第29話 外様

(くそ――!)


 地面に着地し、男性を下ろすと、ガジンは一切迷うことなく川に飛び込んだ。

 濁流の勢いが、大柄な体を紙屑のように弄んだ。

 普通なら、すでに方向感覚が狂い、上下左右すら覚束なくなる中、ガジンは冷静にリュウモの『气』の位置を探った。

 すぐに第六感とも言える感覚がリュウモを捉えた。四肢に力が入っておらず、ぐったりと体を流れに投げ出している。


(気を失っているか、だが、それなら水を飲んでいる心配はないはず……!)


 全身に襲い掛かってくる圧力を押し退けるように、ガジンは両足に『气』を集中させ、水を蹴った。その後ろを、泡が白い軌跡となって追う。

 くるりと足の位置を変えて川底に着地すると、助けるべき相手に狙いを定めた。

 再び、足を突き出し加速する。底にあった岩が、衝撃で爆砕する。

 黒い流れを掻き割って、木の葉のように翻弄されるリュウモに手を伸ばした。


(捕まえた……ッ!)


 帯をがっしりと掴み、絶対に離さないようリュウモの腰を脇で固定する。

 黒い濁流は、小さな体を吹き飛ばそうと襲い掛かって来た。


(なに……!?)


 腕の力が緩み、危うくリュウモを手放しそうになる。

 この黒い『气』、体に強烈な影響を与えている。肌を刺すような痛み以外に、体内の『气』を消耗させ、气虚状態に向かわせようとしていた。

 なるほど、とガジンは納得した。

 リュウモが危惧するほどの『气』だ。その効用も尋常ではないのだろう。

 自然に干渉してあり得ない現象を引き起こし、『竜』を狂わせる。

 恐ろしきものだ。だが――――。


(それが、どうした。この程度……!)


 穂先を底に向け、腕を振り上げた。

 ――〈八竜槍〉を舐めるなァ!

 裂帛の気合を以って、〈竜槍〉を投擲する。

 黒き波を引き裂く一筋の白い線が、水中に描かれた。

 水底に槍が着弾すると同時、爆裂。

 衝撃は底を円形に陥没させ、石を吹き飛ばすに飽き足らない。

 爆流が、裂けた。

 圧倒的な膂力の前に、黒い大津波は方向を無理やり転換させられる。

 ガジンの放った一撃は無色の壁となって黒波を隔てた。

 水が無くなる。ガジンは地面に着地すると一気に跳ね上がり、川から脱出した。

 着地する。念のために岸から大きく距離を取り、リュウモの容態を診る。


「リュウモ、リュウモ!」


 呼びかけに答える声はなかった。ぐったりと体を地面に投げ出して動かない。


(水は飲んでいないな。吹き飛ばされたとき、橋のどこかに頭を打ったか?)


 出血はしていない。頭部に外傷はなく、ただ気を失っているだけだ。

 ほっとして、ガジンはぐったりと地に尻をつけて足を投げ出した。

 肉体の疲弊が酷い。動けないほどではないし、そんなやわな鍛え方はしていない。

 ――たった、あれだけの時間、動いただけでこの様とは……。

 『竜』でさえも理性を失くして人へ襲い掛からせる強い力を持っている『气』だ。危険性は重々わかっていたつもりだった。だが、実際に経験してみてわかっていたつもりになっていただけだったことを思い知らされた。


「う、うぅ……ん」


 と、リュウモが呻いた。意識が戻り始めガジンは一安心だった。肩の力が抜ける。


「爺ちゃん、みんな……逃げ、て……」


 つぅ……っと、幼い少年の目から、涙が零れていた。


「――そうだ、この子は……」


 すべてを失ったのだ。少年の話が正しいのならば、彼が帰るべき場所はもうない。〈禍ツ竜〉に焼き払われ、一族全員が殺されている。

 村が焼かれたときの記憶が再生されているのだろう。ガジンは軽くリュウモの肩を揺する。これ以上、幼子に悪夢を見せる必要もない。


「あ……ここ、は?」

「下流の岸だ。大分流されてしまったがな。まだ寝ていろ、疲れているだろう」

「いえ、大丈夫です。早く、行かないと、また、さっきと同じことが起きて、しまう」


 ぐっと両足に力を入れて、リュウモは危なげなく立ち上がった。外傷、内傷も『气』を感じ取る限り、無さそうである。


「わかった、ゆこう。体が辛らくなったら言うのだぞ」


 リュウモはうなずいた。ガジンは旅行のための食料や備品の大部分が使い物にならなくなってしまっていることに頭を悩ませながら、岸から離れ始めた。金銭が無事であったのが唯一の幸運であった。




