第119話 懐かしい顔

 抱っこしたままの子カッペロが、不思議そうに腕をつかんでくる。


「君も大人になればわかるよ……」


 あきらは虚しくつぶやきながら、仕事を終えてなぎのところに戻った。


 宿の玄関を出て右に曲がると、厩がある。凪がそこで、馬に鞍をつけていた。それを手伝っていると、パーチェがやってくる。村娘のような素朴なワンピース状の服を着た彼女は、目が見えないのかぼんやりとしていた。


 晶が眼鏡を返すと、ようやく足取りがしっかりしてくる。


「よお。様子はどうだ?」

「体調は変わりないけど、服が消えちゃったのが残念ね……パパに買ってもらったお気に入りだったのに」


 少女らしく、パーチェはしょんぼりと肩を落とした。


「あの山を駆ける炎から、身代わりになってお前を救ってくれたと考えりゃどうだ。上から見守ってる親父さんも、それなら許してくれるさ」


 凪に言われて、パーチェは珍しく素直にうなずいた。


「よし、荷物は持ったな。行くぞ」


 馬がゆっくりと歩み出した。やがてその速度は上がり、村を離れる。山側で、カッペロの親たちが群れているのが見えた。


「ぴくく」

「さ、みんなのところにお帰り」


 元のように寄り添う親子を見て、晶の気持ちも少し和んだ。あの地獄から少しでも生還者がいたのは、素直に嬉しい。


「……あら?」


 カッペロの親子、それに群れが少し離れてついてきた。追ってくるカッペロたちは、パーチェを見つめている。


「私はこの人たちと一緒に行くわ。今までありがとう!」


 パーチェがそう叫ぶと、カッペロたちは安心したように歩みを止めた。


「元気でね!」


 晶が呼びかけると、カッペロたちもしっかりした鳴き声を返してきた。互いの声が聞こえなくなるまで、パーチェは彼らに向かって手を振っていた。


「親切なカッペロたちだったね」

「ええ、お友達だもの」

「──別れは済んだか。ここから二時間ほど離れた村に、ラクリマが来てる。うまいこと合流して、街に向かうぞ」


 先頭を駆けながら凪が怒鳴った。


「いつの間に」

「昨日、高い金払って伝書鳩を飛ばした甲斐があった」

「ああ、そういえば……鳩が居るって言ってたね」


 凪が急いでいるのを見るのは珍しい。逆に言えば、そこまで追い詰められているのだ。


「早馬を飛ばして、迎えに来てくれるそうだ。俺たちは大丈夫だが、パーチェを一刻も早く保護してもらわないとな」

「……あの男たち、一体誰だったの?」


 晶は凪に並び、話しかけてみた。


「さあな。誰にしろ、けっこうな装備と人員だった。ぼやぼやしてたら、敵の親玉は第二波を繰り出してくるだろうよ」


 凪は前方をにらむ。晶は絶望的な気分になってきた。


「……まあ、危険なのはラクリマに会うまでだ。そこまで守り抜けば、俺たちの仕事も終わり。元のせ──家に戻れるぞ」

「えっ、帰るの?」


 パーチェが突然の情報に、驚いて声をあげた。


「学校があるからね、仕方無いよ」

「ガッコ-?」

「ああ、しまった。このせ……地方ではないんだった」


 レオもその存在を知らず、驚いていたことを思い出す。何度も同じミスをしてしまったことを、晶は恥じた。


「僕らみたいな子供が集まって、先生からいろんなことを習うんだよ。お金はかかるけど、面白いよ」

「子供はみんな行くの?」

「一番基礎のところは、義務だから。でも大きくなってきたら、あとは学力と、お金次第かな」

「そりゃそうよね。でもいいなあ、その先生って仕事も楽しそう」

「うん、いい仕事だと思うよ」

「……でも、こっちじゃどうやっても無理か。追われてるみたいだしね、私」


 身を乗り出していたパーチェが遠い目になった。


「これから君は違う国に行くって凪が言ってた。そこならなれるよ、きっと」


 晶が言うと、パーチェの頬にさっと赤みがさした。


「なれると思う?」

「うん。ぴったりだよ」


 晶は自信を持って答えた。他国に追いやられるのは辛いことだが、彼女ならきっとどこでも才能を開花させられる。


「その性格を直せばな」

「ナギは黙ってて」


 馬は街道を進む。その道中、パーチェがずっと楽しそうだったのが、晶にとっては救いだった。




 幸い、道中で刺客には会わなかった。パーチェを連れ帰った一行が村にさしかかると、門のところで待っていたラクリマが手をあげる。


 彼の回りには、明らかに手練れと分かる男たちがたむろしていた。パーチェは男たちにすぐに囲まれ、居心地が悪そうにしている。


「大変な目に遭われましたな。かろうじて逃れたとお聞きしました」

「……むしろ、これからが本番かもしれんが」


 ラクリマと馬から下りた凪の視線が、空中でぶつかった。


「旦那様も同じようなことをおっしゃっておられました。これはまだ、内密に願いたいのですが」


 ラクリマは声をひそめる。


「彼女の国外逃亡、行き先はもう決まったのか?」

「ナギ様がおっしゃっておられたオットー様と、すでに話がついております」

「なら、手っ取り早い。是非そうしてくれ。このままじゃ、ライオンの檻に雛を放り込むようなもんだ」

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