第20話 離反

「ああ、もうッ! なんなんだよこの牢!」


 どうにか脱出しようと、牢屋のあちこちを叩いては壊せないか試していたリュウモは、床に大の字で寝ころんだ。

 力にはそれなりに自信があったのに、床や窓の格子は殴ってもびくともしない。逆にこっちの拳が痛くなる有様だ。なにか、特殊な木材を使って、呪術で保護しているのかもしれない。


「無理だな」


 しかし、村の大人たちなら突破できただろう。


「目覚めていないおれじゃなあ……」


 クウロはすぐに出してやると言っていたが、その間すら惜しい。いつ、村と同じように〈禍ツ竜〉が人を襲うとも知れないのだ。

 ちんたらしている暇は、一時も無い。


(せめて、刀が……〈龍王刀〉があればなあ……)


 荷物は〈龍赦笛〉以外はすべて没収されている。


「ん……? 誰?」


 物音がした。誰かが近づいて来ている。

 格子の外から、知った顔が出てきた。


「ガジンさん?」


 コハン氏族の村で会った、『竜』の骨の槍を持った男。

 張り詰めた顔で、尋常ではない様子だ。なにかを決意したかのようにも見える。


「後ろに下がれ」


 固い声で、ガジンは言った。誰も彼も従わせるほどの圧を伴った声だ。

 言われた通り、リュウモは格子から離れる。

 瞬間、都合二度。――ヒュっと音が鳴った。

 格子がずり落ち、結界がまったく意味を為さず、牢が破壊された。

 信じられない光景が、現実に像を結ぶ。


(こ、この人、滅茶苦茶だ……)


 一度、ガジンの戦いをリュウモは知っているが、こうしてまざまざと、息を吐くように高度な結界を力技で破る様を見せつけられると、彼の馬鹿げた強さがよくわかる。

 かなり凄いことをしたのだが、ガジンは涼しい顔をしている。彼にとっては行った動作は造作もなく、この程度の結界では疲労させることすらできなかったようだ。

 唖然としているリュウモに、ガジンは単純明快に言った。


「君をここから出し、〈竜峰〉まで供する。付いて来い」


 男の言っている意味がわからず、ぼうっとしていると、旅のためにまとめた荷物が入っている袋を投げ渡された。


「あ、これ……」


 すぐに中身を確認すると、村を出立したときと変わらず、すべて入っている。

 〈龍王刀〉も、袋の中にあった。取り出して腰に差し、リュウモはガジンを見た。


「あの」

「細かい話は後だ。早く」


 リュウモは、うなずいて、ガジンの背について行った。




 

 できる限り、ガジンは人目につかない通路を選んで歩いた。時折、少年――リュウモの様子をうかがいながら、誰かにつけられていないかを念入りに確認する。〈影〉に後を追われていたら、すべて水の泡と消える。彼らの猟犬としての技術は〈八竜槍〉の気配さえ正確に捉えるのだ。

 年若い〈影〉相手ならば、易々と捕捉されはしまいが、彼らを束ねる〈影ノ司〉ならば話は別だった。経験を重ねた老獪な猟犬ほど、手に負えないものはない。


「あの、どこに……向かっているんですか?」


 リュウモは、おずおずとガジンに聞いた。ガジンは、二転、三転してここへ辿りついた、運命と理不尽とに弄ばれる少年に事情を話してやりたかったが、状況が許さない。

 今、このときも、リュウモの命を奪おうとする輩がいないとも限らないのである。


「すまん、まずはここを出てから話す」


 だから、ガジンはこう言う他なかった。わけがわからないまま連れ去られていく不安で、騒がれないかガジンは心配だった。

 だが、予想に反してリュウモは静かなままだった。牢から出したときと同じで「何故?」と不思議がってはいるものの、年齢からすれば極めて冷静だ。共に交わした言葉はすくなく、お互いのことを深く知りようもないが、今のガジンにとっては有り難いことこの上なかった。


「わかりました。ここを出たら話してください」


 小声でリュウモはささやいた。

 ――聡い子だ、この子は……。

 誰かに〈青眼〉を見られないよう、うつむきながら周囲に注意するリュウモを見て、ガジンは感心する。――この子は、今の状況をわかっている。理解できるものはすくなくとも、要点は押さえている。

 つまり、目の前にいる男に従わねば、宮廷から出れず、〈竜峰〉に向かえなくなるということだ。信用、信頼が無に等しい状態で大人しくついて来てくれているのは、そういうことだろう。


(ともかく、早くここを出ねば……)


