第21話 皇都脱出
ここはどこなんだろう。
本当に、人が住んでいる世界なんだろうか。
宮廷から脱獄し、皇都の通りを歩いていて、リュウモはそう思った。
人が川のように流れ続け、そこかしこから客引きのために声が聞こえてくる。
嗅いだことのない食べ物の匂いや、よくわからない芸をして客を引き寄せている人もいる。近くに置かれた皿には、金色の板、のような物が入れられていた。
コハン氏族の村は、まだ理解の範疇だったが、もうここまで来るとリュウモにとっては埒外、常識外の光景だった。
人は理解できないものに恐怖を抱くが、リュウモもそれは同じだ。絶対にはぐれないよう、ガジンの服の裾をこれでもかと強く握り締めている。強く握り過ぎて、服が若干だが悲鳴をあげているが、些細なことである。
「大丈夫か?」
「は、はい! た、多分、きっと、大丈夫です」
全然、まったくもって大丈夫ではないのだが、リュウモは強がって見せた。
それから、リュウモはどこをどう曲がったのか全然覚えられなかった。
ガジンが道の角で止まる。顔をすこし出して、追われていないことを確認していた。
「追手はいないようだ。リュウモ、向かい側の店が見えるか」
「あの、立派な店、ですか?」
正直、どこの店も変わらないように見えたが、指さした一軒は違った。
使われている素材の質や、店構えと言えばいいのか、品が良い。
リュウモにはそうとしか感じられなかった。商売店が持つ品格というものは、ああいうものなのではないだろうかと思った。
「北の〈竜域〉は、ここからかなりの距離がある。普通に行けば一月はかかる。そのためにはまず諸々準備をしなければならん」
「じゃあ、食料とか、あの店で貰うんですか」
「貰う、のはさすがにな……。客として行く以上はちゃんと金を払うさ」
「は、はぁ……」
ともかく、よくわからないがそういうことらしい。
ガジンが角から出て、店に足を向けようとした時だった。
戸が倒れるのではないかと思うほど、凄まじい怒号が店内から聞こえてきたのである。
「お、女の人、の声、ですよね?」
とんでもない声量に、リュウモは自信がもてなかった。怒鳴り声はまだ続いている。
「はあ……まずい時に来てしまったぞ、これは」
ガジンはリュウモの手を取って、向かい側の店の角へ行き、屈んで身を潜めるよう言った。
びりびりと鼓膜が揺れ続けること、数分。店の戸が開いて、誰かが出て来た。
魂が引っこ抜けたような、顔に力が入っていない男が、ふらふらと雑踏の中へ消えて行く。
怒鳴っていた人物ではなさそうだった。つまり、落雷のごとき声を張り上げた人物が、まだ店内に残っている。
――ほ、本当に行かないと駄目ですか?
――駄目だ。行くしかないのだ。
〈八竜槍〉と〈竜守ノ民〉は、目で互いの意志を伝え合うと、同じように重い足取りで件の店に向かって行った。
リュウモは怖かったので、先に戸を開いて店に入ったガジンを盾にして、背に隠れながら敷居を跨いだ。
中は、カタ、カタ、カタ、と音が規則的に鳴っており、一層恐怖を煽ってきた。
――なにか、よくわからない物が音を立ててる。
光に照らされた店内は、変わらず音を鳴らし続ける。不気味な、人に似たなにかが、誰かに操られているように、動いていた。
「う、うわ……き、気色悪い」
生理的険悪が込み上げてきて、つい口から悪態がこぼれた。
「誰かしら、うちの商品を店内で悪く言うど阿呆は」
凄まじいドスの聞いた声だった。思わず、リュウモはガジンの影に隠れる。
(お、怒った爺ちゃんぐらい怖ぇ……)
まさか『竜』以外でジジより怖い人が存在するとは……。リュウモは改めて世界の広さを感じた。
「へぇ……。なんだい、子供嫌いの君がこの年頃の子を連れて来るなんて初めてじゃないか。今度はどんな厄介事だい?」
「嫌いなのではない。前に何度も言ったぞ、苦手なだけだと」
「前にも言ったけど、意味変わらなくないかい、それ? まあいい、それでなにをお探しで」
丸っきり女性を無視して話を進める男二人に、彼女の眉が怒りをあらわすように上下に動いている。
話し込み始めた男になにを言っても無駄だと理解した女性が、不機嫌さを隠しもしない様子で、リュウモに近づいた。
「店の中まで笠を被ってるのは失礼よ、坊や」
