No.8 愛の錠剤、または世界の果てにて
「この錠剤を飲むとね」
「うん」
「愛が手に入るんだって」
「へえ」
小柄な少女の掌に赤い錠剤が二つ。薄汚れた顔にキラキラとした瞳を湛えた彼女に、少年は曖昧な相槌を打つ。
「ねえねえ、愛ってどんなかなあ?」
「どんなって、形ってこと?」
「うんとね、それもあるんだけど、」
どんな感じかなって。
「知らない。見たことないし、僕も持ってはいないから」
「そっかあ。残念だなあ」
悲しそうに眉を下げて、しかし少女は精一杯笑った。少年はそれを見ても眉ひとつ動かさない。ただ淡々とした表情で少女を見ている。
「……ねえ、エーリック」
少女が静かに発したのは少年の名前だった。かつて名前を持たなかった少年が、少女にもらった名前。彼女のささやかな贈り物を彼はずっと気に入っていた。
「ん?」
「これを飲んだら、本当に愛が手に入ると思う?」
「どうかな」
「へへ、手に入ると良いなあ……」
少女は弱々しく笑った。
「エーリック、あのね」
「何?」
少年は少女の次の言葉を待つ。だが、問いかけに声は返らない。
遥か頭上のコンクリート天井、その亀裂からは赤錆色の空が見えた。その隙間から僅かに雨が降り注ぐ。そのうちの一雫が少女の頬に落ち、触れた先から白い皮膚が爛れた。溶けた皮膚が血と一緒に流れ落ちて行く。吸うたびに肺を焼く空気、死をもたらす排気に、錆のような臭いが混じる。
「フィリア」
少年は少女の名前を呼ぶ。
「フィリア」
呼びかける少年の頬にも雨が滴る。肌色が溶けて、少年の中身が露わになる。カラフルな配線が、部品を留めるネジが。
「フィリア」
青いガラス玉の瞳を少女に向け、少年はひたすら繰り返す。
横たわった少女を揺さぶれば、力を失くした手から錠剤が零れ落ちた。雨脚が次第に強まる中、赤く赤く溶けていく。
少年は少女を抱えた。
「フィリア、僕は愛なんていらないよ。いらなかったんだ」
少年は呟いた。ノイズ混じりの声は揺らぎ、機械の体が自然と震えた。
「僕はただ、君がいれば良かったのに」
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