 リュウモは鉛でも入れられたように重い体に喝を入れて足を動かし続けた。

 川の一件から数刻が経過し、すでに日は落ちて夜になっている。

 やっと町が見えてきたことで足が休ませろと怒鳴り声をあげてきていた。

 空は曇り、すこし前から雨が降り始め、次第に雨足を強めている。

 大粒の雨が天上から膝を折ろうと降り注いでくる。

 見るのも慣れてきた瓦屋根の町並みは、もう光を落としていた。

 通りに人はほとんどいない。リュウモは笠から目を見られないように注意しながらガジンの後ろに付いて行く。


「おーい! あんたら、こんな雨の中で歩いてたら風邪引くぞ、入んな!」


 通りにある店の暖簾を下げていたひとりの男性が、二人に声をかけた。

 リュウモは連れの判断を待った。ガジンは足を止めてはいるが、巻き込むことを恐れて逡巡している。

 うだうだとしているガジンに腹を立てたのか、男性がさらに大声で怒鳴った。


「子供も連れてるだろうが! さっさと来い!!」


(どうして、商売人の人とかって、こう、元気っていうか、おっかないんだろう)


 これ以上騒がれてもまずいので、ガジンは男性にうなずいて店に入ることにした。

 雨では追手も痕跡を追えないだろうが、万が一を考えているようだった。

 敷居を跨ぐと、料理の残り香が空気の中に漂っていた。店自体はこじんまりとした、いくつかの座敷席がある料理店だった。


「そこに座んな。濡れるのは気にしなくていい」


 言われる通り外套を脱ごうとしたが、ガジンが止めた。店の主人は眉をひそめ、咎めるような視線を向けた。


「店主、入れていただいて申し訳ないが、込み入った事情が」

「槍を隠して、こんな雨降る夜に歩き回ってるんだ、訳ありなのはわかってる。気にするな、どうせ店仕舞いしたところだ」


 さっさと座んな、と言って店主は店の奥に消えて行く。


「お邪魔するとしよう。リュウモ、体は大丈夫か?」

「ちょっと、きついです」

「本当に、すこしか? かなり辛そうに思えるが」


 う……っと、リュウモは言葉に詰まった。無理をしていたのを言い当てられてなにも言えなくなる。叱責をするような目がうつむいたリュウモに向けられた。


「我慢強いのは結構だ。だが、強すぎるのはいかん。しっかりとおのれの体調を管理できなければ、この先、目的を達するのは無理というものだ」

「はい……」


 しゅん……として落ち込んでしまったリュウモを見て、ガジンは慌てた。


「ああ、いやすまん。君は文句のひとつも言わないから助かっているが、体がきついなら行言ってくれなければ私もさすがにわからん。無理をされて今この状況で倒れられると困るのだ」


 リュウモは「はい」と言って、反省する。ガジンの言った通り、追跡されている中、体調を崩しでもすればそれで終わってしまう。いかにガジンが強かろうと、身動きの取れない護衛対象を抱えながらの戦闘は厳しいだろう。


