第47話 還りし槍

 帝の宣言に皆が固まった。誰もが身じろぎひとつできず、沈黙している。


「あの、おれに〈八竜槍〉になれって、ことですか?」


 重大さをよく理解できていないリュウモが、一番先に声を出した。帝はうなずく。


「ちょ、ちょいちょい待てっての正気かあんたどうなるかわかってんのか?!」

「ロロロ、ロウハ様言葉遣いィ!?」


 山が打ち崩されたような衝撃に、ロウハが正気を失いかけ、イスズが必死の形相で現実に引き揚げようとしている。


「ラカンを皇族の槍術指南役に抜擢したのだ。今更であろうよ、余は正気だ」

「あ、あいつを!? いやんなこと一言も」

「公にはできなかった。『外様』であったからな。だがよく仕えてくれた。ゆえに墓へ名を刻むことを許したのだ。〈八竜槍〉に比する栄誉を『外様』に与えるなどと、小うるさい者もいたがな」


 帝はようやく硬直から立ち直った老婆達を流し見する。


「本来、あるべき者の手に〈龍王槍〉が帰るだけの話。ここまで友が来たとなれば、槍も黙ってはいまい」


 ――オォォォ……と、咆哮が轟いた。闇の空気と『气』をビリビリと震わせる。

 全員が、身を固まらせた。――リュウモを除いて。


(懐か、しい)


 もう一度、咆哮が鼓膜を震わせる。凄まじかった。大音すら負かしてしまうほどの、歓喜の感情が含まれている。

 喜びの中にある積年の悲しみが胸を貫き、胸にぽっかりと孔を穿つかのようだった。

 リュウモの頬に、涙が伝った。瞳がリュウモの意識を越えて縦に細くなる。体が勝手に〈竜化〉していた。


「行かないと……呼んでる」


 足が、闇を掻き分けるように動き出した。


「ま、待て、リュウモ!」


 尋常ではない様子のリュウモをガジンが腕を掴んで止めようとした。ガッと、槍が地面に突き刺さり、ガジンの行方を塞いだ。


「止めるな、とでもいうつもりか?」


 〈竜槍〉はほんの一瞬、その身を光らせた。


「は、あの坊主、槍に呼ばれてやがるぞ。ラカンと同じか」


 後方の会話を耳にしながら、リュウモは暗闇の案かを迷いのない足取りで進む。


(光だ、光の、道が、見える)


 真っ暗闇の先に輝く光点があって、点が地面に伸び線となっている。白光する太い煌々たる道の上を、リュウモは歩いていた。

 もう一度、咆哮が響く。どんどん音源が近くなっている。


「あの坊や、道筋が見えている?」

「術で方向感覚が狂い易くなっているはずなのに……本当に、槍に呼ばれているのね」


 後を付いて来ている老婆達が恐ろしさが入り混じった声で言った。

 リュウモは光が指し示す方向へ歩き続けた。やがて、目が眩むほどの光量の間近までやって来た。

 目の前にあらわれたのは、二つ足で立つ竜のように巨大な扉だった。

 変な扉だ、とリュウモは思った。錠前か閂で閉じるはずだが、無い。代わりに、扉を閉じているのは、縄だ。図太い縄が、左右に開こうとする扉を縛り付けている。二本の縄が交差し、それが下から上まで、十個もある。

 ――いや、閉じてない?

 目を凝らしてよく見れば、縄と扉との間に、隙間ができている。枠の部分から、縄が反対側の枠に伸びているようだ。しかし、あれでは閉じる役割を果たせないのではないだろうか。押戸だったら、そのまま開いてしまうし、引き戸でも縄を切ってしまえば、簡単に中に入れそうな気がする。


(……封印術だ。それも、村長の奥さんが使う、強力な)


 光はぶ厚い扉の先だ。〈龍王槍〉はこの中にある。しかし、これではまるで……。


「封印、されてるみたいな」


 厳重と言う言葉を三重に包んでも足らない徹底ぶりだ。極悪人でも捕えているかのようである。


「なるほど、ここは〈竜槍〉が置かれてる〈槍ノ間〉か。『气』に覚えがあるはずだ」


 リュウモに先導されていたガジンが言った。


「瘴气の気配がない……ラカンのときと同じ」「一体、どうして……?」


 体を侵す病魔の気配の存在が消え、老婆達は驚きに眉を吊りあげている。


「扉を開けよ。おあずけをされ続けると、好い加減、槍が暴れだす」


 帝が言うと、戸締りが悪い扉のように、内側から音を立てて振動を始める。縄は軋み、紫電を迸らせながらも役目を全うしていた。だが、放置すれば内側から衝撃によって封印は食い破られるだろう。


