まかない!
くが
ビーフシチューオムライス
今日も今日とて、カフェ『HIBIKI』は地元のお客さんで賑わっている。カフェと言っても、コーヒーやケーキなどのメニューしかないわけではなく、ランチメニューや洋食屋のような単品メニューも多く存在していて、半ば料理店みたいなものでもある。食事目当てに来店するお客さんも、多く見られた。
だがカフェと言えど、地元のお客さんが多い故に、それなりに騒がしくなる時もある。地元客が多いため、殆どが顔見知りというような状態だ。だから喋ることが中々止まらないのだろう。それに料理も美味しい。
そうやってお喋りをしながら、笑顔で食事をしているのを、僕はちゃんと知っていた。
この三十代のお姉さんもその一人だ。もっとも、同じお客さんよりも僕と話していることの方が多いが。
「連くん、今日も頑張ってたわね」
「ええ、働かせて貰ってますし、お店に貢献したいので」
「こんな良い子のイケメンを雇えるなんていいわねー。ウチでも働かない? 給料弾むわよっ」
「もう、からかわないでくださいよ。またのお越しをお待ちしてますね」
いつものように勧誘してくるお姉さんをやんわりとあしらいながら、僕__東雲連は、出ていく彼女に小さく頭を下げた。
僕はこのカフェのホールで働いている。あまり大きい店ではないこともあり、ホールには僕一人だ。そのせいで仕事量に苦しむこともあるが、それ以上に楽しかったし、何よりメニューの品数も鑑みて、厨房スタッフの方が忙しいのはよく分かっていたから、何も言わなかった。
それに、僕にはこの後に控える、一番の楽しみがある。それがあるせいで、時間を気にしがちになるのは、あまり良いことではないけれど。
さっきのお姉さんが退店したのち、厨房から顔を覗かせた一人の男性が声をかけてきた。
「連くーん、休憩入って良いよー」
「ありがとうございます! テーブル片付けてから行きますねー」
店主である男性__御影和馬さんに返事をして、空いたテーブルの掃除を始める。休憩に行きたいのは山々だが、ここで仕事をサボるのは、何だか自分の主義に反した。あと和馬さんの妹__春乃さんに殺されるのではないかというくらい怒られる(かなり怖い)ので、そんなことは絶対にしていられなかった。怒られたくはない。
皿を重ねて、まとめて厨房の流し台まで運んでいく。
厨房には、二人しかいなかった。和馬さんと春乃さんが、少し休憩をして、会話に花を咲かせている。
ここの厨房は、いつだって和馬さんと春乃さんの二人しかいない。バイトが入ることはなく、忙しくとも、常に二人だけで回している。僕は一度、その厨房の様子を見たことがあるが、その時に、調理場にバイトを入れない理由が分かった気がした。
めまぐるしいのだ。二人は四つ以上ものコンロを使いながら、材料の切り出しに加え、必要になるであろう食材を揃える。嵐のように調理場を駆けているというのに、調理には寸分の狂いも見られない。そして何よりも、連携が凄まじかった。和馬さんがコンロを離れるならば代わりに春乃さんが火を守り、新たなオーダーに春乃さんがフライパンを温める間に和馬さんが材料を出す。兄妹故の行動の理解。長く厨房で共に戦ったからこそのコンビネーション。それらが、一朝一夕で作れるものでないことは、素人目にも明らかだった。そんな中にバイトなど入れた日には、作業効率が著しく下がってしまうだろう。おそらく、効率の減少を危惧して、バイトを入れないのではないか。
いつも大変さを見せない二人にそんなことを思いながら、流し台に皿を入れれば、春乃さんが肩を組んできた。
「連、お疲れー」
「お疲れ様です、春乃さん」
「飯出来てるから、冷めない内に食えよ? 今日は私が作ったんだ」
「はい、今から食べますね。ありがとうございます」
にひひ、と笑った春乃さんの背中を見送って、洗った手を拭く。
