第30話 掟

 リュウモは疲れた体を投げ出すように畳の上に座り込んだ。

 宿屋の主はよそ者相手に顔をしかめたが、店主が書いた文を見せると快く泊めてくれた。

 驚くことに、本当に〈青眼〉でも気にしていなかった。彼らにとっては町に住まない人間は十把一絡げなのだろう。


「……食料はすべて駄目か。お前が言っていた通りだな」

「〈禍ツ气〉は、そういうものですから」

「一体全体、なんでこんな危険な『气』がまったく国に知られていないのだ。聞いたこともないぞ、こんなもの」

「『竜』の死骸が〈竜ノ墓〉以外にあると〈禍ツ气〉を発する。ほら、ジョウハさんの村の上流で『竜』の死骸があったでしょう? あのまま放置しておくと昼にあった黒波が起こることがあるんです」


 ガジンは腕を組んで深刻そうに眉間に皺を寄せた。やっぱり見た目は怖い、とリュウモは思う。本当は優しい人な分、周りからの誤解が不憫である。


「そ、そういえば、すごい人気でしたね。やっぱり、『外様』の人達の間だと、憧れなんですか?」


 ガジンの名を伏せて質問する。リュウモも、ここ数日で一応周りに配慮するようにはなっていた。


「別に、人気でもない。なんにでも初、という枕詩がつくと誰も彼も騒ぎ立てるものさ」

「でも、すごいことなんじゃないんです?」

「いや、まあ、それはそうなのだが……」


 ガジンは照れ臭そうに頭をがしがしと乱暴に掻いた。


「はあ……俗世の世情を知らない人間の称賛というものは、こうもむずがゆいものだとは思わなかった」


 リュウモは首を傾げる。確かに、ガジンの言う通り国の事情には明るくない。しかしそれとガジンが照れていることとなにが関係あるのだろうか。


「実はな……」


 ガジンは語り出した。

 彼の話はまるでなにかの英雄譚の始まりのようで、顔中に皺を作って恐ろしい表情をしているガジンには失礼だが、リュウモは胸が躍った。

 村を襲ってきた野盗を倒して取り立てられるなど、まさに英雄の物語の始まりではないか。語り部にも色々は伝承が残っているが、ここまであからさまなものはないので、物珍しかった。


「すごいです。じゃあ、先代の〈八竜槍〉に真っ向から挑んで、勝っちゃったんですか?」

「馬鹿を言うな。そんなこと当時の私にできるはずがない。いやまあ、一撃当てはしたが。年老いていたとはいえ〈八竜槍〉に、ずぶの素人がかすり傷でも与えたとなれば、沽券に関わる。色々と政治的判断があって私は皇都に連行された。それから師となった先代に技術を叩き込まれたよ」

「え、やっぱりガジンさんって、生れつきおかしいんじゃ」

「失礼だな君は。体が頑丈なのは、私の氏族の特徴だぞ」


 でもだからといって、素人が玄人に一撃でも当てられるものだろうか。まぐれ当たりなど、玄人相手には可能性がないことを、リュウモは村の訓練で知っている。


「でもその、気持ちはわかるんですけど、こう、畑を荒らされて、たったひとりで野盗に突っ込むって、ぶっ飛んでますよね」


 両親が死んだとき、なんの知識も準備もなしに『竜』の住処に入り込んだ自分といい勝負をするのではないだろうか。リュウモは左耳の痕を擦る。


「……そうだな。本当は、畑のことなど、どうでもよかったのだ」

「え……?」


 いきなり声色が変わった。ガジンの目は畳を向いているが、瞳には別の景色が映っているようにリュウモには思えた。


「――ラカン以外には、誰にも言っていない。だから、べらべらと言わんでくれよ? 聞きたくなければ、それでいいがな」


 リュウモは、なぜかガジンの話を聞かなければならないと直感が訴えてきた。彼が今から口にしようとしていることは、とても重要だと。だから、うなずいた。

 ガジンは肩をすくめ、窓際の壁に背を預けて天井を仰ぎ見た。


「私の村には、妙な掟があってな。満月の日には、陽が暮れる前に必ず家へ戻らないとならない。でなければ、その家には禍が降りかかる、とな」


 ガジンは、〈竜槍〉を右手に持ち、床に突き立てるように穂先を上へ向ける。


「村社会にとって、掟とは絶対の法に近い。破る人間は誰もいなかった。私も含めて」


 白色の穂先を見つめる。ガジンの瞳は、悲しみに浸っていた。


「だが、強情っぱりのように頑なな掟は、悲劇をもたらす」


 ドグっと、図星を突かれたときのようにリュウモの心臓が跳ねた。


「村にいた頃、可愛がっていた弟分、やっと七歳になった子供が野盗に殺された。隠れていれば見つからなかったろうに、掟に従って家に帰ろうとした」


 悲劇。掟に殉じて逝った人間を、そのような型に嵌めて呼んでいいわけがない。

 でも、リュウモはガジンが言った悲劇の渦中に放り込まれた側の人間だった。彼がそう言う気持ちは、痛いほどわかる。


「掟とは、絶対順守すべきものではない。国が定めた法にこそ、人は従うべきだ。氏族の掟を他のすべてに押し付けようとすれば、別の掟とかち合って争いが起きるだけになる」

「掟が、嫌いなんですか?」

「厭うているわけではない。優先順位の違いだ。リュウモ、この町の話を聞いてなにも感じなかったのか。二つの強い法則がぶつかり、大量の血が流れたのだぞ」

「それは、なんとなくわかってます」


 店主の態度から、きっと彼は親しい人間を失ったのだろう。払いたくもない代償を支払わされ、ひとりで店を経営している姿がリュウモの頭を過った。


「でも、それは正しいんですか。本来あったものを歪めて、押し潰してまで、皇国の法に従わせることが……」

「すくなくとも、流れる血の量は圧倒的に減った。要は、折り合いをつければいいだけだ。なにも皇国は死ねと言うわけではない。互いの意志と意見を尊重し合い、妥協点を見つければよい。簡単でなくとも、苦労を重ねて経た結論は流血を強いることはない」