「ガキ相手に、なに説教してんだあんた。そーいうのはな、大人の俺らが気づかなきゃいけないもんなんだよ。無理をすんのがそんぐらいの年頃の常だろうがよ」


 店主は、お盆に碗を三つ乗せて戻ってきた。椀からは湯気が立ち上っている。彼は座敷の上にお盆を置いた。


「残り物だが、捨てちまうよりはいい。飲みな、雨の冷たさは身に応えるだろ、特にそっちの坊主はよ」


 雨が下たる外套を脱ぎ、リュウモは椀を受け取った。


「おめぇ、敷居を跨ぐときも笠を取らんのか。ちったあ礼儀っつーものをわかれや」


 まるで慣れた手つきでぱっぱとリュウモの顎紐を解くと、笠を取ってしまった。

 抵抗する間もなく、リュウモの両目が店主の視界に映る。


「なぁるほどな。だからか」


 ただそれだけ言って、持って来ていた自分の椀の中身を口にする。


「さっさと飲みな。冷めちまったら美味くなくなる」


 リュウモはなにも言わず湯気立つ味噌汁を口にした。


「お、美味しい……」


 単純な感想が零れた。


「なんだろう……出汁に、魚を使ってるけど、なにかわかんない。味噌は甘くて、ちょっと食べたことない味だな――えぐみがあるけど、本当、なんだろこれ」


 味噌汁から立ち上ってくる湯気の中にある匂いは、リュウモの知らない素材が使われていた。やさしく、甘みがあり、だけどほんのすこしえぐみが残っている。


「そうか? 味噌の味はいいが」

「なんだ、おっさんよりもガキの方が舌がいいときたもんだ。嘆かわしい」


 ガジンは苦虫を噛み潰したように顔に皺を作った。ごつごつした岩の陰影のようで、彼を怖がる子供の気持ちがちょっとだけわかったリュウモであった。


「ほらよ、飲んでけ」


 店主は湯飲みを三人分持ってきてくれた。リュウモは礼を言って受け取り、口をつけた。

 お茶と味噌汁の温かさが、冷え切っていた体の熱を取り戻していく気がした。


「しっかし、上流の町に寄るならともかく、どーして下流にあるこっちに来たんだよ。ここで昔、なにが起こってい今どうなっているか、知らないわけじゃあるまい?」

「……? ここは危ないところなんですか」


 つい、口が滑ってしまった。直そうとして中々直らないこの聞きたがりの癖は、外では面倒ごとを呼び込む種になるのをリュウモはそろそろわかり始めていた。だが、染みついた癖というのは易々と消えるものではない。

 店主の顔が訝しげに変わる。


「おいおい、ボウズ。このおっさんから聞いてないのか」

「いや、店主。上流で川に落ちましてな。流されてここまでやってきてしまったのです」

「流されたぁ? 馬鹿言うじゃねえよ。下流まで流されるほどあの川は流れが強くはねえぞ」

「そう言われましても、流されてきてしまった以外、言い様がないのですよ」

「ふん、まあいい。だが、ある意味ここに来たのは正解かもな。ボウズの目、この町じゃあ余計なちょっかいを出してくるやつもすくないだろうさ」


 話についていけず、リュウモは目を瞬くしかなかった。店主は湯飲みある茶に口をつけ、下を湿らせた。


「昔、この町ででかい抗争があったんだよ。その鎮圧のために〈八竜槍〉までもが出向いてくるほどの、馬鹿でかい抗争がな」


 店主の目に暗い色が指した。


「色んなやつらが死んで、恨み辛みが未だに残ってる。この町はな、よそ者全員に対して、平等に冷たいのさ。たとえ、〈青眼〉であろうと対応は変わらねえぐらいにな」


 そんな馬鹿な、とリュウモは思う。今まで謂れのない中傷を受けてきた。宿の者達は一様に悪し様に口汚く罵ってきた。

 それと同じような対応を同郷同士である外の人間に向けるとは到底信じられない。


「ここは元々、飛脚の町だった。ここから先の北の領地は山が多くてな、とてもじゃないが馬車なんかは通れん。だがあるとき、『譜代』の人間達が交通の便をよくしようと『外様』にあれこれと口出しして整備を始めた。費用を各町から徴収してな」


 店主の眉間に、皺が寄った。


「だがな、そんなもん、はいそうですかと渡せるわけがねえ。飛脚達は『譜代』の余計なお節介を必要としなかったし、街道が整備されて馬車が通れるようになれば自分達は食い扶持が稼げなくなる。自分の首を絞めるために、高額の費用を出す馬鹿はここには誰ひとりとしていなかった」


 おのれの生活圏を脅かされる者は、得てして必死になり今までの状態を維持しようとする。『竜』が群れの個体数が著しく減少すると、その年に生まれる赤ん坊が異常に多くなるように。


