第26話 新たな羽《つばさ》

 とうとう、秋休み最終日。

 一昨日を境に、桜川からの連絡は無い。そしてもちろん、俺からも連絡をしようとは思わなかった。

 ただ、待ち続けた。

 星空に向かって祈りはしないまでも、ふらりと1本の電話が、1通のメッセージが来やしないかと。

 夕暮れ時にさしかかるかどうかの頃に、時は訪れた。




 机の上で携帯が震えだす。

 画面に映った名前は、『桜川 真』。

 電話をとる自分の腕が、少し震えた。


「もしもし」

「あ、カイト君。元気してたー?」

「2日前まで顔合わせてた奴に言う台詞か、それ」

「細かいことは気にしない気にしない」


 電話口の桜川は、どこかいつもより明るい感じがした。

 しかし、わざと作っているようなテンションでもない。


「いやー、疲れた疲れた。今度何かおごってよ」

「断る。むしろ迷惑料をよこせ。2泊分な」

「どうしようかなぁ-」

「どうしたもこうしたもねえ」

「まぁ、それは追々検討するとして。本題、いいかな?」


 来たか。

 小さなスピーカーの向こうで、ため息をつくのが微かに聞こえた。


「ちょっと急な話なんだけど、お姉ちゃんと2人暮らしすることになりました」


 雷に打たれるとは、こんな気分なのかもしれない。

 あまりの驚きに、口が開いても声が出せなかった。

 落ち着け、俺。


「まさか、うそだろ?」


 引っ越すということは、長野へ転校ということになるのか――?


「嘘でも何でもないよ、まあこれで縁が切れると思えばどうということもないし、お姉ちゃんだって一応は成人だから問題なし」


 それはそうなのかもしれんが。


「安心してよ、別に会えなくなるわけじゃないんだし」

「そりゃそうだろうけどよ」


 長期休みの時なら、時間を作って遊んだりなんてことは出来るかもしれない。

 だが。


「引っ越すって言っても、例の空き家だから別に何も変わらないよ。せいぜい最寄り駅くらいだよ」

「変わらないって言ってもな――」


 ……あ?


「おい、今なんて言った」

「別に会えなくなるわけじゃ」

「そのあとだ」

「引っ越すって言っても、例の空き家だから何も変わらないよ」


 はあ!?

 一気に全身の筋肉が弛緩する。

 そういえば、『転校』なんて一言も言わなかったな、と先程の会話を思い出した。


「そうそう、一昨日なんだけどさ」


 そこで桜川は言葉を止める。


「アニメとかだと、大体このあたりでホワンホワンホワ~ンってSEが流れて回想シーン入るのに、不便だよね」

「おうこら」


 現実と2次元の世界を一緒くたにするな。


「多分最後の大喧嘩、になるのかな? ボク頑張ったよ」

「そうか」

「まあ、最後は叔母さんとお姉ちゃんで集中砲火食らって、珍しく狼狽えてたよ。いやー録画してたらデータをカイト君にあげようかなって思ってた」


 のんきというか、図太いというか、である。


「何がどうしてそうなったんだ」

「初っぱなからすごかったよ。ボクを見るなりそんな恰好の男は家に上げん! って」


 そういえば、妹から借りた服を着替えていたな。

 帰りは俺が買ってやったのを着ていたような。

自分の頬が痙攣するような感覚を覚えた。


「こう言うとアレなんだけどさ、カイト君も一緒に居るみたいな感じがした」

「流石に、ちょっと気持ち悪いって言っていいか」

「もう言ってるじゃん、まあいいけど。でもね、カイト君が言ってくれたおかげみたいなところもあるから」


 そういえば、帰り際に色々と口走ったような気がする。

 どうしてだろう、俺の背中を汗が伝う。

 冷や汗なのか暑いだけなのか、それさえわからない。


「だから思い切り反抗したよ。『ボクは可愛い恰好がしたい! ボクが好きな服着て何が悪い!』って。完全に地雷は踏み抜いたね。けど、それがきっかけと言えばきっかけだったよ」

「何が」

「名目上は話し合いって事で、裁定役に叔母さんも来てくれてたんだ。初めて知ったんだけど、弁護士なんだって」


 本日2回目の、はあ!? である。


「こんなに子供の尊厳や人格を認めないような親は見たことがない、今まで目をつぶってきたけどここらが我慢の限界だ、って。思わず叔母さんに泣きついちゃった」


 こんな時どんな反応をすればいいんだ、俺は。


「法的に親子の縁を切ることも出来るけど、どうするかはボクが決めろなんて言われちゃって、流石に何とも言えなかったよ」


 かなりヘビーな話を聞かされているはずなのだが、当事者の桜川がいかにも清々しそうなので何ともシュールである。


「で、お前はどうしたんだ?」

「むしろDVで訴えたい気分だよ、って返しておいた」


 加害者(と言っていいのだろうか)の父親が居るというのに、なんとも剛胆な事を言えたものだ。


「ただ、何にせよ相手は親といえどあの男だし、許すつもりは端っからないけどね。だけどこの年から絶縁するってなっても、裁判終わる頃には成人してるかもって言われちゃったから結構悩んだよ」


 電話の向こうで、桜川がため息をついた。


「だから、親子の縁が切れないなら、もう一生同じ家で暮らしたくない、顔を合わせたくない。だから叔母さんには『連れて帰って』って言っておいた」

「そうか」


 返す言葉はこれが精一杯だ。これ以上、何か言えた義理もない。


「お母さんは、ついていく理由もないし家の管理もしないといけないから残るって。離婚は、するのかな」


 ここまで来ると、「家庭崩壊」の四字熟語が浮かんだ。

 しかし桜川の様子からして、それは違うだろう。


「兎にも角にも、これでようやく解放されるんだし、祝勝会でもしようよ」

「結局その話か」

「まあいいじゃん別に。それと、明日なんだけどさ」


 そういえば、クラスの連中にはどうするのか、すっかり忘れていた。


「ばらされたのはもう仕方ないとして、変に嘘つくのも何だか不自然だし、みんなのこと嫌いなわけじゃないからねー。もちろん、カイト君もだよ」

「それはどうも」

「ちゃんと学校には行くから、そこは安心して」


 来なきゃ来ないで俺がまた集中砲火を食らうからな。


「ただ、普通に話しても面白くもなんともないし、ちょっとくらいのサプライズは考えてなくもないけどね」

「そうか」

「じゃあ、また明日ね」

「おう」


 願わくば、その『サプライズ』とやらが常識的かつ穏当なものであれ、と心の中で呟いた。

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