 ここに居続ければ、リュウモは殺される。帝は、絶対に容赦しないだろう。長年、〈八竜槍〉として仕えてきたからこそ、帝の加減の無さは骨身に染みている。

 賊の徹底的な討滅を、眉ひとつ動かさずに命じた、帝の恐ろしい顔が、ガジンの脳裏をよぎった。

 肝がひやりとする幻覚を感じ、ガジンは振り払う様ように自らに喝を入れた。腹に力をこめて、目的の場所に向かい続ける。

 宮廷は、大小様々な部屋がいくつも作られている。その中に、ぽつん、ぽつん、と離れ小島のように孤立した部屋が片手で数えられるほどあった。用途不明のそれらは、特に誰かが使うわけでもなく、放置され整備もされていない。

 宮廷を建てたさい、余ってしまった空間を埋めるために仕方なく作ったのだろう。

 宮廷は何度か改築をしている。そのときにできたのではないか?

 数百年も前に設計されたのだ。こういった穴もあるだろう。

 このように宮廷の者たちは考えている。

 ――事実は、違うことをガジンは知っていた。いや、〈八竜槍〉となったとき、先達より真実を教えられたのだ。

 宮廷内の者たちがいうところ、無駄な部屋の前に着く。ガジンは戸を開けて先にリュウモを中に入れると、誰もつけて来ていないことを確認して、戸を閉じた。肩の力が抜けて、ガジンはようやく、ほっと一息つけた。


「……? あの、ここは?」


 なんの変わり映えのしない場所に案内され、リュウモは小首を傾げていた。


「この宮廷には帝がおられる。国の魂たる帝に万が一があったさいに、脱出するための方法がいくつかある」

「それが、ここ? 部屋が空を飛んだりするんですか?」


 子供らしい想像力溢れる突飛な空想が、ガジンには微笑ましかった。

 ――いや、もしかしたら、この子の故郷では、本当に部屋が飛ぶのかもしれん。

 なにせ、眼前にいるのは、あの伝説に出てくる民である。『竜』を見事に操ったこともあるのだから、木造の部屋ひとつ空飛ぶことぐらい、どうという現象ではないのかもしれなかった。


「君の故郷では、部屋が空を飛んだりするのかね?」

「なにを、言ってるんですか?」

「い、いや、なんでもない。忘れてくれ」


 ガジンは、小さく、こほん、とわざとらしく咳払いをして話の流れを切った。


「ま、まあ、残念ながら空は飛ばない。第一、それでは目立ちすぎて、帝が逃げる方向を見つけられてしまう」

「飛んでいる方を囮にして、本命を逃がしたりはしないんですか?」


 む……と、意外な鋭い意見に、ガジンは一考することにした。すこし思考を巡らせてから、結論を出した。


「確かに、そういうこともできるだろう。ただ、部屋が飛ばない限りは無理な話だ」

「そう、ですか。――『竜』には、子供を守るために、雄が囮になることがあったので、ちょっとできるんじゃないかって思ったんですけど……」

「そ、そう、か……」


 突然、『竜』について話をされて、ガジンは不意打ちを喰らったような気持ちがした。


(やはり、この子は我々とは違う世界を生きてきたのだ……)


 聞きたいことは山のようにあったが、あまりのんびりとはしていられない。一時の休息を追えて、ガジンは四角形の部屋の奥にある押入れの戸を開けた。

 本来なら、布団や物が入っているはずであるが、空っぽだ。


「……? なんにもない……」

「ちょっとした仕掛けがある」


 押入れの奥の壁の隅に、四角くわずかな切れ込みが入っている部分がある。そこにガジンは、指を押し込んだ。

 ズッ……。――指が壁を押した。第一関節ぐらいの深さまで指が入り込むと、カチッと音がした。

 押入れの床半分が、ほとんど音を立てずに横へ移動する。床の下からあらわれたのは、地下への階段だった。


「わ、わわ、すげえ!!!」


 いきなり、リュウモが大人しかった態度を打って変わって大声を出した。反射的にガジンは彼の方へ振り返る。


「あ……ご、ごめんなさい――」


 リュウモの顔にあったのは、見知らぬ物を見たとき、子供特有の好奇に満ち満ちた光だった。ガジンが彼を見咎めると、亀の頭が引っ込むような早さで首が縮こまった。

 いけないことをして、親に叱られた子供だ。そんな少年に、ガジンは急に親近感が湧いてくるのを感じた。

 ――この子の様な頃が、私にもあった。

 泰然としていて、まるで波紋ひとつ無い湖面そのものといった風な少年が見せた、年相応な一面は、ガジンに安堵をも、もたらした。人は、互いに共通するものがあると、途端に距離感が縮まることがある。

