第41話 翼
病院から基地までは、歩いて五分もかからない距離だ。
俺たちは空襲警報が鳴り響く夜の街を駆け抜け、基地へと向かっている最中。
警報が鳴り響いているというのに、街ゆく人々はあまり焦っていないように思える。
そもそも時間が時間で人通りが少なくなっているから、そういう印象を受けたのかもしれないけど。
けど、そうであったとしても、これはあまりにも緊張感が無さ過ぎるような気がするんだけど……。
とはいっても俺たちが騒いでパニックのもとになるのもアレだ。
とにかく基地へ速くつくことだけを最優先に考えることにする。
「ノエルを連れてきてよかったんですか!? 病院に残した方が安全だったんじゃあ!」
「一緒にいた方が安全だ! それに、基地の防空壕が一番安全だしな!」
ノエルの手を引き、基地の入り口へ。
一般市民より兵隊のほうが焦っているようで、基地入り口の警備兵はノエルが構内に入ることを目にも留めなかった。
「おい! 何があった!」
その警備兵の一人を捕まえ、シャルロットさんが問うた。
アサルトライフルを携えながらもわたわたすることしかできていなかった警備兵は、突然現れた美少女に目を丸くしながらも、唾を飛ばす。
「メデュラドの戦闘機が現れた! 昼間と同じだ! 突然現れやがった!」
その警備兵の叫びをかき消すように、すさまじいジェットエンジンの咆哮。スクランブル発進した二機のエイルアンジェが、真っ青なバーナーを吐き出しながら漆黒の夜空へと姿を消していった。
さらに、また二機。その後一分もしないうちに、合計八機ものエイルアンジェがこの基地を飛び立っていった。当然、全て対空戦闘装備。
「まただと……!? くそっ、どうなってやがる! なんで急に……! いや、今はそれどころじゃない。私達も上がれるか!?」
「そんなもん俺が知るか! 司令に聞いてくれ!」
それだけ言うと、彼は慌ただしく駆けて行ってしまった。
「そりゃそうか……。とにかく、ブリーフィングルームに行って見よう。なにかしら行われてるはずだ」
「ですね。ノエルはどうしますか?」
「そうだな……。あ! おい! 丁度いいところに!」
シャルロットさんが誰かを見つけ、そちらに駆け寄っていく。そこには、昼間フレイアを護送してきた輸送機のパイロットたちが。
彼らは基地の喫煙所で、この緊急事態だというのにタバコをふかしながら談笑を交わしていた。
あれが戦場に慣れたモノの余裕とでもいうヤツなのだろうか……?
「お? どうしたシャル。というかなんだそのガキンチョは。まさか隠し子か?」
ノエルを見ても、そんな冗談を飛ばしてくる始末だ。
しかも、シャルロットさんが撃墜されて病院送りになっていたというのにこの余裕。
信頼の裏返しなのかもしれないけど、なんかこっちまで調子がくるってしまう。
「次そういう冗談を抜かしたらマジで撃ち殺すからな。詳しいことを説明してる暇はない。この子を防空壕に連れてってやってくれないか?」
「お? おぉ」
シャルロットさんも負けじと、有無を言わせぬ勢いで彼らにノエルを任せる。
そして答えも聞かぬ間に、ブリーフィングルームの方へと駆けて行ってしまった。
「お、おいルーキー。なんなんだこの子は」
「説明するととても長くなるんです。というかこの緊急事態にずいぶん余裕ですね……」
「そりゃあなぁ、俺らは輸送機乗りだぞ? 空襲警報が出たところでなにも出来んよ」
「突然命令が下ったりしたらどうするんですか……」
「そんときゃそんときだ。俺らにとっちゃ明日のお小言より、今のタバコなんだよ。それこそもう二度と吸えなくなるかもしれん訳だしな」
「さいですか……」
俺はこれ以上取り合うことをやめ、シャルロットさんの後を追うべく身をひるがえす。
だけどその背中に、彼らの声が投げかけられた。
「おいリョースケ。昼間は本当に助かった。まだ礼を言ってなかったからな」
「そんな……。俺は結局なにもできませんでしたよ。俺が撃てなかったから、シャルロットさんが落ちることになった……」
