第19話 奔走
〈八竜槍〉にあてがわれた部屋に戻ると、ガジンは不満をあらわにするように、どすんと床に座った。帝の決定に異を唱えているのか、〈竜槍〉のざわつきが激しくなっている。
どうにかしなければならない。だが、今はクウロの聴取の報告を待つ他なかった。
喉が渇き、茶でも飲みながら時間を潰そうかとも考えたが、そのためにいちいち人を呼んで煎れさせるのも忍びない。
こっそり自前でやってしまおうものなら、女官たちが煎れた茶と比べるのも失礼な、苦いだけの茶ができあがる。
「舌が肥えるのも考えものだな」
山間にあった氏族の村にいた頃は、それなりの味で量があって腹が膨れればよかった。
皇都に出て来て、いわゆる馬鹿舌は多少なりを潜めたが、そうなると今のような、味を求めて喉の渇きを無視する本末転倒なことになっているのであった。
どうせ食うなら美味い方がいい。意識がそう変わっているだけ、精神が贅沢になっている証である。
とはいえ、喉が渇いていることに変わりはない。重い動作で立ち上がり、部屋を出ようとしたが、足を止めた。
「大将、ちょうどよかった。今、いいですかい」
クウロが部屋の前の廊下を歩いて来たのだ。
ガジンはうなずいて、中に入るよう目配せをする。
副官であるクウロが部屋に入ると、誰かにつけられていないか、一度辺りを確認して戸を閉めた。
「どうだった?」
「まったく、とんでもないことがわかりましたぜ」
クウロの報告を聞き、途中からガジンの顔色はどんどん悪くなり始めた。
帝が排除しようとしている少年は、解決のための鍵その物だ。鍵穴は〈竜峰〉であり、そのどちらかが欠ければ、永遠に『竜』は暴れ続ける。
そうなれば、今までの犠牲も時間も、あらゆるものが無駄になる。
――あいつの、死も、無駄になる……!
そんなことを、させるわけにはいかなかった。
「クウロ。これから言うことは、すべて誰にも話すな。墓の下まで持って行け。いいな?」
「了解しやした」
ガジンは、さっきまでの帝とのやり取りを話した。
知り得ているだけで、身に危険が迫るような情報であるが、ガジンは包み隠さなかった。
「むゥ……なんか、色々と神話が捻じ曲がってるようですぜ。〈深き山ノ民〉の爺さんが言っていたことと、坊主の言うのとで合致している箇所があります」
あの氏族長は言った。〈竜守ノ民〉は業を広げてなどいない。『竜』に多少なりとも詳しかっただけなのだと。
帝が『竜』を鎮めたのではないが、その場に居合わせたのは事実であると。
「だが、そうは言っても建国神話全部が間違いではない。恣意的に歪められたのは違いないが、所々合ってはいる」
「しっかし、その一番大切な部分に誤りがあるんですぜ? これじゃあ、まるで手柄の横取りだ」
身も蓋もない言い方だったが、その通りである。
「そう、だな……。そも、一体全体、なにがどうなって〈竜守ノ民〉が〈禍ノ民〉と貶められ、初代帝は彼らを咎人と決めつけたのだ? 〈竜峰〉に同行し、彼らと供に『竜』が静まるのを見届けたのならば」
「どっちかと言えば、『竜』を鎮めた功労者――英雄ですなァ。間違っても悪に部類されるような民じゃないってわけだ。んじゃあ、初代帝は、どうしてあいつらを悪としたのかって話しになりますが」
「…………元々、〈竜守ノ民〉は少数の氏族だったという。『竜ノ怒り』で荒れ果てた国をまとめるために、都合の悪い事柄を押し付けられる格好の的がいたとしたら?」
〈竜守ノ民〉がどれだけの人数が生き残ったのか、ガジンには測ることはできないが、相当数が死傷したはずである。それこそ、滅亡一歩手前程度には。
「あらゆる罪業を〈竜守ノ民〉に押し付けた、と。あり得ないって断言できないのが怖いですねェ。やれやれ、こんな会話、聞かれただけで叩き斬られますぜ」
空恐ろしい話しだが、真実のようにも思えてくる。
