第131話 暗躍する凪
視力を失ってふらつく彼女に向かって、残った兵士が剣を手にどっと押し寄せた。
「今度こそ、終わりだ!」
しかし、不幸なことに……その気合いは報われることはなかった。
「おっと」
空中で、刃と刃がぶつかった。サーベルを構えた屈強な船員が、パーチェを庇うように兵士たちの前に立ちふさがる。しかも、一人ではない。
「さっきは、よくもやってくれたな」
「汚い真似しやがって」
人質になっていた船員たちが合流し、足かせがなくなった船長たちだった。総勢、十数名はいる。パーチェに張り付いていた兵士たちは、ようやくここで仕事が失敗したことに気づいた。
「いつの間にっ……」
「あ、僕が縄を切りました。さっきみんな、パーチェしか見てなかったし」
「へ……へえ、それは……結構」
「そろそろ……帰ろうかな……」
兵士たちの顔から、血の気が引いていく。彼らを取り巻く屈強な船員たちは、そろってにやついた。
「おい、こいつら、海の常識ってやつを忘れちまったようだな」
「そういうことなら、お帰りになる前に、骨身にたたきこんでやらなきゃいけねえ。ね、船長?」
そして彼らの会話を聞き、頭のてっぺんまで真っ赤にしたイゾラが、迷うことなく言い放つ。
「ぶちのめせ、野郎共!!」
次の瞬間、船員たちの歓声と兵士たちの涙声が、海上にこだました。
パーチェの屋敷があった場所には、エテルノの兵士たちがひっきりなしに出入りしていた。
焼け落ち、あちらこちらから黒化した柱が突き出した館跡。まだ満足な後片付けもされておらず、動く兵の備品を置くための小屋がやっと建ったところだった。そこを王が、わずかな手勢とともに歩いていた。
「全てが灰と化した」
「念のため、油をかけて二度焼きました。貴重な時間を無駄にした初手の不手際は、弁解の言葉もありませんが」
過ぎる刻限を気にしながら部下の騎士が言った。
「構わぬ。これでようやく、不穏分子がひとつ消えた」
王は不安が解消されて、ほっとした顔をしていた。それでも念入りに南下していき、何かが残っていないか確かめている。
「気分がいいとこ失礼だが、消えたのは本当に不穏分子かねえ」
不意に、横手から若い男の声がした。王の供回りの騎士が、にわかに殺気立つ。
そして彼らは見た。瓦礫の上に、そこにいるのが当たり前のように腰を下ろした美麗な男を。彼にくっついていた黒猫が、人を馬鹿にしたように鳴くのが、一層騎士たちを苛立たせた。
「……ナギ、とか言ったか」
王は衰えない覇気をまといながら、男をにらみつけた。
「俺も有名になったもんだね。王が名前を覚えているとは」
「捕らえた男と、こんなところで会うとはな。どうやって逃げた」
釈然としない顔で王が言った。
「ははは。間抜けな兵士ばっかりだったからな、抜けてきた」
しかし凪は動じず、笑い、そして自分からずかずか距離をつめてきた。兵士が振りかぶった剣を軽く飛んでよけ、引いていた短剣を突き出す。
「ぎゃっ!」
小さな刃は、的確に鎧の金属板の隙間を捕らえていた。騎士の小手の間から、たらたらと血が流れ出す。
「弓を放て!」
凪の腕前を知った供回りの騎士たちは、すぐに戦術を切り替えた。しかし凪は、半笑いのままそれを見守る。
「やめといた方がいいと思うけどな。もうじき、俺の味方がやらかすぜ」
皮肉交じりに凪が言う。だが、真面目に聞いた者はいなかった。凪に向けられた弓から放たれた短い矢が、空中を舞う。
ところが、その時どこからか突風が吹く。空気の流れがいきなり逆になった。
渾身の力で放たれた矢は虚しく流れに煽られ、兵士たちの体に突き刺さった。こんな展開など予想すらしていなかった兵と騎士が、次々に地面に倒れる。
傾きかけた夕日の中で、騎士たちは悪夢を見ているのだと思っていた。凪が落とす影さえ呪わしく感じ、倒れながらもそれを見るまいと目を閉じる。
その光景に目を奪われていたのは、結局王一人だった。
「──王は外しておいたよ。これで良かったかね?」
どこからともなく、初老の男が現れた。さっきの猫と同じ声、化けていたのか。めったに見ることはないが、間違いなく魔術師だ。王の体に、緊張が走る。
逆に凪は満足そうに微笑み、舌なめずりしそうな顔で魔術師を見やった。
「気の利くことで。お前にしちゃ、過ぎたサービスだ」
「面白い問答を期待しているよ」
魔術師は男の後ろに引いた。再び王は、破壊の痕跡に居座った凪と向かい合うことになる。
「さ、これで邪魔者はいなくなった。恥も外聞もかなぐり捨てて、本音のぶつけ合いといこうぜ」
「呆れたな……何が聞きたい」
渋面の王に対して、凪はとても楽しそうだった。指の付け根を、音を立てながら曲げ伸ばししている。
「まずは大事なことからだ。なんで、この屋敷を焼いた?」
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