第25話 ワカメまみれのプリンセス
「おいドシター!? 元気カー!? 声出セー!」
「おっおまおまおまおまおまおまおま! おまお前何者だ!!」
全身のワカメをビチビチさせながら迫りくるそのクリーチャーに、俺は腹の底から声を出した。
シャルロットさんとのオシャンティーティータイム。そして射撃場で打ち明けたそれなりにシリアスな悩み。その両方をブチ壊したのは、海兵隊よろしく海から海沿いのテラスに上陸してきたワカメ星人だった。
……少なくとも、今まで考えていたことなど星の彼方まですっ飛んで行ってしまったのは確かだ。
全身ワカメ、ワカメだ。
深い緑色のぬめりを持つピッチピチの海藻をギリースーツばりに着こなし、意味不明な片言言葉を発し続ける生物なんて恐怖を感じない方がおかしい。
腰が抜けなかっただけまだマシだけど、恐怖と混乱で体は言うことを聞いてくれなかった。
「きっ貴様ァ! どどどどどどこの手のものだ! 所属と階級を言え! さもなくば射殺する!」
テーブルの向こうでしりもちをついていたシャルロットさんが顔面蒼白になりながら拳銃を引き抜き、ワカメ星人へとその銃口を向ける。
俺もそれで我に返り、彼女のそばへと移動して肩を支えながら、腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。
さっきまで銃は人を殺すためのものだとか考えてたけど、これに向けるのは話が違う。だって見た目完全に化け物だ。人には向けてない。ゾンビに向けて銃をブッ放しても誰も怒らないだろう。それと同じだ。
「オウオウオーウ、シマシマパンツのオジョーサン! 私に銃ムケルのはヒジョーにマズいですヨー!」
そんな俺らとはうって変わって、銃口を二つも突き付けられているというのにオバケは余裕シャクシャクで意味不明ハイテンションなまま。
さらにめぐってこっちはと言えば――
「し、しましまじゃねーし!!」
「シャルロットさん! まだちょっと見えてます!」
「バカお前見るな!!」
――顔を真っ赤にしたシャルロットさんは光の速さで体勢を直し、夢の布がきちんとスカートの向こうに隠れるようニーリングのポジションを取って拳銃を構えなおす。
グダグダもいいところだった。
混乱は俺たちだけにとどまらない。
突如海から現れた海藻オバケとそれに銃を向ける男女二人という構図が、人々の注目をひかないはずもない。というかもうすでに俺たちは人だかりの中心だ。
遠巻きに見つめる人たちの中には腕時計型携帯電話でどこかに連絡を取っている人もちらほらと見られ、店の入り口の方には、こちらに走り寄ってきている制服警官数人の姿も捉えることができた。
……警官が来れば、なんとかなるか……!?
だが、ワカメお化けは俺の視線を追って警官の姿を認めると――
「シット! ファッ〇ンポリ公どもめ! このクソが!」
――突然ニューヨークのチンピラみたいな安っぽい暴言を吐き出しつつ、俺の視線から一瞬のうちに姿を消した。
本当に、一瞬で目の前から消え失せたのだ。
「なっ! ど、どこに……!」
「ば、化け物か……!」
シャルロットさんも同じく、化け物の行方を見失ってしまったようだ。
純粋な恐怖が全身を支配した。ミサイルが飛来しているときとか、敵に後ろを取られたときなんかとは比べ物にならないほど純粋培養の恐怖。
パニック映画の主人公ってきっとこんな気持ちだろうって言い切れるくらい、すさまじい勢いの怖さだ。
「……えっ?」
まさに一瞬の出来事だった。
視線を巡らせて位置を探ろうとしたその次の瞬間には、なぜか視界いっぱいに雲ひとつない常夏の青空が広がっていた。
そして、エイルアンジェで離陸した時にも味わうことができないような強烈な浮遊感が体を包み込む。
「イヤッホォォォォォォウ!!!」
