第7話 弔い、変転
ガジンは、タルカ皇国の中心である皇都の大通りを歩いていた。
露店がいくつも立ち並び、数えきれない商店が顔を出している。
整備された道、巡回する検非違使や槍士たち、商いに励む者と、売り物を見定める客。
静観とはほど遠い皇都は、今日も賑わっている。多種多様な物資がこの皇都に集められ、また出て行くのだ。『外様』が管理する領地とは比べるべくもない。国にとっての心臓部であり、富と権力が集中するのも、道理である。
ガジンは先日の会議のやりとりを繰り返し内で再生した。あの光景が皇国が抱えている問題を浮き彫りにしていたのを感じていた。
国是はすべて皇都で決められるが、その中核となる面子には『外様』は入ることができず、彼らはあくまで組織を回すための手足であり、指令を出す頭脳にはなれない。ただ言われたことをこなすしかないのだ。だからこそ、自分たちの言葉で帝へ直接具申できる機会を逃すまいと、会議では白熱していた。
自らの意見が、正しいか否かに関係なく、すべて却下されれば誰でも頭にくる。そういった現状を変えようと、意気込んでいた『外様』を押さえようと『譜代』は躍起になり、結果――宮廷は蜂の巣を突いたような喧騒と熱気に包まれたのだった。
皇国に住まうふたつの民は、心情的には相いれないながらも、ぎりぎり上手くやってきていた。
刃物の上を素足で歩く、際どい均整の上に成り立っていた平穏が、しかし、打ち破られようとしている。
(刃の上から足を滑らせたが最後、待っているのはどう考えても流血への道だ。帝も、誰も、そんなものは望んでいない)
晴れた空から降って来る、やわらかな日差しを受けながら、ガジンは皇都の人々を観察しながら歩いていた。手にはいつもある〈竜槍〉はなく、格好も装備をつけていない、至って普通の着流し姿だった。
そのため、道行く人々も、ガジンが気配を消して人混みを歩いていることも手伝って、騒ぎにはなっていない。
時折、ガジンが気配を消して移動していることに疑いを持った検非違使、槍士が近づいたが、顔を見るなり、その場から飛び退いてしまいそうなほど驚いていた。ガジンは手振りで巡回中の彼らに黙っているように伝えると、そそくさと立ち去った。目的の店へは、もうすこしであったからだ。
皇都に来た頃からガジンがなにかと厄介になっている馴染みの顔がいる店は、商いをする者にとって憧れであり、同じ、もしくはすこし下にいる商人には、打倒すべき敵であった。それだけ多くの者たちへ影響を与える巨大さを持った商家なのである。
そんな家に嫁いだ顔馴染みの名を、ツオルという。
ガジンは、立派な門構えの建物の前で止まり、中にいるツオルへ、親友の死をどう伝えたものか悩んだ。結局、誤魔化さずに伝えるしかないと腹を決め、暖簾を潜って店内へ入った。
店主のツオルは、本人はからくり人形作りを生業としていて、店内には百を超える数の人形が、かた、かた、と音を立てて動いている。ひとつ、ふたつ程度なら物珍しいで終わるだろうが、さすがにこれだけの数があると不気味だった。
この偏向ぶりを見る通り、ツオルはからくり人形作りだけをしていたかったのだが、ガジンと知り合ってから転機が訪れる。
本人曰く、鬼嫁に取っ捕まり人生の墓場に頭から入れられた挙句、からくりに目をつけられて様々な品を作らされた。また、人形師としての腕もさることながら、経営にも才覚を発揮し、商才を嫁に証明してしまった彼は、馬車馬のごとく働かされたのだった。
今は嫁の実家も落ち着き、趣味と実益を兼ねた仕事に没頭できているというわけだ。
この、割と波乱万丈な人生を送って来ている人物と、ガジンは古い付き合いである。
そもそも、ツオルが言う鬼嫁と彼を引き合わせるきっかけになったのは、ガジンだった。
本人は当時のことを話すと、途端に機嫌が悪くなるので、ガジンは心の内でも、できるだけ思い返さないようにしていた。目敏いここの店主は、相手の機微を獣かと思うほど敏感に察知する。
「ツオル、いるか?」
