第23話 〈竜峰〉への手掛かり

 襲撃から夕暮れまで、言われた通り、リュウモは走り続けた。ガジンが気を使ったとはいえ、ほぼ並走するだけの速度に、彼は大いに驚いていた。〈竜守ノ民〉の身体能力を、まだ甘く見ていたのだ。


「速度をあげようと思うが」


 提案に、リュウモはうなずいた。ガジンは試すように、徐々に速度をあげる。リュウモが完璧について来られるとわかると、遠慮なく駆け続けた。

 そのお陰で、日が暮れるまでに、町に到着できてしまったのだった。

 この町は皇都へ行く人々の休憩所も兼ねていて、旅籠屋も数多くある。人の往来も多く、隠れるには絶好の場所であった。

 適当な旅籠屋に入り、外を警戒できる部屋を取ると、ガジンはようやく緊張を解くように、大きく息を吐いた。


「追手がかかるだろうが、さすがにここまで来れば一日では追いつかれはしないだろう。今日は、ここでゆっくり休もう」

「はい……」

「宿の出入り口を確認してくる、待っていてくれ」


 リュウモも、安住の宿を見つけられて安心していた。心と身体の両方から来る疲れに負けて、床に座り込んだ。

 戦いがあったからか、疲れ切っているはずなのに、妙に頭が冴えて落ち着かない。


(そうだ、色々、聞かないといけないことがあるんだった)


 宿の出入り口を密かに確認していたガジンが戻って来て、彼が腰を落ち着けた際に、リュウモはずっと疑問に思っていたことを口にした。


「どうして、おれを助けてくれたのか教えてください」

「君しか、現状を打開できる人物がいないからだ……」


 返答は、単純明快だった。すこし悩むような仕草をしたあと、ガジンは付け加えた。


「あのまま皇都にいれば、君は帝に闇に葬られていた――殺されていたのだ」


 いきなり訳のわからないことを言われた。


(殺される、おれが?)


 そして、リュウモの思考は『なぜ』『どうして』という単純な疑問に行き着いた。


「その、帝っていう人は、なんでおれを殺そうとしたんですか?」

「〈竜奴ノ業〉。かの一族が代々伝えて来たそれを、君が継いでいるからだ」


 あんまりにも理不尽極まりない言い分ではあったが、帝が殺そうとする理由はわかった。弁解する意味は無いだろうとわかってはいたが、一応、リュウモは答えた。


「たとえ、業を継いでいても、今のおれには貴方たちが言う〈竜操具〉は作れませんよ」

「なに……?」

「素材になる『竜』の骨が無いですし、作ろうとした〈竜域〉に行かないと」

「なんと、まあ……死した『竜』の骨を加工して作るのか――とんでもなく恐れ多いことだぞ、君たちの一族がしていることは」


 リュウモは、ガジンの言い分に眉をひそめた。不満をあらわすように、強い口調で問い質すように言った。


「なにを言っているんです。貴方だって、『竜』の骨を加工して作られた武器を使っているじゃないですか。こんな格の高い『竜』の武具なんて、おれたち〈竜守ノ民〉ですら二つしか持っていません。こんなのが、国には八本もあるんでしょう。貴方たちの方が、よっぽど恐れ多いことをしているじゃないですか」


 ガジンの目が見開かれた。思っても、考えてもいないことを突かれて、顔の表情筋が緩んで呆けたような顔になっている。

 すると、いきなり笑い出した。


「そうだな、その通りだ! 我ら〈八竜槍〉は、最も禁忌に近き者。誰もが畏れ、敬い、憧れてはいても、君が言う事実に変りはない。まさか、『竜』と深く関わる人間に指摘されるとは、思わなかった」

「なにがおかしいんです」

「おかしいと思わないのか、君は」


 こんっと、ガジンは〈竜槍〉を指で叩いた。


「こいつは、『竜』の身体の一部を利用して作られた。天から命じられ、八柱の『竜』がおのれの牙や爪を槍に変えたとされるが、おそらく違う。――これは、〈竜守ノ民〉が作成した代物なのではないのか」


