第15話

 赤丸銀次は、自慢の兄だった。

 小さい頃から勉強も運動もできて、それでいながらそのことを不必要に得意がる様子もなかったから、兄の周りにはいつも大人も子供もたくさんいた。

 でも太一はこれまで一度も、赤丸銀次の弟で良かったと、自分の立場を誇ったことはない。

                          

                ★★★


 『銀白』という名が付けられているだけであって、その刀の軌跡は、陽だまりの中で散らつく雪のごとく淡く透明に輝く。 

 それこそまさに一閃とも言える太一の斬撃を、しかしG骨は見逃すことなくしかと捉え、後ろに飛び退いていた。

「オウッ⁉」

 ガリッ‼ という刀を振りぬいた太一には身に覚えのない音に、彼は一瞬眉を顰めたが、右手に残る感触に太一はすぐにその音の正体を見抜く。

(当たった‼ 刃先だけ……だが確実に、G骨の右目を切った‼)

 遥か遠くにいるように感じられたG骨との距離が、この瞬間一気に縮む。

 あと一歩、いや、あと半歩分でも深く懐に潜り込めば、次はあの髑髏頭を真っ二つにできるかもしれない。

 あとほんの少しでも力を込めて刀を振れば、次はG骨に致命傷を与えられるかもしれない。

 次こそは――。あともう少しで――。

 初撃の改善点が見つかるだけで、それは追撃を生み、やがては怒涛の連撃を呼ぶ。

「近づきすぎだヨ‼」

 より深く踏み込もうとした太一を拒絶するかのように、大鎌を短く持ったG骨は手前で素早く横薙ぎに振るが、それを読んでいた太一は既に距離を取って射程範囲から逃れていた。

(確かに、奴の一撃は強烈だ)

 規格外の大きさを誇るG骨の大鎌から放たれる一撃は、まさに必殺。それを身を以て受けたからこそ、その表現が誇張ではないことがよく分かっていた。

 だが、そんなG骨にも弱点はある。

(奴には連撃がない。一度振れば、そこで必ずラグが生じる)

 つまりそれは、諸刃の剣。

 その大きさ故、標的がどれだけ遠くにいようとも捉え、標的がどれだけ鎧で身を固めようとも砕くことができるが、その一撃はどうしても大振りになってしまう。

 その大鎌は一撃必殺だからこそ、二撃目、三撃目は存在しない。

 だから太一は、G骨が攻撃を放った後を狙った。そのために、G骨が大鎌を振りぬかざるを得ない状況を作った。

 これ以上近づかれてはかなわないと、持ち前の射程を捨て、大鎌の根元を持ってまで振らなければならない状況を。

 案の定G骨は大鎌を振りぬき、そして訪れたのは、一撃必殺の代償。

 隙が、生じる

「oh…sit」 

 あの時踏み込めなかった半歩分。

 あの時込められなかった僅かな力。

 今度こそ、と思い描いた一撃を現実にすべく、太一はもう一度刀を振りぬく。

「ッ‼」

 骨に傷を刻み込むような鈍い音と、敵を切ったにしてはやけに固い感触。

 太一の斬撃が当たったのだ。

 だがまだ少し、浅い。

 G骨の牽制に対し、どうやら太一は必要以上に後ろに退いていたらしい。その無意識の半歩以下のズレが、太一のイメージを具象化するバグとなり、結果として、G骨の右目の辺りに傷をつけるのみで終わってしまった。

(だが、まだいける。今度こそは、倒せる‼)

 一撃が決まらずとも挫けることなく間合いを測り直し、改めて身構える太一とは対照的に、余程のダメージだったのかG骨は切られた左目を手で押さえていた。

「オイオイ、マジかヨ。こんなのありかヨ」

 その声は先ほどまでの狂ったように明るい調子ではなく、震え、怯えるか細い声。

「テメェのせいでMeのタトゥーに傷が付いちまったじゃねぇかよ」

 G骨の右目に施されていたハートのタトゥーには、まるで失恋を思わせるかのようにくっきりと亀裂のような切り傷がつけられていた。

 手触りでどれくらいの傷が付けられたのかを確かめているのだろう。G骨は何度も切り傷を指で擦りながら、頼りなく足取りをふらつかせる。

「ダセェヨ、こんなんマジダセェヨ。せっかくの俺のgood looking faceに傷をつけやがって……。許さねぇ、マジでぶっ殺す‼」

 瞬間、ふらついていたG骨の足取りが一転、しかと地面を踏みしめる力強いものへと変わり、

 ここに来て初めて、太一とG骨の目が合う。

 眼球なんてなくなってしまい、最早虚となったG骨の眼孔は、吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ黒色で、

「――え?」

 ひゅるりと、何かがすぐ脇を駆け抜けた。

 まるで風のように捉えどころなく擦り抜け、しかしカマイタチよりも深く斬り込んできたその正体は――

「気に入ったゼ赤丸太一。Meとお前はこれからマブダチだ。だからその証としてまずは、テメェも骨だけになってみろヨ」

 気づけば太一の背後に立っていたG骨は、大鎌の他に別の何かを持っていた。

 それは赤い液体が滴る瑞々しい塊で、G骨がその塊を床へと落とせば、まるで太一もそれと連動するかのように床へ倒れ伏す。

「何……しやがった」

 明滅する視界。吸っても吸っても静まらない荒い呼吸。

 愚道丸との戦いで同じような状態に陥っていた太一は、これは血を失い過ぎたせいだということがすぐに分かっていた。

(斬られた⁉ だが、いつの間に……?)

