第4章-1 秋雨前線、北上中
第22話 沈黙の月曜日
秋桜祭、撤収日。
桜川は教室どころか生徒会室にさえ、一切顔を出さなかった。
携帯にメッセージを入れても、既読すら付かない。
「今日は水谷さんだけなんですか?」
「ああ」
深刻そうな顔で尋ねる朝倉に、俺は努めて淡々と答えた。
「ま、具合悪いとかそんなもんだろ。お前が思い詰めるような事じゃねぇ」
「そう、ですか」
「それに今日は片付けだ、桜川がいなくてもテキパキ終わらせるぞ。昨日までの事はちゃんと思い出の中に放り込んでおけ」
代わって号令をかけると、各自で作業に入る。
中学生組は装飾の撤去、菊池は準備日と同じく土木作業。
打った釘を外し、リサイクルできる資材と産廃行きの資材に分別する。
資材よりも装飾の方が大量だったので、終わり次第中学生の作業も手伝う。
作るより壊すが易し、2時間もしないうちに全てが終わる。
生徒会室は、日常の光景を取り戻した。
ただ、1点だけを除いて。
「お疲れ、今日は解散。ホームルーム終わったら帰っていいぞ」
「まこぴーセンパイなら、こういうときいつも『帰りにお茶でもしていきましょう』って言ってくれるんですけどねー」
「今アイツの話はするな!!」
何気ないその言葉がつい
5人の後輩達の視線が集まる。
三原に至っては、半ば怯えた目で俺を呼んだ。
「水谷、先輩?」
「い、いや。なんでもねえ。悪かったな」
普段ならのんびりと生徒会室を出るところだが、今日は後輩達を追い出す羽目になった。
教室に戻り、扉に手をかけた瞬間。
俺は中から漏れ出てくる、暗い気配を感じた。
恐らくというか、ほぼ間違いなく。
この向こうでは、張りつめた空気が流れているのだろう。
意を決してから、俺は入った。
そして、第一声。
「どうしたお前ら、そんなに最後の学祭が恋しいか」
「水谷」
重苦しい空気の中で唯一反応したのが、松波だった。
「気持ちは分かるけど、アンタそんなことするようなキャラじゃないでしょ。むしろ逆効果」
「そこまでまっすぐ刺されると、かえって快感すら覚えるな」
「うわ、変態」
おい待て。なぜだ。解せぬ。
しかし松波は意にも介さず、そしてさっきとは違うトーンで俺を呼んだ。
「ねぇ、水谷」
「何だよ」
「一応確認だけど、まこぴーは男子なんだよね?」
「ああ。間違いない」
合宿のときに裸体を見ているし、それは誓っていい。
「てことは、あんたはそれを知ってた上で付き合ってた、と」
「だから俺と桜川は恋人同士じゃねえって何度言えば」
そもそも言い出したのもお前らだろ。
「別に恋人とは言ってないし。それに、別に可愛いじゃない、まこぴーは。それなりの良物件と思われますが?」
「ただ単に茶化したいだけなのか、どっちなんだ」
「うん、ごめん」
「そんな思い詰めた顔で謝られるのも困るんだが」
いつしか教室の凍り付いた空気は、少し雪解けしていた。
今の会話がいい融雪剤になったのだろう。
「それでさ、なんでまこぴーは女の子のふりなんてしてたわけ? わざわざ手の込んだことをしてまで」
恐らく、いくつかあった不自然な行動のことだろう。
答えの片鱗のようなものなら、俺は以前見たことはある。
しかしそれを、本人の居ないところでおいそれと話す気にはなれない。
自分の中にある澱んだ感情をしまい込みつつ、口を開く。
「1つだけ、いいか」
「なに?」
「桜川は、多分こうなるだろうと予想はしていた。その危惧が現実のものになったら、どうしようもないこともだ」
「どうして?」
「アイツ1人程度の力じゃ、何もひっくり返せないと思ってたんだろうな」
少し言葉に詰まったので、思考に集中する。
ぼんやり台詞が浮かんできたところで、出来る限りのことを伝えてみた。
「まあ、本人の居ないところでその心情を察しろっていうのも、なかなか無理な話だがな」
「確かに一理あるわね。それで、何か事情とか知らないの? あんた彼氏でしょう?」
もういい加減にしてくれ。
「だから何度も言ってるだろうが、アイツと俺は付き合ってねえしそもそもおと――」
そこで再び、言葉に詰まった。
むしろ思考が止まったと言って差し支えないかもしれない。
「どうしたの?」
「アイツは、男なのか……?」
「さっき自分で言ってたでしょうが」
「そうじゃねえ」
桜川真は確かに男、しかし女とも言えなくはない。
今まで色々な『桜川真』を見てきたからこそ、だ。
「俺にも、アイツのことはさっぱり分からない。ただ、『桜川真』って人間は『こうありたい』っていう自分が、いつのまにか『こうでなければならない』にすり替わっていたのかもしれない」
アイツは女装の理由を、『似合っているから』だと言っていた。
でも今思うと、なんとなくそれは合っているようで違う。
そんな気がした。
「そう。アンタにも簡単に答えられるようなことじゃないことは分かったわ。これ以上は聞かない。でも、いつかはちゃんと知りたい。中途半端に他人の言葉で聞かされて、後のことは臭いものに蓋じゃ筋が通らないもの」
「どうやってやるんだ? まさか本人をこんな所に呼び出して公開処刑の真似事でもするつもりじゃないだろうな?」
「公開処刑って……」
「お前の考えていることと、あのおっさんがやったことの違いが俺には分からねぇよ」
話す気が毛頭ないなら、無理矢理吐かせるようなことをするのは無意味。
だがこのまま置いてけぼりを食らうのは納得がいかない、というのも理解できる。
まさしく、文字通りの板挟みだった。
帰途についたところで、もう一度桜川にメッセージを送ろうとズボンのポケットから携帯を取り出す。
しかし目的は達せられなかった。
というより、そんなことをする必要がなくなったからだ。
「お、お前……!」
ちょうど校門の前に立っていた、1人の生徒。
小柄な体にはやや大きすぎる制服を着たその男子生徒は、心の底から不愉快そうな面持ちでたたずんでいる。
俺と目があった瞬間、視線をそらしてうつむく。
その瞳の奥にあったはずの、底抜けの明るさは失われていた。
「そうあからさまに目をそらされちゃ、俺としても思うところはあるんだがな?」
沈黙。
しばらくすると桜川は自分の携帯を取り出すと、何かを打ち込み始めた。
数秒後、メッセージが送り付けられてきた。
『しばらく、泊めさせてほしい』
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