第25話-1 リブルーミング(前編)

 さらに次の日。

 桜川は何を思ったのか、起き抜けにこんなことを言い出した。


「出かけるから、一緒に来て」

「どこ行くんだよ」

「買い物。ゆうべカイト君のお母さんに頼まれたの」


 お袋よ、なぜ実の息子を飛び越えて居候に頼むんだ。


「さあ? 信用の問題じゃない?」

「……心当たりがないな」

「すぐに返答が出来なかったってことは少なからずあるんでしょ」

「そんなことがあるわけ無いだろう」

「とにかく、2人で行ってきてって言われてるから、早く着替えて」


 そういう桜川は、我が妹から借りた紺色のワンピースをさも当然のように着ていた。




 ついて行くままにたどり着いたその場所は、繁華街のショッピングモール。

 迷うことなく向かった先は服売り場。

 うすうすと気がついてはいたが、正解を確かめるのが怖かった。

 最初に目に入ったマネキンが着けているのは、綺麗な刺繍の入ったピンク色のブラジャーとパンツ。おまけに花柄である。

 あまり視線を向けていると怪しまれる可能性が400%。


「カイト君、いやらしいよ」

「こんな所にやってくるお前に言われたくねえ」

「行くのはもうちょっと先」


 そう言う桜川は恥ずかしそうにしながらも、ちらちらと視線を向けていた。少なくとも俺とはちがう理由だろう。


「こっちにも可愛い柄のとかあるかな……」

「どうした」

「別に。こっちこっち」




 到着地周辺に下着が売っていないだけまだセーフだな、と思ってしまったこの時点で俺の感覚は麻痺していることが確定した。

 何が悲しくてクラスメイトと女物の服なぞ買い物しなければならないんだ。


「カイト君、これどうかな?」

「さあな」

「ちゃんと見てよ」


 右手に黄色、左手に青色のシャツを抱える桜川。


「というかそもそも、この買い物はなんだ。お袋が頼んだじゃねえだろ」

「『明日、お家戻るんでしょう? だったらお土産に好きな洋服持たせてあげるから、カイト使って良いよ』って」


自分の子供をを小間使いみたいに言うなよ、全く。


「そうそう、お財布はカイト君でよろしくって言ってた」

「おいこれいくらだ」


 即座に値札をひっくり返すと、円マークの隣に「2」という数字が見えた。


「買うのはこれだけか?」

「ボトムスも探すよ? スカートとズボンならどっちが良いかな?」

「そっちの予算は」

「上限が3000円くらいかな。トップスとセットで買えば半額だって」


 桜川が指した方向には「決算セール」の看板が下がっていた。

 俺はため息をついて、桜川に告げる。


「1着だけだぞ。俺だってそこまでバイトしてるわけじゃねえ」

「でも、夏休みにそこそこ入ったんだってね?」

「お前なぁ」

「大丈夫安心して、1着しか買わないから」

「それは安心要素なのか?」

「知らない。それで、どっちが良いかな?」

「黄色でいいんじゃないか」


 選ばなかった方は即座に戻し、桜川は移動を始めた。


「下はどっちがいいかな」

「何が?」

「スカートかズボンか」


 抱えているシャツを見ながら、脳内で桜川に着せ替えをしてみる。


「どっちでもいいんじゃないか」

「二者択一の質問にそれはないよ」

「だからお前が選べば良いじゃねえか」

「さっきはカイト君が選んだじゃん」

「だったら次はお前だろ」

「選んだ人がバラバラだとコーデもおかしな事になるの! だからカイト君が選んで!」

「俺にそんなセンスを期待するなっ!」


 店のど真ん中で口げんかになり、店員と客に白い目で見られてしまった。

 それに気づくと、お互い声を潜める。


「じゃあ質問を変えるよ。どっちが可愛いと思う?」

「ならスカートじゃないか」


 そう言うと、桜川は俺を置いてどこかへ行ってしまう。

 目で追ってみると、何カ所も回って品定めをしているようだった。

 めぼしいものを見つけてはタグをチェックし、左腕に抱える。

 重くなったらかごに入れ、一杯になったところで戻ってきた。