「ああああああああああああああああああ」
「うおああああああああああああ」
ワカメオバケの歓声、俺とシャルロットさんの気の抜けた声が空へと吸い込まれていく。そしてやけにスローモーションな世界が再び元の時間を取り戻したと思ったら、俺たちは頭からエメラルドグリーンの海にダイブしていたのだ。
ワカメオバケに首根っこを引っ掴まれて海に引きずり込まれたのだと理解したのは、ゆらゆらと踊る海面越しに見上げた太陽の光を真正面に捉えたときだった。
その光を目指し、なんとか浮き上がろうと必死に水をかく。でもなぜか、体はあらぬ方向へと勝手に進んでいった。カフェテラスと水面が、どんどん遠くへと離れていく。
「もががっ! もがげっ!」
「モゲゲー! モガゲー!」
俺の隣で必死に水をかくシャルロットさんの首根っこに、ワカメオバケの片手が伸びている。
俺は体を捻って自分の襟を確認しようにも、強烈な水の抵抗でそれすらできない。多分ワカメオバケが凄まじい勢いで俺たちをえい航しているんだ。
このまま海の底まで引きずり込まれ、そこで妖怪のエサにされてしまうのかという恐怖と不安が沸き起こり始める。なんたってここは異世界だ。こういう死因もあるのかもしれない。
せっかく戦闘機パイロットになってこれからっていうときに……。
……でもそれは、どうやら杞憂だったようだ。
「っプハァァァァイ!!!」
「ノゲハー!!!」
俺たちがいたカフェテラスは海に突き出した小さな岬の先端に店を構えていて、その付け根の海岸まで来たところで俺たちはようやく新鮮な空気を肺に取り込むことができたのだ。
この岬の反対側が込み合っていたビーチで、こっち側の海岸はすごくきれいなんだけどひとっこ一人いやしない。完全に俺たちだけの空間。ここは小さな湾になっていて、静かな波が純白のビーチへと打ち付けていた。
湾を取り囲むようにヤシの木が群生し、海岸の奥にはコンクリートの壁。その上には道路が走っている。
なるほど、ここまで降りてくる手段がないから人がいないのか……。
「ゲホッ! ゲホッ! ぶ、無事かリョースケ」
「なんとか……シャルロットさんも大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。なんとか……」
とりあえずお互いの無事を確認して胸をほっとなでおろす、暇もなく。
「ダイジョブかー? いきなりスマンなー」
「うわああああああああああああああああああああ」
「うわあああああああああああああああああああああ」
そういえばそうだった。俺たちはこのワカメオバケに引きずられてここまで来たんだ。溺れかけた上に死にかけて、その存在をすっかり忘れていた。
でもその海藻の塊は申し訳なさそうに頭を、頭? 頭なのか? とにかく、人間でいうと頭である部分をぺこりと下げながら、カタコトの謝罪を口にした。
……敵意は、無いんだろうか?
「え、えぇと、とりあえずお前はいったい何者なんだ?」
とはいっても、相手はナゾの生物だ。いきなりワカメを伸ばして触手攻撃を行ってこないとも限らない。
シャルロットさんがヌメヌメのワカメにからめとられるところはちょっと見てみたいかもしれないけど……。
っと、いかんいかん。けしからんことを考えている暇があったら身を守らなくては。
俺は海に引きずり込まれても放さなかった拳銃を再び構え、化け物の頭に狙いを定める。
「もう一度聞く、お前はいったい何もんだ?」
シャルロットさんも、銃口に小魚が詰まった拳銃を構えた。
思わず二度見してしまったけど、本気の表情で質問をする彼女に『銃口に魚詰まってます』と突っ込みを入れることも憚られ、結局スルーを決め込む。
彼女がトリガーを引かなければ問題ないんだ。だからさっさとこの化け物の正体を掴まなくては……!
