第126話 救いの手

 それは吹いてきたすきま風にあおられて、かすかな音とともにあきらの手の届かないところへ転がっていった。


 パーチェの桃色の髪が、あらわになる。


「おい、見ろ! 桃色の髪だ!」

「間違いない、あいつだ!」


 散っていた衛兵たちが戻ってくる。それをちらっと見てから、晶は鉄棒が飛んできた先を見た。


「よう、久しぶりだな。今度こそたたきのめしてやる!」


 目を血走らせているのは、先日ぼったくり屋台で見かけた用心棒だ。晶の方しか見ていない。よっぽど先の一件を恨んでいる様子だ。


 事情を知らないパーチェが、傍らで目をぱちくりさせていた。


「……ああ、いたなあ。こんな奴」

「なんだとー!!」


 引き下がる様子のない用心棒には悪いが、晶には集まってくる衛兵たちの方が恐ろしかった。一旦退くか、と思っていたが、彼らの動きは予想以上に素早い。


「囲め!」

「必ず捕らえよ!!」


 周囲で怒号が飛び交う。様子をうかがっていた晶は、パーチェの手を再びつかんだ。


「行こう。死にたくなかったら、逃げるしかない」

「わ、わかったわ」


 晶は市場の中を駆ける。続くパーチェも必死に晶の手を握ってくる。だが、一区画を走り抜けても用心棒は追いすがってきた。


 場合によっては、戦闘を覚悟した方がいいだろう。しかし晶は丸腰である。


 晶が不安を覚えた時、ちょうど大道芸人が見えた。道の横で、客に剣を検分させている。その方向を見やった。


「お兄さん、その剣、僕にも触らせて」

「あっ、君」


 顔をしかめる芸人をよそに。晶は剣を強引に手に取った。


「待ちやがれ、このクソガキ!!」


 そこへ、用心棒が顔を真っ赤にして駆け込んでくる。


 鉄棒を剣で払いのける。圧倒的な質量に剣は耐えきれず、軋み音をあげて折れた。しかし、それで十分だ。晶は破顔する。


「うおっ」


 まさかそらされると思っていなかった相手は戸惑う。その瞬間、晶は剣の柄で、用心棒の顎を強打した。


 用心棒が泡を吹き、動かなくなった。


「ごめんお兄さん、これ剣のお代!!」

「坊や!?」


 交渉している時間はない。晶は銀貨をその場に投げ、再び走り出した。左右の売店に体が当たり、商品がばらつく。


「きゃっ、ごめんなさい!」

「おばちゃん、ごめん!」

「あんたたち、何があったんだい!?」


 おばさんに呼び止められようと、おじいさんが目を丸くしようと、止まってしまったら全てが終わる。肺の中がぺしゃんこになるくらい荒い息を吐きながら、晶たちはつむじ風のように市場をあちこち駆け抜けた。


 穀物売り、魚売り、肉製品売り──市の一郭をしめる雑多な屋台が視界をちらっと占有しては、後ろに流れていく。かなり速い走りにも、パーチェは文句を言わずよくついてきた。


 しかし時間とともに、手数の差があらわになっていく。かわしてもかわしても、追撃に加わる兵は、増えるばかりだった。彼らの姿を見ない通りはなく、港につながる道がふさがれていく。


 ここで息切れした晶は、一旦止まる。顔が自然と下を向き、荒い呼吸を繰り返す。喉が焼けるように痛かった。


「一旦、街へ隠れる?」


 ずっと逃げ続けたパーチェが弱気になっている。晶はなんとか声を絞り出した。


「ダメだよ……船を取られたら、いよいよ追い詰められる。一か八かで港へ向かうしかない」


 気を取り直して、できるだけ暗くて狭い道を選んで走る。どこかから抜けられるのではと、淡い期待を持っていたが、やがて路地にも衛兵の姿が目立ち始めた。


「いたかっ」

「いや、そっちはどうだ」


 これでは辿り着けない。小さく船の姿は見えているのに近づけないもどかしさが、晶を苛立たせた。


「晶、あっちは?」


 パーチェも周りに目を走らせる。しかし彼女の見つけた、ただ一つの道は、大量の木材でふさがれていた。妙にきちんと木材が組まれていて、吹き飛ばすのにも時間がかかりそうだ。


「どうしようもないじゃない。あいつら、なんて意地が悪いの……」


 パーチェが振り返って悪態をついた。だが晶は、引っかかるものを感じて先に進む。


「なんで、こんなに手間をかかることを……?」


 ここを通るのは車ではない。子供二人を抑えたいのなら、他の道のように衛兵を待機させれば済む。こんなにびくともしないほど、木材を組む意味など──


「ひっ」


 木組みに向かって進む晶の袖を、パーチェが強く引いた。パニックになりそうな顔で、彼女は切れ切れに言う。


「ま……前、手、手がっ」


 確かに彼女の言う通り、木材の隙間、ちょうど晶の胸のあたりから日に焼けた手がのぞいている。しかし、大人にしてはずいぶん小さい──生身の子供の手だ。


「馬鹿アキラ、何やってんだ。さっさと来ないと捕まるぞ」

「セータ様!?」


 子供の手が引っ込み、木材がずれる。見知ったセータの顔が、バリケードの奥からこちらを覗いていた。彼はさらにささやく。


「そこの大きい木を手前に引け。動くから」


 言われたとおりにすると、確かに空間ができた。頭を下げ、体を縮めてそこを這って通る。木材の懐かしい匂いが晶の鼻をくすぐり、一瞬気分が楽になった。

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