2 嘔吐
第4話
確か、と赤丸太一は自分の記憶を振り返る。
きっかけは、千ヶ崎とかいう白スーツの男に出会ったことだ。
奴を倒すために狼型の煙魔を呼び出して何とか倒すことができたのだが、どうやらその煙魔は太一を味方だとは思っていないらしく、無慈悲にも腹を切り裂かれてしまったのである。
「いきなり波乱万丈になっちまったな、俺の人生」
ふと、自らの腹を見下ろす。白いポロシャツは血で染まってはいたが、もうほとんど乾いており、新しく血が流れている様子はない。
傷口も塞がっているのかと太一が怖々と腹に手をやろうとすると、ガシャリ、という鎖が絡まる音が響いた。
「手錠?」
気づけば彼は木製の椅子に座らせられ、後ろ手に頑丈そうな手錠を付けられている。
今いる場所も、先ほどまでいた路地裏ではない。
そこは薄暗い部屋だった。窓はなく、光源と言えば頭上で時折点滅しながら光る白熱電球のみ。地面も床もコンクリート製で、地下にある牢獄を思わせる。
「ここは、どこだ?」
どうしてこうなったと太一は記憶を掘り返すが、例の煙魔に襲われてからの記憶がない。
(確か若葉は千ヶ崎を政府関係者みたいに言ってたな。となると俺は、あの後千ヶ崎の応援にやってきた連中にここまで連れてこられたってことか……?)
あの場ですぐに自分を殺そうとしてきた千ヶ崎と違い、どうして他の連中は殺さずにわざわざ自分をここまで連れてきたのかは不明だが、そう良いように扱われないのは確かだろう。
「おい、ここから出せよ、何のつもりだ。おいッ‼」
足を踏み鳴らし、大声を上げて喚き散らす。とにかく何かしらの情報が欲しい。何をされるか分からないという状況では、いくらでも悪い方向へと考えが進んでしまう。
「ったくうるせぇなぁ。漸くお目覚めか?」
壁が分厚そうなので外に声を響かせるのは難しいと思っていたが、意外にあっさりと、太一の声に応じる者が現れた。
扉は太一の背後にあったのだろう。緩んだドアノブが鳴らす甲高い金属音を響かせながら入って来たその男は、太一の視界には入らないまま落ち着けと声をかけた。
「突然こんな所に連れて来られて喚き散らしたくなるのも分かるが、別に俺らはお前を傷つけようなんて思ってない。少なくともお前にとっちゃ安全だし、敵よりかは味方寄りだ」
「安全? お前らは千ヶ崎の味方じゃないのか?」
「千ヶ崎? ああ、あそこで一緒に倒れてた灰祓いか。違ぇよ、俺らはアイツの敵、んでもって若葉の味方。つまり喫煙者であり喫魔師さ」
「喫魔師?」
どこかで聞いたことのあるような言葉に太一が眉を顰めると、やぁ、と一人の男が彼の視界に割り込んできた。
「ボクの名前は
何か質問は? と橙は散々捲し立てた後に質問を促してくるので、太一はただ端的に、お前らは何者だ? と問うてみれば、
「それはまさに核心だね」
顎に手を当てて感心するように頷いた。
一挙一動が芝居臭いはずなのに、それでも鼻につくようなウザさがないのは、橙がステージに立つに相応しい容姿をしているからだろうか。
薄紅色のセーターにチノパンという大人しめな服装であるが、全く乱れのない着方や、アクセントとなっている品の良いアクセサリーからはかなり身なりに気を使っているようにも見える。
それに加えて高身長でスタイルもよく、中性的で整った顔立ちをしているというのに、かけている眼鏡はなんとも残念なことにギャグマンガでよく見る縁の厚いグルグル眼鏡。
ジョークのつもりなのか、というかそもそもそんな眼鏡をかけていて前が見えるのかと色々ツッコミどころはあったのだが、橙はそんな暇も与えずに好き勝手に話し始めた。
「確かに核心を捉えることは大事であるけれども、そう焦ってはいけないよ赤丸弟。何事にも順序が肝心さ。いち早く物事の核心を捉えたところで、その背景が分からなければ全てを理解したとは言えない。時期尚早急がば回れとはまさにこのことであり――」
「ん? おい待て。赤丸弟ってどういうことだ。どうしてお前は俺のことを知っている」
太一に話を途中で遮られて調子でも狂ってしまったのか、橙は一度そこで話すのをやめ、自らのリズムを取り戻してから、
「――ふむ、君のことは大体知っている。君の名前が赤丸太一であることも、君の兄が赤丸銀次であることもよく知っている」
「兄貴のことまで……。お前らは一体何者だ」
そう問えば、また橙の表情が固まった。今度は予想外の質問をされて驚いたといったところか。