有無を言わさず、笠を剥ぎ取られた。リュウモの〈青眼〉が女性の視界に晒され、場が凍りつく。悲鳴があがらなかっただけ、幸運であった。
女性の肝が据わっているというのもあったかもしれない。
「失礼、〈八竜槍〉様。これはいったいどういうことでありましょう。しっかり説明していただきたいですわ」
口調がさっきより非常に丁寧になったのが、余計にリュウモの恐怖感を煽る。まるで『竜』の尾を踏んだ時のような気分だった。
意外であったのは、彼女が恐慌をきたさず、淡々と事実の確認を行っていることだ。ガジンに礼儀正しく食って掛かっている。
「おれが、怖くないんですか?」
ふんと、鼻を鳴らして、女性はリュウモを見下している。すこし長い茶髪を結っている彼女の瞳は、気の強さをあらわにするかのようなキツイ光が垣間見えた。
腕を組んで目尻があがった様は、さながら怒り狂った『竜』のようである。
「女の怒鳴り声で震えあがる子供のなにを恐れろと? 私を馬鹿にしてるのかしら、坊や」
「いえ、そんなことないです!」
怒らせては駄目な部類の人だと、本能的に悟ったリュウモは即座に降伏して白旗をあげた。怖くて仕方がないので、ガジンに助けを求めるように視線を向ける。
彼は苦笑して、女性の名を呼んだ。
「エミ、そうめくじらを立てるな。怯えているぞ」
「めくじらを立てるな? こんな目の子供をうちの旦那の店に連れて来て、その言いぐさはなに?」
国家の重鎮相手に、まったく遠慮の無い物言いだった。
「相手は子供だ、言い方を選べ」
ガジンは、あまりな言い方をするエミを注意したが、彼女はその程度では止まらなかった。
「店の評判を落とすような行動は慎んで下さいますこと? 相手が帝以外なら、うちは容赦しませんわよ?」
再び、口調が丁寧になる。
「こんな目をしていれば、生きている間にそれなりの体験をしたでしょう。していないというなら、この場で体験させてあげるのがよいのではないでしょうか、〈八竜槍〉様?」
皮肉たっぷりである。ガジンも相手の口の強さには白旗をあげたようだ。目線をこちらに向けている。すまない、という言葉が目に見える。
「まあまあ、客として来てくれたんだから、こっちは商売人として対応しようじゃないか」
「アナタ、でも今回は」
「明らかにまずいことだって? そんなのは理解しているさ。こんな真昼間に〈八竜槍〉が自分の相棒を隠して〈青眼〉の子供を連れ込んで来ているんだ。ヤバイのは百も承知」
ツオルの目に、決して退くことのない意志が灯っている。彼の妻は、深々と溜息を吐いた。それが、了承の合図であったらしい。
「詳しい話しは奥で聞こう。そっちの方が都合がいいだろう?」
ガジンは彼の提案にうなずいた。
「エミ、この子にお茶でも出してあげてくれ」
言うなり、二人は店の奥の方へ消えて行ってしまった。止める間もなく、置いてきぼりをくらったリュウモは、気まずそうにエミを見た。
「お茶は飲めるかしら。貴方たちの好みなんて、わからないけど」
「大丈夫です、飲めます」
エミは、不服そうな態度とは裏腹に、すぐにお茶を持って来てくれた。翡翠色の、綺麗な茶だった。湯飲みを傾けて、丁度いい熱さの茶を飲んだ。
「美味しい……」
甘露、とはこういった茶を言うのだろうか。今まで、こんな茶は飲んだことがなかった。
茶の良い香りが口の中いっぱいに広がる。
「あら、お茶の味の良し悪しはちゃんとわかるのね。どっかの馬鹿舌二人は、昔に味わうことなく、水みたいにがばがば飲んでいたけど」
「……勿体無いですね」
湯水の如く、この品質の茶を飲み干すとは……。きっと、舌がおかしくなってしまった人なのだろう。リュウモは、その馬鹿舌二人を可哀そうに思った。
くしゅん、と奥の方でくしゃみをする音が聞こえた。
「ではな、ツオル。後は、言った通りにしてくれれば、危害は無いはずだ」
「はいはい、毎度あり」
金銭のやり取りを二人が終える頃には、リュウモはそれなりにエミの人柄に慣れていた。
厳しく、恐ろしいが理不尽な人ではない。利益に目敏くとも、人情が無いわけでもない。
実際、リュウモはかいつまんで、どうしてこんなところに来ることになったのか話したが、その際、終始彼女の顔は沈痛なものになっていた。
