その八十四 雫、邪を討つ

 目の前の醜悪な肉塊は、忽ち窄み縮んで小さな紙片に戻る。絞め殺されそうになっていた桜も髪が消えるや、ばたり、と廊下に投げ出された。


 絶叫した浄瑠璃姫も、そのままその場へ前のめりに倒れた。


 雫はすぐに桜の身を起こして、無事を確かめる。少しの間気を失っていたらしかったが、暫く名を呼んで身を揺さ振ると、すぐに少女は眼を開いた。

 そして、雫は桜と共に、全ての元凶であった姫の元へと急ぎ駆けつけた。


「よかった――」


 雫は、優しく言葉を洩らす。

 姫は、元の美しい女性によしようの姿に戻っていた。艶艶とした髪を畳の上に広げ、綺麗な着物を乱しただけで、今は気絶しているようである。刀も、彼女が妖怪でなくなった途端に抜け落ちたらしく、傍らに転がっていた。

 雫はそれを拾い、腰の鞘に収めた。

 かちり、と心地よい音が鳴った。


「御剣様――」

 桜も可愛らしい顔を綻ばせ、雫に笑いかける。

 雫は静かに息をつくと、頷き、そして微笑んだ。

「――雫ッ」

 その時後ろから、そう呼びかける巴の声が聞こえた。同時に、走ってくる毛虎ケトラののしのしという大きな足音、そして、空を飛んでくる鳥の大きな羽音もある。取り敢えず二人は部屋から出て、彼女らを出迎えることにした。

 毛虎ケトラの背から降りた巴は、早速早口に話し出した。


「ちょっとちょっと。何か知らないけど、戦ってたら突然相手が煙上げて消え――ああ、やったんだね」

 話の途中でそうして了解した巴は、倒れた姫や辺りの様子を見て首肯すると、おめでとう、と雫に云った。毛虎も、嬉しそうに喉を鳴らしている。

 そこへ、いきなり目前に、空から岬が身軽に飛び降りてきた。

 すたりと降り立ち、着物に付いた汚れをぱんぱんと払うと、無口な美童は雫の顔を見上げ、それから半ば独り言のように、こう云った。

「――おめでとう」

「有難う」

 雫は笑って、岬の頭を撫でた。俯き加減にしながらも、岬は黙って、されるがままになっていた。


 そんな様をにこにこと黙ってみていた剛胆な若女将だったが、ううんと伸びをすると、肩を揺らして雫に云った。

「さあさ。そんなことよりも、雫。やらなきゃならないことがあるだろう――私たちは、もう、いいから」

 使い終えた銃をその辺の草叢に軽く投げ捨てた巴は、最後に明るい声でこう、話を締めた。

「あの子が、待ってるよ」

 三人は優しく、雫を見ている。

 笑顔の雫は強く、頷いた。

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