第22話 襲撃、再び

 準備を終えたガジンの行動は素早かった。一刻も早く皇都から出るのが先だと言わんばかりに、足早に大門と言った巨大な赤い門から出た。検査があったようだが、彼の特権でなにも言われずに素通りできた。

 まさか皇国の〈八竜槍〉が背任に等しい行為を働いているとは、門にいた検非違使たちは夢にも思っていない。

 都から外に出ても、人の流れは途切れることはなかった。絶えず皇都に人が入り、出て行く。心臓が全身に血液を送る役割も担っているように、この都は人を循環させる役目を持っているのかもしれない。

 リュウモは、そんなことを考えながら、人の波が徐々に引き始めた平地を、ガジンと供に歩いた。


(協力してくれる理由を、聞いたほうがいいかな……)


 しかし、未だにガジンの表情は硬く、警戒を解いていない。とてもではないが、聞ける雰囲気ではない。歩いている間は、やることもないため、リュウモは状況の整理を始めた。


(おれは、あそこにいたらまずいことになってた。これは絶対間違いない)


 牢に入れられては『使命』を果たせない。それに、簡単には出してもらえなかっただろう。


(でも、なんでこの人は〈禍ノ民〉だなんて嫌われてるおれを助けてくれたんだろうか)


 ここが不可解だった。一度は自らの手で捕らえた相手を、今度は助け出す。

 意味がわからない。支離滅裂だし、無駄極まりない。


(この人を、心変わりさせる、きっと大きな『なにか』があったんだ)


 結局のところ、それが一番聞きたい部分なのだが、ガジンの一文字に閉じられた口から聞き出すのは骨が折れそうだった。

 そして、なによりも重要なのが、彼が〈竜峰〉の位置を知る人物と知り合いなのだという点だ。それは、外の世界で協力してくれる人が絶望的にすくないリュウモにとって、何物にも得難い情報だ。

 やはり、落ち着けたら色々と聞き出さないといけない。ただ、この岩のように硬そうで、大木よりも巨大な威圧感を持つ男から、情報を引き出せるかは大いに不安である。


(しっかりしろ、頑張らないと、まだまだ道は長いはずなんだから)


 うつむいていた顔をあげて、辺りをもう一度見た。この、人が流れ続けている物珍しい光景を。――だが、さっきまであった流れが、途絶えていた。


「あ、れ……ガジンさん、人が」

「……人払いの結界だ。こんな大通りに、ここまで大規模な術を使うか。余程、皇都から君を離れさせたくないらしい――来るぞ」


 暖かい風が、リュウモの頬を撫でた。その行く先に、全身黒づくめの、六人の人間が立っていた。


「少年、走るぞ!」

「わかりました。それと、おれの名前はリュウモです!」


 命懸けの逃走劇が、始まった。


「結界の外に出てしまえばいい。そこまで死ぬ気で走れ!!!」


 言われるまでもなく、リュウモは全力疾走している。それでも、大人を超える身体能力を持ってしても、振り切れないのだ。

 ガジンは、必然的に護衛対象のリュウモに合わせなければならず、みるみる内に彼我の距離が詰まって行く。

 チッ……と、ガジンが舌打ちをした。


「この結界、我らに合わせて移動しているッ」

「え!? そんな馬鹿なことが……!」


 結界とは、外と内を隔てる境界線だ。術の力によって外界と内界を分け、内側のみ効果を及ぼす。そうしなければ、術の力が外側に漏れてしまい、霧散し対象に影響を与えられなくなる。線とはすなわち区切りなのだ。

 その境界線が移動するなど聞いたことながい。〈竜域〉に足が生えて歩き出しているようなものだ。


「身を守る術を学んでいるか?!」

「訓練なら! 戦うのは初めてです!」


 戦いの機微など、対人の実戦経験が無いリュウモにはわからない。とにかく、ガジンに従うしかない。心臓が早鐘を打ち、嫌というほど体内に音を響かせる。


「私の指示に従え」


 すぅっと、ガジンの声に冷気が混じった。


「遮蔽物なし、地形は平坦、身を隠す場所もない。人目を気にしなければ、多人数で襲うには絶好の位置か。面倒な相手だな」


 男の身体にある『气』が急速に高められ感応し始めた。猛り狂うかのような、瀑布がごとき『气』の走り。戦い以外のあらゆる思考を削ぎ落した彼の顔は、味方であるリュウモに怖気を感じさせるほどに冷たかった。