「ハァ? お前なにトンチンカンなこと言ってるんだ? お前三機撃墜しただろ? お前が落としてなかったら俺らはここにはいないんだぞ? わけのわからんことを言うな」
さも当然のことを言ったという風な彼ら。
だけど、新たな視点というか、別の見方というか。
そういうものが、急に開けたような気がした。少なくとも、今の今まで俺はそういう考えを持ってはいなかった。
「お前からしたら、全部撃墜できなかったうえに隊長を落とされたってことで落ち込んでるのかもしれんがな。俺らからしたら無事お姫様を送り届けられた上に、シャルも大したケガじゃない。そのうえ俺たちまで無事と来たもんだ。これ以上の贅沢は望めんと思うがねぇ」
「で、でも……!」
「だぁー! 俺らは感謝してるの! それでいいだろうが! 全員無事に生きてる! これでいいの! おしまい! オラッ! さっさと敵をブチ落として来い! エースパイロット!!」
背中を思いっきりひっぱたかれ、息が詰まる。足が前に出て、体がつんのめる。
だけどその勢いのまま、俺は駆け出した。
「おにーちゃん! なんだかよくわからないけど頑張って!」
その背中に、ノエルの声。
俺は振り返ることはせず、ただ手を振ってそれに答えた。
今は、前だけ見よう。
なぜだか、そう思えた。
※
この基地のブルーフィングルームは、ハンガーから少し離れた管制塔のある建物の一階にある。
少し迷いながらもなんとかたどり着き、ドアの前で少しばかり息を整えてから部屋へと入る。
ブリーフィングルームに着くなり、シャルロットさんと司令官が激しい口論を繰り広げていた。
「だから! 予備機があるだろう! よこせ! ここの基地の連中よりは戦えるぞ!」
「君はこの基地の所属ではない! 貸す機体もない! ひっこんでいろ!」
「実戦経験のないヒヨっこどもに務まる相手じゃない! 奴らは手練れだった!」
「訓練は日々怠らずに行っている!」
どうやら、シャルロットさんの出撃を認めない司令官と、何が何でも出撃したいシャルロットさんが衝突しているらしい。
「それに、君は一応けが人だぞ? 大人しくしていろ!」
「ケガなんてしてない! 早くしないと手遅れになるぞ! ヒヨッ子どもを見殺しにするつもりか!?」
この基地のパイロットたちの練度がどの程度のものなのかはわからない。
でもあの警備兵の慌てようを見ると、こういうことに慣れているとは思えない。
それに、昼間戦ったレイダーのパイロットは強くもないがザコでもなかった。
最初に輸送機を攻撃しないという致命的なミスは犯していたけど、それも余裕から来るものだろうし。
動き自体も、そこまで悪いものではなかった。
「ルーキー! お前も何か言ってやれ! このガンコ親父に!」
「えぇっ! そんな突然!」
ぎろりと両名ににらまれ、身がすくむ。
だけど、ここで言わなきゃ男が廃る。
守ると決めた女の子の前で、ダサいところを見せたくは無かった。
「……お言葉ですが司令官。この基地のパイロットたちに実戦経験は?」
「スクランブルが問題なく行える程度には訓練されている」
「僕が聞いているのは実戦経験です。敵に対峙し、落としあいをしたことがあるのかと聞いているのです」
「それは……」
答えることができない司令官。
聞くまでもない。こんな内陸の基地のパイロットたちが歴戦の猛者ということは、毎日のごとくルーニエスは首都に空襲を受けているということになってしまうのだから。
現状があまりにも特殊すぎるのだ。
俺は、さらに続ける。
「彼女を飛ばさないという判断には賛成です。機体もないですし。彼女はけが人だ」
「なっ……!」
当然、シャルロットさんが目を丸くする。
本当に飛ぶ気だったのか……。
でも、彼女を飛ばさせるわけにはいかないだろう。常識的にも、男の意地的にも。
「おいルーキー! 何ふざけたこといって……! お前の機体を貸せ! それで私が飛ぶ!」