「だが、ならば帝が少年を殺そうとするのもうなずける。こんな盗人猛々しい、醜聞に近い神話の真相を知る人間を、生かしておけるはずがない。しかし、そうなるとだ」
「〈深き山ノ民〉の一部が、知っていたのが気になりますねェ。……大将、まさかあの地域が氏族の自治に近い扱いを受けてんのは」
「戦いでは制することができず、自治という餌で懐柔した……?」
『外様』に部類された氏族なら、自治という飴には是が非でも飛びつきたいものである。
はっと、あの山近くを任されている領主の出身を、ガジンは思い出した。
「あの〈遠のき山地〉近くの領主、確か、元は宮仕えで帝のお側付きではなかったか? 私が皇都に連行され、初めて帝にご対面した時、傍にいたはずだ」
「ええ、本当ですかい? こりゃ、ますます怪しくなってきましたなァ。監視の目的として自らの傍に仕える者を山地に寄越したのだとしたら……」
信憑性が出てきてしまった。ガジンは腕を組んで、今までの帝からの指示や言動を思い返す。
「まだおかしなところはある。帝の御指示だ」
「帝の、ですかい? 確かに結構無茶な任務でありやしたが……〈竜守ノ民〉が生きているか知る絶好の機会だったんじゃないですかねェ」
「ではなぜ私に――〈八竜槍〉を動かした?」
〈八竜槍〉とは皇国の軍事的象徴であり、また憧憬である。すべての槍士が目指すべき頂点の位。そんな称号を持った人間を動かせば、嫌でも人々の目につく。
「秘密裏に〈竜守ノ民〉を消したいなら、まァ普通〈影〉を使いますわな。でもですよ、大将? 十一のガキであんだけの身体能力ですぜ。訓練した一人前の兵士がいたとして、〈影〉だけで手に負えますかね」
「――それは、場合によっては私に〈竜守ノ民〉を、無辜の民を殺せと、指令が出ていたかもしれない。そう言いたいのか」
ぞっとする話しだった。
彼ら〈竜守ノ民〉は神話であるならば当然、罪人である。
現在、過去にさかのぼってまで罪を洗い出し、断罪することはしてはならないことだ。それは私刑となんら変わらない。
役人や宮廷内の人間なら栄達に多少なりとも影響が出るだろうが、相手はただの小さな氏族だ。宮中や政治に携わる人々ではない。
戦いにすらならない、大義もなにもない虐殺を行え。そう言われたかもしれない。しかも、帝直々の勅命として。
クウロは、重々しく、肯定の意味を込めてうなずいた。
「正直、自分はあの坊主が、今回の一件をどうにかできる唯一の者だと思っていやす」
クウロは慎重に言葉を選んでいるようだ。彼が言っていることは、控えめに言っても。帝の裁定に異を唱えるものであり、不敬と断ぜられても仕方がない。それでも、言わずにはいれないのだろう。
「〈竜峰〉とやらについても、『竜』の知識についても、坊主は自分らに無い知識を幾つももっておりやす。今、切迫したこの状況で、貴重な情報源を、しかも子供を殺すなんざ、納得できやせん」
クウロとしては、一番最後が本心であろう。休日には、近所の悪ガキ達の相手をしているものだから、あれくらいの年齢の子供は、どうしても彼らと重ねて見てしまうのだ。
ガジンは勝手に想像したが、外れてはいないだろうな、と思いながら、部下の忠言に耳を傾け続ける。
「それに、坊主は自分らを助けてくれやした。聞けば、あの笛は、人を助けるためにでも使ってはならないと、厳しく言い含められていた様子。だけど、助けてくれた。借りを返さずに処刑台に上られちゃ、こっちの面子が丸つぶれですぜ」
「――これから、〈星視ノ司〉に会いに行くところだ」
予定を言うと、クウロは表情を輝かせた。
「そいつァいい! あの御方なら、帝の決定にも口を挟めるってなもんでさァ!」
ガジンが、リュウモをこのまま見捨てる気が無いとわかって、大喜びだった。
――だが、クウロの言う通り、あの子が今回の件を解決する鍵を握っているのならば、どうして彼女達は、何も言って来ない?
