第41話 目覚めた力
「アァァァァァッッッ!!!」
絶叫。喉が張り裂けてしまいそうな、声にならない声が〈影〉たちの鼓膜を震わせた。
同時に、リュウモを拘束していた二つの注連縄が、音を立てて千切れ始める。
「んな馬鹿な!?」
〈影〉の動揺に、我関せずとばかりにリュウモは暴れた。
出鱈目に腕を動かし、注連縄が手首に食い込む。皮膚が捩れて破れ、出血する。
今のリュウモは、痛みを物ともしない。深くまで打たれた杭が、あまりの腕力に揺れ動く。
再びの絶叫。杭に繋がれていた注連縄が、千切れ飛んだ。
「どけぇぇ!!!」
〈影〉の全員を上回る速さで、リュウモはゼツに迫る。
「――ッ!?」
爆発的な膂力の増加に、ゼツの目が見開かれた。一瞬、彼の反応が遅れる。
拳は放たれた。愚直な、簡単に見切れるその一撃に、ゼツはぎりぎりでしか躱せない。
力技。根底にある能力の、絶対値の差。
常人をかけ離れ、人を超えた速さに、まだ人の領域内にいるゼツは、後手に回るしかない。
突き、蹴りが何度となくゼツに向かって放たれる。
人を超えた威力の前に、諸人は屈服するしかない。
――だが……リュウモが相手取っている敵は、人を超える絶技を持つ化け物を倒すために鍛えあげられた、化け物だった。
優勢になり、リュウモの攻撃が大振りになった刹那。鳩尾に掌底が入った。追撃が、脇腹、喉にぶち当たる。
未来予知しているように、リュウモの拳と蹴りは空を蹴り、吸い寄せられるかのようにゼツの攻撃が打ち当たる。
都合、数度。それだけで動きの型を完璧に見切られた。
(うそ、だろ……ッ)
幾度もの打撃に足がふらつきそうになった。
押し切られる。
ところが、絶好の機会であったにも関わらず、ゼツは退いた。
大きく飛び退いたゼツは、腕を押さえている。
「手が、痺れて握れんッ」
ゼツの右腕が、小刻みに震え、だらんと落ちていた。耐えたかいは、あったようだ。
「おいおいおい……ゼツ、見ろよ、こりゃ夢か?」
〈影〉の者たちが、ガウンの傍に立つ少年の瞳を見据えた。
縦に細長くなり、まるで『竜』と同じようになった、その瞳を。
「馬鹿な?! ――〈竜化〉しているだと!?」
リュウモの体内を、〈竜气〉が絶え間なく循環する。
〈目覚めの時〉――すなわち、自ら〈竜气〉が発せられるようになった状態を指す。
こうして、ようやく〈竜守ノ民〉の中で一人前と呼ばれるようになるのだ。
目覚めた者は、人と一線を画す力を得ることになる。
長い間〈竜域〉で生活していたリュウモ達が〈竜气〉の影響によって得た力だった。
「オオォォッ!!!」
獣の咆哮を上げながら、リュウモは〈影〉の者たちへ突っ込んだ。
速力、膂力、すべてが彼らを上回っている。
敵は攻撃すれば手を痛め、拳の一撃をまともに受ければ肉と骨がひしゃげる。
闘争心を剥き出しにした、一匹の『竜』と化しながら、リュウモは殴りかかった。
「散開!」
ゼツの指示に、固まっていた〈影〉たちが一斉に四方に散った。
大振りな一発が、彼の顔目掛けて飛ぶ。
腰を落として、ゼツは冷静にその一撃を完璧に見切った。
風が千切れ、悲鳴と轟音を上げる。
今のリュウモに、手加減、容赦といった概念は無い。もしまともにゼツが攻撃を受ければ、致死の一撃になる。
「てめーと一緒に任につくと、いっつもろくなことにならねえぞ、ゼツ!」
「無駄口を叩くな! それとその言葉、そっくりそのまま返すぞ!」
言い合っている二人へリュウモは突撃する。
視界はいつもより遥かに明瞭になり、相手の動きが息をするように当然にわかる。
体内に循環する〈竜气〉が、通常では見えないものまで可視化してくれる。
(右、正拳、蹴り、手刀……)
