第46話 背負わされるもの

 国が滅ぶと言われても、リュウモにはぴんとこなかった。国が無くなることと、人が死ぬことが結びつかない。

 それがなくとも〈竜守ノ民〉は長いときを生きてきた。枠組みが消えたところで、今まで出会った人々が国と心中するとは思えない。帝は一拍、間をおいて続ける。


「技術の急速な発展、それに伴う人口の増加。人の出入りが激しくなった皇都は『譜代』と『外様』の垣根がわずかだが無くなり始めている。だが経済はどこまでも肥大化し、必ず今の制度では対応が利かなくなり、崩壊する。地すべりが起こるように、盛大にな」


 物語を読み上げるようにすらすらと喋っていた帝が、イスズに目を向ける。


「発展を続けていけば、どうなる。答えよイスズ。皇国の知の集積たる一族の者よ」

「わたくしが如き凡才が国の行く先を語るなど、道化もよいところでありましょう。――妹の論を持ってしかお答えはできません」

「かわまぬ、申せ。あの鬼才の論理ならば、聞くに値する」

「では恐れながら。――百と経たない内に皇国は岐路に立ち、選択を誤るでしょう」


 肩を強張らせながら、イスズは震えるように唇を動かす。


「大規模な内乱が巻き起こります。帝が仰いました通り、人口の増加によって『外様』の人員にはあぶれ出ている者がおり、盗賊になる者もいる始末。しかしそれは『外様』の領主が受け入れ体制を準備できていないだけであり、確立されれば余剰の人員を兵力、軍事に回せば侮れぬものになります」

「軍との戦いが起こるってぇ? 馬鹿言うな、皇都の軍はそんな甘くねえぞ。叩き潰すだけだ」

「ロウハよ、汝の言う通りだ。『外様』がどれだけ数を揃えようと、我々は勝つ。だから、問題なのだ」


 帝は先を続けるよう、イスズに目で合図する。


「戦えば勝ちます。ですが、戦いが起こってしまったその時点で、国は滅びに進んでしまう」


 戦端が開かれたが最後なのだとイスズは断言する。


「過剰になる人口、付随する経済格差。そして『外様』の者達は、すくなからぬ数が皇都に出入りし働いている、『譜代』出身よりも安い賃金で。ここから先、予想できることはひとつ」

「金を多く払え、か。んでえ、そいつのなにが悪い。同じ時間、同じだけ働いてんなら要求自体、おかしいとこはないだろ」

「……――余の〈八竜槍〉は歴代に比べ遥かに変わり者が多いが、汝も相当だ、ロウハ。他の『譜代』も同様に考えてくれればよいがな」


 金銭の扱い、価値観に限ると、『譜代』に認識から何百歩も離れているロウハに、帝は感心したように言った。


「そりゃまた、どういう意味でありましょうや」

「『外様』の人間に適正な値段を支払う者はほとんどいない。悪意からではない、それが

「生まれが、そいつの値段を決めると? いつか破綻する馬鹿げた商売ですよ。友人の商家は、平等に金を払っておりますが」

「あの者の商いは特殊だ。他の商家がそうあるわけではない。八割以上は、特権階級による強権を振りかざしている。そうだ、汝の言った通り、必ずいつかは破綻する」


 経済が広がりを続け、地域や地理ではない、身分における格差が谷のように深くなれば、是正するために多くの『外様』が動き出す。壊れるそのときまで、富を独占する『譜代』の人間は否定を続けるだろう。


「ときが経てば、不満と憎しみ、格差、貧富の差は現在よりも増々激しくなります。そうなったときもう一度、飛脚の町と同じことあれば、統制不可能な騒乱が起き、皇国は滅びることになるでしょう。だと、妹は申しておりました」

「んなことを起こさないために、我ら槍がいる」

「無論、忘れてはおらぬよロウハ。我が槍、この世で余が最も信ずる至高の槍達よ、汝らの力、一度たりとて疑ったことはない」


 帝の至上の称賛に、〈八竜槍〉は咄嗟に首を垂れた。不信、不満を抱えていようとも、彼の口から発せられる言霊は、それらを一挙に吹き飛ばしてしまったかのようだった。


(みんなは、心の底ではこの人を敬っている。ガジンさんも、みんな……あ、いや、シキさんは違ったかも?)


