第130話 船板の上の交渉

「……だが、これで終わりじゃねえ。俺たちと同じく、奴らも何人か人質をとってるはずだ。嫌な予感がするぜ」

「確実に、困ったら彼らを盾にしますね。そしてパーチェを渡すよう主張してくる」


 向こうも最初からそのつもりだろう。可哀想だが、全員捕らえて海に捨てるまで安心できなかった。


「詳しい状況が知りたい。俺が注意を引く、動けるか坊主」

「はい」

「壁際、右に三歩ほど歩け。窪みがあるから、それを引っ張れば隠し扉が開いて船の後ろに出られる」

「わかりました。パーチェを頼みます」

「心配しないで、さっさと行ってきなさい」


 あきらがゆっくり這い出したのを見て、イゾラは息を吸った。


「おい、てめえら。うちがただの船じゃねえことは分かっただろ」


 上甲板に向かって、イゾラが腹に響く声で叫ぶ。返事はなかった。その間に晶は扉を開けて、立派な木の通路に滑り出る。そこは船長室の隣の小部屋だった。


「喧嘩を続けようってんなら、最後までとことんやるぞ。その覚悟があるのか」


 晶は声を聞きながら、船の帆柱まで走る。ロープに足をかけながら登って、甲板を見下ろした。兵士たちは全て船長の方を見ているため、誰も気付かなかった。


 人質は五人。決して多いとは言えないが、一気に救おうとすると手間がかかる数だ。しかし希望はあった。甲板で立っている兵士は、わずかに四人。後はのびている。晶は同じ通路を戻って、イゾラに報告する。


「そうか……なら、勝ち目はあるな。押すぞ」


 イゾラはそれを聞いてうなずき、さらに言葉を続けた。


「うちの船員を置いてさっさと逃げ出せば、命だけは助けてやる。さあ、どうする」


 胴間声が響く。すると、ようやく兵士から返事があった。


「分かった。ただし、そちらが捕らえている人間も解放しろ。それが条件だ」

「おう。良い心がけだ。仲間を見捨てると、後が怖いからな」


 イゾラが立ち上がった。号令をかけ、縛った兵士たちを甲板へ運ぶ。船倉付近にいた面々も引き上げてきたため、敵も味方も人数が増えた。


「先にこちらへ運べ」

「……てめえらも今は海の男だ、約束は守れよ」


 船員たちと兵士がにらみあう。晶は立会人のように、横手からそれを見ていた。


「わかっている。信用してくれ」


 イゾラの指示で、兵士たちが引き渡された。次は船員の番──なのだが、兵士たちはにやついたまま人質を奥へ押しやる。


「おい、どうした」

「馬鹿正直にありがとうよ。これで、こっちは何の負い目もなくなった。……さっさと女をよこせ」


 兵士たちはにやにや笑いながら、甲板を踏み鳴らす。そこらを歩いている犬の方が、よっぽど賢そうな顔つきをしていた。


「黙ってりゃいい気になりやがって……」

「俺たちは当然の任務を果たしたまでだ。反逆者のくせに文句を言うな」


 本性を見せた兵士たちに腹を立てながら、晶はじりじりと歩を進めた。そして、怒っているのは船員と晶だけではなかった。


「──ま、そんなところだろうと思ったわよ」


 パーチェの声がした。彼女は眼鏡着用のもと、船の端に堂々と立っている。


「おい、こいつ……桃髪だぞ」


 パーチェを見つけた兵士から、歓声があがった。これからもらえる金のことを考えているのか、口元が早くもゆるんでいる。


「その人たちを連れて行ってもお金にならないんでしょ? 解放して。じゃなきゃ、海に飛び込むわよ」


 パーチェは笑う兵士たちに向かって啖呵を切る。その時、少しだけ彼女がこちらを見つめた。晶はうなずいて見せる。


 そしてパーチェは声をあげて笑った。


「ほら、早く決めなさいよ。人間のクズ共」


 パーチェが煽るが、兵士たちは所詮少女だと甘く見ていた。飛び降りる前に捕まえようとして、前傾姿勢になっている。


「てめえが来るのが先だっ!」


 一瞬の隙をついて、一番体格のいい兵士が、パーチェの体をつかもうとする。それこそが、こちらの思う壺だった。


「アキラっ!」


 呼びかけに応じ、屈んでいた晶は、甲板に垂れていたロープを思い切り引っ張った。パーチェしか見ていなかった兵士たちの足が、見事に引っかかる。


「あ」だか「お」だか分からない声をあげ、兵士たちが甲板にたたきつけられた。彼らは顔面を強打し、動かなくなる。


「貴様! 騙したな!」

「騙したのはそっちだろ! これが僕らのやり方だ!」


 舐めてかかっていた子供たちにいいようにやられ、兵士たちがいきり立った。彼らの手がパーチェに手が伸びる。今度はひっかけるロープのストックもなく、パーチェは腕をつかまれた。


 パーチェは嫌悪で顔をしかめつつも、自由な手をばたつかせた。それでも兵士の手は離れない。すると彼女は思考を切り替えて、空いている手を顔にやった。


「大人しくしろっ」

「イヤよ、変態!!」


 不用意に近づけられた兵士の顔に、パーチェは右手に握った重たい眼鏡をたたきつけた。レンズが割れるバリッという音がして、欠片が兵士の頭に突き刺さる。


「ぐあっ」


 兵士の頭から血が流れる。反射的に彼が腕で顔をかばおうとしたので、パーチェの体は自由になった。しかし、彼女がとれる抵抗手段はそこで尽きる。

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