第35話 から騒ぎの晩餐会

 夕食会場は、もちろん宴会場だ。

 広さは分からないが、ホテル自体がそれなりの規模とランク付けがされているようなので、料理も期待していいだろう。

 入り口前にはすでに行列ができている。

 点呼をとる先生も、生徒にウェットティッシュを配るホテルの人々も、せわしなく動いている。


「306号室の水谷と桜川です」


 今夜の点呼担当はうちの担任であった。


「はいはーい。あ、桜川さん、体調の方は大丈夫? なんか、午前中はあまり良くないって聞いていたけど」

「なんか、お昼食べたら治っちゃいました。へへ」

「そういうの、すごくあなたらしいですね」

「あはは……」


 担任にまで言われるのは、やはり気恥ずかしいようだ。


「まあ、急かすわけでもないので、夕食はゆっくり食べてくださいね」

「はーい」


 颯爽と歩いていく桜川の少し後を、ゆっくりと追いかけていった。




「こ、これは……」

「すげぇなあ」


 大皿に盛られた色とりどりの料理。

 チキン、チャーハンといったいかにも「高校生の好きなモノ」だけでなく、やはりというか何というか、沖縄料理も所狭しと並んでいる。

 その中でも目を引いたのが、ゴーヤチャンプルー。

 他の大皿料理よりも山が大きかった。


「カイト君、あれ見て」

「ああ」


 ちょうど桜川も、全く同じものが目に入ったようだ。

 周りの連中も、時折黄色と緑の山を指差したり、視線を向けて話などをしている。


「あんなもん見せつけられりゃ、なぁ」


 ゴーヤは好き嫌いが割れるだろうと思っていたのだが、他のメニューよりも消費量が多いようだった。




 夕食後、部屋に帰った桜川は「幸せいっぱい」を絵に描いたような表情をしていた。

 なんというか、ある意味で心ここにあらずである。


「いやぁ、おいしかったー」

「ああ、そうだな」

「カイト君テンション低いよー? 修学旅行の夜は、こ・れ・か・ら、だよ?」

「何をおっぱじめる気だお前は」


 頭を小突くと、桜川は珍しく起こることもなく、へなへなと酔っ払いのような笑みを浮かべていた。


「それはねー、お風呂とか、夜更かしとか」

「就寝は何時だと思ってるんだ、それに風呂ったって部屋のしか使えないだろ」

「え、大浴場あるじゃん」

「お前、入れるのか?」

「あっ」


 自分の性別(というより、身の上)はいつ何時でも忘れてほしくなかった。


「女湯はそもそも入れん、かといって男湯に入れば大騒ぎ。別に構わないなら止めないが?」

「……そんなに言わなくても、分かってるよ」


 ようやく酔いが醒めたか、もしくは薬が効きすぎたか。

 多分、後者だろうな。


「俺も言いすぎたな。けどお前がちゃんと考えておくべきことでもあるんだ。そこ、忘れるなよ」

「うん、そうだよね。ところで、カイト君はどうするの? 大浴場行くの?」

「露天風呂付きって言うのはなかなかに魅力的だが……正直、ここからじゃ遠いからな」


 一応、大浴場まではエレベーターが直通しているが、俺たちの部屋はやや建物の端に近い。

 そのエレベーターホールと言えば、ほとんど建物の反対側にある。

 出歩くのが面倒なのだ。


「じゃあ、カイト君も?」

「まあ、そうなるな」

「そう」


 桜川は右手で拳を作る。

 何も言わなかったが、その仕草だけで察した。


「ああ」

「行くよ」

「「最初はグー、じゃんけんぽん!!」」


 初戦は相討ち。


「カイト君、やるね」

「お前が最初に出す手くらい、分かっているつもりだったが。これはやられた、な」

「ふっふーん。次は負けない、よ?」

「応ッ!」


 このあと3分ほどじゃんけんを繰り返したが、決着がつかなかったのでくじ引きで決めた。

 ちなみにクジは部屋に備え付けのメモ用紙である。




 桜川が風呂に入っている間、俺は昼間にこっそり買っておいたポテトチップスとコーラを片手に、テレビをだらだらと見ていた。

 7時台のニュースはとうに終わっており、9時からの映画を観るまでのつなぎとして、チャンネルをころころと変えては、時折飲んだり食べたりを繰り返す。

