第9話 せめて、自分らしく
翌日、楓さんの運転する車で閑散とした県道を走る。
窓から見える山肌はいくつもの明るい色で染まっていた。
「うわぁ、きれい!」
「あれは……コスモスですね」
助手席で感嘆する桜川と、そのすぐ後ろで同じ方向を向いている三原。
「お前、花とか詳しいのか?」
「小さい頃から好きなんです。いくつか家で育てたりしてますよ」
意外な趣味があるもんだ。
「前の山のところに、ゴンドラ見えるでしょ。あそこ行くよ」
フロントガラスの先に見える山肌に、ところどころ黒い縦筋が見える。
テレビでよく見るスキー場と違うのは、その周りが白色でないことだった。
ゴンドラは4人乗りだったので、二手に別れて乗り込んだ。
先発は菊池、関口、朝倉と楓さん。
1つ後のゴンドラに残りが乗り込む。
山頂を背後に右隣が桜川、対面は川上と三原。
面子を確認した桜川が一言。
「これは……」
「どうした」
「ハーレムだね、カイト君」
「何バカなことを言ってんだよ」
確かに、見かけこそ男は俺1人であるが。
先発の4人を追うように、ゴンドラが空中へ飛び出す。
最初に目に入ったのは、足下に広がる花の海。
それを見た女子3人(?)が歓声を上げる。
「これは……」
「すごーい!」
「綺麗ですね!」
いつもリアクションの薄い川上は興味深げに景色を眺める程度だったが、あとの2人は窓に顔をくっつけそうな勢いだった。
その傍らで、俺はカメラに風景を収める。
「カイト君、ついでに私たちも撮ってよ」
「あいよ」
席を少し動いて、3人をカメラの画角に入れシャッターを切った。
「カイト君、カメラ借りてもいい?」
「ああ」
すると桜川はレンズを俺の方へ向け、対面の2人にも声をかける。
「2人とも入って」
「え?」
「あ?」
「……」
川上は桜川の顔をまじまじと見つめ、俺と三原は素っ頓狂な声を上げた。
「記録よ記録、生徒会のカメラなんだしちょうど良いでしょ」
「生徒会室から勝手に持ち出して、俺に預けてただけだろうが」
「細かいことは気にしない気にしない」
だんだんクラスでの素が出てきているような、そんな気がする。
ときおり、生徒会長の威厳なるものを気にしているくせしていいのだろうか。
「いいから並んで並んで」
にこにことカメラを構えているのを見て、これは従うほかないと悟る。
フラッシュがたかれた瞬間、俺は全力の作り笑いを浮かべた。
山頂に到着すると、俺たち後発組を待っていたのは楓さん1人だった。
「他のみんなは?」
「先に山小屋で待ってもらってるよ。お腹すいたー、って」
ある1名の女子が脳裏に浮かんだのか、桜川が苦笑いをしていた。
「なんか、ごめんね……?」
「別に謝らなくても良いのよ、面白いわね朝倉さんって子は。全員そろったし、行こうか」
山小屋というよりレストランのような広々とした施設で郷土料理を堪能し、腹ごなしに帰りはハイキングコースで下山した。
ところかわって、温泉旅館である。
楓さんの知人が好意で露天風呂を一時貸し切りにしてくれたという。
それはそれで非常にありがたいが、何にせよ約1名ほど問題が発生する。
(なあ)
浴場に案内される道すがら、隣の桜川に小声で話しかける。
最後尾なので他の連中に聞かれる心配はない。
(なに?)
(お前、どうすんだよ)
(どうするって……あっ)
女装するなとは決して言わないが、せめて自分の生物学的性別は忘れないでほしい。
(どうしよう……お風呂セット持って来ちゃってるし……)
土壇場になって入れないと言ってしまうのは不自然が過ぎる。
だがしかし女湯には入れないし、男湯に来ても……
そのあたりで俺は考えるのをやめた。
桜川の裸体を想像しかけてしまい、脳内から全力でその妄想を追い出す。
(何考えてるの? 私の裸とかじゃないでしょうね?)
