第5章 修学旅行とラスト・クリスマス

1日目

第32話 Departure

 空と海の玄関口、東京湾の奥にある広大な埋め立て地。

 その一角にある、これまた巨大な施設。

 人呼んで「ビッグバード」。

 正式名称を、「東京国際空港」という。




「カイト君……すごいね、ここ……」

「そうだな……」


 俺の隣にいるのはいつもの女、もとい男である。

 最近は本当にどうでもよくなったが。

 ともかく桜川は、目の前の光景に息をのんでいた。

「ハマの赤いあんちくしょう」などという、物騒な異名を持つ急行電車に揺られること30分。

 終点で降り、「第2ターミナル」の青い看板通りに地上へ上がること更に5分。

 3本目のエスカレーターに乗った途中から見えたのが、今俺たちが目にしている吹き抜けだった。

 背中から射し込む陽の光が、ロビーを明るく照らし出す。

 空港のターミナルとは全く思えない風景が広がっており、思わず天井を見上げて感嘆した。

 肝心の集合時間まであと2時間近くあるが、別に時間を早とちりしたわけではない。

 というより、俺は桜川に起こされたのだ。電話で。


『カイト君、もう起きた?』

『たったいまお前に起こされたところだ』


 以下くだらないやり取りを繰り広げ、なぜか初電で空港へ向かう羽目になった俺であった。

 本当なら、ちょうどこの時間に電車に乗るはずだったが。


「カイト君、こっち」


 桜川に手首を掴まれ、エレベーターの方へ連れられていく。


「おい、どこ行くんだよ」

「決まってるでしょ、展望デッキ」

「寒いだろうが」

「冬なんだから当たり前でしょ」

「何しに行くんだよ」

「写真撮るの」

「1人で行けよ」

「カメラマンいないと意味ないし、だから呼んだんでしょ」


 そんなことのために俺を朝の4時になんて叩き起こすな。

 というか、写真くらい自分で撮れよ。

 俺を引きずりながら、桜川はいそいそとエレベーターのボタンを押した。

 が、流石にすぐはやってこない。

 その間も、ずっと俺の右腕は拘束されたままである。


「なあ、そろそろ離してもらえるか? というかお前の手、冷たいから具合悪くしそうだ」

「カ・イ・ト・く・ん?」


 その瞬間、手首ごと腕を捻られた。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」

「冷たくて悪かったね。手袋忘れたから」

「お、俺が悪かったからとりあえず離してくれ……」


 空港で騒いでしまったが、場所が場所なので悪目立ちしなかったのが幸いだった。

 さっき抗議のおかげか、エレベーターの中では手を離してくれた。




 雲一つない青空。

 その中を時折行き交う、様々な色をまとった飛行機。

 やはりというか何というか、空気の中にガソリンのにおいも混じっている。

 フェンスの下を覗けば、青色の翼が整然と並んでいた。


「お前、飛行機が好きなのか」

「ううん、そこまで好きじゃないんだけど。どっちかっていうと写真撮る方が好きだし、それに空港の展望デッキって、なかなかいいところでしょ?」


 そういうものなのか。


「本当はスカート履いてきたかったんだけどね……今日は流石にちょっと、ね?」

「写真撮るって、まさかお前」

「ボクが被写体に決まってるでしょ?」


 堂々と言い切らないでいただきたい。


「だったら自撮りでいいだろうが」

「写真に飛行機が入らないじゃん、それに何のためのカメラマンなの?」

「まさか離陸してるのをバックにしろとか」

「カイト君、ご明察」


 どや顔で指を鳴らすな。俺の気分が萎える。

 ただでさえ今日は寒いというのに、元気なものだ。


「沖縄着けば暖かいよ?」

「そういう問題じゃねえ」

「そろそろ次の飛行機出るみたいだし、準備しようよ。どこが良いかな?」

「知らん」


 デッキ自体はだだっ広いので、ロケーションには困らないだろう。

 ただ早朝にもかかわらず、展望デッキに滞在する人は多かった。

 今日の桜川は珍しくジーパンにやや大きめのセーター、コートは明るい茶色と、いつもとは少し違った姿を見られるのは新鮮な気分だ。

 普段が制服なので何とも言いようがないが。

 俺が構えるカメラに向かい、桜川がポーズを決める。

 その後ろ、フェンスの向こう側で、再び飛行機が飛び立っていった。


「写真、撮れた?」

「こんなもんかね」

「あ、いいじゃん! キレイに飛行機も入ってるし、カイト君ありがとう。あ、カイト君も撮る?」

「おれはいい。もうすぐ時間だし、戻るぞ」


 カメラを返し、そそくさと自動ドアをくぐった。




 集合時間の前に点呼を終え、奇跡的に欠席者もゼロという幸運のおかげか出発までかなりの余裕ができた。

 荷物預けもスムーズに終え、いよいよ検査場へ。

 そこでちょっとしたトラブルが起きた。

 あの桜川が、引っかかったのだ。


「え?」


 頭上で鳴る、甲高いアラーム音。

 警備員に案内され、列を一度離れる。


「こちらでボディーチェックをしますので、腕を大きく広げていただけますか?」


 桜川が腕を水平に広げると、胴体の周りを撫でるようにチェックしていく。

 すると腹部のあたりで探知機が反応した。


「すみません、ベルトを外していただけますか?」

「えっ!?」


 物陰でコソコソと外すのが見えた。

 本人は少し恥ずかしそうにして、ベルトを預ける。

 靴もサンダルに履き替え、再チェック。

 今度は問題なく通った。

 荷物を受け取り靴を履き直すと、ものすごい速さでベルトを締めていた。


「よう、お疲れ様」

「まさかベルトで引っかかるなんて……。赤っ恥だよぉ」

「まあこれも経験だろ。多分な」

「帰りは失敗しないよ! スカート履いていくから!」

「大声で言うことか、それ」


 ゲートの近くにいる生徒は、総数の半分ほど。

 残りは恐らく、他で写真を撮るなりショップを覗くなりをしているのだろう。

なにせもう飛行機に乗るまで、このエリアからは出られないのだから。

 しばらくして姿を見せた窓向こうの機体を眺めつつ、桜川はこれから始まる旅に胸を膨らませているようだった。

 そして俺も、あれこれと想像を膨らませることに余念がなかった。




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