からくり人形がいくつも動き合う音以外、なにも聞こえてこない。ガジンは気配を探ろうとしたが、上で物音がしたため止めた。奥にある二階への階段から足音が響く。
出て来たのは、立派な店構えとは正反対の、質素な服に身を包んだ男だった。痩せすぎもせず、また太ってもいない、一見凡庸そうな男である。
だが、あくまで見た目だけであることを、ガジンは知っている。気怠そうな半眼の奥にある頭脳には、高度なからくりを実現するに相応しい叡智が詰まっているのだ。でなければ、帝に献上品として贈られるような代物は作れない。
「なんだ、なんだ、珍しい客人が、珍しい格好をして来たぞ」
「事前に来ると言っておいただろうに」
「冗談だよ、冗談。でも珍しい格好なのは、違いないだろう。槍も防具もつけていない君なんて、随分と久しぶりに見たよ」
ツオルの言う通りであったので、ガジンは言い返せなかった。〈八竜槍〉になってから気軽に外へ出ることもなくなり、休日にひっそりと宮廷を抜け出しても、市井の者に見つかれば大体騒ぎになる。そのため〈竜槍〉と防具を付けた姿が、ガジンの一張羅になっていたのだった。にやっと、ツオルは笑う。
「まあ、いいさ。それでだけど、ご注文の品は、ちょっと無理だった。代わりにこれを取り寄せておいたよ」
ツオルは手に持っていた小さな瓶をガジンに手渡した。中身は酒だ。
「いや、かまわない。元々、簡単に手に入るとは思っていなかったからな」
「小瓶一本だけなら、あったらしいんだけどね。こっちが言う前に注文が来てもっていかれてしまったよ」
「そうか……。なら仕方がない。代金だ」
ガジンは金銭をツオルに手渡した。
「毎度あり。久しぶりの収入だ。妻に怒られずにすむ」
一応、商人らしいことを言って、ツオルは代金を受け取る。ガジンは閑古鳥が鳴く店内を見た。誰ひとりとして客は入って来ない。
「ここは、本当に客が来ないな。すこしぐらい商売っ気を出して宣伝してみたらどうだ」
「嫌だね。道楽でやっているんだ。面倒事は御免だよ。もう、そいつは一生分経験したんだ、あとは自由気ままに僕はやるだけさ」
「あまり自由にやり過ぎていると、愛想を尽かされるぞ」
「そのときはそのときさ。彼女は僕にからくり作りの能力があり続ける限りは、捨てたりはしないよ。だって、商売の種になるからね」
「夫婦仲がよろしいようで、いいことだ」
これだけ自由人だと、制御する方も大変だろう。ガジンはツオルの妻に、すこしばかり同情した。
「面倒事に巻き込まれ続けて、色々な方面に耳が聞くようになった」
話の流れを断ち切って、ツオルは言い出した。
「それで、嫌な噂を聞いた。とある『外様』が管理する領内の砦で、虐殺が起きたってね」
「…………」
「そこには、僕の記憶が正しいのなら、古い顔馴染みがいたはずだ。でも、彼はそんな簡単に死ぬような人じゃない。だけど、伝わって来た情報は、砦に生き残りはおらず、生存者は無し、という報告だけだった」
「…………」
「ラカンは、死んだんだろう?」
「そう、だ」
「そっか……」
ふたりの間に、長い沈黙が横たわった。
「仕事に戻る。そっちも、早めに行ってやったらどうだい。彼も、飲む酒が無くて、きっと困っているよ」
「ああ、そうしよう」
互いにそれ以上は言葉を交わさず、ガジンは店を出て行った。
それから、親友が眠る墓所へ、真っ直ぐに向かった。太陽が燦々と輝き、その下では忙しなく皇都の民は動き回っている。墓へ行く途中、ガジンは何度も通行人の声を聞いた。
最近、図に乗っている『外様』に天罰が下っている。虐殺を行ったのは『竜』で、殺された者の中には誰も『譜代』の人間はいなかったらしい。天は裁きを『外様』の連中に与えているのだ。
何度も聞くうちに、嫌気がしてきたガジンは、歩調を早めて墓場に急いだのだった。
――急転――
嫌な天気だ。ガジンは、親友の墓石に供え物を置きながら、そう思った。
暖気を運んでくる風。青空には小さな雲がいくつか点在し、じめじめした雨の気配など微塵もない、春の空だ。
――本当に嫌な天気だ。墓参りのときぐらい、それらしい天気でいればいいものを。