「若葉や
太一が頷けば、実にユーモラスな展開だと気障ったらしく言った。
「それならボクが一から説明してしまった方が早いね。ほら、薬獅子、こっちにおいで」
あいよ、と言ったその声は、ここに来てから一番初めに聞いたものだ。
太一の視界に新しく入って来たその人物は、中性的な橙とは真逆の男らしい青年。
身長は彼と同じくらいであるが、細身な橙に対し、その男は筋骨隆々で一回り大きく見える。
服装は黒スーツであるが、長髪をオールバックにしてライオンのたてがみのようにしているため、サラリーマンよりはもっと過激な仕事をしていそうな見た目だ。
一言で言ってしまえば柄の悪いその男は、自らを薬獅子と名乗った。
「若葉のお嬢ちゃんもいるんだろう? 隠れてないで出て来たらどうだい?」
彼女はまだ生きていたのかと、太一が拘束された身でありながらも頑張って周囲を見回すが、若葉の声が聞こえてきたのは、太一がどうやっても見ることができない死角からだった。
「隠れてはないわ。私は私でやることがあんの」
「忙しいのも分かるけれど、こっちに来た方がいいよ。そんな所にいちゃ、太一君は君のことが見えない」
「私にはそいつのことが見えてるからそれでいい」
そういうことじゃないんだけどなぁ、と橙は困ったように笑ったが、言っても聞かないとでも思っているのか、それ以上は若葉には触れずに話を進める。
「何から話そうか」
「お前らは何者だ」
じゃあそれから話そうか、と今度は調子を崩すことなく橙は滑らかに話題を変えた。
「何者だ――そう問われれば、ボクはこう答えるしかない。ボクは喫煙者だ、とね」
「そんなことを聞いてるわけじゃない」
「それくらい分かってる。だからボクは続けてこう言うんだ。そして同時に、ボクは喫魔師である、と」
「喫魔師……」
思い返せばあの路地裏で、若葉は自らのことをそう名乗っていた。聞き覚えがあるかい? と橙は取り出した煙草に火を点ける。
薄暗い密室に、煙草にしては甘い香りが漂う。
「煙を
橙が少し強く息を吐き出すと、その煙は気流を無視して漂い、一本角を生やした兎の形を模す。
「魔を
「そしてその魔を、私達は煙魔と呼んでいる」
背後から、橙のものとはまた別の、ほろ苦い香りを放つ煙と共に若葉の声が届いた。
「タバコの煙から生まれた煙魔は、喫煙者非喫煙者見境なく殺した」
すると室内は、再び橙の甘ったるい煙で満ちる。
「たくさんの人間が煙魔によって傷つけられ、殺された。それに怒ったのは勿論非喫煙者さ。自分たちは何もしていないのに、喫煙者たちの身勝手な快楽がために理不尽な暴力に曝されるわけだからね」
「だからこの国は、ここまで厳しく喫煙を取り締まるのか」
それだけじゃない、と橙は更にこう付け加えた。
「煙魔に、更に突き詰めて言えば喫煙者に傷つけられた非喫煙者は考えた。煙魔を討伐するのは勿論、それを生み出した喫煙者も抹殺しないと気が済まない、とね。そうして生まれたのが灰祓い。最初は小さな自警団に過ぎなかったけど、今は国の暗部に属する秘密組織の一つさ。この国はきっと、灰祓いを使って喫煙者もろとも煙魔を駆逐しようとしているんだろうね」
やけに強引にタバコや喫煙を規制していると思ったら、まさかそんな事情があったとは。
表向きは国民の健康、公衆衛生のためだと言いながら、裏では煙魔という理を外れた存在が蠢いている。
喫煙という行為がひた隠しにされる世の中であるために、吸う習慣のなかった太一にはまるで別世界の話だったが、その別世界は喫煙という習慣あるなしで一瞬で現実に覆ってしまうほど、ひどく近い。
そこまで説明されて、でもまだ一つ分からないことがあると、太一はこう切り出した。
「それなら、喫煙者でもない俺がどうして灰祓いの千ヶ崎に狙われた?」
確かに、事実として太一は30kg以上のタバコを許可なく所持、輸送していた。だがそれは、「会社から騙されて」という免罪符が付く。それに警察に連れて行かれた黄瀬とは違い、太一だけが灰祓いに個別に死刑執行されるというのも納得がいかない。
「予言があったのさ。『煙の王』の力を引き継ぐ者が現れるだろうっていう予言がね」
「『煙の王』? なんだそりゃ」
胡散臭い通り名を太一は馬鹿にしたように吐き捨てるが、対して橙を始めとする喫魔師連中の空気は重苦しい。
「五年前、『愛煙結社』と名乗る喫魔師集団が各地でテロ行為を行った。吸う者吸わない者関わらず多くの人間が死に、それは君ら吸わない者の世界でも話題になるほどだったんだ」
