第24話 海藻オバケ
射撃場を辞した俺たちは、駐車場に止められた車へとライフルをしまってから、(もちろん厳重に施錠して、だ)マルタの街へ繰り出していた。
隣で海を眺める彼女に先ほど話を聞いてもらって、かなり心は軽くなっている。
正直なところ、人を殺したという実感は全くない。誰かが死んだところを直接見たわけでもない。
例え戦闘で人を殺したからと言って、罪悪感を『抱こうとすること』も、もうやめた。
たとえ人を殺す事になろうとも、俺は戦闘機で空を飛びたい。それだけを理由に、俺はまたトリガーを引く決意を決めた。
もう善とか悪とかどうでもいい。とにかく俺は戦闘機で空が飛びたいんだ。
そう思ったら、不思議と心が軽くなった。
まったく違う話になるけれど、この話をしたとき、彼女の笑顔に見とれてしまった俺。
あんなの反則だ。美少女に微笑みかけられると、男っていう生き物はたとえその笑顔が自分に向けられていないとわかっていながらもドキがムネムネしてしまう生き物だ。
異論は認めない。
でもあれは男女のナニソレではなく部下と上司のアレコレなんだと自身に言い聞かせて心の平穏を保っている。
だってこっちばっかりドキドキしてちゃあ心臓に悪いし、過度な期待をしていると後々痛い目を見るかもしれないじゃないか。
だからもう、彼女は頼りがいのある上司! と割り切って接していくことで、俺は男としてのプライドを守ることに決めたのだ。ついさっき。
早速その効果が表れたのか、しばらくしたら胸の高鳴りも収まってきて、今俺たちは横に並んでマルタのビーチラインをゆっくりと散策している最中だ。
……さっきまでの心が粗ぶっている状況だったら、きっと隣に並ぶことも目を合わせることもできなかった。
俺は意外と心をコントロールするのが得意なのかもしれないなぁ……。
そんなことをぼんやりと考えつつ見渡すマルタの街は本当に綺麗なリゾート地で、白いビーチに透き通るエメラルドグリーンの海がどこまでも続いていた。
そのビーチには水着姿の海水浴客たちが群れを成し、数え切れないほどのカラフルなパラソルが白い砂浜にまだら模様を作り上げている。
よくテレビで見たことがあるワイキキビーチの風景クリソツだった。
にしても……、
「戦争中だっていうのに、よくもまぁこんなに海水浴客が……」
基地のみんなもそうだったけど、ルーニエス国民は危機感がというものが非常に希薄なんだろうか?
ついこないだ、そう遠くないアーネストリア城塞市が攻撃を受けたってのに。
しかもなんか経済制裁とかも受けてるって聞いたことある覚えもあるんだけど……。
「あー、まあ経済制裁だぁ戦争だぁがあってもこの国が一つにまとまってる理由がコレと言っても過言じゃないかもな」
俺のつぶやきに、隣で缶ジュースをちうちうしていたシャルロットさんが答える。
でも彼女の言葉の意味がよくわからずに眉をハの字にしていると、
「基本私らは超お気楽なんだよ。そうじゃなきゃやってけないから。この国が生まれた理由聞いただろ?」
「はい、人間と、魔法サイドを追われたハーフエルフと亜獣人の国だって……」
「元からそんな厳しい生い立ちの国なんだ。日々明るく生きてかなきゃやってられねぇってことさ」
そんな俺に向け肩をすくめつつ、苦笑を浮かべた。
ジュースを飲み終えた彼女は、道端のゴミ箱にしっかりとその空き缶をボッシュートしつつ歩き出す。