ガジンは、恨めし気に天を睨みつけながら、最近亡くなった親友の墓石の前に佇んでいた。人を待ちながら、なにをするでもなく、ただ呆然として、一点だけを見つめた。目線の先には、染みのように小さな人間を見下す、どこまで続いて行く天空がそこにあるだけだ。
天――すなわち神々が住まう地は、地上よりもずっと高い高次元の場所にあり、そこから人間の所業を、裁定者であるかのように見定めているのだという。人に罰を下したのも、神である。
ガジンは拳を固く握りしめた。神に向かって呪詛を吐きそうになるのをこらえながら、天を睨みつける。
咎ある者を罰するのが神であるならば、どうしてラカンは死なねばならなかったのか。友は決して天へ背くような行いをしていない。
人を助け、隣人を愛し、友人と笑い合っていた善良なる人間を殺すとは、いったいどういう了見だ。体を八つ裂きにされる無残な死に方をしていい人物などでは、絶対になかった。
青空は死者の弔いを嘲っていた。違うならば、このように晴れ渡っているわけがない。
無念と、無情さが胸中で混じり合い、腹の内にどろどろとした粘着する思いを、ガジンは吐き出してしまいそうだった。
だが、それはしなかった。ここは墓場。死した者が眠る場所。獣のごとき咆哮を聞けば、死者は安らかに眠り続けることはできまい。
ぐっと喉までせりあがって来た激情を呑み込んだ。また熱くなってきた目頭を押さえて、涙が出ないように努めた。いい年をした大人が、そう易々と泣いてよいものでない。
鬱屈した気持ちを紛らわすため、ガジンは血が凝り固まってしまったような重い足取りで墓場を歩きはじめた。
墓参りの集合場所としてガジンが指定したここは、歴代の〈八竜槍〉や、国に多大な貢献をしたもの、帝に認められた勇士が埋葬される特別な墓所だ。当然、国にとって重要な区域であるため、厳重に警備されている。墓守の数も、他と比べればはるかに多い。
ここに葬られる人間は、国の誰もが認める途轍もない貢献を為した者しかいない。古い人物であろうと、人々に聞けば、功績の内容は知らないが名前は誰でも知っているといった具合である。近年の偉人であれば、詳しいことまで誰でも知っている。
そういった意味ではラカンに資格はない。表立った功績はないかだら。だが、表に出せない事件をいくつも解決してきたからこそ、帝はラカンの遺体をここに埋葬することを許したのだろう。
ガジンは、昔の出来事を思い出しながら墓所をふらふらと歩き回った。
皇国の歴史上、この墓所に眠る者は〈八竜槍〉を除けば百に満たない。槍士だけに限定すればさらに少なくなる。国に名を刻んだ親友を、誇らしく思いつつも、突然いなくなってしまったことに、深い喪失感が心に穴を穿った。寒々しい突風が、穴から吹き出て来る。――――ガジンは、すこし歩調を早めた。
ぐるりと辺りを回っていると、ひと際大きな碑がガジンの視界に映った。
碑には歴代の〈八竜槍〉の名が刻まれている。碑は複数あり、丁寧に保管されているとはいえ、劣化の痕が垣間見える。どうやら、古めかしさの度合いを見るに、右から順々に古い物が並べられていた。最も新しい物を見ると、ガジンと名が彫られている。
――墓場に碑があるというのはどうなのだ。
すでに自分の名前はある。まだ死んでもいないのに、墓場に自身の名があるというのは、なんとも妙な気分にさせられた。
ガジンは碑から目を離して、入り口の方を見たが、待ち人はまだ来ていない。
(相変わらず、時間ぎりぎりに来るやつらだ)
軽くため息を吐きそうになった。仕方がないので時間を潰そうと、ガジンは辺りを見回したが、ここは墓所である。暇を潰せる娯楽があるわけがない。あるのは墓石に碑、それと静けさだけである。
ガジンは先ほどまで見ていた碑をもう一度、物珍し気に見た。歴代の先達の名に興味がわいたのもあった。実は、ガジンはここに来るのは初めてである。基本的に立ち入りを禁止され、聖域扱いされているためだ。よく碑を観察する。
「……立派な物だな」
墓所にある墓石は、どれも熟練の石工が作り出したものだ。素人のガジンから見ても、これだけで一財産築けるのではないかと思うぐらいであったが、碑に関しては別格のように感じられた。
