第12話
マダム・シンデレラと火継ぎの儀式を交わし、正式に彩煙座への仲間入りを果たした太一であったが、早速一つ目の壁にぶち当たるのであった。
「俺には帰る家がない、だとっ⁉」
キセル街道に来て2日。大学の授業もあるし、そろそろ自分の家に帰らなきゃなと何気なくこぼれた太一の言葉を、マダムが思いがけない言葉で応じたのが事の発端であった。
「ああ、あんたの家なら、もうないわよ」
「――は?」
ソレハナゼデスカ? と驚きのあまり口をパクパクさせて尋ねる太一に、マダムはさもありなんといった口振りでスラスラ答える。
「だってあんた、千ヶ崎とかっていう灰祓い相手に結構派手に立ち回ったらしいじゃない。噂によれば、外の世界じゃ本腰入れて灰祓いがあんたの捜索に乗り出してるらしいわよ」
「じゃあ家宅捜索とかも普通にしてるわけ」
「っていうか指名手配犯よ、あんた」
そりゃ帰れねぇわ、と想像以上に悪かった自分の立場に唖然とする。
灰祓いを敵に回すだけで、まさか指名手配犯扱いされるとは。連中は一体どれだけ国家権力を掌握しているのだろう。
「まぁ幸いなことに、キセル街道は灰祓いの不可侵領域になってるからね。ここにいる間は灰祓いに狙われることはないわよ」
と、そんなこんなで当分の間はキセル街道にいることになった太一は、マダムから新たな下宿先を紹介されたのであったが、
「なんだ、こりゃ……」
そこは街はずれにある古ぼけた洋館。
向かい側にあるのは空き地で、隣にあるのも空き地。更にそのまた向こうにも空き地があるという……、言ってしまえば人が寄りつかないような場所にひっそりと佇んでいるのである。
最悪、立地が悪くとも建物そのものが良ければまだ許せるのだが、その様はまるで幽霊屋敷。
壁には所狭しとツタが張り巡らされ、雑草で荒れ放題の庭には毒々しい色をした名称不明の花が咲いている。人で賑わう大通りは快晴であるはずなのに、この周囲に近づいた途端なぜか暗雲まで立ち込める始末。
「よかったわね、結構広そうな家を与えられて。私の狭いアパートとは大違い」
案内役を任された若葉が隣でそんなことを言うので、じゃあ家交換するか? と提案しても一瞬で拒絶される。
「やぁよ、こんな家。幽霊屋敷って噂されてて誰も寄りつかないのよ?」
「やっぱ幽霊屋敷なんじゃねぇか‼ そんな家紹介してんじゃねぇよ」
やけに気前よく家を手配しれくれたと思ったら、やはりこういうオチがついてきたか。
橙にせよマダムにせよ、喫魔師というのは全くもって信用ならない。
「まぁ幽霊屋敷って言っても、憑いているのは幽霊じゃなくて煙魔なんだけどね」
「何?」
若葉の言葉に、太一は表情を引き締めた。
幽霊よりも煙魔の方が現実的だと思える程度には、太一も喫魔師になってきたということか。
「煙魔は人間に憑くんじゃねぇのか?」
「まぁ大抵はそうね。特に喫煙者を好んで憑りつくんだけど、今回の場合は別。まるでこの家の守り神みたいに洋館に憑りついて、入って来る者を殺しているらしいわ」
「殺す……」
物騒な話をして散々太一のことを脅したまま、若葉は最後まで他人事みたいな言葉を吐き捨てて去って行った。
「ま、喫魔師なら自分の住処くらい煙魔から奪い取ってみなさいよ」
まるでそこが巣であるかのように、洋館の周りには多くのカラスがいた。
ある者は屋根の上に、ある者は木の枝に、それぞれが思い思いの場所にいながら、しかしカラスたちは一心に部外者である太一のことを見つめていた。
「気まずいったらねぇぜ、ったく」
この洋館には、煙魔が憑りついている。
マダムがそんな場所を太一に家として紹介したのは、単なる嫌がらせ以上に(もちろんその意味合いも十二分にあるだろうが)彼女の依頼の一つなのかもしれない。
話によればここはギリギリ、彩煙座の管理区であるらしい。管理者であるマダムからすれば、人が怯えて寄りつかない幽霊屋敷は厄介な代物であろう。煙魔絡みであるとすれば尚更だ。
(だからここで、奴に恩を売る。この洋館に憑りついている煙魔を倒すことで、マダムから情報を引き出すんだ)
そう決意して、まず一歩。太一が洋館の敷地へと足を踏み入れれば、
「ッ⁉」
カラスたちが一斉に、曇天の空へと飛び立った。
「な、なんだ……?」
あまりの羽音のけたたましさに、抑え込んでいた太一の恐怖心が再び掻き立てられるが、この程度で怯んでいてどうすると辛うじて踏み止まり、再び歩み始める。
そうしてなんとか扉の前まで辿り着いたが、今更になってマダムから洋館の鍵を渡されていなかったことを思いだす。