 先ほどの一瞬で、G骨の動きが突然変わった。

 元々のG骨も、確かに強く、そして速かった。

 だが流石にここまでではなかったはずだ。

 何をされたか分からないほど、奴は速く動けなかったはずだ。

(もしかして、今のが本気? 手加減、されてたってのか……)

 すぐ側まで近づいたと思ったG骨の姿は、実は実体のない陽炎で、本当は太一が辿り着けないほど遥か遠くにいると分かったような、絶望。

「動くなヨ」

「ぐぁぁっ‼」

 やっとのことで起き上がった太一の太ももにナイフが刺さり、彼は再び体勢を崩してしまう。

「お遊びはこれでお終いだゼ。とっととテメェを倒しちまって、Meはこの傷ついちまったタトゥーを直しにいかなきゃなんねぇのサ」

「随分勝手なこと言ってくれるじゃねぇか。やれるもんならやってみろよ」

 太ももをナイフで刺されようとも太一が倒れることはなかった。膝を付き、拳を床に叩きつけ、再び立ち上がろうとする。

 だがそんな太一の執念を、

「ああ、だからもうやってるヨ」

 やはりG骨の地力が上回る。

「な――ッ⁉」

 見上げればそれは、天井一面を覆うナイフの雨。

 いつの間に投げたのか。そもそもどうやって投げたのか。

 そんなことが今分かったとして、一体何になるのか。

「銀九狼ッ‼」

 満身創痍の太一ではまともに逃げることはできない。ここは銀九狼の突風を巻き起こすほどの咆哮に助けてもらおうと思ったのだが、太一の背中から現れた銀九狼は傷だらけで、ひどく弱っていた。

「す、すまんの、大将。今の儂じゃ、おぬしの力になることは、少し無理じゃわい」

「そんな――」

 絶句して、やがて気づく。太一と銀九狼は一心同体だ。そして、銀九狼と太一は共に戦っている。

 つまり、太一が傷つけば、銀九狼も同じだけ傷つくということなのだ。

「逃げろ大将‼ このままじゃおぬし、本当に死んでしまうぞ‼」

 銀九狼の叫びを受け、太一は一歩踏み出す。

 しかしそれは、G骨に背を向け、彼から逃れようとする方向ではなく、

「くっそぉぉぉッ‼」

 ナイフの雨を潜り抜けながら、G骨に一矢報いんと果敢に立ち向かうおうとする方向。

 だがその行く手を阻むように満身創痍の太一の体を幾千ものナイフが貫き、刀の切っ先を掠らせることもなく、道半ばで彼は力尽きてしまった。 


                ★★★


「惜しかったネ」

 と、G骨は傷だらけで倒れた太一を見下ろしながら、小さく呟いた。

 あと一歩だったのだ。

 太一の体があと数秒でもナイフの雨に耐えられれば、彼の刃はG骨に届いていた。

 まぁそれが、G骨に致命傷を与える逆転の一撃になるかどうかはまた別の話だが。

 運や精神力ではどうしても埋め合わせることができない地力の差があるというのは、こういう時に使うのだろう。

「憐れな男ダ。『煙の王』、赤丸銀次の実の弟でありながら、その実力はあの人の足元にも及ばない」

 ゆっくりと、G骨は大鎌を振り上げ、

「その弱さは、実に恥ずかしさを覚えるほど。兄貴の舎弟として、テメェを生かしておくわけにいはいかねェナ」

 まさにギロチンのごとく、G骨が太一に向かって大鎌を振り下ろせば――

「――ッ⁉」

 太一に触れる寸前で、G骨はその軌道を横薙ぎへと変えた。

 無論、止めの一撃は太一に掠ることもなく、空を切る。

 傍から見れば、G骨のその動きは非常に不可解なものであっただろう。

 太一に止めを刺すタイミングを自ら手放し、何もない虚空をわざわざ切り裂いたのだから。

 手元が狂ったのか、それとも情けをかけたのか。はたまたただの気まぐれな悪戯か。

 しかしG骨の表情は、それらどれにも当てはまらないほど鬼気迫っていた。

(なんだ、今のは……?)

 太一を殺そうとした瞬間に感じた、明確な殺意。それはまさに、喉元にナイフを押し当てられているような感触が実際にするほどだった。

(何かが、いる?)

