第117話 変化する魔性

 炎の柱のように見える人間が視界から消えるまで、あきらの腕に浮き出た鳥肌はなくならなかった。


「ぞっとすること言うね……少しは希望を持たせてよ」

「言っとくが脅しじゃないぞ。夜で、このスピードで、しかも土地勘がない。俺だってどこに行き着くかわからん」


 きっぱりしたなぎの口調には、いつもの軽さがみじんもない。晶はそのことに気づいてしまった。本当に死ぬかもしれないと思うと、何故か晶は笑えてきた。


「晶……やめてよ……ねえ、やめてったら」


 パーチェの声は震えている。彼女はぎゅっと拳を握り締め、晶にしがみついていた。


「恐い……背中が……熱いよ……」


 泣き出すような声でパーチェが言うと同時に、彼女の長髪が舞い上がる。そして縄のように、体に巻き付いた。


 晶が驚く間にもどんどん髪は増え続け、動き回り、とうとうパーチェの体を完全に包み込む繭のようになった。濃いピンク色の繭の中で、何か液体のようなものがどろどろとうごめいている。手出しのしようがなくて、晶は繭を見つめることしかできなかった。


 その繭が、突然内部からはじけた。光が中から溢れて、晶たちを照らす。


 晶はとっさに、視線を下に向ける。再び顔を上げた時には、パーチェの姿も、繭も溶けてしまったかのようにどこにもなかった。


「……晶。私、どうなってるの?」


 木々が燃える音に混じって、上からパーチェの声がして、晶は目を丸くした。自分たちの頭上を、ピンク色の蝶が舞っている。蝶は一回転した後、晶の肩に軽やかにとまった。


「へ、変身したの? 蝶々になってるよ」

「なんですって!?」


 当のパーチェが晶より驚いていた。


「パーチェ、君……普通の人間じゃなかったの?」

「母が夢魔だったわ。父は普通の人間だけどね。夢魔には変身能力があるとは聞くけど……今まで一度もできたこと、なかったのに」


 パーチェはそう言ってため息をついた。


「……なら、自分の身を守るためにとっさに変化できたんじゃないかな」

「火事場の馬鹿力ってやつか。あるかもな」


 それを聞いて、パーチェは少し腹立たしげに言った。


「……それならもっと早く目覚めてほしかったけど、まあいいわ。夜の闇なら、私にはよく見える。上から様子を伝える。進む道は、一番経験のありそうな凪に決めてもらうわ。それでいい?」


 震えていたパーチェが、ようやくいつもの様子に戻った。彼女に頼るしかない晶たちは、承諾し振り落とされないようカッペロにしがみつく。


 パーチェが先行した。カッペロたちは急な斜面にさしかかり、飛び出して崖にはまらないよう少し速度を落としている。


 一方、炎の方は絶好調だった。その猛威はおさまらず、晶たちの肌にも熱感が届いている。熱でやられないよう、カッペロが尾を大きく上げた。


 その努力を嘲笑うように、風に乗って火の粉が飛んできた。そちらに気をとられ、カッペロが下生えに足をとられてよろめく。乗っている晶たちも左右に大きく揺さぶられる。振り落とされまいと突起にしがみついた。


「パーチェ、道はどうだ!!」

「もっと下にも燃え広がってる!! 火炎を突っ切らないと、下の道には行けないわ」

「あのさ、凪……もしかしたら、一瞬だけ突っ切って行った方が、被害が少なかったりしない?」


 晶はちらっと、耐火服を見た。すると凪が、口を開く。


「やめとけ。こんな火の中を突っ切るなんて、プロでも死ぬぞ。さっきの火事で、防火服も大分やられてるしな」

「それなら選択肢はひとつよ。このまま頂上まで走って、火のない崖から隣の峰に移る!」


 パーチェは、カッペロの目の前でゆらゆらと飛ぶ。カッペロが自分の小さな体を認識したと確かめてから、再び前に進んだ。


 カッペロの足取りに、迷いがなくなる。さっきより若干、炎から離れられた。


 頂上に近づくにつれて、傾斜がだんだんきつくなる。晶は細かく重心を移動させ、行く末を見守った。


「ここで止まって!」


 山の頂上は、人の侵入を拒むように尖った岩が並んでいる。だが、所々誰かがえぐったようにくぼんでいた。カッペロが体を回して、そこに身を落ち着ける。山の反対側が、晶の位置からも見えた。


 向こう側には、木がほとんど生えていない。しかし切り立った断崖を抜けると谷になっており、そこからさらに下に向かって川が流れていた。


「行くぞ!」


 凪の号令とともに、一気に重心が前方へ寄る。今度は転がり落ちるように、カッペロは斜面を駆け抜けた。晶は何かの音を聞いて、それが自分の悲鳴なのだと気づくのにしばらくかかった。


 普段は獲物を追って走り続けてもなお切れないカッペロの体力も、そろそろ限界に達している。薄い月明かりの中を、彼らは息を切らして駆けていた。


 相変わらず、地面は舗装されていない。小石が蹴散らされ、それが雨のように晶たちに降り注いだ。晶はそれからも、自分の目や顔を守らなければならなかった。


「川だ、水を吸い込むなよ!」


 凪が叫ぶ。暗闇の中、月光をうけてにわかに白く光る水面に晶は目を奪われた。


 次の瞬間、わらわらとカッペロが川に飛びこんだ。大量の水しぶきがあがる。

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