第29話 日常の中の非日常

 『今日は用事があって、学校は休むことになっちゃった。今度の説明会向けに作った資料とパワーポイントがパソコンにあるから、内容のチェックと印刷をお願いします。ごめんねよろしく』


 朝、満員電車に揺られる俺の携帯に届いたメッセージである。

 送り主はもちろん生徒会長さくらがわだ。


『あいよ』


 いつも通りの短い返事をして、ポケットに戻した。




 普段通りの朝。

 普段通りの教室。

 女子は女子同士で騒がしいし、男は男で旺盛にくだらない話ばかりである。


「おはようさん」

「おう」

 近くの席に座る柿沼がいつもの半分チャラ男モードで話しかけてきた。別に他人と話すのは嫌いではないが、正直この男のようなタイプは苦手だ。


「どうした、テンション低いな」

「お前みたいなのに朝から話しかけられりゃ、誰だって下がるさ」

「はっはっは、おまんの言うことは相変わらずのストレートぶりぜよ」



 この男、理由は不明だが時折エセくさい方言を使う癖があるらしい。

 竜馬かお前は、と突っ込みたくなるのを抑えるのはこれで何度目だ。


「そういえば、今日はまだあのお姫様プリンセスはお出ましでないようじゃの?」

「プリンセス?」

「お前の思い人のことぜよ、それとも嫁さんと言うた方がええかのう?」


 条件反射で殴った。


「相変わらずオメーは何を口走ってんだよ!!」

「まぁまぁ、誰かくらいわかっているんだろ、そう言うなら」

「……桜川は休みだよ」


 床に倒れたチャラ男柿沼をにらみつける。


「冗談の通じない堅物ですなぁ」

「言われても腹の立たない冗談と、そうでないのがあるだけだ」


 軽く蹴り飛ばしてやろうとも思ったが、あえなくチャイムが鳴った。


「はーい皆さん、チャイムが鳴ってますよー! 席についてくださーい!」


 今日は担任が休日なので、教壇に上がったのは副担任だった。

 こちらも女性なのだが、女子生徒並みに身長が低いのでほとんどマスコット扱いである。

 ちなみに男子人気は副担任の方が高い。


「今日の日直は……桜川さん、だったっけ」

「休みです」


 教室後方から大きな声でフォローを入れる。


「じゃあ、えーと……次の日直は……水谷くんかな? 号令お願いしますね」


 わがクラスの日直は席順で決まっている。

 そして俺の前にいるのは桜川。今日は、空席だが。


「起立! 気をつけ! 礼! 着席!」

「はい、皆さんおはようございます。もう学祭が終わって半月になりますから、けじめをつけて、これからは受験生としての——」


 途中から、俺の意識は目の前にある空席へと向けられていた。

 私用というのだから、別に気にする必要もないのだが、いつも聞こえる声がないというのは少し寂しいような、そうでないようなといった気分になる。

 静かになって平和でいいじゃねえか、とこの時は思っていたが。




 3時間目は、移動教室だった。

 別に誰がやってもいいのだが、全員が教室から出たのを確認し、電気を消しているのは桜川だ。


「おい、電気消しといてく……そういえば、今日は休みだったな」


 無人の教室で独り言をつぶやいて、電気を消す。

 1人で歩く廊下は、意外と広かった。

 まだ休み時間なので生徒はいるが。

(何を変に意識してるんだか、俺は)

 秋休みの諸々はもうとっくに片が付いたことだし、今はそこまでアイツに肩入れする義理もない。

 だがしかし、1度意識してしまうとどうにもならないのが人間である。

 今日の授業のことはノートくらいしか採っていないし、もし化学の実験授業だったら薬品をこぼして大惨事になっていたであろう。




 昼休み、俺はいつものように生徒会室へ出かけた。

 もちろん、弁当も一緒だ。

 ただし、今日は小うるさい生徒会長はいないし、メンバーの招集もない。

 あの広い部屋を1人でぬくぬく使えるわけだ。

 久々にコーヒーマシンを動かすと、柔らかい香りと少しだけ混じった酸味が、脳をいい具合に刺激してくれる。

 以前はミルクを入れていたが、今回はブラック。

 ミルクでは中和されてしまう、ストレートな味わいが最高に良い。

 コーヒーを味わう合間に弁当を食し、生徒会用パソコンを立ち上げた。

 デスクトップに置かれていたファイルを開き、誤字脱字やデザインの修正を行った後、印刷。

 これはあくまでも教員側に出す見本用のため、説明会の直前で配布用に再印刷をしなければならない。

 全く面倒なことだが、生徒会の仕事とはこういうものだ。

 印刷したものは専用のファイルに綴じ、念のためメモ書きも挟んでおく。

 あとは放課後に役員で再チェックの後、提出するだけ。

 学校全体のネットワークがせっかくあるのだから、メールでやり取りしても良いような気がする。

 生徒会の業務も早くIT化してほしい、と思いながら2杯目のコーヒーを淹れた。




 放課後、生徒会室は満員になった。

 正確には、会長以外全員なので空席はあるが。


「今度使う資料だ、とりあえず回し読みしとけ」

「はーい」


 目の前に座っていた朝倉から、順にプリントを見ていく。

 最後に川上がペラペラと紙をめくって、俺の手元へ返ってきた。


「で、感想は?」

「感想も何も、桜川先輩が作成したのでしたら、それで問題ないかと」

「……ま、そうだよな」

「そういえば、会長は欠席のようですが、何かあったのですか?」

「さあな、まあ別に風邪ひいたとかじゃないから、深入りせんでも良いだろ」

「それはそうですね。今日は会長抜きですが、まだ片付いていなかった仕事でもしますか」


 しかしその後が大変だった。

 書類の不備に気づかないまま決裁してしまったり、いないはずの桜川を呼ぼうとしたり、それはそれは後輩たちに怪訝な顔をされた。


「……水谷先輩、先ほどからかなり挙動不審ですが、何か問題でも?」

「いや、何でもない」

「でしたら、なぜ先ほどからいないはずの先輩を呼んだり、このような明らかに不備がある書類を決裁してしまうのですか?」


 その右手には、俺がミスをした書類が掲げられている。


「失礼とは存じますが、体調不良などがあるようでしたら、これ以上の業務続行は——」

「大丈夫だ、問題ない」

「センパイ、それフラグです」


 ……まさかの朝倉に突っ込まれた。不覚である。


「やっぱりどこか具合が悪いのですか? 朝倉に突っ込まれるなんてかなり症状が重いのでは?」

「関口くんってば、ひどいよいつもー!」

「朝倉にやられたのは確かに俺の不覚だった、けど体調は問題ない」

「水谷さん!?」


 無視して話を続ける。


「いつもアイツがいれば何とかなってたし、少なからずそう思っていた節は俺でなくともあるだろう? そういうこった」

「言われてみれば、そうかもしれませんね。あまり会長1人に責を負わせるものではなく、あくまで役員全員が共同でそれを負う。少し考えを変えなければなりません」


 真面目過ぎる菊池のせいで話が思わぬ方向にそれたが、それも仕事をしていくうちに皆忘れていった。

 後輩たちに深く突っ込まれなかったのは、幸いだった。

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