 少年のいかにも年頃らしい反応が連鎖して、ガジンの胸にあった、『竜』を操る者への恐れを薄れさせた。


「あまり、大きな声を出してはいかんぞ」

「は、はい……すいませんでした……」


 しゅん……とするリュウモに先へ降りるように言って、彼が階段を歩いて行くのを見届け、ガジンは最後に入念に気配を探った。

 自らの感覚範囲内に誰もいないことを確認すると、ガジンはリュウモの後を追った。

 下への通路は戸を閉めれば、光が消える。真っ暗になるが、ガジンにとっては、さして問題にはならない。空気の流れ、物体が発する『气』を感じ取ることによって、目視はほとんど無理でも、視覚とはまったく別の物の見方ができる。

 今、ガジンには周囲にある光景が、小さな粒子がいくつも重なり、物体の形を成しているように視えている。これは、霊的な第六感ではなく、『气』によって人が持つ機能を鍛えあげることにより得る、超常的感覚のひとつである。


(さて……あの子は大丈夫か)


 あれくらいの年では、閉鎖空間の暗闇は精神的にこたえるだろう。ガジンは立ち止まって、リュウモを探した。

 達人であるガジンにとって何間離れていようと、すぐに見つけられる。その力量に違わず、すこしも間をおかずにリュウモを見つけ出した。

 ――階段を降りている?

 灯りも無しに、リュウモは階段を降りた先で足を止めていた。驚くことに、しっかりとガジンの方向を見つめていた。


「すまない。本来なら灯りを持ってくるのだが、あまり足跡を残したくないのだ」


 壁には燭台と木が、一定の間隔で備え付けられている。もし、火を点けた跡があれば即座にばれる。ガジンは、子供をこのような場所に案内したくはなかったが、火急のため我慢してもらう他はなかった。しかし、リュウモは特に気分を害した様子もなく、臆してもいない。


「大丈夫です、暗くても見えます」


 まるで、見えるのが当たり前のような口ぶりだった。


「いや、さすがにここまで暗いと、夜目が利く、利かない範疇を越えていようさ。私は『气法』を使って、目ではなく別感覚で視えているが」

「そう、なんですか……。おれは、全然、見えますけど――」


 細い通路の壁の強度を確かめるかのように。リュウモはぺたぺたと触れている。

 ――嘘は言っていない。間違いなく、この子は見えている。

 幼く、青い両眼にはなにが映っているのだろうか。――ガジンの内に、すこしの好奇心が顔をあげたが、今はそれを許さない。聞いてはみたかったが、自重した。


「ついて来てくれ。はぐれるな――と、言っても、見えているなら大丈夫か」

「はい、ぴったりついて行きます」


 ガジンが進む秘密通路は、敵が侵入して来た場合の備えがある。簡単に後を追われないよう、いくつもの行き止まりが存在する。正解への道はひとつしかない。

 その道筋を、ガジンは先達の〈八竜槍〉より叩き込まれている。


(ひとつ目の枝道を左、次を右、その次をまた右…………)


 心の中で呟きながら、暗闇を進んでいく。歩みに迷いは無い。


「こっちで、あってるんですか?」


 それなりの時間、一向に変わらない景色を歩き続けて来た不安からか、リュウモは覚束ない行先に心細さを感じているようだった。


「安心するといい。行先はこちらで合っている。そら、わずかだが、空気の流れ、風を感じるだろう」

「――――え?」


 リュウモは、きょろきょろと辺りに視線を飛ばした。それでも空気の流れを感じ取れないと、人差し指の腹を舐めて掲げた。


「わから、ないです」

(いかん、私の部隊の者と、同じに考えてはまずいな)


 練度、実力、共に文字通り桁が違う〈八竜槍〉直属部隊が見ている世界と、一般人が目に映る世界は違う。

『气法』を使うことによって、感覚器官すべてが超常化する〈八竜槍〉直属の槍士と、訓練を受けていない子供と比べるというのは酷だ。

 普段から部下たちと他の槍士とを比較していたガジンではあったが、さすがに少年に対して無意識の内に自らの世界観を押し付けてしまったことを恥じた。


「いや、わからずとも無理はない。専門の訓練を受けた者でも、この流れを読み取るのは難しい」


 暗く、細く、狭い石造りの通路にある風の流れは本当に小さい。並みの使い手ならば感知することは不可能である。

 ――はた、とガジンはいまさらながらに思い至る。


(この子から、強い『气』の流れを感じ取れん。まさか『气法』を使っていない……?)