「帝、これ開けて大丈夫なので!? 俺の〈竜槍〉がはっきりわかるぐらい怯えてんですが!?」


 三人の〈竜槍〉がカタカタと震えている。『竜』の習性上、『龍王』の荒ぶる『气』は恐ろしいのだ。


「リュウモがいる限りは、余達に害はない。開けよ〈鎮守ノ司〉」


 〈鎮守ノ司〉は言われた通り門のような扉の前に立つ。手で印を組み、呪文を口ずさんだ。

 戒めが解かれ、縄は床に落ちると勝手に動き出して闇の奥に消えて行く。扉が、自動で開いた。

 途端、リュウモの顔に久しぶりに感じる『气』がぶつかった。〈竜气〉だ。

 〈竜域〉と遜色ない量が扉の中側から流れ出て来る。


「皆、ここで待て。行くぞ、リュウモ」


 帝が無造作に歩みを始め、リュウモが後に続く。


「お待ちください」「せめて供回りに〈八竜槍〉を誰かひとりお付けください」


 帝は扉の敷居を跨いでから振り返った。


「不要。再会に無粋な邪魔が入れば、怒りを買うぞ」


 肯定するかのように『气』が吹き付けて他の者達の足を止めた。


「これより先、何人たりとも中へ入ることは許さぬ」


 ぎ、ぎ、ぎ、と重音を響かせて扉は閉じていく。

 リュウモの目に、心配で仕方がないと顔をしかめるガジンが映った。

 大丈夫、と伝えるようにリュウモはうなずいた。

 重々しい音が鳴り、扉が閉まる。


「はあ……ようやく息がつける」


 帝は、安心して腰が抜けるような情けない息を吐き出した。面紗を外すと、また緑色の瞳が見えた。


「あれ、瞳が縦に」

「ああ、これかい。一応、ぼくらも弱いけど〈竜化〉に近しいことはできるんだ。ただ、〈竜气〉が濃いところ限定でね。初代は東の〈竜域〉近くの出身だから、そのせいかもしれない」


 部屋の中は、大仰な外側と比べて、簡素だ。八本の柱が作る、八角形の陣の真ん中にある台座に、一本の白い槍が突き刺さっている。

 円錐形を逆さにしたような窪地の台座に行くには、結構急な階段を降りなければならないようだ。奈落の底に行くようで、リュウモはちょっと怖かった。


「あれが、〈龍王槍〉……」


 だが、槍を目にするとたちまち恐怖は消えた。腹から胸へ、叫びたい衝動が駆けた。

 リュウモの意思とは関係がない。咄嗟に口元を手で押さえる。


(なんだ、これ。わかんない、わかんないけど、すぐに、槍のところまで、行きたい、行って声をかけたい)


 論理、理屈、理性などどうでもいい。心が、体に流れている血が、早く行けと背中を押している。


「槍を手に取る前に、話をしよう」


 逸る気持ちを抑制するように、帝はリュウモの肩に手を置いた。


「ぼくがさっきまでに語ったことはすべて事実だ。きみに背負ってもらいたいものも、全部吐き出した。……でもね、背負い込まなくても、いいんだ」


 意味がわからなかった。リュウモは国の大事だの、未来がどうこうなど知ったところで、咀嚼して飲み込むなど無理だ。

 肌でわかったのは、帝には決して退けない事情があることだけだ。

 なのに、帝はやらなくていいと言う。

 頭の中がこんがらがりすぎて、思考が衝突事故を起こしそうだった。


「きみが持つ知識を、我々が『竜』について調べるときに精査してくれればいい。〈遠のき山地〉に身を潜めれば人目にもつかない。それでかまわないだろう、お前もこの子が苦しむ姿を、間近で見たくはないのだろう?」


 最後は、リュウモではなく〈龍王槍〉に向けられていた。槍は、憤怒を表現するように、くぐもった鳴き声を発した。


「ご立腹か。どうしても彼女はきみの近くにいたいらしい。まるで待ち焦がれた恋人がようやくあらわれた乙女のようだ」


 呆れを通過して敬うほどの想いの強さに、帝は頭を抱えそうであった。


「どうして、おれを、こんなに呼ぶんですか? 強くもないのに」


 心臓に太い糸が絡みついて、体を前へ前へと引っ張られているかのようだ。こんな現象、リュウモどころか〈竜守ノ民〉ですら知らない。


「〈龍王槍〉が使われたのは、神代の時のみ。初代〈八竜槍〉の長は、きみのご先祖だったんだよ。戦友の子孫に自分を使ってもらいたいと思うのは、自然だろう?」

「じゃあ、ずっとこんな場所で、おれ達を、待っていた……? たったひとりで」


 リュウモは胸を押さえた。帝は心底申し訳なさそうに顔を歪めた。


「こんな場所に閉じ込めたくはなかった。彼女は、国を興した英雄だ。だが、友とその一族を貶められて、槍は怒り、国を覆うほどの瘴气を出し始めた。止めるには、皇族と封印が必要だった」