「な、なんだよあのババア。家紹介しておいて鍵も渡さねぇなんてボケてんのかよ。あーこりゃダメだな。流石にこれじゃあ入れねぇ。めっちゃ入って生活する気満々だったのにこれは入れねぇわ。一回鍵もらいにマダムのとこ戻んなきゃなんねぇな、こりゃ。しょうがねぇなぁ全くよぉ」
と、太一がそそくさと洋館から立ち去ろうとしたところで、
ギィィ、と洋館の扉が一人でに開いたではないか。
風が吹いたのか――いやまさかそんなはずはない。そもそも風が吹いたとしても、その程度で開いてしまうほどあの扉は軽くはない。
誰かが開けたのか――怖々と、太一は扉の向こう側を覗いてみる。しかし中は真っ暗で、人がいる気配はない。
立ち去ろうとする太一を、まるで引き留めるかのようなタイミングでその扉は開いたのだ。
招かれていると、太一は思った。
(俺はこの洋館に、招かれている……ッ⁉)
遥か遠く、向こう側に見える街の喧騒を名残惜しそうに見てから、太一は遂に、幽霊屋敷へと足を踏みいれた。
「おじゃましまーす」
ゆっくりと太一が洋館の中に入ると、開いた時とは打って変わって、扉が勢いよく閉じられた。
もしやと思い、太一が扉を開けようとしてもその扉は全く動かない。押しても引いても、横にスライドしようとしても意味はなく、まさかオートロックかと思っても鍵らしきものは見つからない。
「……マジで?」
閉じ込められた。
嫌なタイミングで、若葉の言葉を思い出してしまう。
――まるでこの家の守り神みたいに洋館に憑りついて、入って来る者を殺しているらしいわ
「い、いやいやいや」
こんな風に理不尽に死地に放り込まれたのは、これが初めてではない。愚道丸の時もそうだったではないか。あの時も生き残れたんだ。今回だって大丈夫さと太一は無理に自分を励まそうとするが、
「わひゃいッ⁉」
ゴドンッ‼ と足元に突然人形の頭が落ちてくれば、その程度の楽天的な思考は一瞬で崩れ去る。
正体はただの木彫りの人形のはずなのに、暗闇の中で頭だけが転がっていればまるで生首のように見えてくる。
「なんだってんだよこの野郎」
何故だかすごくムズムズする。最初、太一はその感覚を恐怖感によるものだと思ったが、知らず知らずの内にライターをタバコを取り出している自分に気づき、ああ俺はタバコを吸いたいんだと自覚した。
「そういえば俺、喫煙者だったんだな」
タバコの中毒性というものが一体どれほどのものなのかは分からないが、タバコを吸い始めたのは昨日今日の話だ。習慣化するにしては早いものだなと思いながらタバコに火を点けた。
ついでにライターの火を灯したまま、それを明かり代わりに周囲を見回してみる。
中々広い洋館だった。天井は高く、二階へと繋がる階段はらせん状になっている。壁にかかっている絵画も、暗闇の中ではただの不気味な代物にしか見えないが、然るべきところに出せば高く評価されるのかもしれない。
煙魔が憑りついているということを除けば、大学生の太一が一人で住むには有り余るほどの豪邸と言えよう。
「にしてもほんとに陰気臭いところじゃのぅ。こう暗くては昼なのか夜なのかも分からんわい」
「ほんとほんと……ってうぎゃあッ⁉ なんだお前⁉」
遂にこの洋館に憑りついた煙魔が現れたかと身構える太一であったが、彼の隣にいたのは煙魔は煙魔でも、使い魔、銀九狼であった。
「全く、なんじゃ大将、その怯えっぷりは。自分の使い魔にすらビビッておっては敵とは戦えんぞ」
「いや、お前の方こそ急に出てくるなよ。びっくりするじゃねぇか」
銀色に輝く銀九狼の毛皮は、まるで月明りのようにこの暗闇を照らしてくれるので、出てきてくれて実は助かっていたりする。しかしそれを悟られるのは何だか悔しいので、太一は決して表情に出したりはしなかった。
「しかしな大将、煙魔の前に、儂もこう見えて一匹の狼、生き物なんじゃ。いつまでもおぬしの中に閉じ込められていては窮屈で窮屈で仕方がないんじゃよ。それにおぬし、ほとんど煙を喫まんじゃろう? おかげで儂がどれだけひもじい思いをしていたのかをこの機会に訴えてやろうと思ってな」
「あ? ちょっと待て銀九狼。ひもじい思いをしていたっていうのはどういうことだ?」
そもそも九尾の時点でお前を狼とみなしていいのだろうかというツッコミが浮かんだが、それはややこしそうなので後に回す。
「お前ら煙魔が腹を空かすなんてことがあるのか?」
「だからさっき言ったじゃろうに。儂ら煙魔も生き物の端くれじゃと。確かに儂らは異形、化物かもしれんが、何も喰わないわけではない。儂らはタバコの煙を喰らう。そうして命を延ばし、力をつけ、強くなる。使い魔である儂は、おぬしがタバコを吸ってくれんことには食料であるタバコの煙を喰えんのよ」