 その時のG骨には既に瀕死の太一のことなど眼中にはなく、見えざる敵を突き止めるべく全神経を周囲へと振り撒く。

(いつの間にここに入って来た?)

 この屋敷に潜む煙魔の数は、計7800。屋敷の隅から隅まで大小様々な煙魔が目を光らせ、侵入者がいた場合はすぐにG骨に伝達されることになっている。

 だがG骨の知る限り、現状太一以外の侵入者はいない。

(じゃあ、さっきの殺気は一体誰のだって言うんだヨ)

 7800もの煙魔の目を潜り抜け、その殺気だけでG骨を殺してしまうほどの実力を持つ者と言えば、彼の中ではただ一人。

 赤丸――

(いや、待て待てオイオイ。だってあの人は死んだんだゼ? どうして今更になってこんな所に。それに弟の太一が死にそうなこのタイミング――)

 ギッ――という何かが軋む音がしたのは、その時だった。

 遂にまだ見ぬ侵入者が現れたのかと思い、G骨が音のした方へと首を動かすが、何かが引っかかっているのか思うように動いてくれない。

 まるで凝りのようなその違和感は、やがて痺れへと変わり、遂には激痛となって迸る。

「っづッ⁉ ガァァッ⁉」

 音が聞こえる。

 さっき聞いたばかりの、ギッ、という何かが軋むような音が。

 何度も何度も、頭の中をそれで圧迫してしまうくらいしつこく。

 そこで漸く、G骨は気づいた。

 最初に聞いたあの音は、自分の首に刃が射し込まれる音だということに。

 誰がそんなことをとか、考える間でもなかった。

 G骨のすぐ目の前には、刃をG骨の首に沈み込ませようとしている太一の姿が。

「よう、漸く俺の方に意識向けてくれたじゃねぇか、G骨」

「て、テメェェェェッ⁉」

 仇となったのは、G骨が何者かの殺気を感じて太一から完全に意識を逸らしてしまったことであろう。

 その間に彼はタバコを新しくし、より多くの煙を喫むことで怪我を治してG骨の接近まで果たした。

 太一が遂にG骨への致命傷を与え、とうとうG骨が太一から致命傷を喰らう。

 窮鼠の一撃を皮切りに、圧倒的と思われていた戦いの流れが変わる。

「この――野郎ッ‼」

 G骨が力任せに大鎌を振るえば、太一はすぐさまG骨から刀を抜いて安全地帯へと飛び退いた。

 その追撃にとG骨は数本のナイフを太一に向かって投げるが、彼は着地と同時に横に跳んで全てのナイフを避ける。

「チィッ⁉」

 躍起になったG骨は更にナイフを投げるが、結果は変わらない。躱されるか、それとも弾かれるかして一本も彼には刺さらない。

「不思議なもんだぜ」

 ナイフの軌跡に大鎌の軌跡。命を奪う凶器の旋風の中で、まるで何事もないかのように太一が近づいてくる。

「今までタバコなんざマズくて吸えたもんじゃねぇ。喫煙者どもは何が楽しくてこんなもん吸ってんだって思ってんだけど」

「自分語り? ウザくて聞けたもんじゃねェゼ」

 死ねヨ、とG骨が大鎌を振り上げれば、太一の顔面から真っ赤な液体が噴き出した。

 当たった、とG骨が漸く余裕の笑みを取り戻すが、

「でもよ、吸ってくうちに意外とそうでもねぇっつーか、力も湧けば頭も冴えてくる魔法の代物なんじゃねぇかと」

 太一の声は、まだ枯れない。

 その歩みは、まだ果てない。

 額から血を流そうとも、完全にG骨の大鎌の射程圏内に入ろうとも、太一は決してその場から退こうとはしない‼

「今となってはうまくて仕方ねぇんだわ」

 血みどろに塗れた顔面から輝く双眼は、まさに野獣のそれのよう。

 完全にその視線に射抜かれたG骨は一瞬棒立ちとなり、その僅かな隙で太一は自らの射程圏内へと突入する。

「オラ、飛ぶぜ、テメェの首」

 接近—―だがその動き、直線的で手に取るように短絡的。

(これは、躱せる。それだけじゃねェ。カウンターの機転にできる‼)

 太一の攻撃にタイミングを合わせようとG骨が身構えれば、

「――ッ⁉」

 まるでそれを阻むかのように、再び殺気。

(こんな――時にッ‼)

 それは理性とか意識とか、そんな上っ面のものに訴えかけてくるものではなく、骨髄の内側の魂の更に奥。

 そうまさに、本能。

 命あるものとして生まれたならば、必ず為せばならぬことのように、G骨はこのタイミングで

(しま――ッ⁉)

 視界を元に戻そうとしてももう遅い。

 その時には既に、G骨の体には深い斬撃が刻み込まれていたのだから。

 

 

 

 

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