「道沿いに走り続けろ」


 怒鳴っているわけでもないのに、指示はくっきりと聞こえた。

 言葉に背を押され、リュウモは全力で走る。視線の先には誰もいない。聞こえてくるのは複数の足音だけだ。すこしずつ、音は近くなり始めていた。

 突然、ガジンが慣性を無視したかのような動きで反転する。

 完全に意表を突いた動きに、追手の先頭にいた二人が判断を間違えた。

 〈竜槍〉が唸り声をあげて、敵へと襲いかかったのである。

 横薙ぎに振るわれた槍は、ひとりを吹き飛ばし、並走していた仲間を巻き込み、地面に叩きつけた。


(や、やっぱりこの人滅茶苦茶だ! というか、穂先が全っ然見えないッ) 


 敵はしっかりと防御の姿勢を取っていた。短刀を構え、腰を落とし、両足で踏ん張っていた。それなのに、あの様である。

 つまり、受け止めようとしたこと自体が誤りであったのだ。

 〈八竜槍〉とは理不尽と不条理の塊であり、そうでなければ名乗ることを許されない。

 ガジンは、自分の実力を存分に振う。敵は一合すら持たず、彼が槍を使えばバタバタとなぎ倒されていく。

まるで小型の台風だった。玄人であるはずの襲撃者たちは、自然の猛威の前に成す術がない諸人に成り下がっていた。

 リュウモは、ぞっとしたが同時に頼もしくもあった。敵でなくて本当によかったと思う。

 こんな人を相手にするなど、到底不可能だ。

 一安心し、胸を撫で下ろした――直後、隙を狙ったかのように球体が前方から飛来した。放物線を描き、球体はリュウモの手前に落ちた。


「待ち伏せ?!」


 リュウモはガジンの言いつけを破り、停止する。

 獲物が立ち止まるのを見計らったかのように、球体が破裂した。

 煙が凄まじい勢いで視界を真っ白にしてしまった。視界が遮断され、目で物を負えない。


(こんな程度で……!)


 目を潰されても、『气』の動きを追えば相手の出方は察知できる。

 ――考えが甘かったことを、リュウモは思い知らされた。

 ガジンにとってなんら脅威にならずとも、リュウモにとって敵は対人訓練を積んだ玄人である。

ガクっと……いきなり身体から力が抜けて、地面に転がりそうになった。

 段差から足を踏み外したような感覚。

 外部からの干渉で、感応させていたはずの体内の『气』が、収まってしまっている。


「くそ……煙、のせいか――!」


 袋から布を取り出し、リュウモは口元を抑えた。

 直後、右手側のすぐ近くで、バチィと嫌な音が響いた。勢いの乗った細い物体が肉に衝突した時の音だ。訓練で腕を槍で叩かれた際に、似たような音を聞いたことがある。うめき声が、白い世界で零れた。


「無事だな」


 いつの間にか、隣にガジンが寄って来ていた。後ろの敵はすでに片付けたらしい。汗ひとつかいておらず、呼吸も乱れていない。


「はい、なんとか……」


 驚けばいいのか、呆れればいいのか。なんとガジンは煙を遮る布などを使っていない。

 体質なのか、別の技術を使っているのか知らないが、もしそんな『气』の使い方があるなら、リュウモは今すぐにでも教えてもらいたい気分だった。

 安心したのも束の間。白い煙を肩で切り裂いて、ひとりの男がガジンに吶喊して来た。


「貴様、あの時の!」


 信じられない、目にも止まらぬ打ち合いが始まった。

 互いの武器がぶち当たるたび、突風が巻き起こり、視界を遮断していた白煙が吹き飛ばされた。

 豪快に打ち合っているように見えて、水面下では激しい駆け引きが行われているようだったが、達人たちの目に見えない内側で起こっている攻防にまで、リュウモは気が回らない。ただ呆然と、彼らの戦いを眺めるしかなかった。

 リュウモを強引に動かしたのは、後ろから感じ取った攻撃の気配だった。

 後頭部に向けて放たれた拳を、すんでのところで前転して躱す。


「あっぶね!」


 立ち上がり、しっかりと敵に目を向けた。

 村で言われた通り、棒立ちには絶対にならず、腰を落として目を離さない。

 敵はひとりだ。他の者たちは地面に転がって気を失っている。


「退いてくれ!」


 相手はリュウモを捕まえようと踏み込んで来た。返答は、否であった。


「退けぇ!!!」


 叫び声をあげる。拳を握り、道のりを遮る敵対者を排除しようとした。

 敵と同様に踏み込み、一撃を叩き込もうとして……一番最初に訪れた村での一連の出来事が、頭の中を駆け巡った。

 傷つけてしまう、あまつさえ殺してしまうかもしれない。

 殺人への躊躇と忌避感が、招いた隙は、あまりにも致命的すぎた。


「っが!?」


 地面に顔が叩きつけられる。血と、口に入った土の味が混じって気持ち悪い。


(なん、だ……おれ、今、なにされた?!)