それだけが、ガジンの懸念材料だった。
タルカ皇国の皇都は、東に青竜川と名付けられた巨大な川が流れている。この川沿いには国でも有数の港が開かれ、多くの物資が皇都へと運び込まれる。
西には最も整備され安全な大街道が各領地へと伸び、川から運ばれた荷は皇都を通って、多くの領地へ流れて行く。
北には星視山があり、そこには皇都の宮と比較できるほどの建物がそびえている。
名を〈星視ノ宮〉。
ガジンは、今まさに、その宮へ向かっていた。
宮で馬を借り受け、野を駆ける。さすが、宮廷の者たちが世話した選りすぐりだ。普通の馬ではこうまで颯爽とはいかない。
(急がなければならん……)
帝は、月日の関係上、少年の処刑を一日先延ばしするしかない。
なにせ、明日は大凶日だ。かの民を処断するにしても、避けるべき日。むしろ、かの民だからこそ、絶対に避けなければならない。
幸いにも、帝がどれだけ性急に事を進めても、一日の猶予が、絶対に残されている。
逆に言えば、一日しかない。その内に帝を説得するための人物を味方につけられなければ、すべてが終わってしまう。
ガジンの胸中の焦りを感じたのか、馬は従順に疾走している。
皇都を出て、二刻。山の麓の詰所に辿り着く。
本来ならば厳しい検査をされるのだが、〈八竜槍〉はそういった煩雑なことは必要とされない。用件を言えば、特に検査もなく通過できる。
詰所の槍士が、ガジンの『気』を感じ取って、血相を変えて凄まじい勢いで走って来た。
「すまんな。急ぎ、〈星視ノ司〉に会いたい。御仁は、今どこに居られるか」
「っは、本日は夕刻まで〈星視ノ宮〉で〈鎮守ノ司〉様とご歓談中であらせられます」
「〈鎮守ノ司〉と……? いや、わかった。通してもらえるか」
「承知いたしました。連絡を入れますので、宮に着いた際には、案内の者にご同行ください」
槍士が目線で合図を送ると、山に向かうための門が開かれた。
頭上を小さな影が通過し、宮へと飛んで行く。連絡用の鳥であろう。追うように、ガジンは駆け出した。
幾つも建てられた朱色の鳥居を潜り、石畳の階段を走る。途中、星視の女性の一団とすれ違ったが、挨拶を交わしている余裕はなかった。
宮に近づくにつれ、山の精気がどんどん強くなる。空気が澄み始め、厳粛さ、静けさを保とうとしているかのようだ。
残念ながら、ガジンは山の空気に従う気はなかった。悪いと思いながらも、階段を駆け続ける。
階段を登り切ると、高い塀に囲まれた〈星視ノ宮〉が顔を出した。
入り口の門は固く閉ざされ、二人の屈強な槍士がおのれの獲物で道を閉ざしている。
「〈八竜槍〉ガジン様ですね。お話は伺っております」
「案内の者が参ります。少々お待ち下さい」
事務的であり、丁寧な対応であったが、逆にガジンの心を苛立たせた。対応に使われる時間すら惜しい。悶々としながら、門が開くのを待つ。
ようやっと門が開かれ、中からは巫女姿の女性がひとりであらわれた。
「〈八竜槍〉ガジン様。ようこそおいでくださいました。〈鎮守ノ司〉〈星視ノ司〉ご両名が、丁度、お呼びになっております。――こちらへ」
この宮に来てから叩き込まれた作法で、巫女はガジンを歓待した。
「案内を頼む」
急かすような口調で言うと、意図を組んだ巫女は本来とは違う早い歩調で進む。
ガジンが会いたい人物の居場所は見当がついているが、ここは皇国において重要施設のひとつであるため、おいそれと勝手な振る舞いをするわけにもいかないのである。
「最近、星はよく見えているか?」
巫女の肩と『気』が揺れ動いたのを、ガジンは見逃さなかった。畳みかけるように言葉を繋げる。
「国の非常事態に、なぜ〈星視〉共はさっさと視た未来を知らせないのかと、宮中の阿呆が騒いでいてな。もしや、なにか問題があったのかと思ったのだ。もし、任に支障をきたしているなら、私から帝へ内密にお伝えしようと思うが……どうか?」
