第28話 中指を立てましょう
「はい、では次の曲がり角を右折しましょう。右折帯に入るときにも、その三百メートル手前からウインカーを点灯させましょうね」
「は、はい!」
追手から逃れるため、道路で捕まえた一般車に軍人の権力で乗り込むまでは良かった。
「おいおい! ウインカーなんて律儀に出してたら敵に撃ってくれって言ってるようなもんだろうが! ステファニー! 緊急事態だ! ウインカーなんぞ出さなくてもいい! 法定速度も守らなくていい! とにかく突っ走れ! しかもそっちはウインカーじゃなくてワイパーだ!」
「すっ、すいません!!」
でもそれが、ウインカーとワイパーを間違える上に超絶安全運転の自動車教習所の教習車だったら話は変わってくる。
「いけませんよステファニー。どんな時でもルール厳守。それが交通事故を減らす最も有効な手段なのです」
「事故減らすのに一番有効なのはジジババから免許を取り上げることだ! いいからさっさとアクセル踏み込めェイ!!」
「こっ、これ以上怖くてスピード出せません!」
法定速度順守、法規履行。
背後からアサルトライフルを携えた狂手が迫っているというのに、お手本のような安全運転でマルタの街を駆け抜ける、ステファニー女史が操るこの教習車。
こんなの、コントにもギャグにもならない。
「どうするんですかシャルロットさん! しかもこの車教習車だからドチャクソ目立ちますよ! 見つけて撃ってくれって言ってるようなもんですよコレ!」
「仕方ねぇだろこいつらしか車走ってなかったんだから! 車奪うわけにもいかねぇし!」
「律儀だネー! 私ダッたら銃チラつかせテぶんドルけどナー!」
にゃははと笑いながらとんでもないことを口にしたフレイア。まがりなりにも王女を自称するならば、そういう言葉は控えた方が良いと思うんだけど……。
「えぇいだまってろワカメ! それより教官! マジで緊急事態なんだ! 検定は一時中止にしてアーネストリアまでとにかく急いでくれ! 巻き込んでしまって申し訳ないが、飛ばさきゃあんたらも殺されるかもしれないんだ!」
「飛ばしたところで、到着時刻は十分ほどしか変わらないという研究結果が出ています。しかも、無謀運転で命を落とす確率の方が高くなるのですよ? ステファニー、ポンピングブレーキを心がけて。後ろの車にこれから止まりますよということをアピールしなければ」
「だぁぁぁぁぁぁかぁぁぁぁぁらぁぁぁぁぁ!!!」
頭を抱えるシャルロットさんとは裏腹に、教官は冷静なままステファニー女史の運転技術見極めを行っている。
この人、ある意味ただものじゃないかもしれない……!
俺たちを乗せた車は律儀に右折レーンへと進入。当然のことながら一時停止して左右確認。交通ルール通りのまったく問題のない運転ではあるんだろうけど、この状況ではじれったさしかない。
そうこうしているうちに、後ろから追手の乗ったあの黒い高級車が猛スピードで突進してくるのが目に入った。
「仕方ねぇ! リョースケ! 私達で何とかするぞ!」
「なんとかするってどうするんですか!」
「決まってんだろ!」
そう叫びながら、彼女はパワーウインドウを下げて身を乗り出し、窓枠に腰かけてアサルトライフルを構える。
「撃たせなきゃいいんだよ撃たせなきゃ!」
そして、迫りくる追手に向けアサルトライフルをブッ放した。
「お嬢さん、ハコ乗りは危険ですよ」
「ハコ乗りじゃねぇ! 海兵隊乗りだ! いいからとっととスピード出させろ! おいリョースケ! お前も撃て!!」
「わ、わかりました!」
俺も窓から身を乗り出し、ライフルを構える。
とにかく相手に撃たせなければそれでいい。当てなくてもいい。今回もそう言い聞かせながら、引き金を引いた。
当然相手も撃ち返してきて、ハリウッド映画ばりのカーチェイスへと発展する。
一つだけ映画のそれと違うのは、双方とも法定速度順守の超ノロノロカーチェイスってことくらいか。
俺たちは法定速度で走っている。でも銃撃されるから相手もそうそう近づけない。
タイヤの軋み音すら鳴り響かない時速四十キロメートルでの決死の戦いは、マルタの街を恐怖と違和感の渦へと陥れていることだろう。
「ステファニー、右折をするときも歩行者の巻き込み確認を怠らないように。ミラーだけでなく目視でもですよ」
「だ、大丈夫です!」
「大丈夫じゃない! さっさと曲がれ!」
その違和感と恐怖の中心を行く俺たちの車は、おばあちゃんの歩み寄りもノロノロと右折しにかかる。
横断歩道を横切るときは、しっかりと目視確認。いや言わんとしていることはわかるけれども!