(お前の裸なんぞどこに需要があるんだよ)
(ヘンタイ)
人をけなしつつ、その頬は少し桃色に染まっていた。
頼むからそんな顔しないでくれ、いろいろな意味で。
浴場は時間制ながら男女完全貸し切りという楓さんも想定外の大サービスで、広々使おうと男子は中学生と高校生の二手に分かれた。
ある意味気がかりだった女子のほうは、3人と桜川姉妹(もうこう呼ぶ)ということになった。
男という生き物は総じて風呂が早い。
関口と菊池も例に漏れず、俺は誰一人いない大浴場を独占するというちょっとした贅沢を味わっていた。
だだっ広い露天風呂で大の字になっていると、湯煙の向こうに人影が見えた。
引き戸が開く音もしなかったのに、どこから現れたのか。
「カイト君?」
白い肌に細い腕。
それでいて、やや引き締まった上半身。
当たり前だが胸はない。
目が合ったその瞬間、俺は反射で背を向けた。
「お、おまっ、なんでここにいんだよ!?」
「なんで視線どころか背中まで向けてるの?」
「当たり前だろ!」
さっきまで女湯にいた奴が、どうしてこんなところにいるんだ。
「いやー、あゆみちゃんが忘れ物したからって戻ってきちゃって。それでこっちに避難したってわけ」
「どうやって!?」
「鍵借りたの、お姉ちゃんが」
「どこの!?」
「そこの。あ、タオル巻いたから大丈夫だよ」
「最初からそうしてくれよ」
突っ込みつつ桜川の後方を見てみると、女湯との仕切りに小さな扉があった。
「とりあえず、しばらく入らせて。……だから、なんでそっぽ向くの。まぁ、いいや」
湯船をかき分ける音がしなくなると、さっきまでの静けさが戻った。ただし、自分以外の人間がいることを除いて。
外からかすかに聞こえるししおどしが、何回か音を立てた。
「カイト君」
「何だよ」
振り向かずに答える。
「こっち向いてよ」
「断る」
「別に男同士なんだし、いいでしょ」
色々と突っ込みたいところだったが、「男同士」という言葉の妙な強調にどこか引っかかりを覚えたのでやめた。
「んで、何だよ」
意を決して向こう岸の桜川と向き合う。
前を隠している手を挟む細い両脚は、真っ白な雪原のようだった。
上半身はそこそこ引き締まっていたが、男でも女でもない体型。胸がないことに違和感があるほどだ。
髪はやや伸びたのか、後ろをゴムで束ねていた。
見れば見るほど、性別という枠を超えた存在があることをひしひしと感じた。
「なぁ、桜川」
「なに?」
「お前が女じゃないのが本当に不思議だな」
「うん、そうだね」
その返答はじつにあっさりとしたものだった。
「私もね、どうして女の子に生まれなかったのかなあって、思ったことはあるよ。けど、今はこのままでも楽しいからいいやって感じがする」
「そうか」
いつの間に1人称も変わっていたが、そんなところに茶々を入れることはしなかった。
「でもね、男の子と一緒にいるとちょっと緊張するし、そういうところは女の子なのかなって思うな」
「じゃあなんでここにいるんだよ」
「男湯に行くのはそこそこ抵抗感あるんだけど、なんかカイト君だけなら別に平気みたい」
なんだその訳の分からん理屈は。
「カイト君相手だったら、他の男の子の時と違ってそんなに緊張したりしないんだよね」
「それは俺を男として認識していないってことか」
「うーん……どうなんだろう。流石に裸見られると緊張するけど」
「思いっきり矛盾してるんだが」
「だって、こうでもしなきゃカイト君と話せないじゃん。私だって恥ずかしい気持ちを我慢してるの」
「なんか、頭痛くなってきたんだが」
「それ、のぼせたんじゃないの?」
実に投げやりな回答であった。
「そんなことあるか。こっちなんざ入ってそんなに時間も経ってねえよ」
「はいはい」
完全にスルーされた。
「ところで、1つ聞いてもいい?」
「なんだよ」
すると桜川は、湯船を渡って俺の耳元で囁いた。
「カイト君は、僕を男の子としてみてるの? それとも女の子としてみてるの?」
「はあっ!?」
単なる不意打ちというよりも、俺の頭上を遥かに越えていく問いだった。
核爆弾でも投げ込まれたような気分だ。
「じゃあ、そろそろ向こう戻るね。着替えもあっちだし」
「あ、ああ……」
慌てて湯船に潜ったせいか、水の中で呼吸しようとして危うくおぼれるところだった。
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