「間違ってしまっていたら? 子孫が先祖は誤っていたと言ったら?」

「その誤りを正すのは、子孫の役目だ。先祖もそこまで責任は持てんよ」


 リュウモは口を閉じた。死んだ両親との色あせ始めている思い出がよみがえる。


「掟を守り、尊重するのはいい。だが、他者に流血を強いてまで遂行すべきものなのか。私は、ずっと疑問なのだそれが」

「……掟を守ることで、誰かの命を救えるとしたら、どうなんですか。大切な人を助けるために、掟へ殉じるのは、おかしいことなんですか」


 ガジンの言い分は、まるで掟が手前勝手に作られたような言い方だった。

 守る価値はなく、他者を害する方が多いと。

 だが、違う。リュウモは知っている。

 掟とは、小さな社会をまとめるための法という側面を持つのは否定できない。

 しかし、厳密に掟を規定するのは、他の人間の生命を守るためなのだ。

 リュウモは左耳があった場所に触れる。決められた掟を破れば、命はない。冷たい事実を身をもって知った。


「おれの両親は、掟を守るために『竜』の死骸を運んでいる最中、他の『竜』に襲われて死にました」

「それは……」

「掟で、〈竜ノ墓〉以外で死んだ『竜』の死骸を墓へと運ぶことは掟で決められていました。でも、そうしないといけないから、誰かが掟を守るために命を賭けないと、今度は他の誰かが死んでしまうから、おれの両親は掟を守るために身を投じて、そして、死んだ。それが、悪いことなんですか。そんなの、絶対に、違う」


 ガジンは目蓋を閉じた。次に口にする言葉を慎重に選んでいるようだった。その間が、リュウモにはとても長く感じられた。

 やがて、吟味を重ねたガジンの口が開かれた。


「私は〈竜守ノ民〉を知らぬ」


 当然だ。彼らは〈竜域〉に訪れることはないのだから。


「知らぬものを判断せよと言われても、おそらく、お前にとって不快な回答しか出せぬよ」

「そう、ですね……」


 ジジの言葉が脳裏をかすめる。

 彼らは『竜』を知らぬ。知らぬものにどうして対策がとれよう?

 きっと、人間にも同じことが言える。リュウモはガジンのことを詳しく知らず、また彼もリュウモについて語れるほど付き合いが深くない。

 ふっと……ガジンは笑った。


「そうだな、この際だ、色々と聞かせてはくれないか」

「い、色々って、おれたちについて?」

「ああ。我らは一蓮托生。お互い、すこしくらいは自分を語ってもよいだろう」


 リュウモは、困った。掟で『竜』や業を詳しく話してはいけない。

 語ると言っても限界があり、語れる範囲は非常に狭くなるからだ。


「なにも、洗いざらい吐けというわけではない。どんな風に暮らしていたとか、食べ物の種類とか、普通のことでいい」

「は、はあ……」


 それなら、と言ってリュウモは話し始めた。





 少年がおのれの生活について話、自分がそれを聞く。

 ただそれだけのことなのに、なんとも不思議な心地になる。

 リュウモに辛いことを言わせてしまった罪悪感からか?

 それとも、同じような目に遭いながら、掟をまったく違う捉え方をしているこの小さな子供に、強い興味を抱いたからか。


「それで、爺ちゃんはいっつも寒いのに軒下で伝承を覚えるって聞かなくて、おれじゃなくて爺ちゃんが風邪を引いちゃったりしたんです」


 語られる内容は、ガジンとさして変わらないごくありふれたものばかりだった。

 家族や近所の人、なにを食べただとか、寒い時期は辛いことが多いだとか。

 おかしなことだが、ガジンはまるでリュウモが言う故郷が自分の故郷のように感じられる。

 ――なにも変わらないのだ、この子は、我々と。

 偶々、特殊な技術を発展させてしまった一族のひとりにすぎない。

 本当に、ただの子供なのだ。おのれの命ひとつ思うように使えない、守れない庇護すべき小さな者。

 〈竜槍〉を握る手に力が入る。槍は、熱をわずかに帯びていた。


(この子は、『使命』が終わったら、どうするのだろう)


 少年に帰るべき場所は存在しない。燃えて無くなってしまったのだから。

 急に、リュウモの先について心配になってくる。

 氏族の最後のひとり。それは比喩ではない。

 だが、終わったあとについてどうする気か、聞くのは躊躇われた。

 リュウモは、『使命』を終えたあと、自分がどうなるのか、わかっているのだろうか。

 誇らしく氏族の村の人々について話す少年の青い瞳が、なぜか陰りを強めている気がした。

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