第7話 バンケット・ダイナー
遠くから、何かをたたくような音が聞こえてくる。それで俺は目が覚めた。
まだ重いまぶたを上げつつ、部屋の時計を見てみると、もうすぐ6時になろうとしていた。
もう一度、今度ははっきりとしたノックの音が聞こえた。
「カイト君、そろそろ夕食の時間だよー?」
「今行く」
少しはねてしまっている髪の毛を撫でつけつつ、廊下で待っていた桜川と合流する。
「どうしたの? 大丈夫?」
「悪い、いつの間にか寝落ちてた」
「なら良かった。さっき、菊池君がお風呂空いたから声をかけに行ったみたいなんだけど、返事がないって言うから心配しちゃって」
「あいつには迷惑かけたな……。あとで謝っておくよ」
「うん」
ダイニングルームには残りのメンツと楓さんが俺たちを待っていた。
「大丈夫でしたか?」
「目覚ましかけるの忘れて寝ちまってたんだ。すまない」
「会長が一瞬青ざめてましたよ」
「えっ……?」
菊池の言葉につられて桜川の顔を見ると、少しツンとした表情をしていた。
「流石にそれはオーバー過ぎ! ……ちょっと、心配したのは本当だけど」
「そうか、何か悪いな」
「体調に問題はないんでしょ?」
「ああ」
キッチンから顔をのぞかせていた楓さんが声をかける。
「ディナーを始めるけど、そろそろいいかな?」
「はい」
用意されたテーブルには、それぞれの名前が書かれたプレートが置かれていた。
食事のあと皆は部屋へ戻ったが、俺は1人ダイニングの本棚を漁り、片隅の席で静かに読書をしていた。
そこへ、楓さんがコーヒーカップを2つ、夕食時にも使っていたトレーに乗せて現れた。
俺の目の前に1つ、その反対側にもう1つを置き、どこからか椅子を持って来て俺と対面した。
「珍しいですね」
「え?」
さっきまでとは打って変わって柔らかい口調だったので、少し驚いた。
「その本、あまり今時の高校生は読まないものかと思っていました。出版もかなり昔のことですし」
「子供のとき、図書館でこれを見つけてからずっと好きなんです。まさかここにもあったとは思いませんでした」
「妹も、そのお話が好きなんですよ。それで置いています」
「そうなんですか」
本自体ジャンルは恋愛系だが、内容がかなり山あり谷ありなので、桜川にしては意外なことだな、と思った。
「少し、とお話があるのですがいいですか?」
楓さんが訊ねた。
「ええ、いいですよ」
「実は、うちの妹のことなんですが……」
「本当は男、なんですよね?」
すると楓さんは、少し目を丸くした。
「あの子のことは、もうご存知だったんですね」
「まあ、はい。前に本人が教えてくれました」
「そうですか」
楓さんは話を続ける。
「どうしてなのか、気になったことはありますか?」
「それは、あります」
前にアイツは女装の理由を「似合うから」とだけ言って、そもそものきっかけが何だったのかまでは言わなかった。
「はい。あの子が小学生になる前の頃でしょうか、自分は私の『妹』だと、そう言ったんです。だから『弟』としては扱わないで欲しい、と。女の子になりたいの、と聞いたら『そうじゃない。自分はお姉ちゃんの妹でいたい』……そう答えたんです」
なんだかよく分からない姉弟だ。ここはあえて『姉妹』と呼ぶべきだろうか。
「言われたときは返事に困りましたよ、本当に。でも今のあの子を見ていると、なんとなく
楓さんは言葉を切り、カップの中味を口にする。
会話が途切れたあたりで、俺は以前からの疑問をぶつけてみた。
「ご両親は、なんて……?」
「そんなことを言われたのは、秘密にしていました。うちは両親とも、いわばかなり古い頭の持ち主で……母はいい顔をしない程度なんですが、父は大っぴらに『男は男らしく』という考えを言っていたので、真は『なんで今時そんな古臭いことを言ってるんだろう』って怒ってましたね」
昔を懐かしむような表情の楓さんを見て、俺は反応に困ってしまった。
「そ、それは……」
「面白いでしょう?」
どこかおかしそうに笑う。
「それで、いちど私のお下がりの服を着せてあげたんです。そうしたらすごく喜んでましたね」
楓さんは席を立つと、ピアノの上に飾られていたフォトフレームを1つ、俺に差し出した。
「これ、私が中学に入学した時の写真なんですけど」
『入学式』の立て看板の前に立つ2人の姉妹。
見なれた制服を着た少女の隣で、快活に笑うその表情は、幼いけれども確かに桜川によく似ていた。
「姉馬鹿ですが、本当にかわいい妹ですよ。さすがに姉妹でいたのは休日限定でしたけどね」
楓さんはいとおしそうに写真を眺めながら呟く。
フォトフレームを元の位置に戻すと、俺にこんなお願いをしてきた。
「本当は近くで見守りたいのですが、それができない私の代わりにどうかあの子を見守ってあげてください」
なんだろう。俺はアイツと結婚でもさせられるのだろうか。
一瞬、そんなくだらないことが頭をよぎる。
気がつけば自然と口が開いていた。
「アイツは……真は、楓さんが思っているよりも、ずっと強い人間だと思っています。それは単に生徒会長として人の上に立つことだけじゃないです」
前に、2人でカラオケに行ったときのことを思い出す。
「どんな時でも自分というものを見失わず、ありのままでいる。それが出来るだけの芯をもっている。俺が今まで見てきた桜川真は、そういう人間です」
「……そうですか」
楓さんはしみじみと呟いた。
「ふつつかな妹ですが、これからもよろしくお願いします」
「はい」
ようやくカップを口に運ぶと、人肌くらいにまでぬるくなっていた。
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