「嫌です。俺の機体はアンジェが乗ってるんですよ? アイツのパートナーは俺だけですから。例えシャルロットさんでもアンジェのパートナーは譲りません」
「そういうことを言っているのではない! 君たちはこの基地の所属ではない! 部外者が入り込むと、途端に戦場は混乱するのだ! そんなこともわからんのか!」
言いたいことはわかる。
チームで連携が取れるように訓練してきたのに、そこに一人部外者が入るだけで一気に連携は崩れてしまう。
仲良しグループに部外者がいきなり入っても浮いてしまうどころか、そのグループに綻びを生んでしまうこともあるだろう。それと同じだ。
だけど……
「あいにく俺は今まで一人で飛んできましたので。連携するつもりなんてはなからありません」
「はぁ!? 君、この隊長はいったい……」
「……私がこいつに合わせて飛んでいた。 こいつは誰かに合わせると途端にナマクラになる。だけど、一人ならばこの世界の誰よりも強い」
自信満々に、そう言い切った。
だけど、一つ訂正がある。
「いえ、少し違います。一人では強くありません。俺と一緒に飛べるのが、シャルロットさんだけなんです。彼女しか、俺の背中は預けられないですから」
「言うじゃねぇかルーキー。そのふざけた口から私に機体を譲ると言えたら合格点なんだがな」
「お断りします」
一つ息を吐き出し、司令官を見据える。
「なので、そちらの部隊に迷惑をかけるつもりはありません」
それでも、司令官は渋った。
そのあとたっぷり三十秒ほどの時間がたったころだろうか。
「……わかったわかった! 好きにしたまえ! エウリュアレーも好きなだけ持っていけ!」
「ありがとうございます! では、すぐ出撃します!」
「ただし! 無事帰ってきたまえよ。女を残して死ぬ男は重罪だ。五体満足で帰ってこい」
「了解!」
「はぁ!? 私も飛ぶに決まってんだろ! 何言ってやがる!」
「だから! 君に貸す機体は無い! すっこんでろ!」
今度こそ、司令官の雷が落ちた。
シャルロットさんはビクリと体を震わせ、しゅんと俯く。
それがまた可愛くて、無意識のうちに口角が吊り上がる。
「君の部下はそんなに信用ならんのかね? 君がそんなに言うんだから、一人でも大丈夫なんだと思っていたが」
「そんなことはない! リョースケは最強だ!」
「では信じて送り出してやったらどうだね? それが良い女ってものじゃないのかね?」
なんか、急にすげぇいいオジサンになったなこの司令官……。
ふっきれたのかなんなのか知らないけど……。
「くそっ……。急にダンディーになりやがってクソ親父め……。リョースケ大丈夫か? お前はその……。昼間……」
あぁ……まただ。またシャルロットさんは俺のために……。
俺がトラウマを抱えたということを知っているから、自分が無理をしてでも飛ぼうとしてくれたのか……。
でもここで、『やっぱり飛ぶのが怖いので変わってください』なんて言えるか? そんなことを抜かすのは腰抜け野郎だ。
俺は腰抜け野郎にはなりたくない。
「もちろんです。日が変わる前に帰ってきますよ」
シャルロットさんが何を言いたいのかはわかる。あの光景は、はっきり言って俺のトラウマになっていた。
一日もたっていないのに、克服できるはずもない。
でも、だからと言ってここで引き下がるわけにはいかなかった。
司令官とシャルロットさんに敬礼を残し、ブリーフィングルームを飛び出す。
ハンガーまでの道のり。足がやけに軽く感じる。
更衣室で、飛行服に着替える。
もう装着に慣れてしまったベストと、ヘルメット。
手に取って再びハンガーまでの道を駆け抜ける。
「おう、遅かったなルーキー! どうせお前らも上がるだろうと思って、基地の職員カツアゲしてミサイル搭載させといたぞ!」
「なにしてるんですかあんたたち!」
「俺ら前線の兵士はな。ムチャクチャが売りなんだよ。最善の結果を残すためには、なんだってやる。ほら! さっさと準備しろ! 急げ! スクランブルだ!」