動揺が空気を震わせているかのように、ガジンは感じた。前を向いて歩いている巫女の、青ざめた顔がありありと脳裏に浮かんでくる。
「いえ……その、司のお二方は未だに鋭く未来を見据えておられます」
「貴方は、どうなのだ。女性に対して失礼を承知だが、その歳なら、先が視えないことはあるまい」
「いえ、いえ、いえ――私程度、いつ先が視えなくなるかわからぬ、未だ修行中の身なれば」
つまり、ほとんど、もしくはまったく見えていない。
そういうことをほぼ自白しているに等しいのだが、ガジンは追及を止めた。
彼女にこれ以上あれこれと詮索するような真似をしても事件が好転するわけでもない。
〈星視〉は、ただ頭上の星々を視て、未来を知るのみ。報告をまとめ、宮廷に提出するのは司や頭の〈星視〉だけだ。
(怪しい。帝に奏上した内容も、星が視えていないのであれば、信憑性に欠ける。……だが、私が知る司のお二方は、虚偽を織り交ぜた報告をするような方々ではない。なにが、起きている。宮廷だけでなく、〈星視ノ宮〉にまで事件の影響が出ているのか――?)
幾度も訪れていた宮が、突然旗色を変えて敵地に変貌したような気味の悪さに襲われた。
少年の証言も確たる証拠はないにしても、聞いてすらいないのに国是を決定しようとしている。それが、どれだけ危険かは、帝や司たちが理解していないはずはないのである。
こういった際〈八竜槍〉でよかったと、ガジンはつくづく思う。
〈八竜槍〉は皇国におけるすべての場所で武装することが許されているからだ。皇族の住居でさえも例外ではない。
――まさかとは思うが、警戒しておくにこしたことはない、か。
司ほどの力を持つ者となれば、相手の記憶を呪術で消す程度ならば、平気で行える。
と、思考が物騒な方向に流れかけていた時であった。
白い蝶々が、ヒラヒラと朱色の柵を超えて進行方向に飛んで来た。
しかし、蝶と言うには身体がおかしい。まったく丸みが無いのである。まるで、紙で織られた蝶のようだった。
(司の『迎え』が来たか)
ガジンは、紙の蝶に向かって軽く頭を下げた。
「半年ぶりになります。〈星視ノ司〉様」
『あらあら、相変わらず鋭いですわねえ、ガジン。大体、これに話しかける時は姉か私か迷う人が大半なのだけれど』
まるっきり子供、それも自分の孫を世話するかのような、穏やかな老婆の声が蝶から発せられる。呪符によって形どられた仮初の蝶は、術者の意志を声として伝えてきた。
「生れつきにございますので」
「そうねえ……なら、別方面にも鋭くあって欲しかったけれど、欲張りすぎかしらね」
〈八竜槍〉相手にこんな態度が取れる人などそういない。
今年でちょうど百歳になる老人のはずだが、ゆったりとした声には、強い張りと意思が感じられる。伊達に国是へ影響する重役に、長い間就いているわけではないのだ。
「ご苦労様。下がってよいですよ。それと、ガジンが言ったことは、気にしないように。この人は本当に私たちを心配してくれていただけだから」
「は、は……失礼いたします〈星視ノ司〉」
戸惑いながら、案内役の巫女は足早に去って行った。
『あまり、うちの〈星視〉をいじめないでくださる? 彼女、私たち姉妹の間では期待の星でしてよ』
「では、そう公言なさればよいかと」
『こらこら、そういうことは言わないの。そんな風に言ってしまったら、期待と重責で彼女の胃が破れてしまうもの。あの子、ぱっと見はなにをされても平然としているように見えるけれど、内面はちょっと柔い部分があるのよ』
「失礼、〈星視ノ司〉様。世間話に花を咲かせにきたわけではございません。ここでは人の目がありますれば、お部屋にて話をさせていただきたく」