何の話だ、と太一が訝しむと、見えないところから若葉がこう呟く。
「喫煙者による連続無差別殺人事件」
「――ッ⁉」
その名で言われて、太一は漸く橙の話す内容を理解できた。
「喫煙者による連続無差別殺人事件」と言えば、全国で累計300人以上の死傷者が出た痛ましい事件だ。事件は同時多発的に起こったが、その発端はどれも同じ。現在違法となっている「歩きたばこ」を咎めた警官、もしくは一般人に喫煙者が逆ギレし、暴行したのを皮切りに、周辺にいた人々を誰彼構わず殺して回るというもの。
これをきっかけに喫煙者へのヘイトは更に高まり、政府は本格的に「全国民禁煙政策」を推進するようになったのである。
「ボクら喫魔界では『銀月の夜』と呼ばれているその騒動は、最終的に愛煙結社のボスにして首謀者である『煙の王』がとある灰祓いによって殺されることで収束するんだけど――」
「俺が次の『煙の王』になるって予言があるのか。馬鹿らしい」
橙の話を途中まで聞いて、太一は大方の事情は察することができた。
喫煙者でもない太一の命を狙ったのは、予言を真に受けた灰祓いが五年前の事件を再び起こさないようにするため。もしかすると荷台の荷物が全てタバコに変わっていたのも、太一を自然な流れで引き止める口実として灰祓いが裏で細工していたのかもしれない。
はた迷惑な話であるが、それだけ『煙の王』とやらは恐れられているのだろう。
「で? お前ら喫魔師はどうするつもりだ? 予言にビビッて俺を殺すつもりか?」
人目のない地下牢で、動きを拘束されている状況。次に運ばれる場所は処刑場と言われても何ら不思議ではない。
「君には二つの道がある」
橙は太一の足元にライターを投げ落とした。
「ボクらの仲間となりそのライターを手にするのか、それとも『煙の王』とみなされて殺されるのか」
足元には、太一が持っていたはずの銀色のライターが落ちている。
「仲間になる云々の前に、そのライターは俺の物だ。まずはそれを返してもらう」
「しかしそのライターは元々君の兄、赤丸銀次の物であり、彼にそれを授けたのはこのボクでもあるんだ」
「何?」
太一の反応が予想通りであったのか、橙は満足げに頷いた。
「表面に一本角を生やした黒兎が描かれているだろう? その一角兎のライターは、『
「待て、兄貴はお前らの仲間だったのか。っていうか喫魔師だったのか?」
「その話は後々するさ。それにどうせ、彼のことはすぐに、嫌でも知ることになる」
食いつくように迫る太一を軽く受け流し、橙は再び同じ質問をする。
「で? どうするんだい? ボクらの仲間になるの? それともここで死ぬのかい?」
「お前らは何を企んでいる。俺なんかを味方に引き入れて一体何になる」
うまい話には裏がある。
それはバイトの一件でよく学んだ。
だから、太一はよく警戒し、木嶋橙という男の裏の裏まで見透かしてやろうとするが、
「企んでいるのはボクらのボスさ」
ヘラリ、と彼はあっさりと手の内を明かした。
「ボスの言葉を借りれば、君は『煙の王』の力を引き継いではいても、その意志は引き継いではいない。――つまり力の使い道さえ間違えなければ、魔王だって勇者になれるってことさ」
分かったような、分からないような橙の、いや、彼らのボスの理論。
随分と危なっかしく、万人受けしない変わった考えだとは思ったが、不思議とそのボスとやらに興味が湧いた。
「お前らの仲間になれば、そのボスには会えるんだな」
「もちろん」
「それならこの手錠をいい加減外してくれ。これじゃあライターを拾いたくても拾えねぇ」
さっきからずっと、一つのフレーズだけが頭の中で渦巻いている。
ー―真実は煙の向こう側に。
その言葉通り、喫煙者の世界には今まで太一が知る由もなかった事実が隠されていた。
もしもこのまま、運命に導かれるようにして煙の中を突き進んでいけば、一体自分はどんな真実に辿り着くのか。
喫魔師であった兄と、偶然見つけたタバコとライター、そして謎のメッセージ。
この先に何か、自分が知らなければならないことがあると、太一は密かに確信していた。
それに何より――
「誘いを断れば即抹殺って、実質選択肢一つじゃねぇかよ」
命より大切なものは、そうあるわけでもない。
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