第40話 鳥かごの中の自由
病人というのは、なかなかに暇なものだ。
基本的には自分のいるベッドが生活圏内で、そこから外に出ることはあまり多くはない。
さながら、巨大な鳥かごの中にいるような気分だった。
それはそれとして暇なのは大変結構なことだが、誰もいないというのは案外と寂しいものだ。
こういうときに桜川の1人でもいれば賑やかし程度にはなるのだが、あいにく奴は俺の代わりにバーベキューやらシーカヤックやらと修学旅行を楽しんでいるらしい。
時折耳元で響く、携帯のバイブ音がその証拠だ。
しばらくは無視していたものの、昼前になってようやくメッセージを開く。
あーだこーだという言葉に混じって、いくつか桜川から写真が送られてきていた。
大抵は風景写真だったが、最後の1枚は違っていた。
『BBQなう』
肉や野菜の刺さった串を右手に、快活に笑う少女。
そのななめ後ろには、山盛りのフランクや野菜が写っていた。
思い出したかのように、食欲が刺激される。
そういえば、そろそろ昼飯時だがどうしようか。
体の調子も何となく戻ってきた感じがするし、売店で適当に見繕ってもいいだろう。
ベッドから体を起こそうとした瞬間、部屋のドアがノックされた。
「水谷君、入るよー」
「はい」
まだ少し調子の悪い声で返事をする。
「どう、からだの具合は?」
「ぼちぼちってところですかね」
「お昼は食べられそう?」
「ええ、まあ」
寝てばかりだったのでいつもほどの食欲はないが。
「またちょっと熱測ってもらっていいかな?」
「はい」
体の不調もないし、朝よりは下がっていると思いたい。
測ってみると、まだ少し高かった。
「寒気がするとか、頭痛いとか、そういうのはない?」
「はい」
「7度2分って、結構微妙なんだよね……もう少し下がるか上がるかしてもらえるといいんだけどねぇ……あ、お湯につけておけば」
そういう裏事情的なものは生徒の前でぶちまけて良いんだろうか。
というか、そんな古典落語みたいなことやって体温を偽装しようとするのはどうなんだ。
「生徒の前でそんなこと口走って良いんですか……?」
「ああごめんね、何か変なこと言っちゃって」
「い、いえ……」
まあ、手がかかるかかからないか微妙なラインというのは、なかなか負担になるのかもしれない。
「売店行くとかならしても良いけど、部屋出る時は必ずマスク着用でよろしくね」
「はい」
「カップラーメンとかなら、部屋のポット使っていいよ。お湯は足りなかったら洗面所の水が飲めるから、それで足してね。そうそう、鍵は私が持ってるから、買い物終わったら電話してくれる?」
「分かりました」
「じゃあ、そういうことで」
先生がいなくなると、早速俺は財布を持って飛び出し……そうになったところで速度を緩めた。
飯にがっつくのは、朝倉の仕事だ。
流石はホテルの昼間、人気は全くと言っていいほどない。
見かけるのは清掃のスタッフさんと、あとはスーツ姿のビジネスマンくらいだ。
フロアの外れにある売店も例に漏れず、商品はほとんどが棚に満載の状態だった。
「いらっしゃいませー」
少しのんびりとした店員さんの声を聞きつつ、昼食を選ぶ。
時間だけなら今日はたっぷりとあるので、弁当やおにぎりをじっくりと眺めていた。
買い物終了後、先生を呼んで部屋に戻る。
「3時か4時くらいに、また様子を見に来るから。その頃にはみんな帰ってくると思うよ」
「そうですか」
「また熱を測らせてもらうけど、今の様子なら夕食は大丈夫そうかな?」
体調の方はほとんど回復したが、どうせすることもないしまだ休んでいる方が良いかもしれない。
「じゃあ、また後でね。おやすみー」
最後はやや投げやり気味になっていた先生がいなくなると、早速弁当を開けた。
最後の1つが奇跡的に残っていた焼き肉弁当である。
……正直に言って、桜川のBBQが羨ましかった。それだけの理由だ。
せめて、雰囲気の切れっぱしぐらいは味わいたかった。
昼食も終わり、弁当を片付け、膨れた腹が大人しくなるまでテレビを見ていた。
もう寝るだけは飽き飽きだし、誰もいないしこれくらい良いだろう。
残念ながらワイドショーばかりで全く面白みはなかったが。
1時間くらいしたころから、脳内に睡魔が現れる。
気づけば、まぶたも少し重い気がする。
テレビの音声も、何を言っているのか、さっぱりわからない。
やばい、超眠い。
頭が、少しずつ、左右に、揺れる。
ああ、寝よう。
画面を見るのが、だんだん辛くなってきた。
枕の横にリモコンを放ると、そのまま電源を切るように、俺の意識は落ちた。
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