 今度は、リュウモが目を見開く番だった。


「む、違うのか。あながち、間違いではなかったと思うのだが……」


 大袈裟に言って予想が外れていたのが気恥ずかしいのか、ガジンは後頭部を擦った。


「あ、いや……あり得そうだとは。でも、当時の、国で語られている神話の時代に起こった出来事は、おれたち語り部にも伝わっていないんです」

「ほう、時間と供に過ぎ去り、消えて行ってしまったのかな」

「争いで、〈竜守ノ民〉は、沢山の人が亡くなりました。そのせいでいっぱいあった伝承が何個も失伝してしまったんです。失われた物語の中に、詳しいものはあったんでしょうけど、今となっては、もう……」

「ぬぅ……そうか。――――おれたち語り部と言っていたが、君は、〈竜守ノ民〉の語り部なのか?」

「はい。爺ちゃんがそうだったので、だから、おれも爺ちゃんの役目を継いだんです」

「しかし語り部とは、そもそもなるのに厳しい役目だと聞く。膨大な伝承を後世に間違った形で伝えぬよう、繰り返し、何度も何度も覚えるのだと。実際、私の住んでいた地域では、もうほとんど語り部という人々はいなくなってしまっていた」


 ガジンが言った国の語り部についての現状に、リュウモは衝撃を受けた。

 一族が語り継ぐ物語とは、祖先たちが連綿と続かせてきた歴史そのものなのだ。

 語り部がいなくなり、伝承が完全に途絶えるとは、すなわち一族の過去すべてが喪失してしまうことと同じだ。


「外では、そんな簡単にいなくなってしまって、いいものなんですか」

「ふむ、そうだな……」


 今まで、語り部の存在について深く考えたこともなかったのか、ガジンは腕を組んで考え込む仕草をした。

 そんな風に思考を巡らせる自体、リュウモにとってはあり得ない。

 村では語り部の重要性は耳が腐るのではないかと思うほど聞かされる。

 口伝で後継者に語られる内容は、今日まで生きてきた一氏族の集積だ。

 なにが過去にあったのか。重大な事件が発生した際、先祖はどのような選択をしたのか。風習、制度、言い伝え。これらは子孫に伝えなければいけない物語なのである。そのために語り部とは存在するのだ。


「私の村にも、数代前にはいたらしいが……気にしたことはなかったな」

「どうして……って、聞いてもいいですか」

「無論だ。まあ、身も蓋も無い言い方になるがな、自分たちの生活にまったく関係ないことだったからだ。一銭にもならない語り草を、きつい訓練に近い生活を一年中やる物好きは、もういなくなってしまった。そんなことをするぐらいなら、私たちは生きる糧を得るために鍬を振るさ」


 リュウモは、絶句する。


「私からも聞きたい。今回の件について、残っている伝承はあるか」

「あ……は、はい」


 リュウモは一度、深呼吸をして心を落ち着け、語り出す。


 竜、怒り狂う時、人が積み上げし、栄達への階は脆くも崩れ去り、『創世』が訪れる。忘れるなかれ。竜は天が遣わせし、人の傲慢を監視する者なり。

 かの竜達が怒り狂う――すなわち天の怒り。

 竜と供に生き、死に逝く者達よ。天が傲慢なる我らに鉄槌を下す時、竜の峰にて首を垂れ、赦しを請うべし。さすれば天は振り上げた槌をおさめ、再び我らは生きることを赦されよう。