「激論が交わされて、結局、この町の連中は自分の首を絞める事業に加担することになった。お上から言われちゃあ、下々の俺らは言い返せるわけがないからな」


 店主は吐き捨てるように言った。権力によって抑えつけられた者の感情の発露だった。


「飛脚から別の職に就こうとするやつもいたが、伝手もなければ資金も余っていない飛脚が早々に別職になれるわけがねえ。そこを『譜代』の人間は履き違えてた。経済圏のでかさがそもそもありすぎて、相手もこれぐらいの資金はあるだろうって勝手に思い込んでたんだよ、馬鹿共はな」


 基盤の大きさが違えば、必然的にその上に乗ることができる物の数も変わる。それを当時の『譜代』の人間は理解していなかったのだろう。


「あの、なんでいきなり、道を整備しようって言いだしたんですか? それまではなにもされていなかったんですよね?」

「表向きは、北の『外様』の経済活性化、だったらしいがな。ふん、そんなことじゃあないのは誰もがわかってた」


 店主は茶を飲む。冷えて苦みが増したのか、眉をしかめた。


「『外様』のひとつであった領地が『譜代』に変更されたのさ。だが、その意図は誰が見ても、明らかだったし、あからさまだった」


 主人は湯飲みを置いた。


「変更された領地は、皇国でも有数の穀倉地帯でな……国にとっての利益や利権が絡んでいるのは、誰が見てもわかった。最も、最初からそこが都市に作物を供給できるほど恵まれていた地だったわけじゃない。すべては、領主と領民が血と汗を流して切り拓いた産物だった。その穀物を他の領地に滞りなく運ぶための街道整備だったのさ」


 雨音が強くなった。冷気が戸の隙間から入り込んで来る。


「蜂の巣をつついた騒ぎになった。穀物を皇都経由でこっちに回せばそれだけ利益が出る。商人達は躍起になって整備のために投資していたよ。その後ろで、貧困に喘ぐやつらの声なんて無視してな」

「そして、不満がとうとう爆発した」


 ガジンが痛々しいように言う。


「不満? 違うな、あれは必然だ。食い扶持に困ったやつらが盗賊になり、街道の商隊を襲ったのはな。町のやつらも知っていながら黙殺した。俺らがやられたようにな」


 やられたから、やり返す。それは子供染みていながら、しかし、職を追われた人々の最後の抵抗だったのかもしれない。リュウモの表情が曇る。

 そこから先、どうなったかは簡単に予測がつく。


「討伐隊が組織され、ここへなだれ込んできた。あろうことか、勝っちまったんだよ、俺らは。まあ、槍士じゃあない普通の兵だったからな。盗賊になって荒らし回っていたやつらの敵じゃあなかった。それで、皇国が本気になっちまったんだが」

「〈八竜槍〉のひとりが、ここへ派遣された。それでも死に物狂いで住人達は抵抗した。信じられないが槍士が数人死亡している。〈八竜槍〉直属の凄腕の槍士が」


 リュウモは、この町の過去を聞いて、どう反応を返したものか困った。

 すっかり冷めてしまった味噌汁に視線を落とす。


「一方的に『譜代』を罵ったがよ、その味噌汁に使われてる具材は、こっちじゃ取れないものも入ってる。生活が豊かになったのも、確かなんだ」

「……誰が、悪かったんでしょう」


 複雑に入り組んだ事情と感情が渦巻いているのは理解できた。

 リュウモは椀に入っている具を見ながら呟いた。


「どちらも正しく、どちらも悪かった。俺はそう思うぜ。一方的にどちらかが悪だなんて、決めつけられないのさ。決められたら、どんだけ楽かね」

「でも、先に縄張りにずかずか入って来たのは『譜代』の人達じゃないんですか」


 リュウモは左耳を触る。縄張りに勝手に入れば争いが起こるのは、身をもって知っている。


「存外、ボウズもわかってるじゃねえか。だけどな、なにも『譜代』のやつらだってこっちに被害を与えようとしてたわけじゃあない。利益もあったろうが、北の痩せた地味の土地に豊かさをもたらしたいと考えていたのがほとんどだったんだろうよ」