 であるならば、リュウモは素の身体能力で、この闇を目視していることになる。

 ――やはり、この子は普通の人間とは違う。

 しかし、共通する部分があるのもまた事実である。いかに〈竜守ノ民〉といえ、腹は減る、喉は渇く。食事を摂らなければ死ぬのは、同じ人間なのだと強く共感させられる。

 ――いかんな。余計なことに思考を割きすぎだ。

 今の最優先事項は、少年を生きて皇都から連れ出し、北にある〈竜峰〉へ案内することだ。

 ガジンは自らに言い聞かせ、疑問はすべて頭の中から追放した。感覚をより研ぎ澄ませる。何十間も先の様子を感知しながら、そうそう無いとは考えつつも、襲撃に備える。

 クモが巣を張ったような地下の迷宮は、ひとたび迷えば一生出れない、死の行路だが、脱出経路を知っている者にとってはこの上なく強固な要塞と化す。真っ暗闇の中、光への道筋を知っている、いないのとでは、精神への負荷が大きく違う。

 か細いクモの糸と、頑丈に作られた縄のどちらに安心感があるかと問われれば、答えるまでもないだろう。

 〈影〉でさえ、この迷路には足を踏み入れない。来るとすれば、出口への道を知っている者――ガジンと同じ〈八竜槍〉だけである。


(ロウハが待ち構えていたら、かなりまずいが……)


 〈八竜槍〉同士の戦闘は、互いが本気になれば、それだけで周囲に甚大な被害をもたらす。こんなところで戦いにでもなったら、生き埋めは必至である。勿論、その程度で死ぬほど、ガジンは――〈八竜槍〉はやわではない。問題なのはリュウモである。

 ガジンに見立てでは、それなりに訓練を受けているようではあるが、圧倒的に経験が足らない。戦いになったとき、高度な状況判断を求めるのは無理だ。

 来るなよ、と天へと祈った。

 その祈りが通じたのか、通路を歩いている間は、誰にも待ち伏せされることはなく、無事に出口への階段に辿り着いた。


「あ、よ、ようやく終わり……」

「よく頑張ってくれた」


 リュウモは、辛気臭い暗闇から抜け出せることに、気分的に楽になったらしい。大助かりだと言わんばかりに、肩から力を抜いていた。

 ただ黙々と、無駄口をせずに背中に着いて来てくれた彼に、ガジンは内で感謝した。


「ただ、一息つくには、早いかもしれんな」

「どうしてですか?」

「出口で待ち構えられているとも限らんでな」

「ああ……おれは、どうすれば?」

「私が先に出る。よい、と言うまでは出てはならんぞ」

「わかりました」


 簡単なやりとりをして、ガジンは階段を昇る。後ろからリュウモがぴったりとついてくる。

 階段を昇り終え、出口を塞いでいる板に手を掛けた。「ここでまて」――ガジンが言うと、リュウモは神妙にうなずいた。

「っぬ……!」


 腕に力を込めて、板を上に押しあげる。長らく使われていないせいで、溜まっていた埃がぱらぱらと落ちてガジンの頬にくっついた。拭わず、ガジンは板を押し続ける。ギ、ギ、……といかにも古めかしい音を立てながら板は持ちあがる。

 開いた隙間から、随分久しぶりに感じる光が、ガジンの眼を眩ませた。――同時に、なにかが動く気配を察知した。

 片手でリュウモを制止して、手振りですこし出口から離れるように合図した。なにも言わず、リュウモはいくつか階段を降りる。彼の動きに、満足気にうなずき、ガジンは板を完全に開いた。

 外はしなびた神社の一室であった。誰もおらず、放置されて長いここは、ほとんど人が来ない。人が来るとしても、変わり者か、浮浪者、悪ガキたちぐらいのものである。ガジンはボロボロになっている母屋の縁側から外に出ると、気配がする神社の正面に向かった。

 草はぼうぼうと好き勝手に生え、枯れ木が人のいなくなった建築物に寂しそうに寄り添っている。ひっそりと朽ちていく貧寒とした場所に、ひとつの気配があった。その主は、賽銭箱に寄りかかっていた。


「お、ようやく来やしたかい、大将」


 ひび割れと、沁みが酷い賽銭箱の影から、ひょいと、人影が立ち上がった。ガジンがよく知っている顔だった。


「クウロか――相変わらず、本気で隠れたお前を、未だに探し出せんな」

「かくれんぼは得意なんで。昔っからねェ」


 クウロに敵意は無い。ガジンは彼が姿をあらわした時点で、この副官が追手ではないことを確信する。もし、クウロが追手であるならば、得意の気配消しで不意打ちを狙って来るはずだからだ。