 理解できない。腕を取られ重心を崩されて組み敷かれたのは現状からわかったが、結果に至るまでの過程が素早く、鮮麗されすぎている。

 玄人と素人の、効率化された絶対的な技術の差。それは相手がどれだけ常人離れした身体能力を保有していようと関係なく捻じ伏せてしまう。

 助けを求めるように視線をガジンに向けたが、未だに二人は人間離れした攻防を続けている。援護は期待できそうにない。


(なんとか、しないと……!)


 掴まれ、関節を決められた腕が痛む。身体の内側から嫌な音が聞こえる。あとは外から力が加われば、腕は簡単に使えなくなる。

襲撃者は、やろうと思えば腕を枯れ枝を折るようにできたはずだが、腕は無事だ。

すくなくとも、生け捕りにしようとしているということは、彼らには殺す気がない。

 なら、まだ終わっていない。手加減と油断が混在している相手なら、まだ打つ手はある。


(でも……怖い)


 それは、戦うことでも、腕を折られることでもない。

 あの時、初めて外に出て村に訪れた際、自分の力を軽く振るったら、大変なことになった。

 ならば、本気で殴った場合、命中してしまった相手はどうなる……?

 人の命を奪ってしまうかもしれない。日々の糧を得るために動物を殺すのとはわけが違う。逡巡していたリュウモは、瞼を閉じた。

 ――ジジの顔が、浮かんだ。次々に村とその人々があらわれては消えて行く。

 燃え落ちて行く故郷。死人の顔色をしていた、大好きな人。


「おれ、は……止まれない、こんなところで、捕まるわけには、いかないッ」


 うわ言のように去来した思いを吐き出すと、リュウモは体内の『气』を走らせた。

 白煙で途切れた感応が再び始まり、小さな身体が常人の枠を超える。


「それ以上動くな、折るぞ」


 脅迫を、リュウモは無視する。関節を決められている腕の筋肉に、動けと命じた。

 細い子供の腕が、下された命令を忠実に実行。鍛えられた敵の腕力を凌駕した。

 驚きのあまり、敵の気が一瞬だけ逸れた。脱け出すには十分だった。

 力に物を言わせて、動けなかった態勢から強引に脱する。右手の肘が、じくりと痛んだ。


「この、化け物が……!」


 ほんのすこし、瞬きの間。相手は子供では本来あり得ない腕力に、恐れ慄いていた。

 一度だけ目蓋が閉じられると、顔にも瞳にも、なんの感情も浮かんでいない。精神的訓練を相当に積んでいる証だった。

〈禍ノ民〉である存在を前にして、感情を沈み込ませることができるとは、かなりのものである。

リュウモは、拳を握りしめ、覚悟を決めて相手に突っ込んだ。武術には多少の心得がある。村では幼い頃から身を守る術を大人たちから学ぶからだ。

 左足で踏み込み、右手を相手の芯を打ち抜くよう振り切った。

 空を切る。空を切る。空を切る。

 敵は未来を知っているのか、蹴りや体当たりを組み合わせても、ことごとくを躱す。

 実力の差は歴然だ。しかし、一連の攻撃の中で、一筋の光明をリュウモは見出した。


(動きが固い……!)


 委縮しているとも見える。敵は、本当の実力を発揮しきれていない。

 当然だ。今、敵が相対しているのは、誰であれ小さな子供の時から聞かされる、伝説の民なのだから。

 加えて、避けているとはいえ、当たれば一発で昏倒、戦闘続行不能になる威力を持った拳だ。技術の差は大人と子供であるが、油断などできるはずがない。

 相手は、極大な精神の疲労からか、玉の汗が顔に張りついている。

 焦りか、それとも押し隠した恐怖からか、リュウモの動きに合わせて反撃が飛んだ。

 間は完璧だった。だが、しなやかさを失っている愚直な直線の突きを、リュウモは両の目でしっかりと追っていた。

 パン! と、小気味の良い音が、野に響いた。


「っな……」


 驚愕が、敵の口から漏れた。鍛えあげたおのれの拳が、子供に止められれば仕方がない。

 小さな掌が、大きな拳を眼前で捉え、受け止めていたのだから。

 リュウモは、掴み取った拳を握る。圧された敵の手の内側で、悲鳴があがった。


(お、折れる……!?)