 されど、心せよ。天へと我らが祈り届かず、竜の峰へ辿り着くこと叶わず、人の業によって阻まれし時、天は我らを灰燼と化すであろう

 祈りを届けよ。竜の峰にて、我らが赦しを込めた祈りを。――竜を鎮める旋律を奏でよ。


 語り終えると、ガジンが意外なものを見る目で、こちらを向いていた。


「ど、どうしました」

「ああ、いや、その……語り部という存在を、その語りというものを、生まれて初めて見たのでな。珍しかったのだ、気を悪くしないでくれ」

「おれは語り部らしかったですか?」


 ジジから受け継いだ大切な形の無い物を、ちゃんと自分の中でおのれの一部とできていたか、不安だった。


「一度も見たことがないから、なんとも言えんが、そうだな……私の目から見れば、君は、立派な語り部のように思えるよ」


 その評価が、リュウモは嬉しかった。


「それで、他にはなにかあるか」


 ガジンには、すでに警戒が無い。吹っ切れているのか、それとも極刑に値する行為を働いているからなのか、掟など遠慮せずにどんどん聞いてくる。

 だが、最初に会った時のような、ピリピリとした張り詰めた空気は纏っていない。彼の口調は自然で、柔らかい。話してくれるだろうという信頼さえ感じさせる。

 ここまで来たら一蓮托生だ。そんな雰囲気すらあった。

 リュウモも、ここまで来てしまったら掟だなんだとこだわっていられない。彼から協力を取り付けなければ、『使命』を果たすことは不可能なのは、嫌でもわかっている。

 また、掟をひとつ破ることにした。


「『使命』を果たすには、二つの試練があるんです」

「試練?」

「ひとつ、その時代において最も強い戦士を打倒すること。ひとつ、最も禍々しき『竜』――〈禍ツ竜〉を斃すこと。これらが為されない時、天は人を赦さないであろう」

「〈禍ツ竜〉というのは、名前からして〈禍ツ气〉に関係のある『竜』か?」

「はい。〈禍ツ气〉そのものから生まれ出た『竜』。それが〈禍ツ竜〉です。おれの、故郷を焼き払った巨大で、恐ろしいやつです」

「そうか、君の故郷はもう……いや、なんでもない。それで、最も強い戦士を打倒とは、どういうことだ? 言葉通り取るなら、まあ、一応、現時点なら私なのだが」

「昔は違ったんですか?」


 リュウモは驚いた。こんな化け物そのものと評していい実力を持っている人が、過去に自分より強い者がいたのだと言っているようだったからだ。ガジンの力は、〈竜槍〉を振るえば、翼竜を殺害するのは容易なほどである。


「前だったらな、ラカンという私の親友がいたんだが、亡くなった。砦の虐殺でな……」

 ガジンの顔が、悲痛な感情を一瞬だけ見せた。すぐに消えて、はたと疑問を見つけたように指で顎を擦った。

「ラカンの力は、私に比する、いや凌駕する腕前だった」

「でも、殺されてしまった」

「ああ、そこなのだ。今、気になったのは。コハン氏族の村で『竜』と戦った時に思った。この程度では、ラカンを殺すなど、到底不可能だと」

「多分ですけど、ガジンさんの友達を殺したのは〈二ノ足〉とおれたちが呼んでいる、特別な『竜』です。そうでないと、貴方以上の腕を持つ人を殺すのは無理なはずです。二本足で立ったみたいな足跡がありませんでしたか?」

「〈二ノ足〉……ああ、確かに、あいつの死体近くに、あったよ。三本の爪と、その足跡が」


 ヒュっと、息が詰まって変な音が出る。ガジンの体の芯に蓄えられていた怒りが、喉を締め付けているかのようだった。眉間に皺が寄って、いかにも戦士らしい、厳めしい顔つきになっている。


「……『竜』――〈二ノ足〉は爪の本数が増えるごとに、個体としての強さが跳ね上がります。三本以上だったなら、『竜』の骨を使った武具でないと、傷つけることはできないんです」

「なるほど。だからか、あいつの槍があんなにボロボロになっていたのは」


 得心がいったようである。ガジンは、床に置いてある〈竜槍〉を見つめた。


「君は、こいつは格が高い、と言ったがどの程度なんだ?」

「ええと、多分、爪が五本、〈五爪竜〉じゃないかって。おれが持ってる刀と笛が爪が六本、つまり『龍王』の爪と牙から作られた物で、これ以上格が高い『龍』は存在しない。だから、『竜』の中で一番格の高い〈五爪竜〉の爪か牙を元にして作られたんだと思います」