 テレビの音声に混じるように、扉を1枚隔てた洗面所、更にその奥からシャワーの音がノイズのように響く。

 相手はあの桜川だというのに、なぜか少しだけドキドキしている。

 それはまるで、女子の入浴を想像しているかのようだった。

 アイツは男だ。桜川真は男だ。

 呪詛のように繰り返しても、収まる気配はない。

 いつからそんな状態になってしまったのだろうか、俺は。

 テレビの音よりシャワーの音に気がそれるようになってしまった頃、桜川のくぐもった声が聞こえた。


「カイト君、ちょっといいー?」

「どうした?」


 扉越しに言葉を返す。


「あのさー、洗面所にアメニティあるでしょー? それ取ってくれない?」

「アメニティってなんだ?」

「シャンプーとかコンディショナーとか、英語で書いてあるちっちゃいビンみたいなのがおいてあるからー! それ取ってー!」

「あいよ。って、それお前が取ればいいだろ」

「だって寒いんだもん。出たくないし。取るの忘れちゃったし」

「お前、バカだろ。やだよ。自分で取れ」

「いいでしょどうせ男同士なんだから! それともなぁに? カイト君はボクの身体でコーフンしちゃってるのかな~?」


 他人をからかって遊んでいるこの余裕ぶりが、どうにも腹立たしい。


「んなもん、タオルでも巻けばいいだろ。俺にやらすんじゃねぇ」

「えぇー、けちんぼー。ドケチ。いけず」


 いけずって。それ死語じゃねえのか。


「カイトく~ん、おねがい~」


 男の猫なで声なんて気持ち悪い以外の何物でもないだろう。

 と、思いつつほんの片隅で全く違うことを思ってしまう。


「わーったよ、タオル巻いて待ってろ」


 洗面所の扉を開ける。

 奴の着替えが一瞬目に入ったが、意識して視線を外す。

 目当てのものは、洗面台の右側にあった。

 それらを掴んで、あとは浴室の扉をノックするだけ。

 簡単だ、と思っていたが、ノックしようとするところで手が止まる。

 なんとなく、思い出してしまうのだ。

 この扉1枚隔てた向こう側の、桜川の姿を。

 ほぼ俺と相似形の体格なのだが、それでもある種の神秘というか、見てはいけないという何かを感じてしまう。

 ドアノブを握るか握らないかで迷っていると、ひとりでに開いた。


「カイト君? どうしたの……って、うわっ!?」

「んなっ!?」


 誰だって目の前に他人の顔が来ればぎょっとするだろう。

 そして俺と言えば、目を丸くした桜川に驚いていた。

 俺よりもずっと細い腕。

 胸はなく、首から腰までが一直線に続いている。

 下半身は、タオルを巻いていたのでハッキリとは分からない。

 また脚も折れそうなほど細く、女子だったら「奇跡」とでも呼べそうなプロポーション。

 幸か不幸か以前にも見たことのある、桜川真の生まれたままの姿。

 しかし、あの時以上に俺の心臓は強く鼓動していた。


「カイト君?」

「い、いいや別に、俺はだな、その」

「なに女の子のハダカみちゃった男子みたいな反応してるのさ。別にこれくらいでドキドキされても困るんだけど」


 それまで体内を駆け巡っていた熱い血液が、一気に冷めるような感覚。

 なんだコイツムカつくこと言いよって腹立つ。

 というか、さっき色仕掛けじみたこと言っといていざとなったらその台詞はどうなんだ。

 少しすると、桜川はこんなことを言い出した。


「そんなに見たいなら、見る?」


 そういって、艶めかしい(?)ポーズをとりつつ、腰のタオルに手をかける。

 本当に脱がれる前に、俺は奴の鼻先に頼まれていたものを突き出す。


「ほら、これ。さっさと受け取って閉めろ。お前の全裸なんぞ興味あるか」

「じゃあ、さっきの反応はなぁに? もしかしてカイト君、ツンデレとか?」

「お前が風邪ひいて隔離部屋送りにされる前に、ベランダから突き落とすぞ」


 乱暴にアメニティーを渡して、ぴしゃりと扉を閉めた。

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