第127話 見えた紺碧

 あきらはバリケードの内側に出る。パーチェも同じようにして木枠をくぐり、ついてきた。


 顔を上げると、街の子供たちに囲まれたセータが、苦笑しているのが見える。


「オーロは……」


 晶が言うと、セータは周囲を見回しながら歩み寄ってきた。


「最後の見送りはしてきたよ」


 晶はどう声をかけたらいいか分からず、立ちすくんだ。オーロを助けてくれと頼まれた時のことが、昨日のことのように蘇ってくる。


「目が泳いでるぞ、晶」

「ごめん……こんなことになって」

「気にするな。お前は精一杯やってくれたよ」


 セータはそう言って笑う。


「そこのお嬢さんが、病を治せるっていう学者か?」

「……まだ完全には無理よ。デタラメ扱いしたいなら、すれば」


 叱責されると思ったのか、パーチェが首をすくめた。


「いや、信じるよ。あんたは嘘をついてない。晶の顔を見てれば分かる」


 セータが真面目な顔で言った。


「待つさ。いつか病気が治る未来が来るなら、オーロも分かってくれる。そのために今はあんたを逃がす」


 パーチェはセータを見上げ、感じ入ったようにうなずいた。


「こっちだ」


 オーロに案内された方に行くと、大人たちがいる。身なりからして、市場の商人のようだ。彼らは松明を持っており、足元にはふんわりした鰹節のような大量の木くず。その横には、水が入った壺があった。


「一体、何を?」


 不思議そうに見つめる晶を見て、大人たちが笑った。


「まあ見てろ。助けてやるから」


 するとそこへ、衛兵たちが殺伐とした雰囲気をまとい、口やかましく叫びながらやってくる。


「よし、始めるぞっ」


 セータが声をかける。大人たちが、木くずに一斉に火をつけた。燃えやすいくずはあっという間に、白い煙をあげ始める。そこへ、衛兵たちが到着した。


「これはどういうことだ」

「さっさとどけんか。早くしないと、お前らごとなぎ払うぞ」


 怒りの声をあげる衛兵たちに向かって、怯える様子もなく大人たちは言い返した。


「熊みたいな大男が暴れて、店を壊しちまってねえ。その片付けのために、資材を積み上げてるんで」

「向こうで火も出てるんです。先にそっちを消してもらえません?」


 大人たちはどんどん煙をかきたてる。風が起こり、兵士の方に煙が流れ始めた。


「今はそんなことで足止めをくうわけにはいかん。自分たちでなんとかしろ」

「わかりました」

「念のため聞くが……子供は来なかったか」

「こんなところ、通れやしませんよ。大きな木組みですから、子供の力で動かせるもんじゃないでしょ」


 衛兵はちらっと木組みを見て、舌打ちをした。


「見かけたらすぐに知らせるように。隠匿は重罪だぞ」

「はあい、心得ております」


 衛兵たちは立ち去った。彼らが遠ざかっていくと、大人たちはこれ幸いと、消火にかかる。木くずに土と水がかけられ、火はすぐに消えた。


「なんとかなったな」


 セータがつぶやく。


「はい、助かりました……それにしても、この短時間でよくもここまで」


 真新しい木組みを見ながら、晶は嘆息した。


「それは、アキラの人徳がさせたんだろう」

「え?」


 心当たりのない晶が目を丸くすると、奥にいた良く肥えたおばさんが笑い出した。


「あれま、ずいぶん薄情になったこと。こんな美人をお忘れかい」


 その声に聞き覚えがあった。


「あ」


 思い出した。はじめに用心棒を倒した時、ずいぶん自分を褒めてくれた人だ。彼女が晶を見る目は、あいかわらず優しい。


「あの時はどうも……」

「何度も言うが、助かったのはこっちさ。借りが返せて良かったよ」

「でも、こんなにたくざんの木材、どこから……」


 晶が聞くと、おばさんは奥に座っている老人を指さす。


「あのじいさんさ。ずいぶん気前よく自分とこの商品をぶっ壊してくれてね。それで手際よく防御の壁を作ったってわけ」


 晶はパーチェの手を引いて、老人の元へ向かった。彼は井戸のそばに、余った水を流している。


「ありがとうございました」

「……早く行け。俺は正しいと思った仕事をしたまでだ」


 老人は厳しい顔をしたまま晶を睨み、桶をかついだ。どうやら、気むずかしい人のようである。


「あの、商品のお代を」


 それでも晶が食い下がると、彼はさらに怖い顔になった。


「先払いでもらってる」


 晶はその時、彼の正体に気付いた。そうだ、この人はもしかしたら──晶が銀貨を与えた子の、祖父なのではないだろうか。


「何を呆けてる。行け」

「……はい」

「孫が世話になった。あんな奴らに捕まるなよ、坊主」


 大きな老人の手が、晶の背中を押す。止まっていた足が、自然と動き出した。ここで終わりじゃない。作ってもらった絶好の機会を逃すまいと、晶たちは必死に走った。


 視界を遮るものはない。通りの明るい方へ走っていくと、風に潮のにおいが混じり始めた。


「港だ!」


 今までの殺風景な景色が嘘のような光景が、目の前に広がっている。


 青と緑が絶妙に入り交じったエメラルドグリーンの海。波が寄せては引きを繰り返し、海の上に白い模様を描く。その模様は風によって微妙に形を変え、砂絵のように刻々と変化していった。


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