「さぁルーキー、約束の観光案内第一弾だ。空の部は、また今度な」
「あっ、はい!」
俺も、丈の短いフレアスカートと淡いスカイブルーのロングヘアを常夏の風にたなびかせる彼女の後を追う。
非番休暇は始まったばかり。
にじみ出てくる汗を手のひらで拭いながら、俺は彼女の隣に並んでマルタ観光へと繰り出した。
※
「それで、この世界には慣れたか? 聞く順番が逆かもしれないけどな」
「はい、だいぶ慣れてきたと思います。前も言ったかもしれないけど、俺がもといた世界とこの世界、すげぇ似てるんですよ」
「あー、尺度法も言語も同じなんだよなぁ。銃の口径も同じなんだっけ?」
「はい、二十ミリのレールまで同じでした。こっちではピカティニー規格って言ってたんですけど」
しばらく海沿いを散歩して回った俺たちは、いい加減有給休暇でも取ればいいのにっていうくらいさんさんと照り付ける太陽から逃れるために、海沿いのカフェテラスで優雅なティータイムとシャレこんでいた。
ドラマで良く見るようなシャレオツウッドデッキに、木製のガーデンテーブル。そこから伸びる真っ白なパラソルで直射日光は遮られ、心地よい潮風もあって気分は上場だ。
しかも目の前には、かわいらしい表情でトロピカルな雰囲気のよくわからないトーストを食む同い年だけど階級が上な美少女ときたもんだ。
もうこれだけで、この世界に来てよかったと思えてしまう。会話の内容は世間一般の男女がするようなものじゃないけど……。
少し世間とはズレた、というか世界そのものが違う異世界トークはさらに続く。
「マジで? こっちの世界でもピカティニー規格っていうぜ? あ、じゃああのマガジンの規格は? なんていう?」
「STANAG(スタナグ)規格です。スタンダーディゼイション・アグリーメントの略で。まさかこれも……」
「おんなじだ。ていうかスタナグの中にピカティニー規格が入ってるんだから同じで当然か……。でもまぁ、あんまり驚かなくなっちまったなぁ。ここまで同じだと」
「もうなんだか、ここほんとに異世界なのかって疑いたくなります」
普通に生活していく分には、日本とまったく変わらない。
ただ科学が圧倒的に進歩してるからそこで驚くことはあるけど、他は本当に日本での生活と変わらない。
でも少し離れた空を見上げるとフリューゲルが今日も気持ちよさそうに浮かんでいたり、街を見渡せばケモ耳生やしたアベックだったりエルフの親子連れだったりで、やっぱりここは異世界なんだと再認識させられる。
「あ、慣れてきたと言えば慣れてきましたけど、そういえばまだ基地の人たちのこと名前も知らない人が多いですね俺。打ち解けてはいるんですけど」
「そういやそうだなぁ。今までずーっと戦闘に次ぐ戦闘だったしなぁ。こっち来てその日のうちに二回戦闘。そのあと一週間は缶詰で座学。そしたらもう開戦しちゃったもんなぁ。基地帰ったらちゃんと挨拶回りするかぁ」
「基地の皆さん俺のことやさしく迎え入れてましたけど、そんなにかかわってる訳でもないですしねぇ……。名前知ってるの、シャルロットさんとリュートさん、あとケインさんだけですよ俺」
そう、まさにここまでめまぐるしい時間を過ごしてきてしまった。
異世界を楽しむなんて余裕も全くないほどに。
あ、ほんとにゆっくりできたのって今回が初めてなんじゃないか?