 瘴气は人体に強烈な悪影響を引き起こす。それを永遠に放出する〈龍王槍〉を、当時の人々は放っておけるわけがなかった。


「貴方達、が? どうして……」

「初代帝と、神代の〈八竜槍〉の長は親友だった。気に入った者の友を殺すなど、彼女には無理だったのさ。偶に、こうやってぼくが話し相手になってやらないと拗ねて瘴气を強めるから、帝は皇都から離れられないんだよ」


 底の台座に突き刺さり、今か今かと待ちわびる槍が、酷く人間臭く見えた。


「おれは……どう、すれば」

「きみが、決めなければ。手前勝手だが、俗世に生きるか、隠れて暮らすか。選択肢は二つ」


 わからない、わかるはずがない。リュウモは外に出て三カ月と経っていない。

 理解できない選択を、どうして選ぶことができよう。

 でも、だからといって。知らぬ存ぜぬを貫き通せるほど、リュウモは外の世界について目にしすぎた。

 憎しみを見た、しがらみを感じた、迫害を受けた、悲しみを知った、癒えない傷跡があった。

 ――でも、その分だけ。

 喜びがあった、安寧があった、安全があった、生み出されたものがあった、必死になって前を向き生きようとする人達がいた。

 そして――彼らを背負わなければならない自分がいる。


「我らは間違った土台を作り、偽りを飾り立て、国を興した。なら、一度すべてを壊してしまった方がいいんじゃないかと、何度も自問したんだ。でも、できなかった。ぼくにそんな権利はない。俗世の加護を受け、なに不自由ない生活をしてきた、ぼくには。あるとするなら――」


 帝はリュウモをじっと見つめた。


(偽り、間違い……)


 もし、この世が虚飾に塗り潰され、正しさを叫んだところで、否と断ぜられるならば、いっそのこと、一度すべて壊れてしまった方が、後のためではないのだろうか。そう帝は言う。

 破壊の後に再生は必ずある。嵐で木々がなぎ倒されようと、風で落ちた種が芽吹くように。

 そこまで考えて、リュウモは恐ろしく冷徹な考え方をしている自分に嫌気が指した。

 第一、木々が、森が再生するのだって、生きようとする力が破壊を上回るからで、破壊が再生を飛び越してしまったら、後には何も残らない。

 ――みんなが、そうだったように……。

 村が焼け落ち、『竜』が乱舞し、命が炎のように燃えては落ちていった光景を思い出す。

 あれこそ、破壊が再生を上回った最たる例ではないのか。

 もし、あれがこの世すべてに蔓延するのであれば、止めなければならない。


(なんだ……色々あったけど、結局、最初と同じじゃないか)


 リュウモは、自分の中にある想いと、〈竜守ノ民〉としての『使命』が、カチリと音を立てて噛み合った気がした。

 底に向かって下り始める。一歩進むたびに、冷たい石階段は硬い音を立てる。

 静寂の中に熱を生じさせる意思をあらわすような、堅固な足音だった。


『――――――――――――――――――――ッ』


 決意を挫くように、リュウモの全身を莫大な『气』が叩きつけられる。

 さっきまで再会を待ちわびていた〈龍王槍〉が、歓迎を拒絶していた。

 『气』が、槍の感情を伝播させてくる。

 止めてくれ、選択を誤らないで、と必死に訴えてきた。

 声なき感情の前に、リュウモは足を止めてしまった。

 血涙を流しているかのような強烈な『气』の震えに、リュウモは思わず停止してしまったのだ。


「力を、貸しては、くれないのか?」


 助けを求める戦友の子孫の声に、一瞬だけ迷うように『气』が弱まり、次には元に戻ってしまった。


「彼と同じ道を進ませたくないのか、槍よ」


 圧力を伴う『气』の矛先が帝に変わる。なにも言うなと、槍が怒りを向けている。


「帝は、国を興す際に初めと終わりに二つの間違いを犯した。〈竜守ノ民〉を悪とし神話を捏造したこと。『譜代』『外様』という区別を作ってしまったこと。前者は判断を誤り、後者は感情に負けた。本人も晩年に過ちを認めていた。『〈竜守ノ民〉に咎のすべてを負わせるべきではなかった』とね」


