第114話 まさかこいつが役に立つとは

「ああ。庭から梯子を持ってこい。火元は一階だ、俺が上から入る。運が良ければ、パーチェが黒焦げになる前に助け出せる!」


 あきらは走り出した。明らかに放置された納屋が見える。


「あった!」


 幸い、納屋の後ろに大きな梯子が放り出されていた。晶はそれを引きずりながら、凪のところへ戻る。彼は柵の鉄棒を引っこ抜いて、片っ端から木戸や硝子を割っている。


「何してるの!?」

「煙を逃がしてる」


 なぎが口早に言った。


 一つ、少しでも煙を減らしてパーチェを発見しやすくするため。

 二つ、煙と一緒に発生している可能性がある有毒ガスを飛ばすため。


「三つ目は、ホットフラッシュを防ぐためだ。ドラマでもよくあるだろ? 扉を開けた瞬間に、炎が吹き出してくるやつ」


 ホットフラッシュは、燃えている室内に新鮮な空気が急に入った時に起きやすい。そのため、あらかじめ窓を割って対応しておくのだ。


 晶も手伝いたかった。凪と同じように、鉄棒を持つ。しかしそれはずっしりと重く、晶の足元がふらついた。


「やめとけ」


 真横で窓を叩き割りながら、凪が言う。


「割ったと同時に炎が出てくるかもしれない。それを避ける自信がないなら、梯子を固定しとけ」


 確かに、凪は窓を割ると同時に左右へ身をかわしている。自分にはそんな余裕はないだろう、と晶は思った。


 大人しく梯子を持ち上げ、最も煙の少ない外壁にたてかける。しかしこれでは、風ですぐに倒れてしまうとわかり、晶は梯子をとり直した。


「何か重石になるもの!」


 晶は振り向き、そこで動きを止めた。カッペロたちの青い目が、じっとこちらを見ている。


「お、追いかけてきたの……」


 カッペロが同意するように低く鳴く。そして尾が、くるりと円を描いた。梯子の下部が、その中にがっちりと巻き取られる。


「手伝ってくれるの?」


 晶がつぶやくと、カッペロがうなった。それは誇り高い響きで、「任せろ」と言っているように聞こえる。


「凪、できたよ!」


 晶が叫ぶと、凪がするすると梯子を登った。二階の窓を覗きこみ、手で丸印を作る。


「床が焼けてない。ここから入る。お前は最後までそこにいろ!」

「僕も行く!」

「バカ言うな、二回も火事で死にかけたいのか!!」


 凪が怒鳴る。庇ってくれるのは嬉しかったが、置いてけぼりはごめんだ。


「凪になにかあったらどうするの! 二人一組で行動しなきゃ、結局誰も助からないかもしれないよ!」


 晶は叫び返した。


「……チッ。絶対に側を離れるなよ!」


 凪は一瞬迷った様子だったが、すぐに決断した。凪は梯子を登って、二階の窓の硝子を割る。そして侵入時に刺さらないよう、枠の破片を取り除いていった。


 それが終わると、二人は次々に屋敷の中へ飛びこむ。火元からは離れているはずなのに、入った途端、晶の視界が灰色に染まった。家の中ではなく、煙の中に入ったとしか思えない。


 咳き込むと、わずかに肺に入った異物だけで喉が焼けるように痛んだ。晶はわずかにたたらを踏み、一歩後ろに下がる。


 薬局の火事とは、比べものにならない。学校の訓練で習ったように、袖で口元を覆って体をかがめる。同じ体勢になっていた凪が、怖い顔で振り向いた。


「いいか。壁伝いに進むぞ。あと、もう火が回ったところは基本のぞかない。二階にいなければ、諦めて脱出路を探すぞ」

「……うん」


 パーチェが二階に逃げていなければ、もう手の施しようがない。晶たちは、割り切って進むことにした。


 視界が暗く、煙も加わってきた。左右を、できるだけ遠くまで見渡そうと晶は首を振る。しかし、暗い。どれだけの距離を進んだか、それだけを把握するにも時間がかかる。パーチェのピンクの髪を探していたが、すぐに煙にぶつかってしまい、晶は色を探すのを断念した。


 なにせ、視界が全部灰色に見えるのだ。足にも腕にも力が入らなくなり、晶の胸の中も、同じ色の絶望に埋め尽くされようとしていた。


「煙が強すぎる、引き返すぞ」


 とうとう凪が白旗をあげた。もと来た道を退き始めた彼の背中を見て、晶は唇を噛む。


 今出たら、二度と引き返せない。パーチェは死ぬ。本能で痛いほどわかっていた。


 何か、何かないか。


 追い詰められても最後まで諦めない。最後まで希望を捨てない。それが逆転を呼んできたことを、今までの経験が語っている。


 使えるものがないか、晶は自分の物入れを探る。すると指先が、小さなものに触れる。その刹那、頭に一気に血液が昇った。


 あの景品の、ダサいボールペン。今まですっかり存在を忘れていた。今必要なのは筆記具ではなく、付着しているライトの方だ。


 もらったばかりだから、まだ電池は切れてないはず。


 落とさないよう、細心の注意を払いながらペンに手を掛ける。後方のボタンを押すと、ペンの後方から明かりが出て部屋の中を照らした。


 わずかな可能性だ。だが、ゼロよりははるかにいい。


 晶は祈るような気持ちで、電球を下に向かって動かす。すると、部屋を飲みこんでいた煙の下がちかっと光った。

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