3 骸
第10話
「刀はしまっておいた方がいいよ。敵もいないのに、刀を抜き身のままで歩いていても良いことなんて一つもないからね」
出発の前に橙にそんなことを言われた太一だったが、生憎のところ、この刀の鞘なんて持ち合わせていない。そもそも愚道丸が使っていた時点で抜き身だったし、鞘は一体どこにあるのかと問い詰めようにも、前の持ち主はもう死んでしまっている。
はてどうしようかと太一が悩んでいると、周囲をうろついていた薬獅子がどこからか刀の鞘を持ってきた。
「こんなんどこにあったんだよ」
「そこのゴミ山に突き刺さってたぜ」
刀を手に入れた瞬間に、邪魔だとかなんとか言って鞘をその辺に放り投げた愚道丸の姿が目に浮かぶ。長い間ゴミとして放置されていたせいで汚れている部分もあったが、鞘として使う分には特に不便はなかった。
更に薬獅子がゴミ山から竹刀袋を見つけてきてくれたので、それに刀を入れると取りあえずは、人目を引くことなく街を歩ける様にはなった。
「それじゃあいよいよ、マダムのところに行こうか。彼女を待たせると、色々怖いからね」
――マダム・シンデレラ。
明らかに偽名だと分かる彼女(ひょっとすれば彼)について太一が知っていることなど、ほんの僅か。
一つ、喫魔師集団、彩煙座のボスであるということ。
一つ、「『煙の王』の力を引き継ぐ者が現れる」という予言で、太一を喫魔界へと引きずり込んだ張本人。
「どんな奴なんだ、マダム・シンデレラってのは」
太一がそう聞いても、彩煙座の面子は誰も答えようとはしない。やがて仕方なさそうに答えを絞り出したのは、この中で仕切り役をやっている橙だった。
「すごい人だよ。喫魔師の中じゃ、一、二を争うほどの実力者だし古株でもある。そして同時に、だからこそ、気を抜いちゃいけない相手でもあるよね。なんたって、ボクらみたいな我の強い厄介者を取りまとめるほどの人なんだから」
こんなに苦しそうに言葉を紡ぐ橙は初めて見た。いつだって
マダム・シンデレラのことを話す時の橙は、まるで苦渋を飲まされたかのような顔をする。
「キセル街道の連中は『煙の王』を恐れているけれど、ボクにとってはマダムが一番怖いよ」
橙にここまで言わせるとは、一体どれほどの人物なのか。
若葉にしても薬獅子にしても思うところは橙と同じなのか、張りつめた空気を漂わせながら路地裏を突き進んでいく。
「シンデレラっつー大層な呼び名のくせに、こんな路地裏にいんのか? お前らのボスは」
キセル街道の騒々しい大通りからは、一体どれだけ離れてしまったのだろうか。あちこちにそびえ立つビルは天に届かんばかりに高く、今が昼なのか夜なのか分からなくなるくらい辺りは薄暗い。
「バーをやっているんだよ、マダムは。『
「そりゃ、そうだけど」
だからと言っていくらなんでも隠れすぎだろう。愚道丸がいた場所よりも更に分かりにくい場所に作って、果たして客は来れているのだろうか。
右に左にとあちこち曲がって、それなのに周囲の景色が全く変わらないので、いい加減太一の方向感覚が滅茶苦茶になってきたところで、漸く先頭を歩く橙の足は止まった。
「お待たせ、さあ着いたよ。ここが、『Bar彩』さ」
隠れ家的とは言うものの、その店の外装はかなり派手だった。
『Bar彩』と描かれた大きな看板はネオンライトでギラギラと眩しく、外壁にはクリスマスの飾りで使われるような赤や緑の電飾が所せましと付けられている。客寄せのつもりでこんなことをしているのだろうが、派手すぎて逆に人が寄り付かなさそうだ。
「マダムは……、どうやら中にいるようだね。それじゃあ行こうか」
まだ昼の2時なのに「OPEN」の面を向いている木札を見てから、橙は店の扉を開けた。