「お前これいくつ選んでるんだ、1枚だけだぞ買うのは」

「大丈夫。……これから見てもらおうかなって、候補に入れてあるだけだから」


 妙に下向き目線で、やや頬を染めている。

 嘘だろおい。

 いや、前にもこんな反応をしていたようなしなかったような。

 そんなことはともかく、問題は目の前にある現実だ。


「色と丈をどうしようかなって。試着するから見てくれない?」

「俺が見るのか? 試着室に鏡くらいあるだろ?」

「カイト君が暇になっちゃうでしょ」


 俺はそれでいっこうに構わないんだが。


「というか、絶対カイト君フードコートとかで油売るつもりでしょ。させないから」


 見透かされていた。


「そっちのシャツ、貸して」


 服を渡すと、桜川は周囲を見渡す。

 試着室は案外近くに見つかった。


「のぞいちゃダメだからね?」

「誰がお前の着替えなぞのぞきたが……痛ぇ!」


 脳天にグーを食らい、少々舌をかんだ。


「わ・か・り・ま・し・た・か?」

「のぞかねえって言ってんのに何故殴った!?」

「なんか腹立たしかったので」

「どこがだ!?」


 この意味不明な心情を、乙女心と呼ぶのだろうか。

 コイツが乙女かどうかという議論はさておき、だ。




 女の着替えは長い。妹がいるのでそれは経験で知っている。

 こういうとき、アニメだと主人公が知り合いとバッタリ出くわしてしまい、そのままヒロインのいる試着室に転がり込んでしまうという展開がお約束だが、残念ながら現実はそうもいかない。

 というか、桜川の着替えは興味もない。というか、見たことが何度もあるからだ。生徒会室で。

 そこに思考が行き着いたところで、ふと思い出す。

 そういえば、あのときアイツは自棄を起こしていた。

 学祭の後、父親に秘密を暴露され、そして壊れた。

 一瞬、右手が熱くなる。

 --桜川に手をあげたのは、あれが初めてだったな。

 次の日には、その本人が我が家に転がり込んできた。

 そして今、一緒に買い物などしている。

 たった1日の間に、何があったのだろうか。


「カイト君、いいよ」


 試着室のカーテンから顔をのぞかせる桜川。


「お、おう」


 段差の分だけ、桜川を見上げて相対する。

 黄色の七分袖シャツに、下は足首近くまである白色のロングスカート。


「どうかな?」


 レースの裾をつまみ、足を軽く引いてお嬢様風の仕草をした。

 そこはかとなく、ある種の色気を感じる。

 決して性的な意味ではない。

 俺の目の前に立っているのが、女装したクラスメイトだとはまったく思えなかった。

 むしろ、そこにいるのは1人の美少女であった。


「どうしたの?」

「あ、いや、別に」

「別にって顔じゃないじゃん」


 わざわざ靴をはき直して近づいてくる。

 寄るな寄るな殴るぞ。


「何でもねえよ、ただ……」

「ただ?」

「その、なんだ」


 綺麗だな、とか、可愛いじゃねえか、とか言えるか! よりにもよってクラスメイトに向かって! しかも男に!

 可愛ければ男でも良いなどという戯れ言は俺は知らない、断じて知らんぞ!


「可愛い? それとも、綺麗?」


 もういっそこの場で俺を殺してくれ。

 思っていても絶対に言えない言葉は存在するのだ。


「あのー、カイト君? 目をそらさないでもらえますか? 感想がほしいんですけど?」

「店員にでも聞け」

「なんでそんなことしなきゃいけないのさ。素直になりなよ」

「元から素直だ」

「じゃあ感想くらい言えるでしょ、はい」


 桜川が右手で見えないマイクを握り、俺に突きつける。


「悪くはない、と思う」

「全くもう。まあ、無理に言わせる事も無いし、いいか」


 だったら最初から聞かないでほしかった。


「じゃあ、次ね」


 試着室のカーテンが閉じられる。

 そういえば、まだこの服がまだ1着目であるということを思い出した。

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