第8話 細い糸を手繰って 後編

「もっとも、彼が生き残ったのは〈青眼〉だからではありませぬ。それは、わかっておられるでしょう」


 沈黙が、暗幕のように降りた。幕を先に開けたのは、ガジンだった。


 ぱんぱん、と膝を打って、明け透けに話し出した。


「いや、驚きましたな。――成程、貴方には、変に隠し事も、取り繕う意味もなさそうだ。その目、いったい?」

「これは先祖返りのようなもの。私は〈竜守ノ民〉ではありませぬ。ただ、多少なりとも知識はありますが」

「では、これがなにか、お分かりか」


 ガジンは懐から一つの代物を手に取って、床に置いた。白い、つやつやとした質感の、小さな笛だ。氏族長は、それを慎重に眺め、何度か指先で触っては離しを繰り返した。

 まるで、危険な猛獣を前にして、怯えているようだ。氏族長は、触れた指先をこすり合わせ、身体に何の変調も無いことを確かめて、笛を手に取った。


「お察しの通りではないかと」

「な、なら、こいつが……〈竜操具〉なんですかい?」


 クウロが、慄き、身震いしていた。

 〈竜操具〉――神ノ御遣いたる『竜』を思うがまま、自由自在に操ることのできる、禁忌の道具。遥かな昔、〈禍ノ民〉が作り出したこれが広まり、『竜』を武器として扱った結果、大混乱が引き起こされた。


「では、これが〈竜奴ノ業〉によって、作られた代物」


 『竜』を操る道具を作成する技術の総称を、タルカ皇国では〈竜奴ノ業〉と呼んでいた。

 その業によって作られた品こそ〈竜操具〉。神ノ御遣いである『竜』を操ることから名づけられた。

 これらの道具を過去に広めた者達こそ、青き瞳を持つ一族――〈禍ノ民〉なのである。


「貴方達は、まだこれを、そのような呼び方をしておられるのか」


 氏族長の静かな怒り。ガジンには強く印象的だった。


「これは、『竜』を操る道具などではありません。〈竜守ノ民〉が、『竜』と共に生きるために生み出した物。『竜』を遠ざけ、鎮め、ときには殺める。そうやって、彼らは生きてきたのです」


 それは、『竜』を操るのと、何が変わらないのだろう。

 そもそも、神ノ御遣いを弑する時点で、皇国では大罪である。第一、彼らが住む〈竜域〉には、国の許可がなければ入ることすら許されない。

 ガジンは、古い友人が〈竜域〉の調査に乗り出そうとして、帝に許可を求め、却下されていた光景が脳裏に蘇った。


「さきほどから言っている〈竜守ノ民〉とは、私達が〈禍ノ民〉と呼ぶ者達だということは、わかりました。では、彼らは一体何者なのです? 様々な書物、伝承を調べあげても、彼らのことは、ほとんど残っていない」


 〈八竜槍〉の一人、イスズの実家に頼み込み、建国当時から、それ以前までの資料を読み漁った。しかし〈竜守ノ民〉については、氏族を混乱に陥れた元凶である、という記述があるのみで、他の資料も似たり寄ったりな内容だったのだ。


「…………まるで――――」


 そこから先は、口にすることがはばかられた。皇国に、疑惑をかけるような内容だからだ。


「意図的に、消されているように感じる、ですな?」


 建国から数百の時間が流れた。現在に至るまで、多くの氏族の血が途絶え、消えて行った。

 だが、足跡、痕跡まで完璧に消え去ったわけではない。口伝、書物、風土、様々なものに跡は残り、溶け込んでいる。

 ガジンの故郷にも、チィエに言った祭祀がある。これは他の氏族が故郷に持ち込んだものであったらしい

 数多くの氏族達は、併合、統合され、血は途絶えながらも、今なお脈動を続けている。

 〈竜守ノ民〉には――それが、無い。不自然なまでに。


「争いと『竜ノ怒り』が終わった後、荒れ果てていた大地を見た人々には、『光』が必要でございました。帝という『光』が。そして、『光』には『闇』が付き添うもの」

「それが〈竜守ノ民〉であったと?」

「はい。当時の人々は、全ての責を彼らに押し付けました。神ノ御遣いを操る業を広めたからこそ、争いは長引き、天は我らに鉄槌を下したのだと」

「それは」


 自業自得ではないか。言おうとして――老人の瞳に映った、凄まじい憤怒の感情に、口を閉じられた。

 いつぶりだろうか。身が縮こまることがあったのは。

 小柄な、枯れ木のような老人が発した、峻烈な情動が体を圧迫した。


「彼らは、貴方様達が言う〈竜奴ノ業〉を、広めてなどおりません」

「は、はァ?」


 クウロが驚きに声をあげた。氏族長が言った内容は、建国神話を覆しかねないものだった。


「よく、お考えになってください。どうして〈竜守ノ民〉は、業を広める必要があったのです? 当時でも人々は〈竜域〉だけには近寄らなかった。つまり、〈竜守ノ民〉とは、氏族同士の大規模な戦から、最も遠い者達であったのです。そんな彼らが、どうして自分達の故郷を離れ、いちいち百害にしかならない争いに首を突っ込みますか」

「では、なぜ〈竜奴ノ業〉が広まったのです。〈禍ノ民〉……いえ〈竜守ノ民〉が広めたのではないとしたら、どうして?」


 一般的に、混迷極まる戦を、さらに長引かせ、人々を滅ぼすために〈禍ノ民〉は業を、全ての氏族に教え込んだと伝わっている。それは、幼いころから、ずっと言い聞かされ、習ってきたことだ。いちいち、皇国の民は疑問には思わない。