 平伏し崇められる姿は正しく王そのものだった。威光を放つ姿を、リュウモは苦しそうだと感じる。

 さっきまでの態度が本当の帝なら、彼は仮面を被り人と対面していることになる。

 素顔も出せないのは窮屈ではないのだろうか。


「だが〈八竜槍〉であろうと、感情を抑え込むのは不可能だ。おのれの生活が脅かされれば、人は獣になる、ならざるおえない」


 帝はガジンの横に置かれている〈竜槍〉に目をやった。


「飛脚の町で起きた事件は先代が秘密裏に実行した計画のひとつであった。埋められぬ格差。その中に『外様』と『譜代』が混在していた町に、暮らしを脅かされた者達がどんな反応をするのか、見るために。計画は成功だったが、その後にあれほどの大事件になるとは先代も見通せなかったが」

「もしかして、『外様』の領地のひとつを、『譜代』に変えたのも、そのため?」


 リュウモが直感で思いついたことを言うと、帝が隣にいるリュウモに視線を向ける。


「それもある。あの領地は皇国の食糧庫のひとつとなった。放置すれば他の『外様』と繋がりが強くなりすぎる可能性が大だ。だから早い内に『譜代』に組み込んだのだ」

「なるほど……『外様』と『譜代』の両者間にある格差と、長年『譜代』が当然としてきた特権意識。階級の坩堝となった町は、未来の、近い将来の皇都だったのですね」


 リュウモは、川辺のコハン氏族のジョウハが言っていたことを思い出す。

 彼は、昔と違って皇都で『外様』の人間も商売をしている、と。

 良いことのように思えても、別の問題を浮き彫りにもしていたのだ。


「今の皇都と訂正するがよい。ごく一部の小さい区画に『外様』の者だけが集まる場所がすでに出来上がっている。十数年経過すれば規模は倍々と増していく。一部に制限を掛けたがいずれ意味を失くすであろう」


 結局、また難しい話題になり、リュウモはついて行くのがやっとだった。

 知恵熱でも出始めたのか、首の付け根の奥がじんじんする。

 外で得た知識と経験を総動員して半分くらいしか理解できない。多分、飛脚の町で起きた出来事が国中で発生するのだろう。

 わかったのはそこまでで、格差だとか計画うんぬんは、しっかり耳で捉えても右から左に流れて行くだけだった。


「結局は、お金を取り合って、二種類の人達が大喧嘩するってことです?」


 だから、リュウモは精一杯考えをまとめた内容を言ってみた。

 発言者に皆の目が集まる。言ってはいけなかったのかとリュウモの腰が引ける。

 いきなり、帝の笑い声が広間に響き渡り、反響した。


「み、帝……?」


 誰の声だったのか、それか疑問を問いかける声は皇国に住む者達の総意だったのかもしれない。――本当に、笑い声をあげる御方は帝なのだろうか、と。

 肩を揺らし、腹を抱えて床を転がり周りそうな大笑が終わる。帝は面紗の奥で口角をあげて、リュウモに語り掛けた。


「そうだ、我らは生活のために領土を奪い合い、無くなれば次は経済による争いを始めた。真、我ら人とは我欲に突き動かされる、この世を貪り食らう獣よな」


 帝の主張が、リュウモの喉元に質量のないつっかえを生じさせた。

 きっと、この人は正しい。長い時間を国と過ごし、多くの悲劇を眼に刻んできた者に意見できる知識も経験もないリュウモの唇は、動きはしたが、言葉を発することはなかった。


「だが、飢狼の如く振る舞い続ければ、いずれはおのれの身を食い潰す。獣の王たる余は、自壊を止めねばならん」

「止めるって、どうやって? あの人達は、きっと言葉じゃ止まらない。『竜』を、禁忌を侵してまで進むのは、進まないと自分達が滅んでしまうと信じているから」


 命を散らした者達のためにも止まれない。払った犠牲の分だけ、彼らは邁進する。

 誰かのすべてを肩に背負ったとき、歩みを停止させるなどできない。

 リュウモは、


「止める気はない。だが『竜』に関係することのみは、おいそれと進歩させるわけにはいかぬ。国の存亡にかかわる、今も、そして未来にも」

「でも、さっきは研究しているのを黙ってるって」

「北の『外様』も馬鹿ではない。どこまで足を踏み入れてよいか、境界線を慎重に探っている。むやみやたらと『竜』を刺激すまい」


 確かに、ナホウ達は細心の注意を払いながら観察を続けているようだった。

 リュウモは、それでも不安を拭いきれない。『竜』に絶対はない。

 長年、生態を研究し続けてきた〈竜守ノ民〉ですら、ほんの一部しか解明できていないのだ。


「お考えのほど、理解いたしました」


 イスズは帝に真っ直ぐ姿勢を再度正して言った。


「増え続ける人口、『外様』と『譜代』が交じり合い拡張を続ける経済。その混沌の中で是正されない格差と『譜代』の特権意識を火種として発生するであろう内乱が国の荒廃を招く。それを未然に防ぐために帝は心血を注いでこられたのですね」


 然り、と帝は満足気にうなずく。

 だが、イスズの顔色は暗く沈んでいた。


「では、どうやって破滅を回避するおつもりですか。人口の抑制は親の顔を知らない孤児を増やすだけで効果は見込めません。今更になって『譜代』と『外様』を二分し、経済を回すのは現実的ではない。両者は密接に関係しすぎています。チィエ、妹は未来を予見できても、解決の方法までは提示することは無理でありました」


 ふいに、飛脚の町で食べた味噌汁の味が、リュウモの脳裏に蘇った。

 知らない味付けだったが、とても美味しかった。

 あの味が、二つの民が交差した結果生まれたのなら、悪いことではないし、店主もそう言っていた。


(でも、話してるのは小さい店に収まる大きさじゃないんだ。ああでも、それぐらいしかわかんないや。お金とか経済のことなんか、さっぱりだよ!)


