第9話

 銀九狼が力を貸してくれることになったものの、依然として状況は不利であろう。

 太一は大けがを負い、立っているのもやっとの状態。対して愚道丸は太一と銀九狼が話している間に額の傷を完治させている。 

 体力的にも実力的にも、太一が愚道丸に勝てる要素は一つもない。

「ならばまずはその二つから解決してやろう」

 そう言って銀九狼は宙に浮かび、人魂のように太一の周囲をぐるりと回る。何のつもりだ? と太一が訝しんでいると、覚束なかった彼の足取りは力強さを取り戻し、傷の痛みが嘘のようにひいたではないか。

「これが、煙魔の力……」

「これだけではないぞ。その刀を拾ってみぃ」

 足元に落ちていた愚道丸の刀を拾い上げると、銀九狼は今度はその刃の周囲をぐるりと回る。すると錆ひとつなかった刃から、崩れ落ちるように何かが剥がれ落ちた。

「人間の体の周囲を回ってその者の身体能力を引き上げるのならば、武器の周囲を回ればそれが持つ本来の性能を引き出す」

 新たに顔を出した刃は氷のように透明で、根元にはうっすらと『銀白ギンシロ』と、その本来の名が刻み込まれている。

「貴様、拙者の刀に何をした?」

 丸腰になっても、愚道丸の覇気に一切の衰えはなかった。刀を持つ太一を恐れずに、ずんずんとその距離を詰めてくる。

「――恐れるな」

 一歩、思わず退いてしまいそうになった太一を、銀九狼はそう言って制した。

「力は与えた。武器も与えた。おぬしのために儂ができるのはここまで。後はおぬしの覚悟次第じゃ」

「俺の、覚悟……」

 生きねばならない。

 生きて、真実に辿り着かねばならない。

 たとえその真実が、いかに残酷だったとしても。

 太一は強く、刀を握りしめた。細長いその鉄の塊は、誰かを傷つけるためだけに作られたものだと考えれば、両手で持つには足りないくらい重い。

「斬ることではなく、刃を当てることを考えろ。そうすれば自然、奴を斬ることができる」

 背後から聞こえた銀九狼の声に、太一は心を鎮めて愚道丸を見据え、一度、刀を鞘に収める。

 距離感――あともう少し。あと三歩、二歩……。

 重心――僅かに落とし、左足を半歩分退く。左手で鞘を押さえ、右手を柄に伸ばす。

 覚悟――既にもう、決めている。

「拙者の刀を返せェェッ‼」

 突然愚道丸が飛びかかってきても、太一は心を乱すことなく。

「喫むぜ。愚道丸」

 無駄のない動きで、刀を振り抜いたのであった。


                ★★★


「相討ちか……」

 橙が太一の所まで降りてきた頃には、既に決着はついていた。

 太一と愚道丸の最後の交叉。結果として、愚道丸は首を斬り飛ばされて死んだが、太一は体力の限界が来てしまったのだろう。片隅で、ビル壁に寄りかかるようにして気を失っている。

「『煙の王』の力を引き継いだとは言え、愚道丸相手に相討ちとは彼もまだまだだね」

 利用し甲斐がありそうだと、橙は心の中でほくそ笑む。

「若葉、まだ彼に近づいじゃだめだよ」

 遅れてやってきた若葉をそう制し、橙は太一の前にしゃがみ込んで彼と目線の高さを合わせる。

「本当に彼に似ている。その髪色も、その顔立ちも。ああ本当に――」

 橙はゆっくりと太一の首に手を伸ばし、

「――いっそのこと殺してしまいたい」

 瞬間、橙の首筋に刃が当てられた。

 橙の手が止まる。

 目の前では、不敵に笑う太一が、こちらを見ていた。

「誤解しないでくれよ。ボクはただ、君の生死を確認しようとしただけで……」

「もしも俺が生きていたら、絞め殺そうとしたんだろ?」

 ああウザいと、橙は心の中で小さく呟いた。

 しかしそんな感情は一切表情には出さず、代わりに爽やかな笑みをべっとりと貼り付ける。

「それにしてもよく生き延びたね。おめでとう、これで君は、立派な喫魔師だ」

「ああ本当にめでたいな。これでお前はもう、俺を殺せなくったぜ」

 自信満々という笑みを露骨に浮かべる太一に、橙はいよいよ我慢が利かなくなり、思わずクツクツと笑ってしまった。

「何がおかしい」

「いや、別に。ただ、あまり勘違いしちゃあいけないよ。『煙の王』の力を引き継いだとは言え、君のそれは所詮僅か一部」

 そう言って橙はうざったそうに太一の刃を振り払い、立ち上がって背を向けた。あまりに無防備なその行動に、太一は一拍遅れるが躊躇いなく刀を振り下す。

 しかし、

「ッ⁉」

 ガギンッ‼ とまるで大きな岩にでも叩き付けたかのような音が響いた。

「その程度じゃ、ボクには遠く及ばない」

 傷は付かず、血も流れず。

 首の皮一枚で刃を受け止めた橙を見て、今度こそ太一は自分と彼との実力差を痛感した。

「勘違いしちゃあいけないよ。ボクは君と戦えないわけでも、君を殺せないわけでもない。ただ君とは戦わず、生かしているだけなんだ。ボクらのボスの、命令のおかげでね」

 殺そうと思えばいつでも殺せると暗に脅し文句を言った橙は、ふらふらとどこかへ歩き出した。

「おい、お前一体どこに」

「ついてきなよ。ボスが君に会いたがってる。君が『煙の王』の力を引き継ぐと予言した、マダム・シンデレラがね」

 

 

 

 


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