白く、朧げな影が見える。影にぴたりとはめ込まれるようにゼツが重なろうとする。
首を逸らし、紙一重で拳を躱す。
「な――」
まさか見切られると思っていなかったゼツの挙動がわずかに硬直する。
裾を掴み、地面へ叩き付けるように投げ飛ばした。
「アホな?!」
別人が乗り移ってリュウモを操っているのではないかと思うほどの変貌に、敵対者たちがうろたえる。
ケイも同じやり方で投げると、右手に気配を感じた。手だ、半透明の手がある。
――さっき掴まれたやつだ。
不可視であるはずの手を、リュウモは握る。ぐにゃりと、簡単に変形した。
折れる。直感からリュウモは手を離す。
遠いところでひとりの男が冷や汗を流して手を押さえている。
左手側から奇襲の気配があった。とんっ……とその場から軽く飛び退き、三本の細い鉄棒が地面に刺さった。
「くそ……どうにもならんか!?」
「起こしてはいけないものを起こしたか……!」
打つ手がないとばかりに男達は攻めあぐねている。
(ガウンさん……!)
苦しそうに倒れているガウンに駆け寄る。
「大丈夫ですか?!」
「おう……もうちょいすりゃ立てる。あのいけ好かない野郎共をぶっ飛ばせそうだ」
ガウンは汗を拭う。凄まじい感覚を得ているリュウモは、彼が決して強がりで言っているわけではないことを感じ取る。
打撃を受けているすべての箇所は打撲程度で済んでいる。ゼツは明らかに手加減をしていた。
「ここまでだ、少年」
頬に付着した土を払って、ゼツは言った。
「我々の本気を、理解してもらえなかったらしい。――番屋の方を見ろ」
ゼツが指差した先に目を向ける。暗い夜に、その方向だけが異様に明るかった。
――赤々と、建物が存在を散らすように、燃えていた。
「テメェら正気か?! 帝から派遣されてきたやつらの建物を焼くなんざ、極刑モンだぞ?!」
「それがどうした」
感情を感じさせない無機物のような声で、ゼツは言う。
「我らが死して、命を遂げられるならば、本懐である」
手が止まる。足が張りつけられたように動かなくなる。炎が、すべてを縫い付ける。
(おれは、また、見るのか……?)
――いやだ、そんなのは……。
「村をすべて燃やしてもかまわない」
「やめろ……」
「どうする少年、また村が燃える景色を目にしたいかね」
「やめろォォォ!!!」
リュウモが絶叫する。半狂乱手前まで追いやられた心が絞り出した、金切り声だった。
「ッ――」
ケイが、顔を背けた。耳すらも塞いでしまいたいように、瞼を強く閉じる。
「では来てもらおうか」
その言葉に、リュウモは従うしかなかった。〈竜化〉を解く。
「待ち、やがれ……俺はまだ――!」
立ち上がろうとして、ガウンは倒れ込む。リュウモはそっと、彼の肩に手を置いた。
「ありがとう」
無償で助けてくれたガウンに、リュウモは心からの礼を言った。汗だくになっていた彼の顔から緊張感が消えていく。自らの敗北だと悟ったのだ。彼は歯を剥き出す。
「くそが……テメェら、俺の弟を連れ去ったときと、同じことをしやがるか!」
ガウンが激情をあらわにした。
「連れ、去った……?」
ケイがつい反応する。
「そうだ、あのときも! 〈八竜槍〉に一撃当てたのなんだのと……俺の弟を、家族を皇都に連れて行きやがって……!」
皆が静まる。その中でゼツだけが平然と動いた。
「国の威信のために必要だったのでしょう。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふざけんな、そんな程度で揺らぐ国なら滅びちまえ……!」
恨み言を連ねるガウンを、ゼツはどこか眩しそうに、そして虚しそうに見つめる。
「貴方は、今の国がどれだけ綱渡りでいるかを……いえ、これは貴方には関係のないことだ」
