、恐る恐る咀嚼すると、それから無心で食べ始めた。


(お腹、減ってたんだな)


 腹の虫を必死に抑えていたのかもしれない。


「あー、坊主。こんなんだが、知っての通り腕前は超一流だ。実力は申し分ない」

「弁護させてもらうとな、イスズは〈八竜槍〉になってから日が浅い。諸々必要な訓練を受けていないのだ」


 と、同僚二人が後輩について説明する。


「こいつ、女だろ? つまりそういうことだ」

「は、はあ……どういうことです?」


 きっと表立って口にできないのだろうが、ロウハの言葉の真意をリュウモが汲み取れるはずがない。首をかしげるしか反応のしようがなかった。


「〈八竜槍〉は歴代で誰ひとりとして女性はいなかったのですよ。だからというわけではないのですが、女の槍士は軽視される傾向があるのです」


 もう一本を胃袋に納めたイスズが、鋭い調子で言った。


「変なの。その人しかできないなら、任せて手を貸せばいいのに」


 村でも女性の戦士はいたし、村長の妻は術を使えば誰も勝てなかった。

 性別でなにかを区別することはすくなかったように思える。

 その者でしか実行が不可能なら、子供であろうと役目を負う。それが村での普通だった。


「まあ、なんだ……本人の前で言うことじゃないが、イスズ、怒るなよ? 嫉妬があったのさ。槍士の男共は特にな」


 イスズの柳眉が不快感を示すように跳ね上がる。


「わたくしの稽古相手を彼らがしなかったのは、そんなくだらない感情からですか。国の重責を負う人間を決める義でやることではないでしょう。〈抜槍ノ義〉に至る資格がなかったのも納得です」


 と、話についていけないリュウモは、事情の説明を求めようとガジンに目を向ける。


「お前のような例外を除けば、〈竜槍〉を抜く資格を得るには、槍術を教える武館に入門し、師範から推薦を受けなければならん。受けられるのは一門につきひとりだけだ。熾烈な争いを勝ち上がると、今度は宮に各武館から推薦を受けた者を集め、稽古と試合を行う」

「そんで、成績上位陣だけが〈抜槍ノ義〉に挑めるわけだ。が、推薦は師範以外に現役の〈八竜槍〉からも貰える。で、こいつがイスズを推薦した」


 リュウモが例外ならば、イスズは異例の形で〈竜槍〉に挑んだ、とガジンが付け加える。


「試合は全戦全勝。男共は手も足も出ずにぼこぼこにされたってな。情けねえと言いたいが、イスズ相手じゃしょーがない」

「まあ、『外様』の私が推薦した者が〈八竜槍〉になっただけでなく女性ではな……。宮廷は大騒ぎになり、結局は帝の一言で決まった。ただ、騒ぎが収まるまで必要な訓練を受けさせられなかったのだ」


 リュウモは〈龍王槍〉の表面を撫でた。これを手にするために人生の多くを掛けてなお、敗れた者達がいる。彼らの努力を、踏みにじってしまった気がした。


「どのような事情があれ、槍を手に向かい合えば対等。生まれ、性別、家格は関係がありません。負けた後に家柄だの女だったから打ち込めなかっただの、女々しいとは思いませんか、お二方」


 容赦のない言い様であった。男二人は苦笑する。


「違いない。だがな、人間そう簡単に割り切れるのは少数だ。腕っぷしがあろうと妬まれているのは自覚しろ」

「お前は槍を使い始めて三年とすこしだが、彼らはその倍以上の時を費やした。ちょっとぐらいの嫉み程度、笑って流してやれ」

「……肝に銘じます」


 〈竜槍〉を扱う者としての会話が終わると、リュウモあちは天幕の中で横になった。

 リュウモは置かれている〈龍王槍〉を見つめる。


(おれは、お前の使い手として相応しいのかな……)


 槍は黙止、静寂の中でリュウモの意識は闇に溶けて行った。


 朝になり、準備を整えて出発しようとしたとき、リュウモはそれを見つけた。


「森鹿だ……すごい、立派だ」


 平地から奥地へ続く山間の道の入り口に、一匹の森鹿が堂々たる威容をもって佇んでいた。巨大な両角は遠目からでも迫力を感じさせる。


「シキが言っていた鹿――〈竜域〉内の案内人か」


 全員が覚悟を決め、奥へ、北へと導こうとする森鹿の元へ進んだ。

 森鹿は、四人が五間の距離まで近寄ると、誘うように背を向けてゆっくりと歩き出した。


「やれやれ、護衛対象が一匹増えたな」


 嘆くように言ったロウハの声は、無限にあるような自然の前に響いて溶けた。

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