 煽るような語気に〈龍王槍〉の『气』が異様な域にまで高まっていく。

 怒り、それ以外に形容できない感情が、爆発寸前にまでなっていた。


「ぼくが憎いか。追いやる、迎え入れることに違いはあっても、同じようにすべてを背負わせようとしている、ぼくが」


 槍の周囲に、水晶のように透き通った物体が、突如として形成された。

 尖った先端は帝の方を向く。引き絞られる矢のように、水晶が身を引く。


「なにする気なんだよ止めろ!?」


『龍』が自分の力、〈天ツ气〉を使って形作った物体など、世界のどんな武具よりも強力だ。人間に向かって放てば体は粉微塵になる。

 リュウモの焦った叫びに、水晶は身震いする。尖った先を何度か迷わせ、何事もなかったかのように霧散した。


「……なあ、話したいんだ。近くに行ったら、駄目かな」


 壁を建てるように吹き荒れていた『气』の暴風が止む。階段を下り切り、底に辿り着く。


「お前、どれだけ暴れたんだ?」


 八角形の広間に、同じ形をした台座。各辺の頂点からは半透明の光の縄が伸びて、槍を縛り上げている。

 外の人間が敬っている存在に対する仕打ちではない。さっきのように相当暴れ回ったらしい。もっとも、『龍』にはどんな封印も無意味だ。これでもかなり大人しくしてくれているのだろう。

 親に叱られて頭を引っ込める子供のように『气』が縮こまった。

 リュウモはほんのすこしだけ躊躇ったあと、槍に語り掛けた。


「ずっとさ、考えてたんだ。どうして、おれなんだろうって」


 明確な理由などわかるはずもなく、しかし、『使命』を前にリュウモは理由を探さずにはいられなかった。

 多大な責任を背負った人間は、必ずと言っていいほど根拠を求める。おのれを納得させるために、なぜ、と。


「生れ付き、『合气』なんていう異能があってさ、笛に選ばれたのも、本当に偶々だったんだ。村長の家に初めて行ったとき、綺麗な笛だなと思って触ったら、〈龍赦笛〉はおれから離れなくなった」


 『語り部』の役目は自分から志願した。

 でも、他は任されるがまま、命じられるままだった。決めた生き方さえ、別の生き方に塗り替えられそうになったこともある。


「それから、『語り部』以外の訓練も沢山した。爺ちゃんに一生『語り部』として生きていくって誓ったのに……。でも、運が良かった、おれには『合气』があったから、一度感じ取れてしまえば楽だったんだ。習練の必要がなかったから『語り部』を続けられた」


 不自由なく生きれたけど、自由はあんまりなかったんだ、リュウモは苦笑する。


「それでよかった。色んなことを知れて、体験できて、楽しかったから。ひとつのことができると、みんな褒めて笑ってくれて、温かかった」


 ぎゅうっと、〈龍赦笛〉を服の上から握る。


「これは、怖かった。だって、なにをしたらいいかわかんないし、みんなも知らなかった」


 でも、とリュウモは続ける。


「外を回って、おれのしなければいけないことが、わかったんだ」


 真っ直ぐに、リュウモは〈龍王槍〉を見つめる。濁った白色の槍は、静かに言葉を待つ。


「おれは、生きている人達を、助けたい。世界を、救いたいんだ」


 それが、リュウモが初めからできる唯一のことだった。


「帝は間違いの上に国があるって言った。でも、間違いの上に生きて、必死に生きて積み上げたものを守ろうとしている人達がいる。嫌な目にも遭ったけど、だからって全部が消えて無くなっていいわけじゃない、絶対に」


 両手で槍の柄を握り締める。コツン、と祈るように額をつけた。


「おれだけじゃ、無理なんだ。今までずっと守られて助けられてきたから。情けないけど、ひとりだと失敗する。だから――」


 おのれの内から湧き出た願いを、リュウモは言った。


「力を貸してくれ。人を、『竜』を、世界を救うために」


 〈龍王槍〉は、言葉の代わりに、行動によって意思を示した。

 手が、磁力で吸い寄せられるように柄で引っ張られる。


「ありがとう」


 槍を台座から引き上げる。


「今――〈竜守ノ民〉の手に〈龍王槍〉が還る」


 感慨深げな、声が聞こえた。

 リュウモは、握る手に力を入れ、台座に突き刺さっている〈龍王槍〉を引き上げた。

 抵抗は、一瞬だけだった。

 自らを振るうべき主が戻って来たことを喜ぶように、『龍』の王の亡骸から作られた槍は、内包された『气』を発散させる。〈竜气〉が部屋にある全ての物体を押しのけ、吹き飛ばそうと暴れ回ろうとした。