それだけ言って、ゼツはリュウモに手を伸ばした。
「ここまでだ、少年」
「わかり、ました。これ以上、他の人を傷つけないでください。もし、傷つけるなら、おれは『竜』を呼ぶ」
ゼツ達の顔と体が一瞬で強張る。できるはずがなくても、彼らは怯えている。
リュウモは、そこに交渉の余地を見出した。
「誰も、傷つけないで……!」
「……いいだろう。こちらへ」
リュウモはゆっくりと、ガウンから離れて行った。
〈影〉とリュウモの間に、球体のなにかが放り込まれる。
導火線に火が付いてるそれは、勢いよく煙を出し始めた。
秒を跨がず煙の壁ができあがり、さらに数個、周囲に球体が投げ込まれる。
「こちらだ、リュウモ少年!」
知らない声だった。右側からいきなり手を取られ、急速に戦いの場から遠ざかっていく。
訳がわからず、リュウモはただ状況に流されて行くしかなかった。
煙の奥からは、戦いの音が鳴り続けていた。
「行ったか」
ゼツは夜の木陰から、連れて行かれる少年と敵を確認していた。
今回の襲撃は、あらかじめ予想されていたのだ。『外様』のどこかの者が動き回っていることまでは突き止めたが、その先が難航した。
(餌に喰らい付いたか)
帝からは少年を保護するよう命じられ、『竜』について嗅ぎ回っている者達を調べ上げるようにも命じられた。
――これならば一石二鳥というものだ
さらった者達は、すくなくとも落ち着ける場所に腰を下ろすまでは、少年に手荒な真似はしない。少年を贄として使う作戦を〈闇ノ司〉が提案したとき、帝が一瞬だけ『气』を荒立たせたが、結局は了承していた。
――どうも、帝の様子がおかしい
帝への不安を、再びゼツは封殺する。不敬極まることを考えるべきではない。
「ケイ、生きてるな」
「当たり前だろ」
劣勢に見せかけた陽動は成功した。あとは尻尾を出した獲物を捕らえるだけだ。
「…………」
同僚が、険しい顔をして、少年が連れ去られて行った方角を見ている。
「どうした、ケイ?」
意気消沈しているケイの様子が気になり声を掛けた。
思えば、ガジンの隊に配属されるまでは、味方など気にも留めなかった。
上司の影響か、とゼツは内心苦笑する。
「お前に言っても、言われることはわかってるがな――今回の任、いつもよりはまだマシなもんのはずなのに……手前に嫌気が指してる」
相手は〈禍ノ民〉であっても子供だ。しかも、殺せと指令されたわけでもない。確かに、いつもよりかは幾分かましな内容だろう。楽であったかはさておいて。
「わかっているなら、俺が言うことはなにもない。――行こう、我らは我らの役目を果たさなければ」
「……これっきりにしたいね、こんなことは」
それが無理なことは、ケイも、そしてゼツも理解していた。
「テメェら、一体、なにを……」
ゼツの同僚に肩を貸されて歩いて来ていたガウンが困惑の声を出した。さきほどの混乱の最中、密かに保護したのだ。
「燃えた番屋に人はいない、安心しろ。外に縛り上げている。村人も朝になれば起きる。放っておくのが忍びないなら、番屋へ行くのをすすめよう。彼らはまだ起きているからな。――全員、撤収するぞ」
〈影〉は一斉にその場を後にする。
ゼツはちらりと番屋を見た。
彼らの中には〈影〉と〈影〉の人間が混じっている。報告をしたのは彼らだった。
村に災いを呼んだと非難されないように適度に傷を負わせ、番屋を焼き払った。
あそこまでやれば非難よりも同情が上回るだろう。
お膳立てをしてやればあとは優秀な同僚が上手くやる。
ゼツは、いつものように後処理をすると、標的を追った。
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