「ほ、歩行者いません!」
「声に出さなくてよろしい。一度確認して歩行者がいなくても、速度の速い自転車等が突然飛び出してくることも考えられます。油断せず右折しましょうね」
「はい教官!」
「銃弾飛んできてるんだから油断もクソもねぇ!」
と、その時。敵の放った弾が運転席側のサイドミラーを吹き飛ばした。
「きゃっ!」
可愛らしい悲鳴を上げ、ステファニー女史が身をすくめる。
「それ見たことか! 次はお前に当たるかもしれんぞ! わかったらとっととアクセル踏み込め!」
「きょ、教官! 怖いです!」
「ステファニー、運転には時にクソ度胸が必要なのです。そうでなければ、初めての高速教習での合流など夢の又夢ですよ」
「ひぇぇぇぇぇ!!」
なんとか右折を終え、またノロノロと加速していく。
だがその隙にかなり距離を詰められ、彼我の距離は三十メートルも離れていない。
このままじゃ追い付かれてしまう……! なんとかこれ以上の接近を許さないように、とにかく引き金を引き続ける。
シャルロットさんのリロードを俺がカバーし、俺のリロードを彼女がカバーする。
サイドミラーを吹き飛ばされて少しは吹っ切れたのか、追い越し車線を走れるくらいのスピードは出せるようになったステファニー。
前を走っていた大きなトラックを盾にし、少しずつ距離を稼いでいく俺たち。
そうして二人で十本ほどのマガジンを撃ち尽くした時だっただろうか。
「きゃあっ!」
突然、ステファニー女史が急ブレーキを踏み込んだ。
「ずわっ!」
「のっ!」
「ムヘッ!」
後部座席三人は慣性の法則にのっとり、すさまじい勢いでつんのめる。
「ど、どうしたステファニー!」
「く、車が飛び出してきて……!」
見れば、細い路地からスポーツカーが強引に飛び出して俺たちの前へと滑り込み、猛スピードで走り去っていく後姿があった。
幸い俺たちと敵との間には巨大なトラックが挟まっていて、攻撃はやんでいる。
前を走っていた俺たちが急停止したんだから、後ろにいたトラックが止まったのも当然だ。
運が悪ければ止まり切らなかったトラックに追突されてたかもしれないけど……。
でもとにかく、手痛いタイムロスであることに変わりはなかった。
「ステファニー! 落ち着いて再発進だ! 確認とかしなくていいから! とにかく早く!」
「は、はい!」
ゆっくりと再発進する車。だがそれを遮るように、今までの速度超過にノーコメントを貫いていた教官が口を開いた。
「ステファニー。今からは特別講習です。一回限りの講習なので、しっかり身に着けるのですよ?」
「えっ えぇっ!? は、はい!」
……なんだろう、教官の纏う空気が変わったような気がする。
「まず、アクセルを踏み込みます」
「はいっ、て、えぇ!?」
「いいから踏み込むのです。私を信じなさい」
「わ、わかりました!」
今までの走りが何だったんだっていうくらい、強烈な加速で走り出す教習車。
先ほどムチャな割り込みをしてきたスポーツカーのテールランプが、みるみるうちに大きくなっていく。
「ステファニー、追突事故を起こした時の特別講習です。ブレーキを踏まずにそのまま突っ込みなさい」
「えぇっ!?」
「私を信じなさいステファニー。総員! 対ショック!」
突然、教官の声が有無を言わさぬほど鋭いものになった。
その声に、勝手に体が反応する。体を引っ込め、頭を抱える。
「イエッサー!」
「イエッサー!」
あのシャルロットさんが素直に従ってしまうほど、その声が帯びる覇気はすさまじいものだった。
一切の減速をすることなく、俺たちの教習車は前を行くスポーツカーへと突っ込んだ。
当然すさまじい衝撃が車内を襲うけど、対ショック姿勢を取っていた俺たちは特になんのケガをすることもなかった。
「ステファニー、次は車を横につけなさい。エイサップ!!!!」
「は、はいいい!!」
エイサップだと!? よく軍で使われる『可及的速やかに』の略語をなぜこのオッサンが使っている!?
それも軍人顔負けの覇気を纏いながら!
……でも口調はまたもとのおとなしいおじさんのそれに戻り、何の抑揚もないような表情のまま続ける。
「よろしい。車速を合わせ、窓を開けなさい。今から行うのは、マナーの講習です。道路上でお互いが気持ちよく運転するには、お互いへの思いやりが大切なのです。なにか相手にしてもらったときは、しっかりハンドサインで感謝の気持ちを伝えましょう。それではステファニー、右手の握り拳を、上向きにして外に突き出しなさい」
「こ、こうですか?」
「よろしい、では次に、こういう場合のハンドサインを教えましょう。いいですか? できるだけ大きな声で『くたばれ、うじ虫野郎』と叫びながら、中指を立てるのです」
「くたばれ! うじ虫野郎!!」
「ベリーグッド」
教官の指示通り、ステファニーが中指を立てた。
スポーツカーの運転手が、目を点にして唖然としているのが目に入る。
「少年、リョースケ君と言ったかね」
「い、イエッサー!!」
「拳銃を貸しなさい」
「イエッサー!!」
俺は逆らうこともできずに、腰のホルスターから拳銃を引き抜いて教官に手渡す。
彼は慣れた手つきでチャンバーに弾が装填されていることを確認すると――
「もう一度、自動車学校からやり直しなさい」
――そう呟きながら、立て続けに発砲した。
スポーツカーのタイヤが爆ぜ、コントロールを失った車体は豪快にスピンし始める。
そして、トラックをかわし俺たちの追尾を再開していた黒塗りの高級車へと、衝突した。
「まったく、最近の若い者は交通ルールを何だと思っているのか」
俺にデコックした拳銃を返しながら、教官はそう呟く。
俺もシャルロットさんも、ポカンと口を開けることしかできなかった。
二九話へ続く。
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