 まさか、ここまでになるとは思わず、リュウモは相手を慮ってつい手を離してしまった。

 信じられない膂力と、食らった痛みに、敵が抑え込んでいた恐怖がありありと発露する。

 恐慌に近い精神状態となった相手は、腰の短刀を抜き放った。

 凄まじい速さと手際に、リュウモは反応できず、腕を中途半端にあげることしかできなかった。

 刃が迫る。


「よせ、斬るなッ!!!」


 訓練によって身体に刻みつけられた動作が、相対する者の首筋から胴体をばっさりと斬る軌跡を描こうとした。

リュウモは迫り来る脅威に目を瞑ってしまった。

 風と短刀が迫る音だけが、暗くなった視界に響いた。


(あ、れ……生きて、る――?)


 痛みはないわけではなかったが、精々、指先を刃物で誤って切ってしまったくらいだった。

 恐る恐る目を開けると、出血してはいるが、命に別状はない。冷たい刃が、首筋で止まっている。

 相手は、すんでのところで止めることができて、安堵している。

 目が合うと、まだ戦いの最中だと思い出して、リュウモは敵の手首を掴み、強引に投げ飛ばした。大人の身体が地面に叩きつけられ、転がった。

 襲撃者を投げ飛ばし、〈龍王刀〉を抜く。持ち主の『气』に感応し、刀身がぼんやりと白く光りを放つ。

 襲撃者たちが、目に見えてうろたえた。彼らからすれば、初めて見る〈竜操具〉に怯えているのだ。

 柄をぎゅっと握り、意を決して踏み込もうとした時だった。

湯飲みが割れたような音が辺りに響く。


「結界が壊れた?」


 〈龍王刀〉が、さっきよりも強く白光を放っている。


(お前が、やったのか……)


 巨大な『竜』から作られた道具は、それ自体がわずかだが、ぼんやりと意思を持っている。

 使い手の意識とは関係なく、なにかしらの作用を周囲に及ぼすことがあった。

 助けてくれたのか……。リュウモは白い光を見つめたが、返事は返ってくるはずもない。


「退くぞ」


 ガジンと戦っていた黒装束の男は、苦々しさを隠せない声で、味方に指示を出した。

 瞬きを一回する間に、リュウモの捕縛のために動いていた者たちが遠ざかって行く。さっきまでの戦いの熱が、嘘であったかのように引いた。

 凄まじい事態の推移の早さに、リュウモが呆気に取られていると、指示を出した男が、ガジンへ忌々しさをあらわにした。初めて感じた、相手の激情に、ごくりとのどが鳴った。


「自らが、なにをしているか、理解しておいでか」


 『竜』を射殺してしまいそうな視線を受けても、ガジンはこゆるぎもしなかった。


「私は、私がすべきことを為す。この子が、己の為すべきことを為そうとするようにだ」


 両者の間で鋼よりも硬い意志が、数秒間ぶつかり合っていた。先に視線を外したのは、襲撃者の男だった。仲間の完全撤退を確認すると、なにも言わずに背を向けた。


「待て! 貴様、一体どこの手の者だ! 答えろ!」

「皇国に仇名した者に、答える義理はない」


 言い捨てると、男は黒い風となって、野を駆け抜けて行った。姿形が見えなくなるまで待つと、リュウモはガジンの元へ走った。


「大丈夫ですか?」

「ああ。君こそ、怪我はないか?」

「ありません。大丈夫です」


 腕を掴まれたさいの箇所がすこし痛むだけだ。それよりも、掌に残る肉と骨が潰えようとしていた生々しい感触が消えてくれなかった。リュウモは、そちらの方が、怪我をするよりも、ずっと恐ろしかった。

 気を紛らわすように、襲撃者たちが去って行った、皇都の方角を見た。


「誰だったんでしょう……」

「いくつか、推測は立てられる。が、今は考えている暇はない。すぐにここを離れよう。すまんが、夜通し歩くことになる。いけるか?」

「それぐらいなら、任せてください。走っても、大丈夫です」


 故郷では、一晩中、『竜』の観察のために起きていたこともある。危険のすくない、外での強行軍も、〈竜域〉と比べれば楽なものだった。


「わかった。では、日が暮れるまでは走るとしよう。ついて来てくれ」


 常人と比較して、とんでもない身体能力を持つ〈竜守ノ民〉の力を知っているからか、ガジンは走ることに決めたようだった。

 なにか落とした物が無いか、ふたりはお互いに確認し合い、走り出した。

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