「はい、坊や」
エミは、リュウモに小さな袋を手渡した。中を見ると、金が入っている。
「話しを聞く限り、経済、金銭に一滴たりとも理解がないけど、持っていて不便になることはまずないわ。餞別よ、持ってきなさい」
「ありがとうございます」
リュウモは深々と頭を下げた。
「おや、珍しい。君が一銭にもならないことをするなんて」
意外な事の成り行きに、ツオルが驚いている。本気でびっくりしていた。
「困難に立ち向かう子供への、ちょっとした贈り物よ」
ガジンが顔をしかめた。リュウモを見咎めているようでもある。
「エミ、詳しいことはツオルから聞いてくれ。ツオル、言った通り、追手が来たら、すべて偽りなく話せ、いいな」
「はいはい。そっちも気をつけて。旅の成功を祈ってるよ」
挨拶もそこそこに、二人は店から出た。日は高く、隠れて動くには向かないが、ガジンは巧みに人通りのすくない通路を選び、人目につかないように歩いた。リュウモは笠を被り、目を誰にも見られないように注意しながら、彼の後ろにぴったりと着いて行く。
店から完全に離れると、ガジンが立ち止まった。周辺に誰もいないことを目と感覚で確認すると、彼はリュウモの前に屈んだ。
「エミにどこまで話した?」
ガジンの口調は尋問に近い、厳しいものだった。いきなり変わった彼の態度に驚きながら、リュウモは、はっきりと答えた。
「おれの一族の業については言ってません。ジョウハさんのこととか、皇都に来た理由とかは話しましたけど、それ以外は北のに行くって言ったくらいです」
すこしだけ、ガジンの厳めしい表情が和らいだ。安堵しているようでもあった。
「いいか、少年。今後、自分の身の上を聞かれても決して素直に話してはならん。たとえ、肝心な部分をぼかしたとしてもだ」
どうして、と聞こうとしたリュウモの肩に、ガジンは手を置いた。彼の硬い手に力が入っている。
「追手がツオルの店に来た時、もし我らが余計なことを口走っていたら、あの二人は殺されるかもしれんのだ」
ガジンの言った言葉がリュウモにじわじわと浸透すると、勢いよく振り返り、駆け出そうとした。
「待て、言っても、我らはもう力になれん」
「で、でも……!」
巻き込んでしまった。なにも関係のない二人の夫婦を。リュウモの心はそれだけでいっぱいだった。
「行ってどうなる。私たちが立ち寄ったのは紛れもない事実。消すことはできん。それとも、君の一族には記憶を消すような業もあるのか」
そんな技術は存在しない。『竜』に関しては蓄積された統計や資料があるが――後者は口伝だが――人間に対しての知識は、さすがに皇都の民には劣る。
「でも、困っているなら、助け合わないと……それが、普通でしょう?」
リュウモの幼い言い分を聞いて、ガジンが腹を立てるかと思ったが、違った。
ふっと……彼の頬が緩んだ。まるで、遠い過去にあった、尊いものを見るかのように。
「そうだな、だが今はそうも言っておれん。ツオルは、納得づくで協力してくれた。エミの方は、まあ、あいつが説得するだろう」
本当に説得できるのか、ガジンの様子から察するに微妙そうだが、ツオルの口に期待するしかなさそうだった。
「だが、できれば巻き込んでしまう人間はすくなくしたい。そのためにも、意味の生い立ちや経歴は話をしてはらんのだ。相手にも余計な苦労をかけることになる。それは嫌だろう」
「わかり、ました……」
助けてくれた人に英枠をかけるのは、リュウモは絶対に避けたかった。
うなずいて、二人は再び皇都の外を目指して歩き始めた。
「あの、そういえばこれからどこに向かうんですか?」
「皇都の西にある大門を抜けて、北の領地へ伸びる大街道へ向かう。その街道を道沿いに歩けば、北の都に辿り着く。そこで準備を整えてから発つ。〈竜域〉、その先は任せて大丈夫か?」
「〈竜域〉についてなら任せて下さい。でも、〈竜峰〉がどこにあるか、わからなくて」
「安心するといい。こういうことに詳しい男をひとり知っている。おあつらえ向きに、北の都にいることだしな」
リュウモは首を傾げたが、ガジンは自信のある笑みを浮かべていた。
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