中に入れば、そこは眩い外装とは一転、照明が極限まで落とされた薄暗い店だった。テーブル席が2つか3つ、カウンター席が5席程度と小規模。
勿論こんな昼間から飲み屋に来る客がいるはずもなく、店にいたのはカウンターに立つドレス姿の女だけだった。
「おやいらっしゃい。あんたが来るなんて久しぶりさね、橙」
「ご無沙汰ですね、マダム・シンデレラ」
カウンターで穏やかに微笑む女性は、太一が想像していたマダム・シンデレラとは全く違っていた。
まず第一に、若い。
20代後半、年増に見積もっても30代くらいであろうか。薄暗いの店内でもはっきりと分かるほどの金髪に、透き通るような白い肌。赤一色の派手なドレスが似合ってしまう風格とその容姿は、海外セレブのようだ。
「おい橙、この人がほんとにマダム・シンデレラなのか」
小声で橙に尋ねれば、答えたのは彼ではなく件のマダム・シンデレラだった。
「そうだよ、あたしが噂のマダム・シンデレラ。んで? そう聞くあんたは一体どこのどいつだい? ここいらじゃ見ない顔だけど?」
「赤丸太一ですよ、マダム。あなたが連れて来いとか言うから、命かながら連れてきたんですよ」
「体張ったのはあんたじゃなくて若葉だろう? 橙。嘘つくんじゃないよ」
そう咎められても橙はどこ吹く風。むしろ、知ってんなら聞いてんじゃねぇよと小声で毒づく始末。どうやら橙はマダムのことをかなり毛嫌いしているようだ。
「なるほどね、言われてみれば確かに髪色はそっくりだわ。ほら、そんな所に立ってないでテキトーに座んなさい。お茶くらい出してあげるから」
そう言われてカウンター席に着いたのは太一だけだった。橙たちは相変わらず出入り口で突っ立ったままだ。
「気にしなくていいよ。あいつらは昔からあんなんだから。座りたくない奴は立たせておけばいいのさ」
で? とマダムはタバコに火を灯しながら太一に目を向ける。
「あんたは晴れて喫魔師になれたようだけど、あたしらの仲間になる気はあるのかい? それとも無理やり橙に連れてこられたクチかい?」
「どちらかと言えば後者だな。あんたが俺に会いたがってるって言われて連れてこられた」
正直な太一の言葉に、アッハッハとマダムは大口を開けて笑った。余程面白かったのか、ひとしきり笑った後も彼女のタバコを持つ手は僅かに震えている。
「そうかいそうかい、そう言われて連れてこられたかい。あたしがあんたに会いたかがってたのは確かに本当だね。でもそれは、あんたがここに来た理由にはならないだろう? じゃあこう聞こうか。あんたは何をしにここに来たんだい?」
いや、とそこでマダムは言葉を切り、ずいっと太一との距離を詰めた。
「あんたはあたしの、何を奪いに来たんだい?」
ふっ、とマダムの口からタバコの煙を吹きかけられた。ほろ苦さの中にも、バラのような爽やかな匂いのするその香りはまるで香水のようで、煙に包まれた太一の頭をくらくらさせる。
しかし、
――喰えないババアだ。
周囲に聞こえるかどうかのその小さな呟きが、冷静さを失いかけていた太一の目を覚まさせた。
(まさか、こんなところで橙に救われるとはな)
橙の毒づきがなければかなりまずかった。あのままでは終始マダムのペースで、何の収穫もないまま話は終わっていただろう。
「教えてほしいことがある」
しっかりしろ、と太一は自らを鼓舞し、マダムを見つめ返す。
こんなところで手こずっている暇はない。
「赤丸銀次、いや――『煙の王』について教えてほしい。『銀月の夜』とやらに、奴が何をしたのかをな」
煙の向こう側にある真実を知るために、太一は喫魔師になったのだから。
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