それなのにおぬしは中々タバコを喫まんし、喫んだとしてもほんの少しじゃし、と余程銀九狼は太一に文句があったのか、ぶつぶつと呟き続ける。
「なぁ、銀九狼は俺の体の中にいるんだろ? ってことはさ、俺がタバコを吸いたくなった時ってのは、お前がタバコの煙を喰いたくて腹を空かしてるって時なのか」
「そうなるの。だって儂ら、一心同体じゃし」
道理で喫煙が習慣になるのが早いと思った。お前のせいで俺が肺がんになったらどうするつもりだと文句を言いたくなったが、銀九狼なくてはこの先生きてはいけないので、力の代償としてここは堪えることにする。
「で? こんな陰気くさいところに、おぬしはどうして来たんじゃ?」
「どうしても何も、ただの帰宅だ。どうやらここが俺の家らしい」
「ほう、ここが家ね……」
何かを感じるのか、銀九狼は鼻をスンスンと鳴らしてから、警戒するように周囲を見回した。
「それなら、まずはここの
「主って、お前やっぱり何か感じたんだな⁉ ちょっと待てそこんとこもっと詳しく‼ っつーか俺を一人にしないでーッ‼」
すたすた先を歩き始めた銀九狼を追おうと太一も足を踏み出すと、ぬめりと、ひんやり冷たい何かが太一の足首を掴んだ。
「ひゃぎょえ‼」
突然の怪現象への恐怖と、足が動かなくなる驚きとが入り混じった奇妙な叫びを上げ、太一は床に顔面ダイブするかのように転んでしまう。
「なんじゃなんじゃ大将。何もない所で転ぶなんて、どんくさい奴じゃのう」
「違ぇって。誰かに足首を掴まれたような気がして――」
言い合う太一と銀九狼の横で、クスクスと、子供のそれのような甲高い笑い声が聞こえた。
一人二人ではない。気配は全くしないのに、子供の笑い声だけが十人、二十人とあちこちから響いてくる。
「良かったではないか、大将。おぬし随分、この屋敷に歓迎されているようだぞ」
「歓迎っつーか、バカにされてるようにしか思えねぇんだけど」
気づけば笑い声は、頭の中をそれでいっぱいにするほど増えていた。それはまさに気が狂いそうになるほどで、四方八方から迫りくるように近づき、にじり寄り、這い寄り、太一を笑い声で覆い尽くそうとする‼
「ッ⁉」
流石にこれはヤバい。銀九狼と太一は、声を合わさずとも同じ方向へ駆けだしていた。
「どうなってんだよこの屋敷は‼ 一体どんな煙魔がいるんだってんだ‼」
「詳しくは分からん。というのもなにぶん数が多いんじゃ。この屋敷の中だけで数百の煙魔が潜んでおる。つまりこの屋敷全体に煙魔が憑りついているというよりは、この屋敷の家具一つ一つに煙魔が憑りついていると言った方が適切じゃろう」
無数の笑い声に追われた太一たちが逃げ込んだのは、応接間らしき部屋。
高級そうな絨毯に、大きなソファー。前の家主は骨董品に凝っていたのか、部屋の両脇には騎士の甲冑が並べられてあった。
ここが明るい場所ならばこの甲冑も見ていて楽しいものだったのだろうが、怪現象が多発するこの屋敷ではただひたすらに不気味。
まるで今にも動き出しそうなくらいで――とか思っていたら、案の定甲冑が動き出した。
「ぐぇっ⁉」
突然動き出した甲冑は太一の首を握りしめ、軽々と持ち上げる。そして両脇からはまた別の甲冑が大剣を構えながら近づいてきたではないか。
「は、離、せッ‼」
ギリギリと、剣で斬られる前にこのまま窒息してしまうのではないかと思うほど甲冑が首を絞める力は強く、どんなに足掻いてもその力が緩む様子はない。
いよいよ太一の意識が薄れてきたところで、轟ッ‼ と密室のはずの応接間を暴風が駆け抜ける。その威力はあまりに凄まじく、太一を狙っていた甲冑全てを部屋の隅へと追いやるほどだった。
「怪我はないか、大将」
「できればもう少し、優しく助けたらと」
先ほどの暴風は、銀九狼の咆哮によって生まれた衝撃波だったのだろう。一吠えするだけで敵を蹴散らしてしまうとは、やはり最強の名は伊達ではない。
「しかし用心した方がよいぞ。儂から見てもこの屋敷は異常じゃ」
粉々になるまで止まることはないのか、銀九狼に吹き飛ばされた甲冑たちが再び動き出した。
この部屋にいては埒が明かないと太一が扉を開けるが、今度は幾千というナイフの切っ先と出くわすことになる。
「この屋敷にある全ての物が、自分の命を狙う敵だと思わねばならんほどにな」
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