 皇国に住む者達にとって〈禍ノ民〉は、過去に大混乱を引き起こし、天が人々に裁きを下す原因を作った、悪たる民なのだ。

 氏族長は、悲しみに濡れた瞳を光らせながら、話し始めた。


「きっかけは、ある一人の若者が〈竜守ノ民〉の村に運び込まれたことから始まったと伝えられています。その若者は、家族を他の氏族に殺され、たった一人となり〈竜守ノ民〉に偶々見つけられ、保護されたのです。――ですが、それが呼び水となってしまったのか、他の氏族に彼らの居場所が特定され、戦いを強要されるようになったといいます」

「そして、禁忌に手を染めた。いや、この場合〈竜守ノ民〉が使っていた〈竜操具〉を悪用したと言うべきですかな」

「その通りでございます。ただ〈竜操具〉の仕組みについて、我らは深く知り得ていません」


 パチ、パチ、と薪が燃えて音を立てた。


「ですが〈竜操具〉自体は、作成はできずとも、完成品に関しては誰でも扱える代物でございました。道具は〈竜守ノ民〉の手によって作り出され、やがて大地は操られた『竜』と人の屍が塵のように積もりました。そして、天は我らに罰をお与えになった」


 氏族長は、語り終えると瞼を閉じた。


「その罰は――『竜ノ怒り』と呼ばれ申した。この国に生きる者ならば、よく知っておりましょう」


 有名な話である。『竜』は天ノ御遣いであると同時に、人の傲慢を監視し、罰を下す存在であるという。実際、『竜ノ怒り』と呼ばれる日によって、それは示された。〈竜奴ノ業〉によって操られていた『竜』たちは、反逆するようにすべての人間へ襲いかかったのだ。


「比べれば極めて規模は小さいですが、同じことが起こった。砦での虐殺は、まだ序の口。これより先、もっと酷いことが起きるでしょう」


 氏族長の不吉な予言は、このまま事態を解決に導けなければ成就されるだろう。砦の虐殺がそれを証明している。

 ガジンは氏族長の話を聞きながら、彼の話を脳内でまとめていた。最後まで聞き終えると、疑問が自然と浮き出てきた。氏族長を見る。閉じられたまぶたは、静かにこちらの質問を待っているようだった。


「では、どうやって『竜』は鎮まったのです」

「それも、あなた方がよくご存じのはず。違いますかな?」


 氏族長の声には、相手を嘲弄するものがあった。静かな悪意――敵意にガジンが面食らっていると、氏族長はこほん、と一度わざとらしく咳払いをして先を続けた。


「失礼いたした。意地の悪い問いかけでしたな」

「いえ、お気になさらず」


 『竜』を鎮める方法がわかっているなら、辺境と呼ばれる地に〈八竜槍〉がいちいち足を運ぶはずもない。伝承では帝が天へと赦しを請い『竜』を鎮めたとあるが、その方法は後世には伝わっていない。帝が正しく鎮める法を修めているならば、すでに解決に向かっているはずだからである。


「ですが、皇国が謡う伝承も、あながち間違ってはいないのです。事実、帝の祖先たる初代帝は、『竜』を鎮めるその場に立ち会ったそうですので。鎮めたのが、帝ではなかっただけですな」

「――まさか」

「お察しの通りです。『竜』を鎮め、天へと赦しを請うたのは〈竜守ノ民〉なのです。残念なことに、どうやったのかは知られておりません。この周囲の氏族に継がれている語り部たちにも、詳しいことは……」


 ガジンは、予想をはるかに上回る深刻さに黙った。


(これは、まずい。原因も不明。わかっていることは、このままでは『竜』が暴れ狂うこと。それを解決する手段が、失われていることだ)


 〈禍ノ民〉――〈竜守ノ民〉は、伝説となった存在だ。ガジンは彼らを見たという話しは聞いたことがなく、失われた血族の中に列したものだと思っていた。

 氏族長は、ガジンの深刻な表情を見て、口を開いた。


「〈竜守ノ民〉の方々は、国で最も深き〈竜域〉へと赴き、天へと赦しを請うた。その場所を彼らは〈竜峰〉と呼んだそうです」

「〈竜峰〉……」


 身に刻むように、ガジンは呟く。


「東へ行きなされ。天が我らを見放しておられぬなら、そこに彼ら〈竜守ノ民〉は暮らしているでしょう」


 ガジンとクウロは驚いて氏族長を見た。


「彼らは生きているのですかッ!」

「『竜ノ怒り』の後、彼らは傷ついた『龍王』と共に、東の〈竜域〉へと消えて行った、と伝えられております。ただ、それ以降、彼らの消息はわかっておりません」

「いや、有り難い。それがわかれば十分です」


 細く、今にも途切れてしまいそうな糸だが、確かに解決への道を繋げてくれている。地道に調べあげてきた成果が、ここになってようやく実ったことに、ガジンは安堵した。


「行かれるか。ですが、心しておかれますよう。かの民が暮らすのは〈竜域〉の奥深く。いかな〈竜槍〉の使い手とはいえ、油断は命を落とすことになりましょう。……なによりも、もう一度彼らの業を悪用すれば、今度こそ天は我ら人を赦しはしますまい」

「御忠告、有り難く頂戴いたす」


 ガジンは、氏族長に深々と頭をさげて、立ち上がった。行くべき場所は、定まった。


「行くぞ、クウロ――東へ」

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