ガジンは、一方的に話を打ち切った。長々と立ち話などしていられない。
彼女を味方につけられなければ、今度は別の人物に会いにいかなければならないのだ。
〈八竜槍〉の権限を使って強引に面会はできるが、それでもすぐに会えるかはわからない。特に、宮廷内の者たちは『外様』出身であるガジンに全員が協力的ではないのだから。
『はい、そう焦らないで。今、案内します』
蝶が動き始めた。ガジンには、この蝶が動いている理屈はさっぱりわからないが、札に描かれた複雑な文字や形が『気』に作用しているのだけは理解できる。
何度か角を曲がり、階段の前に辿り着くと、それを上る。
〈星視ノ司〉の執務室は宮の北の塔にあるが、曲がった回数と方角から算出すると明らかに今いる場所は北ではないにも関わらず、北の塔の階段を上っている。
(相変わらず、呪術に関してはどこがどう動いているのか、さっぱりわからん)
このような摩訶不思議なことになるのは、〈八竜槍〉でさえ欺く隔絶した実力を持っている〈星視ノ司〉が張った結界のせいである。
もっとも、術について全然理解が及ばないのは、呪術に関しては粒ひとつも素質が無いと太鼓判を押されたガジンだから、というのも勿論あったが。
階段を上り切り、戸を開けた。守衛は誰もいない。常人の者が、蝶の案内無しにここに辿り着けるはずがないからである。
「失礼いたします。〈星視ノ司〉、〈鎮守ノ司〉」
部屋の中にいたのは、鏡合わせになったかのような人物たちだった。
卓を跨いで対面している二人の老女は、左右対称の芸術かのようである。
双子の姉妹。国家の方針に多大な影響を与える二つの役職に就いている二人は、〈八竜槍〉相手でも特に気負った様子はなく、手招きをして座るよう促した。
畳床に腰を下ろすと、どこからともなくお茶が入った湯飲みが宙を浮いて運ばれて来た。
「お変わりないようで、安心しました」
会釈して、乾いた喉を潤した。思えば、帝との謁見からなにも飲んでいなかった。
丁度よい温度になっていた茶は、誰が煎れたものかは判別がつかないが美味い。
一息つき、ガジンは湯飲みを卓の上に置いて、主題を切り出した。
「お二方に、ご相談があります」
「帝の、少年への処遇の件ですね。私も姉も、耳には入っています」
妹である〈星視ノ司〉が言った。
「ですが、一度下された帝の裁定に背くことはできません」
姉の〈鎮守ノ司〉が言葉を継いだ。
「帝に奏上した内容が、たとえ偽りでも?」
二人の表情は変わらない。ふふっと、にこやかに笑ってさえいる。
「元々、今回の件であまりに〈星視〉の動きが鈍いことは、誰の目にも明らかでした。ですが星が視えていないのであれば、それもうなずける。『竜』が暴れ回り始めてから、いえ、それよりも前に、この宮でも星から未来を読み取れていないのではりませんか」
「さて、それはどうでしょう」
〈星視ノ司〉は以前として笑みを絶やさない。
「もし、星が視えぬ状態で奏上したのであれば、これは虚偽です。帝に嘘を申し上げた罪は、どんなものかは、お二人には十分におわかりでしょう」
「我らを脅しますか? 〈八竜槍〉ガジン様」
〈鎮守ノ司〉が先に笑みを消した。
「いえ、まさか。ただ私は、帝の御判断が誤っていると思っただけです」
「あらあら、過激な発言ねえ」
〈星視〉である老婆は、姉と違い、朗らかな雰囲気を崩さない。ガジンは眉をひそめる。
「少年を処刑しようとするのは、百歩譲ってもいい。しかし事件の鍵を握る者を殺そうとするのは非効率です。ひとつ間違えば取り返しのつかないことになるやもしれません」
もっとも、ガジンは少年の処刑には大反対である。
「ガジン。貴方が考えつく限りのことを、帝が想定していないとお思いで?」
「そう思っているからここに来ているのです、〈鎮守ノ司〉」