「こんなところでどうした? まさか、散歩でもあるまい」

「うちの上司がとんでもねェことするもんで、その手伝いに来たんですよ」


 クウロは、手に持っていた袋をガジンへ投げた。


「〈竜槍〉を隠すのに必要でしょう? そのまま持って行ったら、すぐに騒ぎになっちまいやす」

「すまん……いや――ありがとう」

「お気になさらねェでください。俺は、帝より大将に惚れ込んでやすので」


 クウロに深く頭を下げると、ガジンはリュウモを呼びに母屋に戻り、彼を連れて戻った。


「クウロさん……」

「お、嬉しいねェ。覚えてくれていたかい」

「牢屋では、ありがとうございました」

「気にすんなって。俺は当然のことをしたまでよ」


 牢屋に捕らえられていたときに交流のあった二人は、それなりに仲を深めていたようだった。リュウモはクウロが助けてくれたことを知ると、姿勢を直して、礼儀正しく腰を折った。


「でも、大丈夫なんですか? おれに協力しちゃって……」


 少年の顔には、巻き込んだ相手が殺されてしまうのではないかという恐怖と申し訳なさがあった。彼を気遣って、ガジンは断言する。


「別に問題はない。〈八竜槍〉ガジンに無理矢理命令されたとでも言っておけばよい」

「ま、そういうことだ。こっちの心配はしなさんなってェ。お前さんこそ、気をつけてな」


 リュウモは、クウロが自らのように極刑に処されずに安心している。

 ――強い子だ。それに、心優しい。しかも気骨がある。

 自分を迫害する者たちを助けようとするばかりか、素直に礼まで言えるのは、中々できることではない。宮廷に住まう人々を見ると、より感心は強くなる。

 この精神的強靭さと、心根が合わさったからこそ、今までの辛い道のりを越えて来れたのかもしない。


「さァ、行ってください。隊のやつらは、こっちのお任せを」

「なにからなにまで、後始末を任せてすまん。――別の部隊に異動するときは、イスズの元についてやれ。あの子には、経験豊富な者が必要だ」

「了解しやした。そいつが遺言にならねェことを、力及ばずながら、祈っております。――ガジン様」


 クウロらしくもない、畏まった言い方だった。死地に赴く者を送り出すような、真摯さがあった。ガジンはもう一度、頭を下げる。


「さあ、リュウモ、行こう。あまりちんたらとしてもいられん」


 言って、リュウモの頭に菅笠を被せて、手を取った。


「ではな、クウロ。後を頼む」

「了解しやした」



 走り去って行く二人を見送って、クウロはようやく体の力を抜いた。


「相変わらず、厄介ごとに巻き込まれやすいというか、人が良いというか……」


 〈八竜槍〉の絶対的立場を捨ててまで、少年を助けようとする上司に、なんと言葉を送ったらいいかわからず、曖昧なものになった。


「ま、なんとかすんだろう」


 クウロは、ずっとガジンの下で副官として腕を振るってきた。潜って来た修羅場も、二度や三度ではない。そのたび、見事に事件を解決してきた、あの豪傑ならば今回も上手いことやるだろう。さすがに、国の命運どころか、人すべての命をかけた戦いは初めてだが、どうにかなる気がしていた。


(ま、ラカンのことも含めて、リュウモを助けたんだろうが――)


 それでも、気持ちの割合は、リュウモを助けようとする感情の方が大きかったろう。そんな、ごく当たり前のことを、得た権力を捨ててまで助けるガジンを、クウロはなによりも尊敬していた。


(混乱は起きるだろうが、まあ身から出た錆びだわな。ガキを問答無用で処刑する国が、正しいはずがねェ)


 クウロは、国と帝に皮肉を自らの内で言い放ち、混迷極まっているだろう宮廷に足を向けた。朽ちた神社からすこし歩いて止まり、ガジンたちが去って行った方を見る。


(ラカンのやつが生きてれば、大将と一緒に行ったかねェ)


 きっと、同行しただろう。お人好しで、馬鹿みたいに甘く、阿呆のように優しかった、あの大馬鹿ならば。

 友の後ろ姿がぼんやりと、春の日差しの中に見えた気がして、しんみりとした悲しみが心に広がった。

 クウロは、熱くなった目頭を押さえて、熱が冷めるまで佇んだ。

 そして、宮廷に向かって再び歩きはじめた。今度は、一度も振り返らなかった。

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