「よ、止せって、危ないだろ」


 聞き分けの無い犬を叱るような口調であったが、それだけで、〈竜气〉は収まった。


(何だろう……懐かしい、気がする。とても、とても昔に、お前と、会ったことがあるような――そんな、感じがするよ)


 〈龍王槍〉は、歓喜を体であらわすように、その身を白銀に変えた




「おお……!」


 それは、きっと幻だろう。だが、帝は確かに、見た。

 幼い、青い瞳をした少年の、槍を手に持った後ろ姿。

 その姿に、帝にのみ伝わる背が重なった。

 純朴そうな、しかし、大きく、頼りがいのある、その背中。

 神話ですら語られない、初代帝の、唯一にして終生の親友。

 かつての――〈竜守ノ民〉の長の、後ろ姿だった。

 どうして、そんなものが見えたのか。帝には、はっきりと理由がわかった。

 自らに流れる、血が、魂が、脈々と受け継がれてきた、初代の想いを結実させたのだ。


『名を口にすることすらかなわなくなった、我が友よ。いつの日か、いつの日か、汝らが認められ、再びこの槍を手にせんことを、切に願う』


 蔵にあった、血を吐くような想いで綴られていた、初代帝の手記の言葉が思い出された。


「今ここに、初代の想いは成就せり――見ておられますか」


 帝は、天上を仰ぎ見て、瞼を閉じた。闇の奥には、素朴そうな青年が、笑っていた。




 〈龍王槍〉を手にし、下りて来た階段をあがると、帝は深々とうなずいた。


「初代の誓い、確かに果たした」


 帝の言葉は、ここではない誰かに言ったのだろう。彼の声には、感慨深い響きがあった。

 リュウモは、新しく手に入れた相棒を、試しに振ってみた。ヒュっと、鋭い音が鳴る。

 長年使い込んできた得物のように、掌に吸い付いてくる錯覚があった。槍があまりに手に馴染み過ぎて、逆に困惑する。


「槍が手に馴染みすぎ、戸惑っているかな」

「あ、はい」


 リュウモが掌から感じている重さと、槍の長さから測った重さは、どう考えても同じではない。見た目に反して、軽すぎるのだ。

 その軽さも、リュウモにとっては丁度、使いやすいぐらいであるから、余計に変な感じがした。


「〈竜槍〉は、自身の重さを、すべて使い手に合わせて変える。とはいっても、槍から姿形を大きく変えるわけではないけれど」

「なるほど……」


 自らを振るう者を選ぶ、などと言われているその実、結構親切らしい。長さはともかく、重さまで見た目通りであったなら、リュウモにとってはまだ扱い辛い。

 『气』によって大幅に身体能力を底上げしたとしても、元々の使い心地は重要だ。

 使い手に合わない物を振るえば、細かいところでやはり不具合が出てくる。武具は自らの身体の延長であり、同化していなければならない。でなければ、彼ら〈八竜槍〉のようには戦えまい。


「では、戻るとしようか」


 帝が面紗を被りながら言うと、それが号令となったかのように扉が開き始めた。先にはガジンたちが跪いて待機している。二人は敷居を跨いで部屋から出る。扉が自動的に閉じ、暗い広大な空間に音を響かせた。

 音響が消え去り、帝は臣下たちを睥睨する。彼の眼に、つい先ほどまであった人間的な温かみのある光りは、一切残っていなかった。


「面をあげよ」


 ガジン達は言葉に顔をあげた。


「〈龍王槍〉はあるべき者の手へ還った」


 帝は、神が神託を下すように告げる。


「これは、かつての神話の再現である」


 冷たい声が広間にただ染み渡る。


「汝らは、神代において〈八竜槍〉の名で呼ばれていない。ゆえに、初代がそう呼んだように、余も今このときに限っては、呼び方を改めよう」


 槍を持つ者たちを見下ろし、冷厳なる神が如く帝は言った。


「勅命である。汝らのすべてをもってこの者、リュウモを守り、〈竜峰〉へ導け。槍に選ばれし勇士達――〈竜守ノ君〉よ」

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