2日目

第37話 朝のひととき

(ねえ、カイト君)


 誰かが俺を呼ぶ声がする。


(ねえ、カイト君ってば)


 誰だろう。声に覚えがあるような無いような。


(カイト君、起きないと、……しちゃうよ?)


 何をするのだろう。よく聞き取れなかった。

 そんなことはいい、まだ寝かせろ。


(カイト君、本当に良いの?)


 むしろほっといてくれ。

 今は眠いんだ。


(カイト君、寝ぼけてるのかな……って、そんなこと考えてる場合じゃないじゃん!!)


「カイト君、起きて!!」


 掛け布団を引っぺがされる。

 暖かな部屋の中とはいえ、寒さに耐えかねて起き上がる。

 まだはっきりしない視界の中に、右手で布団の端を掴む桜川の姿が見えた。


「どうした……」

「時計、見て」


 言われるがままに、視線を右下へと移す。

 時刻は6時45分。


「朝ごはん、何時だか覚えてるよね?」

「げっ」


 その言葉を聞き終えないうちに、洗面所へ駆け込んだ。

 出来る限り急いで顔を洗い、パジャマも着替える。

 貴重品を詰め込んだバッグを手に取るまで、トータル5分。


「急いで、行くよ」


 桜川はとうに準備を終えていた。

 当たり前と言えば、当たり前だ。


「目覚まし鳴ってたの、気づかなかった?」

「分からん。今の時間にまだ下にいないのはヤバいってことは分かるがな」


 音には配慮しつつも、エレベーターホールまでは駆け足である。

 他に誰もいないのが、不幸中の幸いと言ったところか。

 いや、いないのが当たり前か。


「まあいいんだけどさ、間に合うかな」

「俺が言うのも変な話だが、エレベーターがすぐ来てくれることを祈れ!」

「そうだね。あと、今言うのもなんだけど、昨日の約束忘れてないよね?」

「……ああ、名前で呼べってやつだろ」

「い・い・ね?」


 本当にこのタイミングで話をするなよ。

 それはともかく、俺たちの祈りが通じたのか、朝食の宴会場まではほぼノンストップでたどり着くことができた、が——。


「遅いぞ、お前たち。朝食の時間は覚えているよな?」


 今朝の点呼担当は学年主任の高崎先生だった。

 年もかなりいっているうえ、小太り体型で地響きのような声も相まって迫力は満点である。


「まあ、遅刻と言うほど遅刻でもないし、今回はお咎めは無しにしてやる。さっさと席に着きなさい」

「はい」


 なるだけ目立たないように、壁際を伝って進んでいく。

 昨夜からのテーブルメイトは柿沼、松波、宮野の3人だ。


「おう、遅かったな」

「アンタたち、何してたの? もしかしてアレ? 昨夜ゆうべはお楽しみでしたね的な——」

「悪ぃな、寝坊したんだよ。あと宮野、戯言はほどほどにしておけ」


 その手の冗談は俺の心臓に悪い。

 7時を少しだけ回った頃、宴会場の一角にある壇上へ、高崎先生が重そうな体を引きずって現れた。


「はい、えー皆さんおはようございます。修学旅行2日目になりました。昨夜はちゃんと寝れたかな?」


 先ほどまでとは打って変わった、非常に明るいトーンである。

 まあ怖い先生ほどギャップが激しいって、よく言うよな。


「細かいことは食べ終わった後に説明しますが、今日はクラス内での班に分かれて、タクシーを貸し切っての行動になります。各班の行き先は事前に伝えてありますが、運転手さんと改めて打ち合わせはしておいてください。私からは以上です」


 その後は出発までのスケジュールが簡単に伝えられ、朝食スタートとなった。




 ホテルでの食事は毎回バイキング形式である。

 各々が好きなものを適当に選んで食べるのだが、そのチョイスはかなり個人の嗜好が見えたりする。

 そんな俺が選んだのは、塩が振られた鮭の切り身に、なめこの味噌汁、キュウリの浅漬け、白米としっかりした和朝食である。

 やはり日本人たるもの、生活の始まりは一汁一菜でないと気が済まない。

 対して桜川は、スクランブルエッグにサラダ、ベーコンとハム。

 白米の味噌汁の代わりにパンとオレンジジュース。

 これまた綺麗な洋朝食である。


「カイト君、完璧な和食だね……」

「1日の始まりは白米にあり、なんてな。そういうお前は洋食派か」

「そうだね」

「でもって、あっちの3人は……ありゃなんだ?」


 俺たちの視線は、松波以下3名の食事に向けられていた。

 一言でまとめてしまえば、「単色」なのだ。

 唐揚げだとか、フライドチキンだとか、肉とか揚げ物系のメニューに偏っている。

 他の色と言えば、申しわけ程度の野菜と白米だろうか。

 バイキングなのでまあ良いとはいえ、コイツらの食生活が気になってしまう。


「なぁ、お前ら少しは食事のバランスってものを考えたらどうなんだ?」

「どうせ体力使うんだから、野菜より肉でしょ」

「宮野の言う通りぜよ。まあ松波はむしろ胸に——」

「黙りなさいエセ龍馬。アンタを切り刻んでサメの餌にするわよ」

「沙紀、それは流石にサメが可哀想だよ。ねぇカイト君?」

「……」


 あ、柿沼が死んだ魚の目をしている。


「さく……、それから女子。その辺でしまいにしておけ。今にも柿沼が海に還りかねん」

「はいはい」

(真、だって……)

(やっぱりできてる……)


 女子2名のひそひそ話が耳に入ったが、全ての発端は桜川にあるのでもう放っておく。

 俺は悪くない。むしろ被害者だ。


「まぁとにかく、修学旅行なんだし。多少は好きなモノ食べても、ボクは良いと思うよ?」

「その次くらいに栄養を考えないと、胸も何も育たんと思うがな」

「……うっさい!!」

「カイト君、そこは触れないであげてよ……」


 松波をヒートアップさせてしまったらしく、彼女の牙が今度は桜川へと向いた。


「水谷が貧乳好きだから、まこぴーは胸なんかなくったって困らないでしょうけどね、アタシ的には大問題なの!!」

「おい待て松波、何ゆえ俺をそんな扱いして——」

「ボクの胸は関係ないでしょ!? それにそんなこと無いし! これでも少しくらいは気にしてるんだからさあ!?」

「落ち着け真! 今自分が何を口走ってるのか理解してないだろ!?」

「「男子は黙ってなさい!!」」


 普通なら、「いや真は男だろうが!」と吠えるところではあったが、勢いに押しつぶされてしまった。

 そこへタオルを投げこんだのは宮野だった。


「2人とも落ち着いて、先生がにらんでるから」


 教員テーブルを一瞥すれば、うちの担任がこちらを確かに見ている。


「ガールズトークはお風呂までとっておいて、ごはん食べよう? ね?」

「それもそうね。……ああ、それから」


 そういって、松波は桜川と同時に俺をにらむ。


「「水谷カイト君、あとで覚えておきなさい」」


 昨日に引き続き、今日も散々な目に遭うことがほぼ確定した俺であった。

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