ハンガーに着くなり、Mk3アサルトライフルを整備兵たちに突き付け、俺のエイルアンジェにミサイルを搭載させている輸送機パイロットたちの姿が目に飛び込んできた。
でも彼らの瞳には、不満の光は浮かんでいなかった。
むしろ、期待のまなざしを向けてくれているような。そんな気がした。うぬぼれかもしれないけど。
「橘少尉、でよろしいでしょうか」
その視線を受けながら機体に向かう途中、背中に声が投げかけられた。
見れば、壮年の整備士が帽子を取ってこちらに歩み寄ってきていた。
「私は整備士長をやっとるものです。突然こんなこと頼むのもアレなんですが、この基地のパイロットたちはみんなヒヨッ子だ。とてもじゃないけど、初めての実戦を戦えるとは思えない。でも、すごくいいやつらなんです。だから……」
そこまで言って、彼は深々と頭を下げた。
「あいつらを、助けてやってください。司令官も、ホントは出撃なんてさせたくなかったはずなんです。誰にも死んでほしくないはずなんです。だから、どうか……!」
「任せといてください。十分で片してきます。もちろん、全員連れて帰ってきます」
「ありがとうございます……!」
固い握手。これ以上はもう必要ないだろう。
彼と別れ、いよいよエイルアンジェのコックピットへ。
その瞬間、視界いっぱいにあの光景がフラッシュバックした。
キャノピーが真っ赤に染まり、視界が暗転する。
体から力が抜け、俺のコントロールを外れたエイルアンジェがビーム機銃を乱射し、輸送機に突撃しようとするレイダーを、シャルロットさんのエイルアンジェが受け止める。
吐き気がこみ上げてきた。
射出座席に座ることができない。
……なさけない……! あんだけ大口叩いといて、いざとなったらこれかよ……!
手が勝手に震えだし、体から力が抜ける。
だめだ。ここで投げ出したら、今度こそ俺は何も守れない。
だけど、体が動かない。
「おいリョースケ!!!」
そんな俺を支えてくれたのは、
「深呼吸だ、深呼吸しろ」
やっぱり、シャルロットさんだった。
「私を守ってくれるんだろ? 私を守るナイトになるなら、射出座席に座ってみせろ」
普段ならきっと、無理はしなくてもいい。ゆっくりでいいと言ってくれるだろう。
実際、さっきもそういってくれた。ゆっくり克服していこうと。
「さっきと言ってる事違いますよシャルロットさん」
「フフン。さっきはああいったが、やっぱりこういう時に動ける男と動けない男じゃあ、そりゃあ動ける男を選ぶね。私は」
そうだよなぁ。あんだけ堂々と、シャルロットさんに機体は渡さないとか言っちゃんたんだ。
「おにいちゃん!」
動きかけていた体。
「これがおにいちゃんのせんとうき!?」
まだ渋っていた体を、その一声が突き動かした。
「すっごい! かっこいいね! おにーちゃん! せんとうきって、かっこいいね!!」
「そうだろノエル。戦闘機はな、世界で一番かっこいい乗り物なんだ」
今までが嘘かのように、体が動く。
射出座席に座り、ハーネスをしめ、エンジン始動シークエンスを進めていく。
『お久しぶりですマスター。正確には十時間と三十五秒ぶりですが』
「おうアンジェ。またスクランブルだ。さっきはみっともねぇとこを見せたな」
『本当です。しっかりしていただかないと困ります』
「わるいわるい」
キャノピーを閉め、操縦桿とスロットルレバーを握りしめる。
もう手の震えは、完全に消えていた。
外でこちらを見上げるシャルロットさんたちに、親指を立てた。
その返事を見ることもなく、俺はスロットルレバーを少しだけ前に押し込む。
エンジン音が高くなり、ゆっくりと機体が前に進み始める。
「さぁ、十分で片すぞ!」
『了解ですマスター』
タキシングロードを速いペースで進み、そのまま滑走路へと。
エンジン全開。
俺はエイルアンジェを、首都の夜空へと舞い上がらせた。
一章最終話へ続く。
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