第13話

 切っ先、切っ先、そして切っ先、更に切っ先。

 先端恐怖症の者なら発狂してしまいそうな光景が、扉の向こう側に広がっていた。

 空中浮遊するナイフ。まるで魔法にかけられたような代物であるが、現実はそんなにメルヘンチックではない。

 太一が生きる日常は、もっとバイオレンスで、デンジャラス。

 標的を認識した途端、幾千ものナイフが彼目がけて一斉に飛んで来たではないか。

「っぶねぇっ⁉」

 弾けるように後ろへと倒れ込んだおかげで致命傷は避けたが、刃先が掠めた頬や首筋からはヒリヒリとした痛みが感じる。

 しかしここで一安心と休んではいられない。的を外したナイフたちは切っ先の向きを変え、再び太一の方に向け始めた。

「走るぞ銀九狼、相手にしても埒が明かねぇ」

「合点招致」

 恐怖心を無理やり振りほどき、ナイフたちに背を向けて一目散に走り出す。

 ナイフが届かなくないほど遠くまで、甲冑たちの剣を躱し、床から這い出てくる不気味な手を蹴飛ばし、突っ切って、駆け抜けて、走り去った。

 やがて足も肺も限界がきて、これ以上走るのなら死んでもいいと思うくらい走ったところで、漸く太一たちを追う者の姿は見えなくなっていた。

「なんとか、逃げ切った、のか……?」

 息も絶え絶えの、荒い呼吸が静かな屋敷に響く。自分が今どこにいるのかはもう分からなくなっていた。とにかく逃げるのに夢中で、階段をひたすら駆け上ったような気もするし、その後別の階段を駆け下りたような気もする。

 ここが何階なのか。屋敷の出入り口からはどれだけ離れてしまったのか。

 真っ暗な屋敷で灯されたライターの小さな火だけでは、ひとまず自分は五体満足でここにいるということしか分からない。

「銀九狼、お前はここがどこか分かるか?」

「すまんな。儂もただ闇雲に走っていただけで、今までどこを通って来たかなんて考えておらんかった」

 ただ、と銀九狼は尖った耳をピクピクと動かし、

「近くから何やら物音が聞こえる。調べてみるか?」

「物音?」

 また何かの怪現象が起こっているのだろうか。一応様子を見るだけ見て、ヤバそうだったらすぐに逃げようということで話がまとまる。

「しかし、お前にも狼らしい一面があるんだな。耳が良いなんてよ。もしかして鼻とかも良かったりする?」

「そうじゃな、おぬしがあまりにもタバコを吸わなくて儂を飢えさせたら、ひょっとしたら人間の一人や二人、喰い殺してしまうかもしれんな」

 銀九狼を先に歩かせておいてよかったと思う。この暗闇の中、後ろでそんなことを言われれば、それこそ今日一番の恐怖体験になっていただろう。

「あの扉の向こうから聞こえるな」

 銀九狼がそう言う頃には、太一にも彼が言う物音が聞こえていた。

 しかしそれは、太一が想像していたごそごそという何かが潜んでいるような音ではなく、まるで地響きのような、主張の激しい騒音だ。

「中で何かやってるのか?」

 扉をゆっくり開いてみれば、そこは大きなダンスホールだった。

 それも社交ダンスが行われるような落ち着いた空間ではなく、ミラーボール輝く中、アップテンポの曲に合わせて好き勝手に踊るナイトクラブ。

 今までの不気味な幽霊屋敷はどこへやら。いきなりこんな華々しい光景を目の当たりにすれば、ただ部屋を移動しただけなのに異世界に来たような錯覚に陥る。

 もしかするとあの洋館を抜け出せたのかとまで思い始めた太一の妄想を、横から銀九狼が諫めた。

「気を緩めるなよ、大将。やはりここは、何かおかしい」

「おかしいって、何が」

「客じゃ。奴らどいつもこいつも、人間じゃあない」

 言われてみれば、その服装やリズムに合わせて踊る動きはクラブで遊び慣れた者のそれであったが、彼らの体はまるで幽霊のように透けていて、不安定にぼやけていた。

「もしかしてこいつら全員、煙魔だっていうのか……?」

 数にして200、いや、300はいるだろうか。

 そしてそれだけの数の煙魔を躍らせるDJもまた、煙魔。

「Let’s dance partyyyyyyeah!!!!」 

 ぼろきれみたいな黒いローブに、白骨化してしまった体。そして背中で巨大な鎌を背負うという風体は見るからに死神であるのに、ノリノリでDJ機器を操る姿は非常にアンバランスだった。

「どうやら奴が、この屋敷の主であるようだな」

「となるとあいつを倒さねぇといけねぇわけか」

 しかし太一から見て、あの死神がいるステージまではかなり距離があった。しかもその長い道を阻むのは大量の煙魔。いくら銀九狼の力があるからと言って、これほどの物量は捌ききれないだろう。

「ここは一旦部屋を出て様子を窺おう。ここで喧嘩吹っかけても勝てるわけがねぇ」

 煙魔たちが踊りに夢中になっている隙に、太一がこっそりとダンスホールを出ようとすると、

「ッ!」

 グルンッ‼ とまるで機械仕掛けのように、突然動きを止めた煙魔たちが一斉に太一の方を向いたではないか。

「な……に?」

(気づかれた? だがどのタイミングで?)

 足音も立てず、声も上げず、扉を開こうとドアノブに触れた矢先だった。まるで最初から太一の存在に気づいていたかのように、その瞬間に全ての煙魔が彼の方を見たのである。

 襲ってくるか、と太一は背負っていた竹刀袋から『銀白』を取出し、ゆっくりと鞘から抜いた。

 それに対し、煙魔たちは太一に道を空けるように両脇へと寄る。

 いや、正確にはそれは正しくない。道を空けたのは太一のためではなく、ステージから降りてきた死神のためだ。

「Hey Hey。赤毛のBoy。せっかくMeのダンスホールに来たんダ。少しは踊ってけヨ」

 近くで見れば、その服装にも死神とは別にDJの要素があるということがよく分かった。

 細長い指には、ゴツい宝石がついた指輪が両手合わせて十個以上。胸元には金や銀のネックレスが幾重にも重ね陰られ、右目にはハート、左目には星のタトゥーが施されている。首に引っ掛けてある金色のヘッドホンからは、HIP HOP系と思われる曲が漏れ聞こえていた。

「お前が、この洋館の主か」

 聞けば死神は、Meが? と外人のように大げさに両手を上げ、

「Meの名前は『MC:Gジーコツ』。My兄貴、赤丸銀次の舎弟にして、兄貴の城であるこの『白煙荘』の守護を任された今キセル街道で一番イケてる煙魔サ」

「待て、お前今――」

 マダム・シンデレラは、かつて言った。

 自分の頼みを聞いていくれれば、赤丸銀次の情報を渡すと。

「んでもって、悪ィけどテメェをただで帰すわけにはいかねぇんダ。赤毛のガキがここに来たら、たっぷり可愛がってやれって兄貴から言われてるんでナァッ‼」

 この出会いは彼女なりの気配りか、それともただの嫌がらせなのか。

 いずれにせよ、初っ端からやけに重たすぎるだろうと、太一は重たい息を吐いた。

「要するに、コイツをぶっ倒して知りたいことを聞きだせってことなんだろ? マダム」

 喫魔師の考えは物騒で、しかし分かりやすい。

 

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