〈八竜槍〉の名を彫る代物であるから、天賦の才を持った人間が作り出したのだろう。
(ふむ、よく見れば、どれも違う彫り方をされている気がするな)
新しい物から古い物へ、順々に名を見ながら、確認していく。稀代の名工たちの作品を堪能しながら、最も古い碑を見た。そこには、天命を受けた帝を守護していた、初代〈八竜槍〉の名があった。そこで初めて、ガジンは初代たちの名を知った。伝説にも無い初代たちの名に声を出しそうになるほど驚いた。
「……? 七人しかない。――どうして」
〈竜槍〉の銘と、使い手の名が彫られているが、その数が足りなかった。そして、残されていない八人目の名が、初代たちの長的立場にいた人物だと、ガジンは気づいた。
伝説によればその者は〈龍王槍〉を振るい、『合气』と呼ばれる特異な才能を持っていたという。それは感じ取った相手の『气』の動きを完璧に再現できるというものだ。
あらゆる槍技を使いこなし〈龍王槍〉を使えば他の〈八竜槍〉すべてを相手取れるほど、圧倒的な使い手であった――そう伝わっている。そのような凄まじい偉人の名が残っていないことに、ガジンは違和感を覚えた。
だが、その小さな疑問は、入り口に来た気配が消してしまった。ガジンは集合場所であるラカンの墓まで戻った。
「名所観光は済んだのか?」
「馬鹿なことを言うな――遅いぞ、お前ら」
「大将が早すぎるだけでさァ」
「時間よりずっと早く来るのは、変わんないねえ」
軽口を叩き合って、四人は墓の前に並ぶ。彼らは持ち寄った供え物を置いた。すべて、生前のラカンの好物である。
「ん、おい、ガジン。酒が置いてあるが、お前か?」
数が合わないことに気がついたロウハが言った。
「いや、私は別の物を持ってきた。他の誰かだとは思うが……」
――いったい、誰が?
左右に視線を巡らせると、背を向けて足音ひとつ立てずに去って行く、白髪の男性の姿があった。まるで風のようだった。
「〈影〉の者か?」
「っぽいねェ。大将らに気配を完璧に察知されないなんて、相当な手練れですぜ」
情報収集のために〈影〉を使う機会は何度もあったガジンだったが、あのような初老の男は一度も会ったことはなかった。もしかしたら、引退した〈影〉の者かもしれない。
ガジンは男の背に軽く頭を下げたあと、彼が持参した供え物を見た。
「これは、ラカンが一番美味いとうるさかった酒か?」
小さな白磁の瓶には、生前にラカンがことあるごとに言っていた名があった。
「あ、本当だ。でもこれ、美味しいんだけど、高いんだよね……」
「酒のことについては、本当にこだわっていた――というか、うるさかったからな、あいつは」
嫌なことを思い出したようで、ロウハは眉をひそめた。ガジンには、なにを思い出しているのか、大体見当がついていた。おそらく、ロウハが思い出しているだろう場面に、自身も居合わせたからだ。
交流を深めようと、ラカンが勧める酒屋に入り、酒を飲んで場が温まって来たあたりで、ロウハが導火線に火をつける愚行を犯してしまったのである。
『かなり美味いな。他にも色々あるのか?』
家が貧困に喘いでいたロウハにとって、値段のわりに驚くほどに美味であった酒について問うことを、誰も責められはしまい。たとえそれが、ほどよく回った酔いを完全に覚めさせてしまうきっかけになってしまったとしても。
それ以上は思い出したくなかったので、ガジンは遠い過去に云っていた意識を、頭を強く振って現実に引き戻した。
「んん? でもこいつァ、ラカンが勧めてた酒だって知ってるやつは限られてると思うんですがねェ」
「それに、あれだね。ここに入れるくらいには地位があるんだろう。そんな人は、ぼくが知る限りだとちょっと思い当たらないな」
ガジンは、ラカンの交友関係をすべて把握していたわけでは勿論ない。だが、彼が自分の好いている酒を勧める程度には仲が深い相手ぐらいなら大体は知り得ていたし、顔も合わせている。しかし、その者達はここに即、足を運べるほどの地位におらず、権力も無い。
――誰だ? この送り主は?