「七柱の偉大なる『竜』と、すべての『竜』を束ねる、『龍王』か……」


 話し込んでいると、外は夕暮れから夜に変ろうとしていた。

 ガジンが部屋の隅にあった置行灯を中央に持って来て、火をつけた。


「諸々、把握した。しかし、わからん。村の語り部であり、重要な役目を継いでいた君が、どうして一族の重要な『使命』である〈竜峰〉の位置を知らされていない」

「わかりません。村長は、絶対に教えてくれませんでしたし、爺ちゃんも、時がくれば長の口から語られるだろうって」


 リュウモは、語らぬことも掟のひとつだろうと認識し、追及しなかった。

『使命』が果たされようとするその時まで、村長は口を開かないだろうと思ったのだ。結局、彼の口から語られず、真相は炎の中に燃え朽ちて行ってしまったのだが。


「なるほどな。まあ、そちらは任せてもらおう。一度言ったが、当てがあるからな」

「外では、おれたちが失ってしまった伝承が残っているんですか? 歪められすぎて、あんまり意味が無さそうなんですけど……」

「君が不振がるのもわかる。だが、期待してくれていい」

「どうしてですか……?」

「そいつが見た物は、タルカ皇国、そのすべての始まり。――初代帝が残した手記だ」


 すなわち、リュウモにとっての諸悪の根源。先祖を〈禍ノ民〉と貶め、国全体に悪ある者と広めた、仇敵に等しい人間の手記である。到底、信じられない。

 リュウモの眉間に皺が寄るのを見て、ガジンは宥めるように言った。


「とある筋から仕入れた情報だが、初代は『竜』を鎮めるその場に、居合わせたらしい」

「は……? 居合わせたって、まさか、〈竜峰〉に?」

「ああ、だから、その時のことが書いてある手記を見たやつが」

「ちょ、ちょっと待ってください!?」


 突然言われた、わけのわからないことに、リュウモは待ったをかけた。


「初代の帝が、『竜』を鎮めたその場にいた!? じゃあ、その人は〈竜守ノ民〉のことを知ってたんじゃないんですか、それがなんで〈禍ノ民〉なんて呼ばれて」


 大声を出すリュウモの口を、あっという間にガジンは手で塞いだ。しぃ……と、人差し指を立てて、口先に当てた。


「大声は禁物だ。誰かの耳に入るとも限らん」


 脅しの類ではない本気の警告に、リュウモは冷や水をかけられたように静まった。うなずいて同意を示すと、ガジンは口から手を離した。


「実際、なにがその時にあったのか、当事者でない我々には想像することしかできない。君たちの記録にすら残っていないなら、もう、時の彼方に消え去ってしまったのだろう」


 ガジンの言う通りだった。なにがあり、どのような過程を辿ったにせよ、結果はすでに出ている。〈禍ノ民〉という現実が反映されているのだから。


「おれたち、語り部はそのためにいたんです。そうならないために」


 時間は、降り積もって行く砂だ。積み上げて来た歴史も、いつかは埋もれ、掘り出せなくなる。もしかしたら、その中にはとても大事な、未来に関わる事柄が眠っているかもしれないのだ。掘り返せなくなってからではとうに遅い。

 だからこそ、語り部は必要とされた。伝承や物語を通し、眠りについた出来事を起こすために。


「ともかく、初代帝の手記を、直接その目にしたやつが、北の領地にいる。話を聞きに行けば、それなりの情報が得られるはずだ。なにせ、そいつは国で禁忌とされている『竜』について調べ、研究していたような馬鹿だったからな」

「な、なんだか、酷い言い方ですね」


 容赦がない。柔らかく言い直せば、遠慮がなく、相手に対する親しさを感じさせる。


「それなりに付き合いは長いからな。まあ、君を連れて行けば、間違いなく大歓迎してもらえる。ただ、あいつに君の業について、それなりに話してもらわなければならんかもしれん」

「その、掟をあんまり破りたくはないんですけど……」


 困ったように、ガジンはうなじ辺りを手で擦った。


「こいつがまた、中々の偏屈者でな。正直、私でも手を焼く。脅しには絶対に屈しないし、滅多なことでは自分の研究については話してくれん。情報を提供してもらうためには、こちらも対価を差し出さんと、どうにもならん」

「わかり、ました。ただ、絶対に口外しないよう、言ってくれますか」

「無論だ。あいつも、そこまで無分別な阿呆ではない」

「その人の、名前は?」

「シキ。かつて、〈竜槍〉候補のひとりであり、知識欲に従うまま禁忌に手を出し、皇都を追放された、大馬鹿野郎の名だ」

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