第113話 炎と屋敷

 先日追いかけ回され、叩き潰されそうになったとはいえ、こんな姿を見ると同情心がわいてくる。あきらは死体に向かって、そっと両手を合わせて黙祷した。


 同時に、敵の強さもよく分かって、晶は不安になってきた。闇から何か飛び出してこないかと目をこらしたその時──前方から、勇猛な勝ち鬨が聞こえてくる。そして、遅れて木を倒すときのような重い音。それを聞いたなぎの目がつり上がった。


「晶、岩に登れ。敵の動向を探るぞ」


 晶は手近なくぼみに指を引っかける。体を押し上げ、岩を蹴って走り、飛ぶ。晶たちは足音に気を配りつつ、刻一刻と大きくなる話し声に耳をそばだてた。


「止まれ。伏せてろ」


 凪がひやりとするほど冷たい声で言う。晶はそれに従った。


「よし、追い詰めたぞ」

「これで最後か」

「屋敷にも人影を確認した。さっさと片付けるぞ」


 黒い鎧兜に身を包んだ騎兵たちが、わずかに残ったカッペロを追い立てている。それを待ち構えるのは軽装の男たち。少なく見積もっても数十人おり、全員が血にまみれた武器を手にしていた。


 それに対して、生き残ったカッペロはわずかに数匹。そのうち一体は子供だ。黒い大岩に挟まれた狭い場所に追い詰められている。しかし彼らも抵抗する意思をみせ、顔を兵士の方に向け、にらみ合いを続けていた。


「おい、火矢の準備はまだか」


 流石にこの状態のカッペロに、刃物で切りつけるつもりはないらしい。火でひるんだ隙を狙うため、男たちは装備の変更に大わらわだった。


「凪……あいつら、なんで蜥蜴を?」


 晶は小さくささやいた。


「カッペロが目当てなはずはねえ。本命はパーチェだ。邪魔が入らないように、引き離そうと思ったが無理だったから殺したんだろう」


 凪はそう言い、目を光らせた。


「どっちも俺らの味方じゃねえが……あの男たちは気にくわねえな」


 凪のつぶやきに、晶も同意する。無駄な殺しを楽しむ奴に、ロクなのはいないと経験的に知ったのだ。二度と勝手な殺しはさせない。


 どうにかならないか、と周囲に目を走らせた結果──あることを思いついた。


「凪。あれ、まだ持ってるよね」


 晶が言うと、凪が眉をひそめた。


「なんで知ってる」

「買ったときの領収書を見たよ。計算が合わないもん」


 晶はいい事務員なので、雇い主の領収書には全て目を通しているのだ。


「ちっ、どうでもいいことはよく覚えてやがる」

「師匠に似たんだね」


 無言で拳が飛んできた。晶はそれを押しやるようにしてよけ、そろそろと立ち位置を変える。


 晶がいい位置に移動すると同時に、一斉に、火矢が弓につがえられた。カッペロの子供が、親の足元で悲鳴をあげる。


「晶、行け」


 凪からゴーサインが出た。隠れていた晶は包みの内容物を、血だまりめがけて放り投げる。わずかな水音は、カッペロの吠える声にまぎれ、男たちの耳には入らない。


 彼らが異変に気付いたのは、血だまりから破壊音と白煙が上がり始めてからである。


「なんだっ」

「か、雷か!? 新手がきたのか!?」


 衛兵たち同様、彼らも爆発音に慣れていない。火がついた矢を放つのも忘れて、ただ怯えていたり、無意味に剣をふりかざしたりした。


 この衝撃からいち早く立ち直ったのが、カッペロたちだった。今までの恨みをこめて、喜々とした声をあげながら男たちに突進する。


 蜥蜴に近い者は体格差に押し潰され、離れていた者は棘がたっぷりついた尾になぎ倒される。不意をつかれた刺客たちは、ひと息の合間に全員たたきのめされた。


「うう……」

「命までとられなくて幸運と思いな」


 倒れた男たちを踏みつけながら、隠れていた凪が出てきた。


「ぴく」

「君も無事かい。助けが間に合って良かった」


 高い声で鳴きながら、子カッペロが晶に飛びついてきた。すっかり仲間認定されている。そのことは嬉しかったが、喜んでいる暇はなかった。


 晶はそのまま屋敷の方を見やる。カッペロたちは屋敷に向かって、大きな背びれを立てていた。


「あれは……」


 屋敷を見た途端、晶の背筋に冷たいものが走った。屋敷が、まるで昼間のように、オレンジ色の光を放っている。光は消えるどころか、ますます大きくなっていった。夜の闇を切り裂くその光に不吉なものを感じて、晶は凪を呼んだ。


「まさか、パーチェの家が!?」

「ちっ、行くぞ! 走った方が速い!」


 息を切らして辿り着いた屋敷は、変わり果てていた。赤い炎が一階をなめ尽くし、二階の窓から黒煙が噴き出ている。


 晶の足が震えた。白や灰色ではない、本当に真っ黒な煙を見たのは二度目だ。腹の底から、冷たいものがせり上がってくる。こんな中にいたら、確実に焼き殺されてしまう。


 助けなければ。


「パーチェ、いるのか!? 返事してくれ!」


 凪が何度も呼びかけるが、一向にパーチェは現れない。


「入ってみるしかないな」


 ついに彼も、無駄な呼びかけをやめて腹をくくった。凪はいよいよ激しくなる炎をにらむ。


「……晶」

「今更帰れとは言わないよね。僕も戦力に数えて欲しいんだ」


 パーチェを救い出すまでは動かない。晶もそう決めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る