うんそうだよ。この前のアーネストリアの時は開戦しちゃってすぐトンボ帰りだったし。
そう考えると、不思議とテンションが上がってくる。
よし、この非番はとことん異世界を堪能してやろうと。
いままで駆け足だったところを、ゆっくり歩いて行ってやろうと。
「それでだルーキー、今後の予定についてなんだが」
「非番のですか?」
「違う、訓練のだ」
「あぁそっちですか……」
しっかりと休む方向で決意を新たにした俺だけど、早速シャルロットさんはそれをへし折りに来た。
そんなしかも、こんないい雰囲気の時に『今後の予定』とか言われたらそりゃあ期待するでしょうよ……。
「まず、お前が私のウイングマンとして飛べるように編隊飛行の訓練から入ろうと思う」
「そうですね。いつまでも俺が前じゃ示しがつかないですし」
……まぁこれも大事なことだ。俺は意識を切り替えてマジメに受け答えをする。
今までの戦闘では、誰かに合わせて飛ぶということができない俺の為に、シャルロットさんがウイングマンとして俺の飛び方に合わせてくれていた。
でもこのスパロウスコードロンの隊長は彼女だ。
隊長が二番機とか、意味不明すぎてお話にならない。
でもシャルロットさんの答えは、想像の斜め上を行くものだった。
「でも、この訓練でお前が習得する編隊飛行技術は、通常飛行の時のものだけだ。戦闘時には、今まで通り私がお前のウイングマンになる。ツーマンセル空対空戦闘訓練は、私がお前に合わせるっていうやり方で行く」
「えぇっ!? でもそれじゃあ……!」
なんだか、申し訳ないというかなんというか。
階級とかいろいろ……。
「正直、お前のドッグファイトの才能は人間離れしてる。操縦技術はもちろん、戦況を見極め、ありとあらゆる奇天烈な解決策を用いて常に最善の戦いをする。今まで見てきた中で一番の戦闘機パイロットだ。そんなお前が技量で劣る私の指揮下に入るってのは、鳥を鳥かごに閉じ込めるみたいなもんだ」
「そ、そんなこと言わんでください!」
なんだかこう、自分を卑下した上にヨイショされると非常によくない気分になる。
わたしなんかどうせダメダメなんだから、うまいあなたが頑張ってよみたいな感じを受けてしまうというか……。
けどシャルロットさんは、かまわず続ける。
「事実だ。お前は強い。強い人間を権力で弱くすることは、私のプライドが許さん。もちろん最終的な決定権は隊長であるこの私が持つ。平時では指示にももちろん従ってもらう。でも、前から言ってるだろ? 戦うときはお前の好きに飛べ。ただそれだけのことだ」
意義は認めんとばかりの力強い視線。俺は首を横に振ることができなかった。
頷いた俺を真正面から捉えたまま、
「それでよろしい。っていうかまずこれ自体上官命令だからお前に拒否権ないんだけどな」
パッといたずらっぽい笑みを浮かべ、彼女はテーブルに肘をついて少しだけ首をかしげて見せる。
……そんな彼女に、またしても見とれてしまう。
いや、言い切れる。男で今の彼女に見とれないやつは絶対にどうかしてる。
気温とは関係なく熱くなり始めた頬を覚ますために、テーブルの上のお冷を手繰り寄せる。
と、その時だった。
「んん……? ん!? んわあああああああああああああい!?」
「あっ、縞々の青の゛っ!!!!!!ん゛ゴッ!!」
突然シャルロットさんがとある方向を見つめて眉をひそめたと思いきや、奇声をあげてひっくり返ったのだ。
幸せをよぶ青いしましまを拝めたのもつかの間、彼女が蹴り上げたテーブルは俺の鼻先を直撃し、身体的な激痛と心の痛みが同時に全身を駆け抜ける。
縞々が呼び寄せたのは、一瞬の幸せとその後の激痛だった。
でもまぁ、この痛みを負うだけの価値はあった。
「いったい何が……!」
当然のごとくダラダラと流れ始めた鼻血を抑えつつ、我に彼って彼女が見つめていた方向を振り返る。
するとそこには……、
「オイオメーラ! ミズショウバイノヒトデスカー!?」
「うわああああああああああああああああああ!!!!」
意味不明な片言言葉をしゃべる全身ワカメの海藻オバケが、海水をポタポタ滴らせながら立っていたのだ。
ク、クリーチャー、クリーチャーなのか!?
……いやおちつけ俺! 異世界、そう、ここは異世界だ。
こういう生き物もいるのかもしれない。いや、いてもおかしくないというか実際目の前にいる。
射撃場からついさっきまでだいぶシリアスでなおかついいカンジな雰囲気だと思っていたのに、一瞬でこれだ。
だけどそれ以上に、海藻オバケのビジュアル。これもうちょっとまともなものにはならないのかと、心の底から思った。
二十五話へ続く。
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