「そういやこのカッコじゃ誰かワカランかー」
そういうとオバケは、モゾモゾと邪悪な舞いを披露し始めた。
わそわそとピチピチのワカメが揺れ、外側から徐々に剥がれ落ちていく。
そしてついに、その化けの皮がすべて剥がれ落ち、本体が姿を現した。どんなおぞましい姿をしているのかと身構えていた俺の目に飛び込んできたのは――
「うわ……」
「ないわー……」
――思わず言葉を失って見とれてしまうほどの、超絶美少女だった。
ワカメのギリースーツの中から美少女だ。こんなの海外のドッキリTVでもやりはしない。
シャルロットさんと対をなすような、少し赤みがかったロングヘアをポニーテールにまとめ、その下の瞳はルビーのごとく真っ赤に燃え盛っている。
当然のごとく顔だちは整っており、ぶっちゃけシャルロットさんよりもかわいかった。
いやまぁシャルロットさんが綺麗系で、彼女はカワイイ系というかなんというか……。
「ヒー! やはりワカメは肌にヤサシーけどイソクセーですな!」
そんな俺のくだらない女の子分析はさておくとして、ワカメ姫(そこはかとなく卑猥だ)は体中にこびりついたヌメヌメをペッペと払い落す。
水を含んで体に張り付いたワンピースが描く曲線も相まって、その破壊力は絶大だ。
「……おいどうしたリョースケ。急に前かがみになって……。腰でも痛めたのか?」
心配そうにこちらを覗き込むシャルロットさんに、必死に背中を向けながら俺は海沿いへと走る。
なんとしても、体の前を彼女に見られる訳にはいかなかった。
「フイー、ヌメヌメやっとトレたカナ? で、キミタチは何なの?」
「こっちのセリフだが!??!?」
ヌメヌメをあらかた落とし終わった姫の言葉に、シャルロットさんがブチ切れた。
まぁ当然だろう。まさにこっちのセリフだと俺も声高々に叫びたい。
「あー、ゴメンゴメン。まだあんまり言葉覚えてなくてナー! 許せ! そいでなー? 君たち拳銃もってたじゃろー? なんのお仕事してるん? ルーニエスって拳銃携帯はいくないダロー?」
なんとなくフワフワした印象を持ち、どこまでもマイペースらしい彼女は、シャルロットさんの激昂にたははと苦笑を浮かべつつもそう聞いてきた。
多分この人、こっちが先に答えないと質問に答えないタイプの人だ。
シャルロットさんと顔を見合わせ、彼女が頷く。もちろん体は海に向けたままでだ。
「私達はルーニエスの軍人だ。だから拳銃を携帯してる」
どこの所属だとかそういう細かいことは言わない。まだ相手がどこの誰なのかわからないからだ。
そのシャルロットさんの答えを聞いたワカメ姫は、
「マジで!? ラッキー! って言ってしまってもいいんだロか……。ウムム、どうしヨーカナー……」
頭を抱え、ウンウンと唸り始めた。当然俺たちをほっぽって。
俺たちは何ができるわけでもなく、悩み続ける彼女をひたすら待ち続けることしかできない。
「へくちっ」
その後早々と十分ほど時間が流れ、シャルロットさんがかわいらしいくしゃみを披露した。
なんとか生理現象も収まり、胸をなでおろしたのはつい三分ほど前のこと。
あいにく今俺たちがいるここら一帯はヤシの木の木陰になっていて、服はなかなか乾かない。日差しが強いとはいえ濡れた服は容赦なく体温を奪っていく。
これ以上待たされるのならば、警察を呼んで何とかしてもらった方がいいのかもしれない。
「あの、俺たちそろそろ行きたいんだけど。寒いし。彼女も風邪ひいちゃうし」
「おースマンな! ウム、決めた! ちょっとちょっとお二人サン! 私の話をきいてクレ!」
「あ、うん。さっきからずっと待ってたよね……」
俺の催促でどうやら考えがまとまったらしい彼女は、フンスと胸を張って腕を組む。
散々待たせといてこの態度、親の顔が見てみたいってものだ……。
でもここまで来て聞かずに帰るってのもなんとなく後味が悪い。しかも海に引きずり込まれた理由も、彼女の名前もまだ聞いていないのだから。
そうは思いつつも、どうせ大したことじゃないだろうとたかをくくって、聞き流すつもりで彼女の言葉を待った。
「あのナー? メデュラドってあるじゃんカー」
おっと、予想外の言葉が飛び出してきたぞ? メデュラドだと? たった今戦争中の国の名前を、よりにもよって軍人にむかって出すとはどういうことだ?
シャルロットさんも眉をひそめ、あからさまな警戒モードへと移行する。
そんなピリピリした雰囲気だというのに、相変わらずフワフワしたマイペースな装いを崩さずに彼女はさらに続けた。
「その国のナー? 王女様なんダー、私」
「……はい?」
「だからナー? 私、メデュラドの王女様なのナーコレ」
……打ち付ける波の音、心地よい風。少し肌寒いけれど、それでも常夏の太陽はさんさんと照り付ける。
そんなトロピカルな雰囲気の中、まるでそのそよ風のごとくさらっと放たれた言葉。
俺たちはしばらく、一言も発することができなかった。
二十六話へ続く。
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