第36話 まどろみの中で

 多少の混乱(というか、ちょっとした騒ぎ)はあったものの、俺も滞りなく入浴を終え、消灯時間までの間は大人しく映画鑑賞に没頭した。

 桜川はというと、俺が風呂にいる間に売店でこっそり買い物をしていたらしい。

 おかげでテレビ前のテーブルには、袋の口を大きく開けたポップコーンと、リンゴジュースの缶が増えていた。


「お前までそんなことやってるのか」

「なんか先生たちも買ってたし、皆も堂々と自販機使ってたよ。というか、カイト君が何か言えた話じゃないじゃん」

「俺はコンビニで買ったやつだから良いんだよ」


 一応、修学旅行のしおりなるものには「ホテル売店は利用禁止」とあったのだが。

 多分全員が忘れているか、無視するつもりなのだろう。


「そういえばさ、何で修学旅行ってうちの学校は沖縄なのかな。たまには他のところ行きたいって、どこかの先生も言ってたよ」

「知るかよ。毎年高2の担任受け持ってたらそうなるだろうさ」

「でもね、沖縄は良いところだけど、確かに他のところも行きたいよねって思うよボクだって。流石にディズニーとかUSJは難しいけど、例えば……リニアモーターカーで大阪万博! とか」

「お前は変な恋愛ゲームを携帯に入れる前にニュースアプリでも入れたらどうだ」

「変な恋愛ゲームってなに!? 乙女ゲーって立派なジャンル名があるんだから!」

「そんなものはどうでもいいから、お前はちょっと時事くらい勉強しろ」


 大阪万博は再来年だし、4年後のリニアに至っては名古屋どまりだ。何回留年する気でいるのだろう。

 というか、絶対にできないぞ。


「カイト君は夢がないよね、夢が。こう、もっと前向きなコメントはできないんですかね?」

「お前なんぞと付き合ってたら俺でなくても無理だわな」


 他愛ない会話に熱中するあまり、テレビがただのBGM再生機と化した。

 それでも夜食に伸びる手のペースは変わらない。


「もう! カイト君のバカ」

「バカはお前の方だ」

「バカって言う方がバカなんですぅー!」

「とうとう認めたか、先にバカと言ったのはお前だぞ」

「あっ」


 しまった、と言わんばかりに驚く桜川。

 これはこれで何というか、かわいいな。

 そんな桜川バカを尻目に、ポップコーンをまた一口つまむ。


「カイト君」


静かに、まるでお告げのように俺の名を呼ぶ。


「何だ」

「修学旅行の間は、ボクのことを茶化すの禁止だから!」

「何を言い出すかと思えば、小学生かよ」

「良いの! 禁止って言ったら禁止! 生徒会長命令!」

「そんな権限は生徒会長にはないぞ」

「うるさい! バカバカバカ!」


 顔を真っ赤にしながら、俺の左半身を両手の拳でポカポカとたたく。

 何だろう、かわいらしいというか、そうだけれどもそうとは言えない気分だ。

 いつだったか柿沼が言っていた、「萌え」というやつだろうか。


「わーったよ、とりあえずストップだ。ステイ」

「犬扱いしないで!」

「ハウス」

「だーかーら!」


 これ以上コイツをからかって遊んでいたら、ベランダに追い出されそうだ。

 そろそろやめにしておこう。


「わかったから騒ぐのはそろそろしまいにしておけ。とはいっても上も下も隣もうちの連中だがな」

「はいはい」


 さっきまで散々からかっていたので、思いっきりふくれ面の返事だった。


「カイト君の意地悪。大嫌い」

「嫌いで結構」


 またポップコーンをつまもうとすると、桜川が袋ごと取り上げてしまった。


「意地悪ばっかしてるカイト君にはあげませーん。あと、食べた分は払ってちょうだい」

「今度は何をするかと思えば、本当に小学生じゃねえか」

「いいの」


 そう言ってテレビの電源を切り、テーブルの片づけを始めた。


「もうおしまい。どうせあと10分で消灯だから」

「わ、悪かったよ」

「本当に悪かったって思ってる?」


 やべぇ。顔がマジで怖い。笑えない。笑ったら殺される。

 そんな気がした。


「……はい」


 思わずソファの上で正座した。


「本当に?」

「はい」

「本当の本当に?」

「はい」


 あ、これ無限ループだ。

 そう気づいたときには、次のループに入ろうとしていた。


「本当の本当に本当?」

「本当の本当の本当の本当に本当です」

「そう。じゃあ、明日からのことは名前で呼ぶこと。以上」

「え?」

「質問は禁止。というか、いままで一度もちゃんと呼ばれたこと無いし」

「そうだったか?」

「そうです。覚えてないの?」


 そんなもん誰もいちいち数えもしなければ気にも留めないだろうよ。

 とりあえず片付けられてしまったものは仕方ないし、寝る支度もしようかと腰を上げる。

 それとほぼ同時に、部屋のドアが開いた。

 考えなくともわかる、担任の巡回である。


「桜川さんと水谷君は……2人とも、いますね。消灯時間なので、早くベッドに入ってくださいね。あと、水谷君」

「何でしょうか」


 すると先生は、急に声をひそめて話し始めた。


「今回は特例中の特例という事で、男女同室の措置を取っていますが、くれぐれも――」

「「先生、桜川ボクは男です」」

「あ、あれ?」


 桜川とツッコミのタイミングが完全一致した。

 先生に関しては、学級名簿をもう1度確認して頂きたい所存である。


「ご、ごめんなさい。桜川さんを見ていたら、つい」

「そういう問題なんですか……?」


 桜川自身も突っ込みながらやや呆れている。

 ただまぁ、お嬢様風のワンピースパジャマが似合う男子高校生など、早々いないな。


「でも本当に可愛らしいですね。『不思議の国のアリス』みたい」

「あ、先生それ当たりです!」

「あ、そうなんですか? いいですねぇー、桜川さんは学祭のときも」

「あのー、先生は巡回の方がまだあるんじゃないですか?」

「そういえばそうでした。見とれててつい」


 またかよ。

 ついじゃ困るんですけど。

 というかこんな時間に長話はしないでほしい。

 もしかして、俺が止めなかったらこの会話は続いていたのだろうか?


「それじゃあ、桜川さん、水谷君。おやすみなさい」

「「おやすみなさい」」


 振り返った桜川は、もうご機嫌モードだった。

 切り替わりが早いというか、何と言うか。


「可愛らしい、だって。えへへへ」

「照れるのは良いが、さっさと歯磨いて寝ろ」

「はいはい。ああそうそう、さっきの約束は忘れてないからね?」

「へいへい」


 正直忘れていて欲しかったが、まあいいか。もういいや。諦めよう。

 明日からの周りの反応が、ちょっとまたこわくなりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る