あの仕事量で、更にまかないまで作ってもらえるのは、本当に感謝してもしきれない。
さて。僕の楽しみとは、和馬さんと春乃さんが作ってくれた『まかない』である。二人がメニューに加えようと思っている物から、一般的な家庭料理まで、様々な物を作ってもらえる。バイト代も大事だが、一日単位の仕事に関しては、これを糧に働いているようなものだった。
彼らの料理の腕は、疑いようもなく、カフェの盛況さを見るに明らかだろう。
時刻は十四時十五分。お昼時はとうに過ぎてしまい、僕のお腹の虫も動いて鳴いている。
お腹の中で鳴きわめく虫を宥めながら、僕も春乃さんがいる調理台へ。椅子が二つ並んで、奥の席には春乃さんが腰を落ち着けていた。
僕は手前の椅子に腰かけ、調理台に向き合った。スプーンだけが置かれたそこに、春乃さんの方から皿が一つやって来る。
中心に置かれた輝く黄色の山。山の周囲には濃茶色の海が広がっている。
それは一般的な料理でありながら、かなりの時間を要しただろう料理だ。それは、
「オムライスですか!」
しかもただのオムライスではない。濃茶色の海__ビーフシチューが優しくも濃い香りを放つ、ビーフシチューオムライスだ。
このカフェのビーフシチューは、人気メニューの一つだ。手間暇が掛けられた料理の一つを使っていると思えば、このオムライスは、本当にすごいものであった。
「久々に作ってみたくなったんだよ。さぁ、食おうぜ」
軽く言って、春乃さんは早くも食べ始める。
慌てて「いただきます」と言った僕はスプーンを使って、黄金の山を僅かに崩す。匙は、山を割って、進んで行った。
卵の下はケチャップライスではなく、普通の白ごはんだ。
そして何と言ってもライスを覆う主役__卵はふわふわ、かつ、とろとろに整えられ、見ているだけで柔らかさが伝わるほどに仕上がっている。ソース代わりのビーフシチューに、スプーンを少しだけくぐらせて、いざ、口に運ぶ。
ぱく。
瞬間、僕の口腔内には、優しくも、強い旨味の躍動が存在した。
まず感じたのは、ビーフシチュー。しっかりと玉ねぎや人参、牛肉の旨味を内包したシチューは、強い旨味を感じるというのに決してクドくはなく、むしろもう一口食べたくなるような仕上がりだ。赤ワインによる、僅かな酸味が味をキュッと引き締め、濃すぎることはなく仕上がったこれだけでも、十分に美味しい。
というのに合間に感じる卵の食感まであれば、オムライスは、もはや官能の域にまで達していた。
ふわ、とろ。
卵を噛み締めるごとに、ビーフシチューへと、濃厚さ、まろやかさがプラスされていく。先ほどまで感じていた酸味は鳴りを潜め、シチューの旨味と卵のまろやかなコクが混然一体になって、僕の脳天を刺激した。
このビーフシチューと卵の味は、言いようもなく素晴らしい。
ただそれを裏で支えているのは、卵に覆われた白__白ご飯であった。ビーフシチューの向こうに感じる仄かながらも座った甘味が、シチューの強い旨味を優しく包み込む。これはケチャップライスでは出来ないだろう。ケチャップライスでは甘みが強くなり過ぎて、少しばかりクドくなるはずだ。白ご飯であるからこその、優しい味だ。
そして、嚥下。
一口目だというのに、浸ってしまいそうになる程、美味しい。
そこから春乃さんに目をやれば、ニマニマと意地悪く笑んでいた。慌てて感想を伝えるべく、僕は自我を取り戻した。
「め、めちゃくちゃ美味しいです! 卵もふわふわだし、ビーフシチューも濃すぎなくて__!」
春乃さんは、そんな僕を見て、
「連が美味そうに食ってるの見てれば、そんなのすぐに分かるよ」
笑って、彼女は、また自分のオムライスを一口。
僕自身が顔に出やすいタイプというのは知っているが、人の口から改めて再確認すると、やっぱり恥ずかしいものがあった。
恥ずかしさを隠すようにオムライスに戻る。