 会話している者達にあって当然の感覚がリュウモにはない。そのせいで重大な危機について話し合われているのに、いまいち危機感が生まれてこない。

 ――『竜』のことならわかるんだけど。


「それは、この者が鍵となろう」


 肩に手を置かれ、びっくりしてリュウモは帝を見る。黒幕の奥に在る表情からはなにも読み取れない。


「なにを、するおつもりか、帝」


 ガジンの顔に、激しい非難が稲妻のように迸っている。少年がこれから背負わされる理不尽さを知っているかのようだった。


「〈竜守ノ民〉に恩赦を与え、過去の罪を清算する。そのために余の名代として『竜』を鎮めてもらう」


 くらっと……眩暈を起こしたように〈鎮守ノ司〉の体が揺らぐ。


「姉さん!?」「いえ、いえ、大丈夫よ、大丈夫じゃないけれど大丈夫よ」


 結局、それは平気ではないのでは? リュウモの口がつい滑りそうになる。


「ほーう、妖怪婆が卒倒しそうになるたあ驚きだ、本当」


 ロウハが茶化した。ぐりん、と音が鳴りそうな勢いで〈鎮守ノ司〉が彼の方を向く。目には異様な光が灯って稲光のようになっている。


「貴方、事の重大さがわかっていて? あといちいち妖怪婆言うな、ぶっとばすわよ小童」


 老体に似合わない、活力漲る罵倒であった。

 〈竜守ノ民〉の年寄り達も、老いてなお壮健で大人しい人を探すのが馬鹿馬鹿しいぐらいだった。二人の姿に、リュウモはほんのすこしだけ、故郷を感じた。

 元気な老婆に凄まれても、ロウハはどこ吹く風である。

 酷い頭痛に苛まれているように〈鎮守ノ司〉は額を押さえた。


「『外様』、『譜代』の区別は、神代の戦いで帝側と敵対し敗れた者とを分けた」

「『外様』は罪を贖うために今も生き続けている。その中で最も罪深い一族を赦し、国に迎えるならば、連鎖的に他の『外様』にも赦しを与えなければならなくなる。それは――」


 二人は言葉を濁す。ここから先は、舌を動かすのも不敬だと感じているかのようだった。


「民を分ける境が消える。つまりは、余が初代帝が作り上げた国の基盤を破壊すると同義」


 初代帝は、皇族でさえ敬意を払う存在だ。偉大な者の功績を踏み付けるように、今代の帝は言う。まるで断罪するように。


「想像を絶する非難が内外から噴出しますわ。恩赦を与えるだけで皇国が傾きかねません。何卒、御再考を」

「境界を消すにしても、まだ早すぎます。民の心が追い付きません」

「否、今だからこそだ。『竜』の力を、民は恐れるだけでなく直に知った。ゆえに、求め始めるだろう、知識を、技術を。リュウモは、その者達の暴走を繋ぎとめるために必要なのだ」


 二人の知恵者から諫められても、帝は微動すらしない。自らの意見を変えず不動を貫こうとしているのは明らかだった。


「正しく取り扱わないと大怪我するから、正しい知識を持ってる俺らに従えと。結構なことですが、示威行為だと騒がれませんかね」

「変化とは常に突然だ。その程度、些細なことだろう。今を逃せば、皇国は廃れ緩やかに壊死していくであろうな」


 帝はおのれの政策を明かすと、跪く臣下達の反応を見ていた。


(な、なんかとんでもないことになってきちゃったぞ!?)


 脇道に逸れるどころではない。リュウモに、彼らの未来を背負うなどできない、覚悟もない。訳も分からないまま押し潰されてしまいそうな重圧を抱え込みたくはない。すでに自分のことで手一杯なのだ。


「不満の矛先がリュウモになだれ込むかもしれぬのです、おわかりか!?」


 ガジンが吠えるように言い放つ。帝は、動かない。平然としている。


「帝、俺はいと高き御方の考えなんぞ噛み砕ける頭を持っちゃいませんが、こりゃあんまりでしょう。我らが積み上げてきた業を、都合よくおっ被せられる相手があらわれた途端にほっぽり投げるのは、いささか大人気ない。第一、坊主の生還が前提となっている謀。こいつが死んじまったら全部がご破算。その辺り、どうするおつもりで」

「抜かりはない。リュウモの死を回避するために、皇都に呼び戻したのだ」


 帝は、深く息を吸い込むと、鋭く切りつけるような声で言った。


「これより〈八竜槍〉選定のため、〈抜槍ノ義〉を執り行う。リュウモが選定に赴く槍は――〈龍王槍〉とする」

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