帝を疑い、あまつさえ決定を覆すよう意見するなど、そうそうしてよいものではない。しかも、事の真相を知らない人間からすれば、ガジンがリュウモを庇おうとすること自体、世迷言もいいところである。
それでも、ガジンは引く気は一切なかった。
「星が視えず、『竜』が鎮まることもない。このような状況で、少年を処刑するなど正気の沙汰ではありません。たとえどのような事情があるにせよ、もっと時間をかけ協議すべきです」
「協議するに値しない、いえ、協議することすらできない議題であった場合、どうするのかしら」
「――知っておられるのですか。〈竜奴ノ業〉について」
「ええ。私と姉は、帝から教えられていますわ。そうでなくて、どうして国の政に関われましょうか」
「まさか、奏上の内容に偽りがあることを、帝はご存知、なのですか」
〈星視ノ司〉は朗らかに笑っている。
ここに、味方はいない。
「……ご歓談中、失礼しました。私はこれにて」
ガジンは立ち上がり、戸を開けた。
「ガジン」
〈鎮守ノ司〉の声に振り返る。
「貴方はラカンを失いました。ですが、帝が言ったように、個人的感情で動いてはすべてが狂い出してしまいます。自重なさい」
ガジンは会釈をして、蝶の案内に従い宮を出て行った。
「他も軒並み駄目か……」
私室に戻り、どかりと腰を下ろす。
「クソッ! どうなってんです、他の奴らまで」
クウロが拳を畳に叩きつけた。
「帝と結託されちゃあ、どうにもならないってことか……くそ、どうします、大将。このままじゃ、坊主が殺されちまう」
「挙句、『竜』が暴れ回り、国が滅びるかもしれん」
「帝の言い分もわかりますぜ、そりゃ。確かに〈竜奴ノ業〉がまた広まっちまえば、国は亡びるかもしれませんが、どっちみちこのまま坊主を殺して事態を放っておいたら、待ってるのは同じ結果じゃあねえですか」
クウロの言う通りである。早いか遅いかの違いでしかないところまで状況は切迫した段階にまで至っている。
「そもそも、帝はどうやって『竜』を鎮めになるおつもりなのだ?」
ガジンは疑問を口にした。少年を殺そうとするならば、解決の手段が消えることになる。
――帝たちは『竜』を鎮める別の方法を知っているのだろうか。
「〈鎮守ノ司〉がどうにかする、とかですかねェ」
皇国で唯一、公的に『竜』に関与する機関の長である〈鎮守ノ司〉ならば、確かに『竜』を鎮める手段のひとつぐらいは持っているのかもしれない。
だが――ガジンは仮に〈鎮守ノ司〉がその手段を持っていたのだとしても、即効性があるものだとはとてもではないが思えなかった。
「どうにかするにしても、時間がかかれば被害は甚大なものになるぞ。少年が言う〈龍赦笛〉ほど、目に見える効き目があると思うか」
「無理ですな。もしもそんな切り札があるんなら、虐殺が起きた後、すぐに〈鎮守ノ宮〉が動き出してるはずですぜ」
時が経つほど、無辜の人々への損害は多大なものになっていく。そして、最も多くの命が失われるのは、〈竜域〉に近い『外様』の者たちだ。
(お前なら、ラカン、お前なら、こんなとき、どうする?)
おのれの立場。北の領地にいる家族の安否。親友の死……。
様々な思いがない交ぜになって、ガジンの胸の内をかき回した。
「――――クウロ」
「へい」
「……帝の命だ。通常の勤務に戻れ」
「大将! そりゃねえですぜ、なにかするってんならオレも」
「戻れ」
クウロは不満たらたらであったが、ため息を吐いて、部屋から出て行った。
「――――――――――――――――――行くか」
〈竜槍〉を手に取り、ガジンは部屋を出た。
向かうべき場所は、すでに決めていた。
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