何はともあれ、次はやっぱり、肉だ。サイコロ状の牛肉。濃厚な茶色が絡みついた牛肉は、ともすれば色のせいで硬そうにも見えてしまう。しかしスプーンを当てれば、それはすぐに覆された。
スプーンが、抵抗もなく牛肉を割ったのだ。
柔らかすぎるその肉を、もう一度ビーフシチューに沈めて、食べる。
ほろり。噛むというよりは、歯で崩す、という感覚に近かった。だがしっかりと煮込まれ、味の染みた牛肉はパサつきなど一切なく、一口目よりもビーフシチューの旨味を強く感じた。
噛むほどに肉の味が濃くなる。牛肉のパンチのある風味がシチューを補強し、更なる濃厚さを与えてきた。
飲み込んで、思う。
牛肉とオムライスを一緒に食べたら、大変なことになるのではないか。
シチューの濃厚な旨味。ふわふわに焼かれた卵のまろやかさ。白ご飯の仄かながらも腰の座った甘み。牛肉の強い風味。これらが混然一体になれば、美味しいに決まっている。
そう思うと、スプーンを持つ手を止めることなど不可能だった。
溢れそうになるオムライスと牛肉たちにちゃんとシチューを絡める。そして、口に入れた。
先ほどとまた違う表情。美味しい。
熱々。柔らかな、卵、ライス、牛肉がとろみのあるシチューと絡み合って僕の頭を揺さぶる。
肉の風味が、卵とライスに溶けて、どっしりとした味へと変わる。強い味だ。だが決して嫌ではない。むしろ次を欲するような強い味に、お腹を空かせていた僕のスプーンは止まらなかった。一口。また一口。
美味しい。美味しい!
僕はただひたすらに食べていた。腹ペコだったし、何よりもこれを残すことなんて、あるはずもなかった。
そして、最後の一口を食べた時、満足感と幸福感で満たされる。
僕は二人の作る料理が好きだ。美味しいし、何よりも食べ終わった後、幸せを感じるから、彼らの料理が好きだ。
だから僕は、二人への感謝を改めて込めて、料理に『美味しかった』という内心も含め、言葉を告げた。
手を合わせて、
「ごちそうさまでしたっ」
春乃さんへ視線を投げた。春乃さんも食べ終えていたようで、僕に笑顔を向けていた。
「お粗末様。いつも美味そうに食べてくれるから、作り甲斐があるよ」
「美味しいんだから当然ですっ、こちらこそ、いつも作ってくれてありがとうございます!」
春乃さんは、恥ずかしそうに眉を下げて、
「良いんだよ。私は、連に食べさせたくて作ってるんだからさ」
それから、いつものように快活に笑った。
僕が言葉の意味を尋ねようと、唇を動かしかけたが、それは春乃さんの言葉に遮られる。
「ほら、飯も食ったんだから、この後も頑張れよ! マダムたちがお茶しに来るぜ!」
「は、はい! 頑張ります!」
「行った行った!」と促されて、僕はさっさと厨房を出ようとした。厨房を出る時に、僕はいつも頭を下げるのだけれど、少しだけ、言葉を足してみることにした。
「和馬さん、春乃さん」
「どした?」「なに? 連くん?」と視線を向けられると、真正面から言うのは恥ずかしくなる。でも何だか、これを言っておきたかった。
「いつもありがとうございます! これからも頑張るので、よろしくお願いしますね!」
そう言って厨房を出た。
数秒後、後ろから「あ、兄貴、焦げてる! 焦げてる!」とか「不意打ちは反則でしょ!」とか「でも連だから許す!」とか聞こえてきて、僕は悪戯を成功させた気分になった。まぁ悪戯ではないけれど、僕の素直な気持ちは届いたようで、少し安堵する。
エプロンを結び直して、気を引き締めた。
ちょうど扉が開いて、近所のマダムたちが四人ほど入店する。
僕はお腹も膨れて、元気一杯にいつもの挨拶をするのだ。
「いらっしゃいませ!」
カフェ『HIBIKI』は、今日も盛況である。
まかない! くが @rentarou17
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