「じゃあ、なんで、そんなことに……」

「なにもかもが違い過ぎたのさ。経済も暮らしも習慣も資金も、体制、思想、諸々が」


 理解できぬものは恐ろしい。ジジの言葉がリュウモの脳裏に蘇った。


「それでも俺たちは過ちからも学ぶことができる。逆に、正しさから過ちを生み出してしまうこともある。今みたいなよそ者に冷たい町なんかな。俺はそうなりたくなかったから、こんなちんけな店をかまえて、旅人に飯を振るってるがね」


 きっと店主は、過ちからその時々の正しさを学び取ったのだ。

 でも、正しいことをしてきたと言うのなら、どうして彼が語っている顔は、悲しみを帯びているのだろうか。


「だがほとんどの人間はそうじゃなかった。事の正否を問うのは個人の尺度だ。生まれや考えが尺度の高さや低さを決める。そいつが生きて作り上げてきた物差しで測れないような、理解できない行動、原理を、人は排斥するようにできている。虚しいことだがな」

「虚しい、ですか」

「ああ、そうさ。出自がまったく違う思想、体制が分かり合うことはない。――――いや、今の国の状況を見るに、分かり合うために大量の血が流れる。関係のない者にまで、流血を強いた。その結果残ったのは、土地にへばりついた子孫にまで伝わる憎しみだけ。これが、虚しくなくてなんなんだ」


 淡々と語る店主の言葉に宿った、息苦しいほどの強い感情が店内に染み込んだ。


「だからこそ、帝は、相互不理解を乗り越えるために、教育に力を入れ始めた」


 じっと話を聞いていたガジンが、重苦しい空気を裂くように口を開いた。


「女の身で、初めて〈八竜槍〉になった、イスズの生家、シスイ家と帝が大々的に協力し、国中の都、町に寺子屋を建てた。宮廷内の暮らしは、かなり質素になったらしいがな」


「ああ、その寺子屋ならここにもあるぞ。ガキ共が通ってるよ。多分あいつらの代で、俺らが残したものは消えていくだろうな。飛脚っていう職業があったっていうだけで、ただの記録に成り下がるだろうよ。恨みも、消えるだろう」

「それは、消えていいものなんですか。ここに住んでた人達の想いは、どこに行けば……」

「世は無情なり、だ。時間の前には関係ないのさ、想いなんてもんはな」


 ざあ、ざあ、と雨音が強くなった気がした。それは気の所為で、雨は弱まってきていた。

 それでもリュウモには雨音がはっきりと耳に聞こえていた。


「だが時間ってのは、良いことも起こしてくれる。『外様』の中から、しかも北から新しく〈八竜槍〉に名を連ねた方がいる。ガジン様だ」


 暗くなっていた店主の目に、希望の光が差し込んでいた。


「『外様』初の〈八竜槍〉よ。これからどんどん『外様』出身が〈竜槍〉に選ばれればちったあ今の現状も変わっていくだろうさ。しっかしな、皮肉なもんだ。抗争のとき鎮圧にきた〈八竜槍〉が、北の我らの誇りである、ガジン様の師になったとはね」


 リュウモは店主が言った内容に驚いて、ついガジンの方を向こうとしてしまった。

 どうにかして目線がすこし動いた程度に収めた。

しかし、一日で何百以上の客を見て来ている店主の観察眼は伊達ではない。眉が「まさか」と言いたげに上に動く。


「そろそろ出るぞ、リュウモ。ご主人、馳走になった。この恩はいずれ必ず」

「あ、ああ……あ、ちょいと待ちな」


 店主は店の裏方へ向かい、戻って来ると手には手紙を持っていた。


「一筆、書いておいた。この通りの先にある宿へ行け。渡せばこんな時間でも入れてくれるはずだ」

「何から何まで、かたじけない」


 リュウモも、ガジンと一緒に頭を下げる。

 雨に濡れないように懐に手紙を入れると、ガジンは敷居を跨いで外に出る。リュウモも後に続く。

 ふと、ガジンは何気なく店主の方へ振り向いて言った。


「そういえば、ご主人。この店、ひとりで切り盛りを?」


 主人は、なんとも言えない曖昧な、笑いとも悲しみともとれる顔をした。


「俺も、払いたくもないもんを、払っちまったのさ……昔にな」


 リュウモは、なにも言うことができなかった。


「お前さんぐらいの孫が、もしかしたら俺にもいたのかもなあ。――それじゃ、道中お気をつけて」


 雨は、止んでいた。

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