考えても、答えは見つからなかった。
「酔った勢いで、口を滑らせたか? ――いや、あの酒馬鹿に関して、それはないな」
「酒の情報に関しちゃ、意外とケチだったしなァ」
「いや、ラカンのあれは、ケチとはちょっと違うと思うよ? 飲む人に合った物を勧めていたというか、なんというか……」
口々に亡くなった友について意見を交換し合う三人。ガジンだけが会話に参加せず、ロウハが言ったことについて、考えていた。
(酔った勢いで……? なんだ、なにかが引っかかる)
無類の酒好きと呆れられたラカンが、酔いに任せて美味い酒の情報を吐き出すはずがない。だが――そう、一度だけ、たった一度だけ、あったような気がするのだ。ほろ酔い状態のようにガジンの記憶にもやがかかってはいたが、確信があった。――これは、絶対にろくでもない記憶だ。
霞がかかっていた記憶が開示され始めると、ガジンの顔色はどんどん悪くなっていった。
「おい、なんだその顔は? また厄介事か」
警戒した顔持ちで、ロウハが若干ガジンから距離を取りながら聞いた。
「先代帝と飲んだとき……」
ぼそっと、小さな声でガジンは言った。言いたくなくてたまらないと、声量が物語っている。
「待て待て、思い出したくないことを穿り返すなッ!」
左手で顔を覆って、ロウハは右手でガジンを制した。
「私だって思い出したくない。だが、あのときぐらいだろう。ラカンがべらべらと酒について話したのは」
「ああァ……大将とロウハが〈八竜槍〉になったあとでしたっけ。先代帝と一献交わしたってのは」
「あれ、明らかに人選間違えたよね――先代がお酒が得意じゃないって言うから、ラカンを連れて行って美味い物を飲ませてさしあげようとってやつ」
「酷かった……先代はラカンが持参した酒に酔いに酔うは、二人供ざるだったせいで、こっちは酔い潰されるわ……」
悪夢を見た朝のように顔色がおかしくなったホウリとロウハを無視して、ガジンは続けた。
「ラカンがあれこれと先代に語っていただろう。多分、そのときだ」
「いやでも、先代はもう、お亡くなりに……」
「その席に、今代の帝がいらっしゃっただろう」
「あー……あのせいで、帝が酒嫌いになった……」
「言うな、ホウリ……。多分、これは帝からの贈り物だ」
「冥土への餞別だろう、きっと。当てつけで送るような、器の小さい御方ではないからな。――――多分だが」
広間でラカンについて語っていた帝の様子から、私怨で送ったわけがない。そもそも、今代の帝は歴代と比較すると、感情そのものが無い印象を皆が受けている。あの厳冬のような眼差しに晒されれば、誰でもそう思う。そんな人物がたかだが酒の席で酔った程度のことを根に持っているはずがない。
ガジンは、そう考えることにした。そして、この話題についてはもう触れないことに決める。
昔の思い出を一旦、胸の奥に仕舞いこみ、両手を合わせて親友の冥福を祈った。他の三人も祈る。
それからすこし経って、ガジンが口を開いた。
「現状の問題は」
空気を変えるように語調を強めて、一度言葉を区切った。
「今回の件での各所の反応だ。『譜代』の方はどうだ、ホウリ」
「え、あ、ああ……。金銭面では大丈夫だよ。不満が出ないよう、上手いこと調整したから。ハヌイ殿も納得してもらっているしね」
「ロウハ、槍士の様子はどうだ?」
「混乱は起きていない。だが、浮足立っている。なにせ、事が事だ。『竜』が襲い掛かってくるのではと、怖じても文句は言えん。それと、ラカンを知る者が、あいつの死を知って酷く動揺していたな。あれが殺されるのならば、自分はどうなんだ――とな」
「クウロ、市井の様子は?」
「まだまだ、呑気なもんでさァ。自分たちに被害がくる、とは皇都の連中は思ってもいねェようですぜ。――ただ、噂が確証に変っちまったら、どうなるかはちょいと予測がつきやせん。勿論悪い方向に、です」
各々から報告を聞いて、ガジンは出発の予定を早める必要に駆られた。クウロが言ったが、噂を皇都に住み人々が確信してしまえば、大混乱が起きる可能性が高い。
今はまだ『外様』だけに被害が収まっているため、過剰な反応は出ていない。もし、『譜代』が『竜』に襲われ、殺されでもしたら……。
愚かな『外様』に天は罰を与えているのだという、根拠の無い精神的支柱がへし折れたら、彼等がどのような行動に出るかわからないのだ。
「そっちはどうなんだ、ガジン。手掛かりは見つかったのか」
「ああ、イスズの実家にある蔵の書物から、見つけることができた」
先日、蔵で見つけた書物の内容について、ガジンは皆に話した。
これから行くべき場所の名を告げると、ホウリが微妙な顔をする。
「〈遠のき山地〉かあ……。あそこの領主は、問題を起こしたとかそういう話は全然聞かないから、大丈夫だとは思うんだけど、逆にいい噂も聞かないんだよね。至って普通、というか」
「まずいのは〈深き山ノ民〉だろうよ。彼らは排他的だと聞く。実際、国ができてから、でかい戦を起こしたやつらだ」
ロウハは「大丈夫なのか」――とガジンの身を案じて、心掛かりそうに言った。
「諍いを起こしているわけでもない。心配はないだろう、出たとこ勝負になるのは昔からだ」
肩をすくめて、ガジンは諦めた風に言う。厄介事が向こう側から全力疾走してくることには、もう慣れていた。
「付き合う身にもなってくださいよォ」
「しょうがないよ、ガジンにとっては運命みたいなものだし」
「そんな物、天に蹴り飛ばして返却したいところだ」
それから四人は、他愛の無い応酬を繰り返した。互いの情報を交換し終えると、親友が絡んだ昔話に花を咲かせた。幾刻か時間が経ち、解散しようとしたときであった。
音もなく、黒い影がいくつもの墓石の合間を縫って近づいて来たのである。当然、ガジン、ロウハ、クウロはすぐに気がついた。
「〈影〉の人、だね」
ホウリが、他の三人に遅れて気配を察知した。
「おい、ガジン。今度はなにを運んで来やがったお前」
「なんでもかんでも私のせいにするの、止めないか?」
「断る。身をもって知っているからな」
ガジンは親友に苦情を申し立てたが、届くことなく却下された。とにかく、ガジンも〈影〉を感覚で捉えていたから、様子のおかしさはわかっていた。
向かって来ている〈影〉は随分と焦っている。感じ取られるだけでも『气』にかなりの揺らぎがある。
『气』が揺れるということは、体の動きになんらの変調があらわれる。つまり、慌ただしいのだ。子供がどたばたと廊下を走り回るように、である。
「ガジン様、ロウハ様、ご報告申し上げます」
〈影〉の若者は、よほど無理をしてきたのか、跪いても肩を上下させ、息が弾んでいた。
「『外様』の領内を回っていた『譜代』の庄家の一団が『竜』に襲われ、壊滅したとのこと」
砦の一件から、雪崩のごとく凄まじい勢いで流れ込んで来る報告を、いい加減止めなければならない。ガジンは終止符を打つべく、〈影〉から詳細を聞き終えると、決心した。
「クウロ、明日〈遠のき山地〉へ向かう。手掛かりが見つかればそのまま現場へ直行する。長丁場になるが付いて来い」
もはや、状況が静観を許さない境界線まで来てしまった。座していて、事態が好転することはあり得ない。ちまちまと小さな火消しをしたところで、山火事は鎮火しない。
クウロは、上司の指示に黙ってうなずき、了承の意を示した。
「気を付けてよ? この状態で〈八竜槍〉がひとり欠けでもしたら、もっと大変なことになるんだからさ」
「わかっている。吉報を待っていろ」
「頼むから、凶報を持ってくるなよ?」
「保証はできん」――そう言ってガジンは墓に背を向けて、外へと歩いて行った。
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